社会を変えるのに絶対欠かせない、私たちの「意外な感情」
【連載】たそがれる国家(6)
内山 節 プロフィール

問題点はますます明確に…

今日とは、これまでの社会や政治、経済などの問題点がよくみえるようになった時代である。

バラバラになった個人の社会の問題点もみえるようになったし、政治が私たちを管理するシステムにすぎないこともわかってきた。

経済成長、規制緩和、イノベーション、グローバリズムといった手垢にまみれた経済用語の白々しさもみえはじめている。なぜならそういう言葉とともに打ち立てられたのは、格差社会でしかなかったからである。

政治についていえば、近代革命の不完全さがこれからより浮かび上がっていくことになるだろう。

たとえばフランス革命をみても、王権を打倒して共和国をつくるという点では歴史を動かした。しかしそれは国家がもっていた強大な権力を、「人民権力」に移行させただけだった。だからそのかたちは、この連載でも述べたように、民主王朝制とでもいうべきものになってしまったのである。

人々が自由に、尊厳を守られながら生きられる社会をつくろうとするなら、国家のかたちもまた問い直されなければならなかったのに、国家への権力の集中という点では、王朝時代のあり方がそのまま保存されてしまった。ゆえに国民は国家の管理下に置かれつづける。

そういう問題点もこれからより明確になっていくだろう。

だがそのことが、社会変革と直接結びつくわけではない。変化のためには人間的な動機が必要なのである。社会を変えたくなるような感情的な動機が。

私はそれは飽きるということだと思っている。飽きることと不安が結びつくようになったとき、社会は大きく動いていくのだ、と。

(つづく)

(*連載のバックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/takashiuchiyama