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90年代バブル崩壊とともに突如誕生した「渋谷系」。その「渋谷系」はどのようにして生まれ、なぜ衰退していったのか? その背景を描き出した書籍「渋谷系」の発売記念トークイベントが、9月14日聖地「HMV record shop」にて、若杉 実(著者)と 山崎二郎(BARFOUT!編集長)によって行われた。
写真左より山崎二郎氏、若杉 実氏

若杉:僕自身、当時渋谷で遊んでイベントにも行ったりリアルタイムで体験していたので、「渋谷系」というものをあまり客観的には見られなかったんです。「渋谷系」というのは熱狂的に好きな人もいれば、その逆ですごく嫌がっている人もいる。そこまで極端に分かれる現象はなかった…というのを実感していました。でも、それ故に自分としてはやりがいもあるし、そのシーンに多少は関わっていただけに、20年経ってその当事者の一人として書ければいいかなと思いました。
山崎:若杉さんもおっしゃっているように、こういったノンフィクションは客観的俯瞰的な視点がなければ書けませんからそういう意味では大変だったんじゃないかと思います。そのシーンの中にいらっしゃったからこそ、バランスを取って書かれたんだなと思いました。
若杉:ありがとうございます。バランスといっても「ここもあそこもいいよ」といった総花的なことで美化はしたくなかった。そこで取材候補にまず山崎さんが挙って、加えて以前のHMVにいらしたマーチャンダイザーの太田浩さん、このお二人に全体の大局的な所を語っていただこうと取材を始めたんです。



山崎:太田さんは真っ先に訊くべき方として、ミュージシャンとかクリエイターの方とかは当事者になってしまいますので、僕みたいにメディアとして関わっていた人間の方が語りやすいというのはあると思います。
若杉:お二人に伺って、全体の流れも含め、細かい所も再確認できたのと、本の向かう方向が再認識できました。ですからすごく心強かったです。
山崎:ここに、当時、セゾン・グループの出版社が出していたタウン情報誌「apo」(93年11月9日号)があるんですけど、中に「センター街あたりじゃあたりまえ “渋谷系”ミュージックって、なに?」っていう記事が掲載されています。
若杉:それが「渋谷系」という言葉が紙媒体で初めて使われたということで、最初誰が使ったということより大局的な流れを作った言葉だと言うことの方が価値があると思って、本の中では紹介しています。
山崎:ある1つのムーヴメントを総称した言葉ですね。
若杉:渋谷、宇田川町近辺で人気のある音楽、アーティストもそれを聞いている人も含めてそれが「渋谷系」」と呼ばれていた。
山崎:新しい動きがあるときはそれを表す言葉ができる、それがこの時は「渋谷系」だったと思うんですけど、面白いのは、パンクとかニューウェーヴといった音楽ジャンルではなく “街の名前”だったということですね。ノア渋谷ビルに入っていたUK物とかネオアコ系に強かった「ゼスト」というレコード店があって、そこではカジヒデキさんとかもバイトをしていました。そのビルに、僕たちBARFOUT!編集部と、インディペンデント・レーベルのクルーエル・レコーズが一緒に入っていて、その近辺がいろいろな人が集まるスポットになってましたね。加えてHMVやWAVE、タワー・レコードや本屋、ファッションなどいろいろなショップ、ライヴ・スポットとしてはクラブ・クアトロとか集まったカルチャーの中心地になってました。そこから雑誌やレーベルとかDIY(Do It Yourself)というか、自分たちで何かをしようという動きが起こり、そこに共感する同年代、同世代が集まっていって。多くの人が友だちで横につながっていて、聴いている音楽も共通だったりして、紹介が紹介につながってスモール・サークルができあがっていったんです。それが91、92年くらい。周りにいるスゴい才能を持ったアーティストがなかなかメディアに取り上げられていない状況があったので、それを紹介していこうとして始まったのがBARFOUT!でした。


