2016年9月30日
椎名林檎がリオオリンピック・パラリンピックの引継ぎ式に携わり、宇多田ヒカルがNHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」に“花束を君に”、そして日本テレビのニュース番組「NEWS ZERO」に“真夏の通り雨”を提供した。この事実がこの2人の音楽性のあり方を象徴している。
「ハレ・ケ」という言葉がある。ハレは祭りや儀式などの非日常を指し、ケは対照的に日常を表す。椎名林檎はハレを表現する音楽家だ。“長く短い祭”の冒頭は<天上天下繋ぐ花火哉/万代(とこしえ)と刹那の出会ひ>とある。現代日本語とは異なる表現で、非日常的な高揚感を生み出す彼女の音楽は、前述のリオや、2014年のブラジルでのサッカーワールドカップで使われたNHKのサッカーテーマソングなど、ハレの場との相性が良い。
一方、宇多田ヒカルは日常を歌う音楽家だ。「人間活動」に専念すると活動休止の理由を説明していた通り、普通の日常を大事にする彼女は、作品でも日常でよく目や耳にする言葉を用いる。<見果てぬ夢は/持っていけばいい 墓場に>(“ともだち”)や<シェイクスピアだって驚きの展開>(“人生最高の日”)など、フレッシュではあるのだが、日常におけるウィットにとんだ言い回しとして普段の会話の中で出てきそうな表現が特徴的だ。彼女の音楽は日常を日常の表現で讃えるのだ。
宇多田ヒカルは日常を歌う、と述べてきたが、サウンド面に関してはこれまでは非日常的な面が強かった。ほぼ全曲をセルフプロデュースした過去2作『ULTRA BLUE』と『HEART STATION』は、打ち込みのビートや、聖歌のような荘厳なヴォーカル、そしてコラージュ的に音色を組み合わせた奇抜なサウンドが特徴的だった。そこに日常を歌う歌詞が重なることで、リスナーは日常であって日常でない、そんな心地よいトリップ感を味わうことができた。しかし本作は生音が印象的に使われ、シンプルな音作りが成されている。日常を正面から見つめる中で、日常が持つ美しさを照らし出しているかのようだ。もしかすると、彼女は以前からサウンドに関しても日常を音にしているつもりで、その意味ではリスナーの楽しみ方は彼女の意図するものとは少しずれていたのではないだろうか。そして6年間の「人間生活」を経て、サウンドに関しても日常を獲得した。そう考えると、本作の持つ地に足の着いた雰囲気にも納得がいく。
本作はイヤフォンをつけて、少し音量を小さくして外を歩きながら聴きたくなる。自分の足音、車の音、そんな日常の音と彼女の歌声が混じり合うと、平凡な日常の中に美しい瞬間があることに気づかされるのだ。
ハレを歌う椎名林檎と、ケを歌う宇多田ヒカル。そんな2人がオリジナル曲として初共演を果たした“二時間だけのバカンス”。宇宙旅行らしき映像の中で、椎名林檎と2時間だけの逢瀬を楽しむ宇多田ヒカルの姿は、まさに日常の中でわずかばかりの非日常を楽しんでいるかのようであり、2人の音楽家としてのスタンスが表れたコラボレーションとなっている。フェス=祭り=ハレの場のものであることが増えている今の音楽シーンにおいて、ハレの音楽の究極を目指す椎名林檎と、対照的にひたすらケ、日常の音楽を鳴らし続ける宇多田ヒカル。6年間欠けていたピースが、ついにはまった。
(荒池 彬之)
宇多田ヒカル
シンガーソングライター。1998年のデヴューシングル『Automatic/time will tell』がタブルミリオンを記録。それ以降、発表したアルバムはすべてチャート1位を獲得。2010年に「人間活動」を宣言し、活動を休止していたが、2016年4月に配信シングル”花束を君に””真夏の通り雨”をリリースし、アーティスト活動を本格的に再開した。
※星内の漢字は、扱う音楽の印象を漢字一文字で表しています。
宇多田ヒカル 公式HP
宇多田ヒカル 「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00101/v12399/v0871400000000545201/
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