カエルくん(以下カエル)
「攻殻機動隊のハリウッド版が公開されたね!」
ブログ主(以下主)
「……実はさ、このハリウッド版に関しては表に出ていない重要な情報を握っているんだよね」
カエル「え!? いきなり!?」
主「ちょっと前に押井さんのトークショー付きのイベントに行ってきたんだよ。その時に『スカイクロラ』のサイン入り絵コンテ集が当たったんだけど……その時に偶然耳にした情報があって……」
カエル「え? それっていっていいの?」
主「たぶんダメ。だから言わないけれど、実写版に関するお話だったんだよね。
実は今回の監督って当初予定されていた人と違うの。じゃあ、当初予定されていた人って誰? というと……その名前を小声で隣にいた、確か西尾鉄也に話したのね。それがマイクに乗ってしまってさ……
その人が監督をしていたら多分大絶賛の嵐だったと思う。ただし攻殻機動隊ではなくなっただろうけれど」
カエル「え!? 誰なの、その人!?」
主「いや、だから言えないって。ただ映画の大巨匠だよ。映画好きならみんな頭を下げるようなレベルの人。
その人がやった攻殻機動隊も見たかったなぁ……で、なんでこんな話から始めたかというと、当たり前だけどこの映画化だって最初から完璧な布陣で臨んだわけではなく、いろいろな紆余曲折があったということでさ。
映画製作って予定通りに行くことの方が少ないんじゃないかな?」
カエル「……それが言いたいだけで、そんな気になる情報を出してきたの?」
主「あとは『自分はそれなりの押井ファンだぜ!』っていうアピールでもある」
カエル「……じゃあ、感想記事を始めようか」
1 押井ファンのざっくりとした感想
カエル「結構賛否が分かれているようだけど……押井ファンとしての評価はどう?」
主「よかったよ。
士郎正宗の原作ファンがなんというかはわからないけれど、押井守版の『攻殻機動隊SAC』のリメイクとしては正当なものになっていた。中にはイノセンスをモチーフとしたカットも入っていて、面白かったし。
テーマ性もしっかりと同じものを選んで、しかもそれなりにキチンとまとめてきたし、個人的な満足度は相当高い」
カエル「ちなみに今回は吹き替え版を見に行ったわけだけど……」
主「別に攻殻機動隊に限った話ではなくて、この手のCGを多用したアクション大作ってアニメと同じだと思うわけだよ。今まで実写だけできなかったものが、CGという技術を活用することでできるようにしている。
背景や美術、衣装やモンスターや兵器などもCGで作っているわけだからさ……やっていることはアニメでいうと背景を描いて、それにセル画を乗っけてという作業と変わらないわけ。違いは生身の人間をのっけるか、紙で書いた人をのっけるかだけであってさ」
カエル「つまり、背景などをCGで予め作っておいて、役者の動きにそれを合わせるというやり方ね。普通は……例えば新宿の街中を歩く役者をセットで撮るけれど、この手の作品の場合は役者と背景を別々に撮る(作る)から、それは背景にセル画を乗せて撮影するアニメと同じだと」
主「この辺りの説明は難しいけれど……ジャンルもSFやファンタジーが多くて、一昔前ならアニメで表現されていたものでさ。
で、何が言いたいかというとそこに田中敦子や大塚明夫の声がのって、ここまで同じように作り込まれるともうそれはアニメとして見ることができる。だから自分なんかは、ここまでくるとアニメと実写映画の境界線なんてほとんどないんだな、なんて呑気に考えながら見ていたわけだよ」
カエル「……ちょっと分かりにくい話になってきたけれど、押井版の攻殻機動隊のコピーには成功していると解釈してね!」
本作の少佐は草薙素子ではない
(C)MMXVI Paramount Pictures and Storyteller Distribution Co. All rights Reserved.
