宮下公園前の歩道橋 撮影:和田拓也
渋谷区にある宮下公園の閉鎖は、様々な波紋を呼んだ。閉鎖当日の「事前告知」によって追い立てられた路上生活者への対応について批判の声も挙がっている。
そして、ここには有料のフットサル場やボルダリング施設、スケートパークが存在した。特に、スケートボードは、新たにオリンピック競技として選ばれ、2020年の東京オリンピックに向けて期待がかかっている種目の一つだ。
スケートパークの閉鎖に対して、スケーターの居場所を行政が一方的に奪ったとは僕は思わない。
実際に2020年の東京オリンピックに向けたリニューアル構想の中にはスケートパークのリニューアルも含まれているようで喜ばしいことだ。オリンピックをこの国で開催することの素晴らしさも、いうまでもないと思う。
今回のスケートボードパーク閉鎖の本質的な問題は、別のところにあると感じている。
前回は、宮下公園の閉鎖をプロスケーターがどう受け止めているのか話を聞いた。しかし、話はそれで終わらなかった。
取材を続ける中で見えてきたのは、宮下公園の一件そのものよりも、もともと活動していたスケーターやスケートカンパニー、つまりカルチャーそのものが置き去りにされたまま進む、ストリートシーンとオリンピックを取り巻く現状だった。
取材・文・撮影:和田拓也 編集:新見直
スケートボードとサーフィンが新たに正式種目として採用されたことは大きな話題となった。
世界的に見ても、ストリートのシーンがビジネスとしても大きなマーケットとなり、日本にも「ストリートカルチャー」がオリンピックという巨大なフォーマットとともに競技として入ってきたことで、スケーターがメディアに取り上げられることも少しずつではあるが増えてきた。
オリンピックの影響で、パークの建設も昔と比べて確実に、積極的に進んでいる。リニューアルや新しくできる予定のパークは噂レベルのものを含めると数多くあり、地方にも海外のようなパークの設計を意識したものができている。
スケーターにとってパブリックに滑れる環境は少しずつできているといえる。
変化は否応なしに起きている。
では、スケーターたちは、スケートボードがオリンピック正式種目になったことをどう受け止めているのか。NYのスケートカンパニーの一員としても活躍するプロスケーターの藤井佑也さんは語る。
藤井「賛否両論という感じです。
パークの数やメディアの露出も少しずつ増えて、普段生活してたらスケートボードに接することがなかったような人たちでも何かしらの接点を持つし、スケートへの入り口が広がることは喜ばしいことだと思います。僕も、スケートボードもようやくここまできた、という思いがあります。
ただ、僕みたいなストリートで滑ってきた人間からすると、正直に言って、オリンピックには否定的です」
オリンピックに向けて盛り上がっているかに見えるスケートボード。だが、プロのスケーターの口から出てきた意外な言葉に驚かされた。
藤井「まず、オリンピックが日本で開催されても、国内のスケート業界は実はあまり関係ないんです。
というのは、これまで日本のスケートシーンで頑張ってきたスケーターやショップ、スケートカンパニーが、ビジネスとしてオリンピックに関与できてないんです。スケーターはボランティアという立場で、あくまでいち意見でしかない。つまり、シーンとオリンピックビジネスが一体になれてない。
僕の周りの国内有数のスケートカンパニーでも、オリンピックに絡んでいるという話は聞いたことがありません。
で、結局入ってきたのはスケートのことをよく知らないデカい広告代理店です。オリンピックでスケートが盛り上がっていると言うけど、実際は、建設業者や広告代理店、行政が勝手に動いてるだけなんです」
「スケーターのいないオリンピック」。日本で育まれてきたスケートコミュニティーが干渉できないところで話だけが進んでいる。そんな現状にある日本のストリートシーンとオリンピックについて、藤井はさらにこう話す。
藤井「国内のスケート業界が自力でなんとかしようにも、日本のスケートボードのマーケットが小さすぎて派手な動きができないんですよ。お金がないから。
