21世紀に入ったあたりから、日本のゲームは海外に遅れを取るようになった。理由は様々ある。マイクロソフトがコンシューマーゲーム機市場に参戦した。海外デベロッパーはコンソールゲームにより力を入れるようになった。日本のゲーム会社は拡大した欧米市場のニーズを把握しきれなかった。FPSという日本人が不得意とするジャンルがよりメジャーになった。あらゆる意味において、日本のゲーム会社にとって不利な時代が始まった。開発費用が高くなる一方、販売実績が悪くなり、上層部が大胆な企画に判子を押しづらくなった。クリエイターが独立してインディーゲームを作る文化も根付いていない。結果、80年代や90年代にあったようなクリエイティビティあふれる和ゲーを見かける機会が少なくなった。
だが、私が何よりも致命的だったと思っているのは、日本人がオープンワールドの流行りに乗り遅れたことだ。
日本人は元々オープンワールドに馴染みがない?
FPSという日本人に馴染みの薄いもので海外と勝負できっこないことは最初からわかっている。だが、オープンワールド的な思想のゲームなら日本人は80年代から作ってきた歴史があるではないか。「ポートピア連続殺人事件」(1983年)や「夢幻の心臓」(1984年)、「ハイドライド」(1984年)は頻繁にオープンワールドの先駆者として挙げられる。
「日本人=オープンワールド不得意」は誤認
初代「ゼルダの伝説」(1986年)もハイラルを自由に探索し、一本道でない冒険を楽しむことができた。「ドラゴンクエスト」(1986年)を始めとする国産RPGも、広いフィールドでの冒険が前提となっている。「日本人=オープンワールド不得意」というのは本来、誤った認識だ。
もちろん、モダンなオープンワールドは80年代や90年代のものと根本的に異なる。では、昨今の巷に言われる「オープンワールド」とは具体的にどういうゲームを指しているのか。その定義は極めて曖昧であるが、基本的には広い3Dフィールドで展開する膨大なスケールのゲームで、プレイヤーはその世界を自由に探索できる。ロードが発生する場面が少なく、世界がシームレスに繋がっていることを条件とする解釈もある。
3Dゲーム黎明期におけるオープンワールド
3Dゲームの黎明期においても、オープンワールドといえる和ゲーはあった。「ゼルダの伝説 時のオカリナ」(1998年)は初代と比べて一本道になったが、360度に広がる3Dのフィールドを自由自在に冒険することができた。IGN本家は当時のレビューにこう書いている。
「今までゲームをプレイして、背景に広がる景色を見て『あそこまで行けたらなぁ』と何度思ったことか。だが、それが実際にできるのが時のオカリナだ」
「ミザーナフォールズ」は驚くほどのリアリティがある
「ミザーナフォールズ」(1998年)はリアルな設定のオープンワールドゲームだった。車に乗ることができ、時間の概念が存在し、登場人物には生活パターンがプログラムされていた。操作性が良いとはお世辞にも言えないのでオススメできないが、驚くほどのリアリティが感じられるゲームだ。筆者はとあるNPCと待ち合わせをして、約束の場所に早めについた。時間になると、NPCが車でこちらに向かっているのが遠くから見え、大変驚いた記憶がある。1998年において、こういった演出は前代未聞だった。
だが、この頃、国産RPGの「オープンワールド離れ」がすでに始まっていたように思う。「The Elder Scrolls II: Daggerfall」(1996年)のフィールドがすでに1つの大きな空間になっていたのに対して、「ファイナルファンタジーVII」(1997年)を始めとする国産RPGはまだロケーションとマップを分別するスタイルが主流だった。
オープンワールドブームの起源
近年のオープンワールドブームを呼び起こしたのはクライムアクションゲームの「グランド・セフト・オートIII(GTAIII)」(2001年)だ。2Dの俯瞰視点を採用してきたシリーズが3Dとなり、リバティー・シティは臨場感あふれるものになった。この架空の大都市において、プレイヤーはストーリーのミッションを攻略せずとも、様々な活動に興じることができた。すべてのNPCに暴力を振るうことができ、乗り物もバイクから救急車までハイジャックすることが可能で、人を轢くのも海に飛び込むの思いのままだ。極端なまでに暴力的な演出を問題視する人もいたが、その爆発的な人気はとどまるところを知らず、1500万部の販売本数を突破したと言われている。以降「GTA」シリーズは世界の最もポピュラーなゲームフランチャイズの1つになり、近年のオープンワールドのトレンドセッターとなった。だが、それは日本的なゲーム哲学からあまりにもかけ離れたアプローチだった。
「GTAIII」の2年前、セガは「シェンムー」(1999年)を発売した。横須賀という実在する町は極めてリアルに作り込まれ、探索を最重視したゲームであった。見方によっては「GTAIII」よりもはるかにリアリティがあった。
世界はGTAを選んだ。