今作のテーマ性と押井守版との違い
カエル「押井版攻殻のテーマも結構難しいけれど、本作も分かりやすいように改変してはいるけれど難しいよね……」
主「初見の人がどこまで理解できるのかは、ちょっと疑問。押井版攻殻は1回見ただけじゃ、話がわかりづらかったんだよね。
それを考えても今回のハリウッド版は結構親切設計でさ、丁寧に説明はしてくれている。そこが深みを失ったという意見も出るだろうし、逆にそれでもわかりづらいという意見もあるだろうけれど……そこも賛否が分かれるかも。
自分はラストも含めて『この攻殻はありだな』と思った。正直『ARISE』が絵が派手なだけでガッカリする作品だったからさ、ハリウッド版も予告の段階でちょっと諦めていた部分もあったけれど、しっかりとした攻殻らしいテーマもあって、良かったよ」
カエル「同じようなテーマを扱いながらも、結論はまた違うものになっていたしね」
主「そこも賛否が割れるだろうなぁ……
自分は今回の攻殻は押井さんではできない作品だったと思うんだよ。なぜならば、あの人って強い女の人が大好きじゃない?
作家性が強く出たとされる『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』はラムとしのぶもそうだけど、それ以上にサクラ先生にスポットが集まっていてさ、気が強い3人娘じゃない?
それから『パトレイバー』のしのぶさんとか『スカイクロラ』の草薙水素もそう。ヒロインは基本的には強い女性なんだよ」
カエル「確かに言われてみれば原作もあるとはいえ、一筋縄ではいかないキャラクターばかりだね……」
主「それって間違いなく押井さんの趣味だよね。あの人、足フェチだけどムッチリとした足やスリムな足ではなくて、軍人のようなゴツゴツした足が好きなんだって。元々足フェチはM体質が多いっていうけれど、どれだけ軍隊や強い女が好きなんだよって話でさ。
で、攻殻もそう。原作よりも強く、ゴリラのようなパーフェクトウーマンとしての草薙素子が描かれたけれど、このテーマを……『私とは何か? 機械と人間の差とは何か?』ということを扱う上では強すぎるんだよ」
カエル「今回の少佐はちょっと弱々しかったよね」
主「だからこそ少佐が抱える悩みがストレートに伝わってきたというのもあると思うよ。押井さんの癖がだいぶ減った。それが幸か不幸かは知らないけれど!」
2 キャストについて
カエル「結構揉めているらしいね……しかもアメリカでは『白いオスカー』などに代表されるように、今作に白人が多くキャスティングされていることに不満の声が大きいらしいけれど……」
主「仕方ないじゃん。世界に通用するまともな日本人俳優がいないんだから」
カエル「……もっとオブラートに包んで!」
主「日本人の島国根性か知らんけれど、海外に通用する若手俳優がいないんだよ!
英語が話せる俳優がさ! 若くて可愛くて人気のある女優も、演技力のある女優もいるにはいるよ? だけど、その子達がアメリカに出て行かないし、英語が話せないからハリウッドに行っても『バイオハザード』のローラのような使い方をされておしまいなんだよ」
カエル「まあ、海外で活躍する日本人俳優って両手を使わずに数えられるかも……」
主「洋画を見ても出てくるアジア系は中国人、韓国人ばかりでさ。みんな英語を話すことができないから、結局日系人がなかなか出演しないことになる。需要はあるだろうけれど、供給がほぼ0! だから白人が演じることになるの!」
カエル「……え? なんでそんなに熱いの?」
主「先の『キングコング』を見ていてもさ、日本人がほとんど喋らないし、アジア系は中国人だったし……それって日本人、日系人で海外に通用するまともな俳優があんまりいないからでさ、きっと監督も思ったと思うよ。
じゃあまともな日本人俳優を連れてきてくれよ! って」
カエル「……今回荒れそうだなぁ」
少佐役が白人でいいの?
