墓参りに行く。
(うちの墓。花立てが片方無くなっていた・・)
レッツ、墓参り!おさっぴろでぇす。
ごめんな、今回はとてもしんみりした話だ。コスプレしたヲサーンの、おバカ話を期待されている方には、あらかじめ謝っておく。
皆様、墓参りは行かれているだろうか?ワタクシは本日行ってきたよ。
うちの墓は関東某所にあるけど、自宅から3時間ほどの場所にあって、そう頻繁には行けない。だから、墓参りの時は朝から支度して、帰宅は夕方になってしまう。ちょっとしたイベントだ。
そして、墓参りに行く時は「あれ?前回はいつだっけ?」と思ってしまう。だいたい年に2回くらいの墓参ペースなので、前回がいつだったか忘れてしまうのだ。
皆様の墓参りは、年に何度だろうか?
年1~2回くらいかな?しかしワタクシは若い頃、ある事情があって頻繁に墓参りに行っていた。今回はその事を書きたい。
母親の死。
(イメージです)
ワタクシが高校生の時、母親が死んだ。交通事故だった。
いつものように、夕食を作り、回覧板を届けに出かけて行った。この時は、関東には居らず田舎暮らしだったから、お隣さんも離れていたんだ。そして彼女は、二度と自分の足で帰ってこなかった。
病院のベッドに横たわる母を見て、ワタクシも姉も、父親も泣いた。事故だったけれど、死に顔が安らかなのが唯一の救いだったな。それでも、数時間前は生きていた人が、死んで動かなくなるというのが、高校生のワタクシにとって、あまりにも衝撃だった。
呆然としたまま帰宅すると、母が作った野菜炒めがそのまま残っていた。みんなで泣きながらそれを食べたよ。「ほら、これがお母さんの味だよ。もう二度と食えないから、よく味わって食べよう・・・」と父親が言ったのを今でも覚えている。
やがて母親を轢いた男が、両親に付き添われて謝罪に来た。
三人とも土下座して、ワタクシ達家族の前で泣き崩れた。ワタクシはただぼんやりと、それを見ているだけだったな。「あなた達は一体誰なの?それをすると、お母さんは帰ってくるの・・?」と思っていた。
父親は激昂することも、泣き崩れる事もせず、ただ静かに「どうか今日はお引き取りください」とだけ言った。父の本心はわからなかったが、彼なりに必死に耐えていたのだと思う。
そんな事が過去にあった。
冒頭にも書いたが、うちの墓は関東にあった。母親は田舎で死んだが、火葬された後は、そちらの墓に納骨された。
毎月一回、墓参りに行く。
ワタクシは学校を卒業した後、上京して就職した。
毎日あたふたしながら生きていたが、月一回、欠かさない事がひとつあった。
それが墓参りだ。
仕事が休みになると、毎月必ず母の眠る墓へ行った。
墓石に水を打ち、草むしりをした後、買った弁当を墓の前で食べた。ただそれだけの事だったが、なんとなくやらないと気がすまなかった。
母親がもし生きていてくれたら、社会人の自分を喜んでくれただろうな・・・親孝行したかったよ、といつも思っていた。そんな訳で、若い頃のワタクシにとって、墓参りとは母親に逢いに行く事だった。
父親をはじめ、家族は田舎に残ったので、頻繁に行けるのもワタクシしか居なかった。
いつも同じ花屋さんに行っていた。
ところで墓参には「お花」が欠かせない。
ワタクシはいつも、同じ花屋さんに行っていた。特に理由はない。通り道にあったからだろう。そこは30代くらいの女性が店番をしている、小さなお花屋さんだった。
いつも「菊の花と、あと適当にお願いします」とだけ言うワタクシに、花屋さんの女性(ここでは花子さんとしておこう)は彩りある花を選んでくれた。そして、きれいにアレンジされた花束を買うと、サービスで線香を付けてくれたりした。
そんなやりとりで、毎月花を買っていたので、やがて花子さんとは顔見知りになった。