オリンピック種目になりました、そしたらスケートカンパニー立ち上げてボードをつくればバンバン売れる! スケーターもお金を稼げる! みたいな市場原理が働く土壌がまだないので、メーカーがそこに対して投資できない。リスクを感じて地団駄踏んでるという印象を強く受けます。
せっかく金を注いでも結果が残らなかったら、オリンピックが終わった後に、『この余った在庫どうすんの?』ってなる。パークだってこのタイミングでボコボコつくっても、一時的なブームで終わったら何事もなかったかのようにすぐに忘れ去られて、『そのスケートパークってなんだったのか?』ってなってしまう。
こいつだったら世界獲ってくれるかもしれない、という『スーパースター』が日本にいれば状況は全て変わると思いますが、日本には今はまだいない。ハイレベルなスケーターはもちろんいます。でも、世界の壁はまだまだ高い。オリンピックに国内のスケートシーンが関われない中で、スーパースターが日本に現れるのを待つしかない、というのが現状です」
アメリカでは、子供達に将来の夢を聞くとNBAやNFL、MLBと同じように、プロスケーターが上位に入るほどの人気で、職業として認知されている。
ステイシー・ペラルタやトニー・ホーク、ポール・ロドリゲスなどは、スケートボードでハリウッドのセレブ並みの富を築いた。世界最高のスケートコンテスト「STREET LEAGUE」(優勝賞金は約2000万円)で数回の総合優勝を成し遂げたナイジャ・ヒューストンの獲得賞金総額は1億円を超え、アクションスポーツ長者番付で上位に入るライアン・シェクラーはジャスティン・ビーバーのMVに出演するなど、まさにトップスケーターはキッズたちのヒーローなのだ。
そしてトップスケーターなどのロールモデルがあるからこそ、子供達はプロスケーターに憧れ夢を追うことができる。しかし、日本でスケートボードで食べていけるスケーターはほんの一握りだ。
藤井「日本には、プロを目指してもその先がないんですよ。結果、マスにも受け入れられやすいスポーツ的な志向のスケーターと、コアなストリート志向のスケーターに別れていってしまうんです」
藤井「オリンピックのスケートは、競技としての優劣をつけるものだから『スポーツ』という側面が強い。でもスケートボードってやっぱりストリートカルチャーなんです。その文脈が日本には決定的に欠けている」
スケート大国であるアメリカには、アマチュアの登竜門である歴史ある大会の「タンパアマ(Tampa AM)」やエクストリームスポーツ最高峰の大会「X Games」、上述の「ストリート・リーグ(STREET LEAGUE)」など数多くの大会が存在する。
そういった大会でいい成績を残してスポンサーがつき、そのスケートカンパニーから自分のモデルのボードをリリースして初めてプロスケーターだというメンタリティを持っている。
藤井「パークスケーターとストリートスケーターとの区別も、アメリカのスケーターたちの意識の中にはほとんどないと思います。彼らのスケートボードというものの中にストリートの文脈があるからこそ、スポーツとしても大きくなり、これだけ世界的なカルチャーに発展した。
スポーツとしての側面とストリートの側面、もっといえばフリースタイル(スケートボード)やそこから派生したアート、すべてがスケートボードなんです。だからスケートボードは自由でかっこいい。本来そうであるべきなんです」
70年代にサーファーが地上で遊ぶものとして生まれたスケートボードは、ストリートから生まれたキッズ達の自由な発想で育まれ、一大カルチャーとして確立された。
彼らの自由なスケートボードは、ファッションやアート、音楽、写真、映画、様々なカルチャーと結びついてユースカルチャーの起源となった。スケートボードの現在は、ストリートの文脈なしでは語れないのだ。
しかし一般的には、ストリートで滑るスケーターなんて、「ただの迷惑な人たち」という見方の方が日本では圧倒的に強い。炎上社会がいい感じに出来上がりつつある昨今では、ストリートスケーターなんて格好の餌食だ。
