神話では、そもそも何もない混沌の世界に日本列島をつくったのはイザナギ、イザナミの夫婦神であったとされている。
イザナギの子として生まれたのがアマテラス(天照大神)であり、出雲(大国主命)からの国譲りを受けてアマテラスの孫であるニニギが天孫降臨をし地上に降り立った。そのひ孫にあたるのが初代天皇の神武天皇である。
つまり、この書かれ方は、そもそも何もなかったところに日本という土地をつくった神の子孫が天皇なのだから、天皇たる大王が国を治めるのには正統性があるという主張の仕方である。
とともに、神の子孫たる天皇は普通の人間にはない神としての力を備えていて、この大王が治める神国こそが日本だということになる。
この説明によって大王の正統性を、各地の豪族や中国にどこまで納得させることができたのかはわからないが、古代王朝にあっては、これ以外には自己の正統性を説明、証明する手段がなかったのだろう。
ところが古代王朝も次第に藤原政権のような様相を呈してくるし、中世、近世は武士の時代に移行する。そしてここでも同じ問題が発生した。自己が大王でよいという正統性をどう確立するかという問題である。
ここで藤原氏がとった方法はあくまで大王は天皇であり、自己はその家臣になることによって実質的に権力を掌握するという方法であった。
この方法は武士の時代にも踏襲され、徳川時代に入ると天皇から統治を委託されたのが将軍であるという委託政権論が確立されていくことになった。委託した大王は天皇、臣下として委託を受けたのは将軍というかたちである。
この方法は、たとえ形骸化したものであったとしても、天皇制を存続させる要因になったが、武士たちにとっては、天皇の権威を維持することによって自己の支配を正統化する方法であった。
もちろんこのような「苦労」は日本だけで起こったわけではない。ヨーロッパでは王権神授説が生まれ、神が授けた王権という説明がなされることになるし、中国では天に命じられた王ということになる。
国家が必然的なものではなく、偶然王が勝ち取って生まれたものである以上、その王が覇王ではなく必然性のある大王であることを証明することに、どの国でも苦労している。
そして、同じ問題が、明治維新のときにも発生した。薩長などが天皇を担いで武力で幕府を倒したとき、その行為にどのような正統性があるのかを説明、証明しなければならなかったのである。
1868年(慶応3年)、王政復古の大号令が発せられる。もっともこれで大勢が決まったわけではなくまだ微妙な状況がつづくのだが、倒幕に成功すると次におこなわなければいけないことのひとつは、自己の正統性の確立である。
そこでおこなわれたのは、神代、つまり神話の時代への復帰であった。日本列島をつくった神の子孫である天皇が、現人神として統治する日本という構図である。いわば、神国日本の時代に復古しようとした。
神国日本の大系として国家神道がつくられ、それまでの神仏習合的な寺社の世界は、神仏分離令(神仏判然令、1968年)や神社の統廃合によって天皇を大王とする「神国」の形成がすすみ、そのことが復古した国家に正統性を与えることになったのである。
ところがここで矛盾がでてくる。
江戸時代の終焉は黒船来港以降の状況のなかで、新しい国家態勢をつくらなければというところから出発している。欧米列強に対抗していくためには、近代国家日本をつくらなければならなくなったのである。実際明治以降の日本は、その方向で歴史を刻むことになった。
とすると神代の日本への復帰と近代国家日本をどう調和させればよいのか。