一度だけ、花子さんに聞かれた。「どなたの、お墓参りなんですか?」と。ワタクシは「母の・・・」とだけ答えた。彼女はそれ以上聞かず、ワタクシもそれ以上言う事は無かった。
彼女が出来ても・・・。
(墓参の帰り道、嫁の後姿w)
ワタクシは何度か引越しをしたり、転職もした。それでも墓参りはやめなかった。
彼女が出来て「明日は墓参りに行きたいんだ」と言うと、「何それ!?」と言う子が居た。案の定だが、その子とはすぐに別れた。
しかし、最後に出来た彼女はこういった「私も一緒についてっていい?」と。
そして例の花屋さんに、彼女を連れて行った。二人で花を買いに来たのを見て、花子さんはとてもうれしそうにしてくれた。その日はたくさん花をサービスしてくれて、大きな花束をお墓に備えた。
その後も彼女は、墓参りに付き合ってくれた。この頃になると、さすがに月1回のペースでは無くなった。それでも3ヶ月に1回くらいのペースでは行ってたと思う。やがてワタクシは彼女にプロポーズした。承諾を得ると、結婚の報告をするために、やはり墓参りに行った。二人で結婚指輪をはめた手を、墓石の前にかざして笑った。
ワタクシは幸せだった。心の中で母親に今の気持ちを伝えた。この時も、ワタクシにとって墓参りとは、母親に逢いにいく事だった。
やがて家族が出来る。
(嫁と末っ子)
やがて長男が生まれた。
出産や子育てがはじまると、さらに墓参の回数は減った。けれども、今までが多すぎたのだ。これからは、適度に行けばそれでいいと思った。
こうして次男が生まれ、三男が生まれた。その頃には墓参りは、年に2回くらいのペースになっていた。
ワタクシが中国に駐在となった時も、墓に挨拶をしに行った。「少し長くなるけど、きっと帰ってくるからね」と語りかけたものだ。
例の花屋さんには、相変わらず通っていた。花子さん自身も、ずいぶんおばちゃんになった。
ある時、娘とおぼしき女性がお店を手伝っていた。ワタクシもその頃は、嫁と子供三人に増えていた。
そして、いつものように会計する時、花子さんがぽつりと言った。
「長い間当店を利用してくれて、有難うございます。実は来月で引退して、娘に店を任せようと思っているんです」
ワタクシはこの時「そんなに時間が経ったのか・・・」と思った。
しかし次の瞬間、気づいてしまった。あまりにも咄嗟の事で、固まってしまったが、自分の中で確信を得た。
墓参りとは、死んだ人に逢いに行くだけの行為ではない。墓に行き、自分自身と向き合う事なのだと。
墓参りとは自分自身と向き合うこと。
冒頭で、今日墓参りに行ったと書いた。帰宅すると嫁はワタクシに言った。
「墓参りって、行くとなんかスッキリするよねー」と。
ワタクシはこう思う。
若者だった頃、母の早すぎる死があって、ワタクシは荒れていた。心の中で救いを求めていたんだ。
それで墓の前に行き、死んだ母親に逢っていた。しかし、気づかなかったもうひとつの事があった。それは、墓参りを通して、自分自身と向き合っていたのだという事だ。
だから荒れている時ほど、墓参の回数は増える。
けれども年を重ね、母親の記憶もおだやかになり、かつ守りたい人も出来て、墓参の回数は減った。
墓参をすると、無意識のうちに自分と向き合うのだ。死んだ人に思いを馳せながら、自分が生きている事を改めて実感する。だからきっと、スッキリするのではないだろうか?
少なくとも、ワタクシはそう思った。だから残りの人生で、墓参の回数が増えたり減ったりはまだあるかもしれない。
だけどその都度、ワタクシは自分自身と向き合うのだろうな。それでいいと思う。
シメのひとこと
と言う訳で、今回はワタクシにとってのお墓参りとは、について書いた。
あなた様にとってのお墓参りとは何ですか?
それでは今回はここまで。
皆様、良いお墓参りををを!