なぜ「GTAIII」が成功し、「シェンムー」がセガを破綻に導いてしまったのか? 理由はいくらでも思いつくが、ここではオープンワールドのデザインにフォーカスを絞っていこう。「GTAIII」が”スケール”を主張するゲームであったのに対して、「シェンムー」は”ディテール”のゲームだった。横須賀は狭いフィールドだったが、450人を超えるNPCはすべて唯一無二で、1人ひとりとフルボイスで会話ができる。中華料理屋から旅行会社まで、すべての店に入ることも可能だ。対する「GTAIII」にそういったディテールは施されていないが、マップサイズは「シェンムー」をはるかに上回った。立ち止まってじっくりと観察する「シェンムー」か、大都市をド派手に突っ走る「GTA」か。会話や探索で世界観を嗜むか、最高級の外車をハイジャックしてピストルで敵を撃ちまくるか。世界はGTAを選んだ。そして、それが日本のオープンワールドにとって致命的だった。
オープンワールドとして認識されるゲームの範囲が狭くなった
「GTAIII」以降、日本のオープンワールドゲームは劇的に減った。だが、海外的なアプローチが主流となった時代のさなか、スクウェア・エニックスは「ドラゴンクエストVIII」(2004年)を発売した。トゥーンレンダリングのグラフィックによって再現された実に膨大な世界が広がっていた。町や洞窟に出入りするときはロードが発生するが、それを除けばシームレスに繋がっている。広く愛されているゲームではあるが、なぜかオープンワールドとしての評価をあまり聞かない。同じことが「ゼルダの伝説 風のタクト」(2002年)に関しても言える。「GTAIII」の圧倒的な存在によって、人々がオープンワールドとして認識するゲームの範囲が狭くなったように思う。
ここまでの流れを見ると、日本発のクライムアクションゲーム「龍が如く」(2005年)が現れるのも必然的に思えてくる。「シェンムー」の流れを組みつつ、「GTA」が呼び起こしたブームに乗った本作はRPG要素も多く取り入れていた。結果、ただの「和風GTA」じゃない、独自性のあるゲームだったし、筆者もシリーズを長く遊んでいる。だが、発売当時、海外で「『シェンムー』以来の日本のオープンワールドゲーム」と言われていたことに関しては当時から強い違和感があった。
無視のできないギャップ
ゲーム機の第7世代に入ると国産RPGは減り、「FFXIII」(2009年)のようにリニアなゲームが増えた。だが、よく忘れられがちなのはPS3の初期作品である「AFRIKA」(2008年)で、大自然を自由に移動して野生動物の写真を撮る斬新なゲームだった。その地味なコンセプトは「シェンムー」と同じくらいニッチなもので、もちろん万人受けはしなかった。海外での評価は低く、IGN本家はレビューに3.5点をつけた。正直言って、理解に苦しむ。だが、日本のゲーム会社が作るオープンワールドと欧米のゲーマーが求めるゲームのギャップが徐々に拡大していったことは無視できない。
再び海外と渡り合える時代の到来?
物事が好転し始めたのは2010年に入ってからだ。ファミリー向けのゲーム機と謳われていたWii向けに「ゼノブレイド」が発売した。スケール・自由度のいずれにおいてもほとんどの海外オープンワールドと対等に渡り合える国産RPGは実に久しぶりだった。サイドクエストのスムーズさや画面が切り替わらない戦闘システムは欧米のMMORPGからの影響が感じられる。カプコンの「ドラゴンズドグマ」(2012年)はさらに洋ゲ―らしいオープンワールドだった。日本の開発者は少しずつ(だが、確実に)海外のオープンワールドから学んでいた。しかし、そうする過程において、独自のアイデンティティを失わないだろうか。私は心配だった。
日本の古いフランチャイズよりも、新規IPの方が海外に早く追いついた。「デモンズソウル」(2009年)から始まった「ソウル」シリーズはその典型的な例で、過去の栄光に取りすがることなく新しい「日本らしさ」を生み出した。「ダークソウル」(2011年)はスケールこそ狭いものの、複雑に入り組んだいくつものルートを1つの世界にまとめ上げているのは職人的な凄みがある。
新しい「日本らしさ」
「スカイリム」(2011年)、「GTAV」(2013年)、「フォールアウト4」(2015年)、「ウィッチャー3」(2015年)。海外のオープンワールドゲームはとどまるところを知らない。だが、日本も頑張っている。「メタリギアソリッド5」(2015年)、「ファイナルファンタジーXV」(2016年)、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」(2017年)。30年の歴史を誇るこれらのフランチャイズは葛藤を乗り越え、今でも十分に戦えることを証明した。昨今の高いスタンダードに達しているだけでなく、それぞれの独自性も維持されている。「メタルギア5」のフルトン回収システムで敵兵が叫びながら空に吊るし上げられるような姿はいかにも「小島」だ。ホストのような格好をしたお兄さんたちが歌を口ずさみながらチョコボに乗る洋ゲ―はどこにもない。
すべての壁を登り、どこへでも滑空できる「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は真の意味で革新的と言える。それも、リアリティを追求するより、「遊び心地の良さ」を最重視する任天堂ならではの革新性と言える。
日本人にオープンワールドゲームは作れない。プレイヤーの多くもそれを求めていない。こういった発言を頻繁に耳にするようになったのはいつからだろうか。いずれにしても、それが誤った認識であることはここ数年のゲームが証明している。今後も独自性を大事にして、日本だからこそ作れるオープンワールドゲームに期待したい。年内は「ドラゴンクエストXI」、「二ノ国II」あたりが楽しみだ。