ここで、それぞれが「渋谷系」の想い出の音源を持ち寄りそれを聞きながらのトークとなった。まずは若杉選曲から。


「ミリオン・シークレッツ・オブ・ジャズ」オリジナル・ラヴ

若杉:これはオリジナルのミックスじゃなくてU.F.O.のリミックス・ヴァージョン。元はもっとジャズっぽい、ジョニー・ライトルというヴィブラフォン奏者の曲を使ってるんですが、当時の日本の音楽シーンではここまでジャズっぽい曲がなかった。なおかつサビの部分以外はちゃんと日本語で歌われて、スウィング感もあってドギモを抜かれました。渋谷系を象徴するような同名のイベントもあってそこにも行きました。
山崎:今で言うJ-POP的なシーンにいたオリジナル・ラヴと、当時クラブ界隈で一番人気があって、英国チャートにチャート・インした世界的に注目をされているU.F.O.が一緒に組んでいるということ、これはなかなか無かったことだと思うんです。言わばオーバーグラウンドのアーティストとアンダーグラウンドのアーティストが交わってやっている、ポップスとクラブ・ミュージックを横断しているというのが画期的かつ象徴的なところですね。
若杉:当時テレビ東京の深夜枠の帯番組で「モグラネグラ」(92年10月〜93年2月)という音楽番組があって、オリジナル・ラヴの田島さんがレギュラーで火曜日の司会を勤めてらして。
山崎:田島さんとU.F.Oの松浦俊夫さんが司会で。地上波で深夜とはいえアンダーグラウンド系の方が司会をするというのはあり得ない、画期的なことでした。。

「intro」ELLIE(ラヴ・タンバリンズ)&カヒミ・カリィ〜「Take It Easy My Brother Charlie」カヒミ・カリィ

山崎:選んだのは93年にリリースされたクルーエル・レコーズのコンピレイション・アルバムで『hello young lovers』に収録されている「intro」で、カヒミ・カリィさんとラヴ・タンバリンズのELLIEさんがパーカッションをバックに朗読してます。
若杉:僕はアナログ盤で持ってます(笑)。ブラジルのシンガー、ジョルジュ・ベンのカバーで、これは多分アストラッド・ジルベルトのヴァージョンに影響されたのだと思います。クルーエルの最初の象徴的なコンピにして、既にジャズだけでなくブラジル的な要素も取り込んでいたわけですね。
山崎:なぜ曲でなくこれを選んだかというと、「若さ、誠実さ、調和、精神の力、街の鼓動、夢、そして愛」といった言葉が当時の空気感や皆が感じていた事を端的に表現していると思ったからです。当時すごく楽観的な空気があって、自分たちの感覚で作った物が「大人」を介さずに、自分たちに近い下の世代にダイレクトに通じるんじゃないか…という価値観がありました。自分たちの感覚を信じていいんだと。“セカンド・サマー・オブ・ラヴ”という感覚だったんですよね。
若杉:時代の空気感もあって、実際、当時は若い人たちだけで動かした部分もあったんですよね。
山崎:元々はスモール・サークルだったんですよ、そこに共感する人がどんどん増えていって、それがメディアにも乗って。一番大きいのはかつてのHMV渋谷店でバイヤーの太田浩さんが一つのコーナーを持っていて、そこで自分がリコメンドする音楽をガンガン、パワー・プッシュでディスプレイされていた。ネット以前だったので、そこがいろいろな人が集まる場になっていって、お客さんもアーティストも、クリエイター、レコード会社の人とかも居るという状況だったんです。そこの品揃えは単に新しい物だけじゃなくて、レア・グルーヴを筆頭に、昔の曲だけど今聞いたら新鮮じゃないかっていうCDがDJの視点で置かれてあって。加えて雑誌とかレコード・プレイヤーといったCD以外のものも置いてあって。今で言う“ひとりヴィレッジ・ヴァンガード”的な感覚だったんですよ。
若杉:太田さんも、“amazonでいうところのレコメンデッド的な部分”ともおっしゃってました。
山崎:先ほどの「渋谷系」という言葉が最初にメディアに登場したという「apo」の記事を21年ぶりに今読み返してみたんですけど、「この現象に於いては、実際にお客さんと向かい合っているレコード店の人たちのアクションが大きな影響力を持っている」といったことが書いてあり、「売り場のスタッフやミュージシャンの『個』の輝きが渋谷で機能しているのは特筆すべき事実で、このムーヴメントが日本の音楽シーンを大きく変えていくかもしれない」という風に結ばれてます。自分が書いたので手前味噌ですが、「渋谷系」と表層的なネーミングはされてますけど、テキストはちゃんと現場からおこっていることをインサイダーの視点で記してますね。
若杉:太田さんの「SHIBUYA RECOMMENDATION」というコーナーで渋谷系を売っていたんですけど、メジャーのアーティスト・サイドからは逆転現象と言われていて、もっと売れているアーティストのいる会社から、その渋谷ローカルのコーナーに置いて欲しいって言われることが、すごく象徴的だったと思います。
山崎:先ほどのカジさんとか田島さんもデビュー前、レコード屋でバイトしていたりという風に、送り手と受け手の垣根が低かったというのもありました。
若杉:「渋谷系」というのはアーティストのものというより、消費者のものだったと思うんです。
山崎:送り手も受けても同じ地平で音楽を聞いて楽しむ感覚というか、その近さはありました。


