日本で選挙制度が生まれたのは明治23年(1890年)のことであったが、このときは税金15円以上を納める25歳以上の男性にのみ与えられた選挙権であり、大正14年(1925年)に25歳以上の男性全員に、さらに昭和20年(1945年)に20歳以上の男女すべてに選挙権が付与されることになった。
つまり明治時代に入っても、まだ長期にわたって「国民が選んだ政権」という正統性は確立されていない。だから統治権を正統化するためには「神国日本」という位置づけが必要であり、だが現実には近代日本を形成しようとしている。
ここにはどうみても矛盾がある。
もちろん近代国家でも王(女王)がおかれている国はあるが、その場合は一種の契約王制にならざるをえない。なぜなら主権が国民にあり、選挙によって政権ができるのなら、王は契約された限られたことを実行することによって存続する王にならざるをえないからである。
ところが戦前の日本においては、国家の主権、大権は天皇にある。神代に復古するのなら、そうならざるをえない。だがそれは、近代国家のかたちには合わない。
この矛盾は、次第に、天皇の大権を実質的に制限する方向に向かわざるをえなくさせた。天皇の名において政治はおこなわれるが、実質的に政治を動かしているのはときの政権や軍というかたちである。
天皇は制限のない王権を有してはいたが、実際は精神世界の王のようになっていった。
それは藤原摂関家のやり方とも違っていた。藤原家の場合は、藤原氏が臣下として実質的に政治を動かすというかたちであるが、戦前の天皇制ではそういう側面だけではなく、国民の精神的統合の柱に天皇が存在するというかたちをあわせもっている。
このかたちを「深化」させたのが戦後の天皇制であったといってもよい。
もちろんこの変化にはGHQの意向も働いたのだが、戦後の天皇制は、国民統合の象徴として定着することになった。国民であることの精神的統合の支柱として天皇が存在するということである。
政治からは切り離され、限られた役割をこなすという点では契約王制に似ているが、戦前の精神的統合の支柱という役割を受けついでいるという面では単なる王制ではなく、特別な存在なのである。
だがそうなればなったで、また矛盾がでてくる。国民統合の象徴というところが曖昧なのである。
ところがこの部分は曖昧でなければならない。「神国日本」は戦後に否定され、天皇は人間宣言をしている。このことを文字通りに解釈すれば、一人の人間が国民統合の象徴だということになるのだが、これではなぜ一人の人間が国民統合の象徴なのかが説明できない。
戦前ではそれは、「神国日本」の神の子孫という位置づけがあったからこそ可能であったが、現人神ではないということになれば説明ができないのである。
だからそこのところは曖昧にしておく必要があった。なぜ一人の人間が国民統合の象徴でよいのかを説明しないということである。その代わり天皇はみずからの行動によって、象徴の役割を果たし、象徴として国民の信頼をえていくことになった。
だがそうであれば、象徴としての行動をつづけることができないのなら、その役割は終了せざるをえなくなる。そのことが表面化したのが、昨年の「退位のメッセージ」の公表であった。