公共のスペースで迷惑に感じている人の感情を否定するつもりはないし、問題となる行為が存在することも事実で、それ自体を肯定するつもりもない。
しかし、これはストリートカルチャーと社会、双方にいえることだが、お互いを本当に理解して歩み寄ろうとしているだろうか。「迷惑な遊び」、「一方的でつまらない社会」と、頭ごなしに決めつけていないと、本当に言えるだろうか。
そして、ここには有料のフットサル場やボルダリング施設、スケートパークが存在した。特に、スケートボードは、新たにオリンピック競技として選ばれ、2020年の東京オリンピックに向けて期待がかかっている種目の一つだ。
スケートパークの閉鎖に対して、スケーターの居場所を行政が一方的に奪ったとは僕は思わない。
実際に2020年の東京オリンピックに向けたリニューアル構想の中にはスケートパークのリニューアルも含まれているようで喜ばしいことだ。オリンピックをこの国で開催することの素晴らしさも、いうまでもないと思う。
今回のスケートボードパーク閉鎖の本質的な問題は、別のところにあると感じている。
前回は、宮下公園の閉鎖をプロスケーターがどう受け止めているのか話を聞いた。しかし、話はそれで終わらなかった。
取材を続ける中で見えてきたのは、宮下公園の一件そのものよりも、もともと活動していたスケーターやスケートカンパニー、つまりカルチャーそのものが置き去りにされたまま進む、ストリートシーンとオリンピックを取り巻く現状だった。
取材・文・撮影:和田拓也 編集:新見直
「スケーターのいないオリンピック」
世界的に見ても、ストリートのシーンがビジネスとしても大きなマーケットとなり、日本にも「ストリートカルチャー」がオリンピックという巨大なフォーマットとともに競技として入ってきたことで、スケーターがメディアに取り上げられることも少しずつではあるが増えてきた。
オリンピックの影響で、パークの建設も昔と比べて確実に、積極的に進んでいる。リニューアルや新しくできる予定のパークは噂レベルのものを含めると数多くあり、地方にも海外のようなパークの設計を意識したものができている。
スケーターにとってパブリックに滑れる環境は少しずつできているといえる。
変化は否応なしに起きている。
では、スケーターたちは、スケートボードがオリンピック正式種目になったことをどう受け止めているのか。NYのスケートカンパニーの一員としても活躍するプロスケーターの藤井佑也さんは語る。
藤井「賛否両論という感じです。
パークの数やメディアの露出も少しずつ増えて、普段生活してたらスケートボードに接することがなかったような人たちでも何かしらの接点を持つし、スケートへの入り口が広がることは喜ばしいことだと思います。僕も、スケートボードもようやくここまできた、という思いがあります。
ただ、僕みたいなストリートで滑ってきた人間からすると、正直に言って、オリンピックには否定的です」
オリンピックに向けて盛り上がっているかに見えるスケートボード。だが、プロのスケーターの口から出てきた意外な言葉に驚かされた。
藤井「まず、オリンピックが日本で開催されても、国内のスケート業界は実はあまり関係ないんです。
というのは、これまで日本のスケートシーンで頑張ってきたスケーターやショップ、スケートカンパニーが、ビジネスとしてオリンピックに関与できてないんです。スケーターはボランティアという立場で、あくまでいち意見でしかない。つまり、シーンとオリンピックビジネスが一体になれてない。
僕の周りの国内有数のスケートカンパニーでも、オリンピックに絡んでいるという話は聞いたことがありません。
で、結局入ってきたのはスケートのことをよく知らないデカい広告代理店です。オリンピックでスケートが盛り上がっていると言うけど、実際は、建設業者や広告代理店、行政が勝手に動いてるだけなんです」
夢を持てるだけの環境がない
藤井「国内のスケート業界が自力でなんとかしようにも、日本のスケートボードのマーケットが小さすぎて派手な動きができないんですよ。お金がないから。
