【コラム】韓国はこのまま「東北アジアの患者」になってしまうのか

 韓国はどうして「死に物狂いで走らなければ昔の地位さえも守ることができない病気」にかかってしまったのか。意外にも、韓国の「そのまま病」の根底には「変えようと思ったら、いっぺんに全部大掃除しなければならない」という昔から伝わる急進的な思考回路がある。

 1863年に高宗が王位を継ぎ、父の大院君が権力を握った。10年後に大院君が失脚して高宗が親政した後、最初に取った措置が、父の政策を一つ残さず全て覆すことだった。こうした措置について、江華島の守衛を担当していた鎮撫(ちんぶ)営長官が「国防の弱体化を招きかねない」と主張したところ、即座に辞めさせられてしまった。その結果、丙寅(へいいん)の役(1866年)、辛未の役(1871年)による外侵にも耐え抜いた江華要塞(ようさい)が、日本の侵略(1875年)にもろくも崩れ去ってしまったのだ。ある海外の研究者は、朝鮮王朝亡国の原因の一つに前政権の政策をいとも簡単に覆してしまう無残な行為を挙げた。

 韓国大統領の不幸は、憲法と法律、制度と運営方式、政治文化と慣行、大統領の人格などの要因が複合的に作用した結果だ。一挙に改善できるなら、これ以上望むことはないが、それは不可能だ。「一気に」が難しければ、「段階的にでも」進めていくべきだろう。しかし、憲法改正はもはや無理と言っても過言でない。大統領選の有力候補たちが首を横に振ったためだ。手を付けるなら、いっそのこと権力構造だけではなく、憲法を全て手直ししなければならないが、そんな時間はないというのだ。

 1787年に制定された米国憲法は、現在までに20回以上改正された。そのほとんどが一度に憲法の1条項だけを変更するといった改憲だった。ルーズベルト大統領の4度の再選が問題視されると、再選を2度に制限した。国会議員の歳費の引き上げは、引き上げのための法律を作った議会の任期には適用されないというのも、こうした改憲の一つだった。投票年齢の引き下げ、禁酒法条項の盛り込みや廃止も、全ては同じ脈略だ。改憲が難しいわけではなく嫌だったというのが有力候補の本音だった、とみるほかない。

姜天錫(カン・チョンソク)論説顧問
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • 【コラム】韓国はこのまま「東北アジアの患者」になってしまうのか

right

関連ニュース