最後に今後の予定に加え、インタビュアーとしての山崎さんが若杉さんを取材する形で進められ、若杉さんの「「渋谷系」の本質に重点を置き「物語」にしたかった」という言葉でイベントは締めくくられた。

山崎:僕は現在新雑誌を準備中で、『MOVILIST』という「移動」をテーマとした雑誌で、最初はあえてデジタルの形で今年中には出したいです。
若杉:特定のジャンルの雑誌ではなく。
山崎:「移動」というところから見えてくる価値観とかライフスタイルとかを出したいなと思っています。
若杉:僕自身はないのですが、いろいろな人のサポートでこの「渋谷系」ができたことに感謝しています。
山崎:僕はインタビュアーなので、最後に若杉さんにお聞きしたいのですが、この「渋谷系」というのは労作だと思うんです。これだけ多くの方を取材されてまとめ上げられたというのは。そして難しかったと思います。音楽でもネオアコ系とかだけではなくクラブ・シーンも取材されて、時代全体の空気がパッケージされている。そこで、まとめるのに当たってご自分の中で一番のポイントに、中心にしようと思ったのはどの辺りですか?
若杉:予定外のインタビューですね(笑)、今まで渋谷系といったものを取り上げた雑誌などをいろいろと見たのですが、みんなネオアコ系が中心になっているんですよ。でも、一般的にはフリッパーズが解散した以降から渋谷系という言葉が出て来たとされてる。となると、別々の活動を始めたふたりの動きにこそ着目しなければいけない。つまりクラブっぽくなったり、黒っぽくなったり、と。ネオアコ系のみで語る視点を切り崩していかないと、今まで紹介されたものと同じになってしまうなと思ったんです。あくまでもいろんな要素が入った「渋谷系」であって、「ネオアコ系」じゃないんですよね。ほかにポイントになったのは、この本を「物語」にしたところです。一番重要なのは「物語」なんです。いろいろ取材したことを繋げてストーリーにしていきました。「流れ」「情報」どちらを重要視するかというと、僕は読み手側に廻った時に「流れ」を大事にしたいなと。「情報」としては取材して行く中にもいろいろなエピソードや、いわゆるゴシップもありましたけど、僕は正直どうでもいい、価値の無い情報だと思ってて。そういったものは一瞬「オオっ!」となるんですけど、すぐに消えて行く。それよりも「渋谷系」の本質に重点を置き「物語」にしたかった。興味本位みたいなところでは書きたくなかった。今は死語になってますけどサブカル的な視点では書きたくなかった。残すんだったらそこじゃないと思ったんです。
山崎:そこがこの本の素晴らしいところです、この後10年も20年も残っていくのは、こういう貴重な空気をきちんとパッケージした本だと思います。60年代をまとめた本はあっても、80年、90年代の本はなかなか無いので、そういうフェアな視点というのは大事だと思うんです。
若杉:ありがとうございます。



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渋谷系

若杉 実/A5判/200頁/本体価格1,728円

音楽、ファッション、アート、カフェ……あらゆる若者カルチャーをリードしてきた渋谷に90年代、バブル崩壊とともに突如誕生した「渋谷系」。 今日の「オタク」文化の元祖とも呼ばれるムーヴメントは、近年の90'sリバイバルとともに再び脚光を浴びつつあります。レコード/CDショップの密集地として有名な宇田川町を中心に発信された渋谷系は、テレビ、ラジオなどにも影響を与えながら全国に飛び火し世界からも注目されます。 本書では多くのアーティスト/関係者の証言をもとにさまざまなデータと比べながら文化/社会的な見地で検証。80年代の胎動期から出発し、どのように生まれ、なぜ衰退していったのか、その背景を生々しく描き出します。