にもかかわらず、夕食会ハプニングをめぐって今回ことのほか韓国国内からあれこれ話が出てくるのは、日本との比較があるからだ。日本の外相とは夕食会を開きながら、韓国の外相とは省略したという点が、韓国の世論で何より優先視される「日本との競争心理」を刺激した。外交の舞台でも、サッカーの韓日戦のように、日本に押されるような格好は受け入れられない。外交当局者は「韓日がセットになると、儀典が『儀戦』(儀典と同じ発音)になる。ほかの変数とは関係なく、日本と同等に合わせなければ非難が殺到することを、みんな十分理解しているから」と語った。米国で会った国務省の関係者も「韓日の外交官は、日ごろはとても上品なのに、儀典競争が始まると必死になる」と語った。
儀典や形式は、もちろん外交の重要な一部分だが、全体ではない。しかも、儀典はタダではない。相手が考える以上のレベルを望むなら、そのぶん代償が伴う。安倍晋三首相がワシントンとフロリダ州マー・ア・ラゴのリゾートで、トランプ大統領と4回も食事を共にし、27ホールのゴルフをプレーするという最高の接待を受けた裏には、およそ70億ドル(現在のレートで約7800億円)規模に達する対米投資で米国に70万人分の雇用をもたらすという「贈り物」が存在した。
5月の大統領選が終わり、外交ラインが整備されれば、韓国大統領の訪米など各種の首脳外交が推進される。首脳外交の空白に対する懸念や批判が非常に多かっただけに、外交イベントの格や接待の内容などといった形式を高め、一挙に挽回しようという誘惑もあるだろう。しかし、儀典・形式が「実利」より優先されることはあり得ない。「マー・ア・ラゴで安倍首相が受けた特別待遇」は、頭の中から消してしまった方がましだ。