カエル「じゃあ、ちょっと見方を変えて少佐役のスカーレット・ヨハンソンが白人であることは別に構わないの?」
主「全く問題ない。
むしろ、作品を考えたら問題にする方がおかしいわけで……」
カエル「どういうこと?」
主「攻殻機動隊のテーマって簡単に言うと『私とは何か?』というアイデンティティの問題なんだよ。もう今では古いようなテーマかもしれないけれど、これって実は現代のポリコレの流れと真逆のテーマなんだ。
ポリティカル・コレクトレス……つまり差別などに配慮した表現というのは、人種や障害を認めて受け入れる社会になるまでの発想だ。簡単に言えば『肌の色の違い、性別、障害は個性である』という考え方。そしてその個性に配慮を促す考え。
だけど、攻殻機動隊って簡単に義体化することができるから、障害は無くなるし、肌の色も簡単に変化させることができるだろう」
カエル「作中でも『個性を認めることが精神の平穏には重要だ』みたいなことを言っていたよね」
主「だけどこの作品は『身体的個性が無くなっても残る物は何か?』ということを問うている作品だからさ……そんな作品でポリコレ云々言うことは、作品世界観を全く理解していないんじゃないか? と疑いたくなるよ」
カエル「じゃあ、主はこれはありだと?」
主「アリだよ。むしろもっと人間の形態から離れた人間を出してもよかったくらいだよ。テレビシリーズではいたけれどね、体を捨てた人の話」
カエル「スカーレット・ヨハンソンも美人だったしね」
主「あの無機質な美しさがある人ってなかなかいないのかも。ある程度メイクとかはしているだろうけれど、ハッとするほど美しい場面もあったよ」
賛否はあるが独特の存在感のあった北野武
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北野武について
カエル「……で、武がまた賛否両論どころか、否が目立つというか……
よく聞くのが『台詞が聞き取れない』とかで……演技もうまいとは思えないし……」
主「アホか!!
自分に言わせてもらえば、そんなこと言うやつは何もわかっていない!」
カエル「お! 映画ファンに宣戦布告だ!」
主「武は昔っから台詞が聞き取りづらいんだよ!
何を言っているかわからないんだよ!
英語を喋らないのが違和感!? アメリカが舞台の『BROTHER』ですら、日本語で最後まで突き通した役者だぞ!?
武が英語を話すのは『メリークリスマス、ミスターローレンス』ぐらいでいいんだよ! あの辿辿しさが最高なんだよ!」
カエル「……なんか斜め上の指摘だね。しかも、武は英会話教室のCMもやっていたのに」
主「まあ、それは冗談として……
武が演じてきた役の多くは『異物』なんだよね。個性派俳優であり、何を演じても北野武であるのは間違い無いんだけど、他の役者と全く……根底から違う何かがある。だから目を引くし、海外でも評価が高い。
武じゃないとできない役もたくさんあると思うんだよ。特に荒牧って、本作の中では結構異端の役でもあるからさ……本作ではある程度電脳化しているようだけど、多分最小限にとどめているんじゃないかな? だから彼だけ日本語を話した。
電脳化した世界って言葉が画一になるはずだからね。だけど、日本語を話させることでやっぱりある種の違和感を生み出すことに成功している。
自分はこのキャスティングと演技プランはある程度納得なんだよね」
カエル「う〜ん……これはまた荒れそうな」
主「いつもは日本の作品の中で武の演技があるから、違和感があってもそれは目立たなかった。異質な役が多いし、浮いてはいるんだけど、それがいい味になっていた。
だけど本作はあの独特のセットに外国人俳優の中に入ると、浮きすぎちゃたのはあるかもね。周りがあまり見ない外国人の中で、1人だけ毎日のようにテレビで見る人気芸人だから、余計に違和感を与えたのかも」
カエル「……それはキャスティングか演技プランをミスしたと言えるんじゃない?」
主「……まあ、もう少し演出でカバーもできたかも」
以下ネタバレあり
3 本作と『LION』
主「この映画を見る前に、同日に公開された『LION〜25年目のただいま』を見てきたんだよ」
カエル「簡単に説明すると、アカデミー賞にもノミネートされた実話を基にした作品で、インドで25年前に行方不明になった男性が紆余曲折を経て生家へと帰っていく話だよね」
主「そうそう。そして、意外とこの2作のテーマって同じなんだよ。LIONのネタバレにならないように話すけれど、自分のルーツである生家に帰って母親に会いたいというのが最大の目的なんだ。
そしてそれは自分のアイデンティティを探す少佐と全く同じな訳で……自分という存在が何なのか、いったいどこの誰なのかがわからないという点では全く同じ」
カエル「そしてそれを求めるために色々と過去を探し回るのも同じだよね。違いがあるのはSFアクションか、洋画ドラマかぐらいでさ」
主「だけど、自分は攻殻の方がもっと根が深いドラマだと思う。なぜならばLIONの方は自分の幼い記憶についてはしっかりと持っているわけだ……しっかりと、と言っていいのかは微妙か。
だけど少佐はその記憶すら曖昧で、自分という存在がどこにあるのか理解することができない」
カエル「『我思う、ゆえに我あり』とはいうけれど、その思うことが疑わしいわけだもんね」
主「世界は5秒前に始まったという有名な思考実験がある。これは『記憶も過去も現在の状況も実感も全て持って、世界は5秒前に始まったということを否定することはできない』という理論だ。
これと似た様なもので、例えば『現在自分が見ているものは全て幻影である』という思考実験をしても、それを否定することはできない。実は記憶というのは非常にあやふやなものである」
カエル「だからこそ、ちゃんとした揺るぎないものを求めるわけだね」
今回はよかったね! バトー!(何かは言いません)
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揺るぎないものとは?
