はじめに述べたように、国家は必然性があって生まれたものではない。発生することによって事実化されたのである。
事実化されればそれが必要なものであるかのように感じられる。なぜなら私たちは、その事実化された世界の内部に存在しているからである。
だが国家が必然性をもって生まれたものではない以上、国家は絶えず正統性の確立のために苦労しなければならなかったのである。
普通選挙がおこなわれることによって、政権はその苦労から解放された。国民が選んだ政権という説明が可能になったからである。だが国家自体は依然として事実の積み上げでしかなく、しかもその国家が存在することによって政権もまた存立基盤を有する。
国家のゆらぎは、政権のゆらぎを生みださざるをえない。
この連載のテーマは黄昏れる国家である。現在の世界の背後には、近代以降の価値が有効性を低下させていくという現実があり、それが国家のあり方をもゆらぎのなかに放り込んだという問題がある。
だがそれは正しい見方ではないのかもしれない。
なぜなら、国家には絶えず矛盾があり、近代社会はその矛盾を解消させたように感じられる時代をいっときつくっただけで、根本的には黄昏れる可能性を内蔵させながら展開してきたのが国家だったのかもしれないからである。
(つづく)
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