オリンピック種目になりました、そしたらスケートカンパニー立ち上げてボードをつくればバンバン売れる! スケーターもお金を稼げる! みたいな市場原理が働く土壌がまだないので、メーカーがそこに対して投資できない。リスクを感じて地団駄踏んでるという印象を強く受けます。
せっかく金を注いでも結果が残らなかったら、オリンピックが終わった後に、『この余った在庫どうすんの?』ってなる。パークだってこのタイミングでボコボコつくっても、一時的なブームで終わったら何事もなかったかのようにすぐに忘れ去られて、『そのスケートパークってなんだったのか?』ってなってしまう。
こいつだったら世界獲ってくれるかもしれない、という『スーパースター』が日本にいれば状況は全て変わると思いますが、日本には今はまだいない。ハイレベルなスケーターはもちろんいます。でも、世界の壁はまだまだ高い。オリンピックに国内のスケートシーンが関われない中で、スーパースターが日本に現れるのを待つしかない、というのが現状です」
アメリカでは、子供達に将来の夢を聞くとNBAやNFL、MLBと同じように、プロスケーターが上位に入るほどの人気で、職業として認知されている。
NYにて
そしてトップスケーターなどのロールモデルがあるからこそ、子供達はプロスケーターに憧れ夢を追うことができる。しかし、日本でスケートボードで食べていけるスケーターはほんの一握りだ。
藤井「日本には、プロを目指してもその先がないんですよ。結果、マスにも受け入れられやすいスポーツ的な志向のスケーターと、コアなストリート志向のスケーターに別れていってしまうんです」
スケートはスポーツであると同時にストリートから生まれたカルチャーだ
あらゆる競技と同じく、スケーターにも、いくつかの側面が存在する。藤井「オリンピックのスケートは、競技としての優劣をつけるものだから『スポーツ』という側面が強い。でもスケートボードってやっぱりストリートカルチャーなんです。その文脈が日本には決定的に欠けている」
スケート大国であるアメリカには、アマチュアの登竜門である歴史ある大会の「タンパアマ(Tampa AM)」やエクストリームスポーツ最高峰の大会「X Games」、上述の「ストリート・リーグ(STREET LEAGUE)」など数多くの大会が存在する。
そういった大会でいい成績を残してスポンサーがつき、そのスケートカンパニーから自分のモデルのボードをリリースして初めてプロスケーターだというメンタリティを持っている。
藤井「パークスケーターとストリートスケーターとの区別も、アメリカのスケーターたちの意識の中にはほとんどないと思います。彼らのスケートボードというものの中にストリートの文脈があるからこそ、スポーツとしても大きくなり、これだけ世界的なカルチャーに発展した。
スポーツとしての側面とストリートの側面、もっといえばフリースタイル(スケートボード)やそこから派生したアート、すべてがスケートボードなんです。だからスケートボードは自由でかっこいい。本来そうであるべきなんです」
彼らの自由なスケートボードは、ファッションやアート、音楽、写真、映画、様々なカルチャーと結びついてユースカルチャーの起源となった。スケートボードの現在は、ストリートの文脈なしでは語れないのだ。
しかし一般的には、ストリートで滑るスケーターなんて、「ただの迷惑な人たち」という見方の方が日本では圧倒的に強い。炎上社会がいい感じに出来上がりつつある昨今では、ストリートスケーターなんて格好の餌食だ。
公共のスペースで迷惑に感じている人の感情を否定するつもりはないし、問題となる行為が存在することも事実で、それ自体を肯定するつもりもない。
しかし、これはストリートカルチャーと社会、双方にいえることだが、お互いを本当に理解して歩み寄ろうとしているだろうか。「迷惑な遊び」、「一方的でつまらない社会」と、頭ごなしに決めつけていないと、本当に言えるだろうか。
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