主「これは一般の人であれば『体』が揺るぎないものとしてある。その手が動く事、心臓が動いていることは疑いようのない事実だ。そのことを疑う人はいない。それから、視覚などの五感からの情報もある。
だけど少佐はそれすら奪われていて、オリジナルのものは脳みそだけ。だけど、その脳みそすら自分のものかわからないんだよ。なぜならばバグもあるし、記憶も消去できるし、その記憶や感覚が本物である証拠なんてどこにもない。
だからこそ海に潜り、死に近いところに向かう。それでしか『生きている実感』というものは得ることができないからだ」
カエル「そのあたりは押井版と一緒だよね。あの海のシーンもあったし……」
主「だけど本作は……少なくとも描写を見る限りでは、もっと辛い状況にある。なぜならば『草薙素子』という名前すらも奪われているからだ。押井版の少佐でもそこまでは奪われていなかった。
まあ、その草薙素子という名前が本名かはわからないけれどね」
カエル「だからこそ色々なものに執着するわけだね」
主「カウボーイビバップで『シミ、そばかす、いいじゃない』というセリフがあるんだけど、例えばやけどの跡とか、シワとかそういう顔のノイズとして発生するものが人間の個性となっていく。だけど、その個性すらも奪われた存在に最後に残されたもの……それは生命とゴースト(生物としての意思)だ。
だけどそんなものが本当に存在するかは誰にもわからない。
自分が生きているということの証明は、心臓が動くなどの身体的特徴を除いてしまった場合……多分誰にもできない」
カエル「だからこそ生きた証を求めるわけだ」
4 押井版との違い
カエル「ここで最大の違いというと自分のルーツである『親』を発見するわけだよね。そしてそこから記憶を発見し、そして自己を肯定するようになる」
主「このラストが賛否分かれるだろうけれど、自分はこの選択はこれはこれで面白いな、と思った。結局のところ、映画って思考実験なところがあるけれどさ『どうすれば自分が自分であるということに納得がいくのか?』ということがこの作品の命題としてあるわけだよ」
カエル「つまり、精神のみで自分を規定するということだね」
主「押井版ではそれは『ネットの海に存在する生命体になること』つまり『肉体を捨て去ること』だとした。中途半端に肉体があるから、その肉体の喪失を恐れるわけで、それならばその自分の肉体を捨てることによって精神のみの存在になれば、自己の規定はまさしくその意思のみになるわけだ」
カエル「だけど、この映画版では親を知り、ルーツを知ることによって自己の存在を規定することができる、というものだったよね」
主「この結論って結局『LION』などと同じなんだよ。
それは自己を規定する際にある程度の説得力があるものらしい。じゃあ、それは一体なんだ? というのが今回の批評になる」
カエル「ここから誰もついてこれなさそうなところに行きそうだけど、じゃあ語ろうか」
他者との違いによって生まれる『自我』
主「結論から述べると、どうやら『自分が自分である』という意識には他者との違いというものを意識しないといけないわけだ」
カエル「……ん? どういうこと?」
主「例えば、メタ的なお話をするとカエルと主というのは名前によって別のものとして規定されている。だからこそこのブログは成り立っている。他者との区別をするものとして大事なものの1つに『名前』も含まれている」
鶴「……あれ!? なんか名前が変わっている!?」
カニ「これでこの2人の関係性は『カエルと主』から『鶴とカニ』になった。これだけでも関係性は変化したんだけど、この段階ではまだ区別することができる。なぜならば、それは2人のキャラクターという対比するものがあるからだ」
カエル「あ、戻った」
主「だけど、こうやってひとりの人間となった時、その時に存在するのは私とは誰のことを指すのだろうか?」
主「え? 何を言って……あれ!? 何で僕が主になっているの!?」
主「こうやって同一化してしまった瞬間に、そこには主という存在しかいなくなってしまう。そうなると、そこにはたった1人しか存在することができないから、他者との差が生まれにくい。
攻殻機動隊でいう『全身義体』の状態がこれに近い。つまり体や名前、その他のものが自分のオリジナルのものだという確信が得られなくなってしまうからだ」
確かにこれだとどっちがどっちかわからなくなる。
口調も、鉤括弧も揃えてしまうとさらに同一の存在になり、そこにカエルと主という存在はどこにもいなくなるんだよ。その瞬間にカエルという存在と……そしてこのブログの中に存在する主という存在も消え去ってしまう
カエル「ストップ! ただ読みにくいだけだから元に戻そう!」
主「男と女、押井守版とハリウッド版、アニメと実写、そういった対立軸を作らないと我々は物を認識することができないんだよ。そして認識できなければ評価もできない。
その対立軸をなくしてしまうのが義体というものなんだ」
『生まれ』というオリジナル
カエル「だけど、この作品は『自分のルーツを知れば自己の規定ができる』みたいなんだよね」
主「自分が生まれたこと、育ったこと、そういったことがアイデンティティになっていき、それが個性になる。
これって美術品の真贋問題にも似ていると思う。例えば『なんでも鑑定団』に出た茶碗の騒動があるけれど、あれって専門家の間でも真贋の評が分かれるほどに難しい問題なんだろう。
ということは、その茶碗のクオリティはそれなりに高いわけだ」
カエル「例え偽物であっても本物に迫る……もしかしたら本物を超えるほどの名品ということだよね」
主「だけど仮にあの茶碗が偽物だったとしたらその価値はガクンと落ちてしまう。おかしいよね、その物自体は何の変化もしていないのに、なぜ価値が大きく落ちるのか?
それは『作者』や『作られたルーツ』が違うからだ」
カエル「それを人間の話にすると、この作品のようになるんだ」
主「自分なんかは『親ぐらいで自分の価値が変わるのかな?』なんて簡単に言えるけえど、それは日本人という民族的ルーツがはっきりしているからなんだよね。そこを疑いようがない。
だけど、世界では、アメリカなんか顕著だけど様々なルーツを持った人が一緒になって暮らしているわけだ。そのような状況下で『自分とは何者か?』と問いただした場合、自分が経てきたルーツが唯一の個性となり、自己の規定になり得るのかもしれないね」
最後に
カエル「実は語りたいことはまだあるけれど、ちょっと疲れたのでここで一旦休憩のために終了にしようか」
主「この作品は押井守の攻殻機動隊の『コピー』としてはよくできていると思うよ。少佐の悩みもよくできているし。
ただ、ラストなどがわかりやすくなったせいで、あの生涯つきまとうような重い雰囲気はなくなってしまったけれどね」
カエル「だからあまり攻殻機動隊に詳しくない人には『なんだかなぁ』と言われてしまうんだろうね」
主「自分はSF愛好家ではないからなんとも言えないけれど、押井守のテーマは独特のものがあると思う。
そればっかりと言われることもあるけれど、それこそが押井守の作家性だから。そしてそれをコピーして……昇華したかと言われると微妙だけど、きっちりと描いたからね。個人的には評価ができる」
カエル「だけど全く新しい攻殻にはなっていないのかな?」
主「あの『イノセンス』の抑揚のなさとかもある程度コピーしていたからね。まあ、娯楽性を高めるために中途半端になった気もするけれど……
あとセリフも日本語吹き替え版は押井守のようだったよ! その意味ではやはりリメイクとしては、ある程度成功したと思う。
ただ、映画としての成功したかと言われると……それはわからないけれどね。
でもこの作品に『攻殻機動隊』のゴーストは宿ったと思うよ」
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