琵琶湖から京都に水を引く水路「琵琶湖疏水(そすい)」を使った船下りが2018年春、復活する。明治期に造られた産業遺産を観光に生かそうと、京都、大津両市などが15年から毎年春秋に試行。今春も1~9日に試験運航中だ。疏水の沿線は観光客が少ない地域もあるが、新たな観光資源に育てば京都観光の魅力底上げにつながりそうだ。
ゴーーーッ。1日昼前、観光客を乗せたモーターボートが音を響かせて琵琶湖疏水のトンネル内を通り抜けた。インターネットで疏水船を知ったという、中国人の丁暁潔さん(31)は「疏水を造った日本の技術力はすごい。また乗ってみたいわ」と乗船の感想を興奮気味に話す。
■旅行商品ほぼ完売 明治期に造られた疏水は一部が国の史跡に指定され、伊藤博文などの政治家が揮毫(きごう)した扁額(へんがく)がトンネルに残る、京都を代表する産業遺産だ。
観光船を試験運航するのは京都、大津両市や観光協会でつくる実行委員会。実行委の山田有希生委員長は「産業遺産は保存だけでなく利活用すべきだ」と強調する。
構想では、かつて人や貨物を運んだ疏水船を観光用に復活させ、京都市の南禅寺付近と大津市の三井寺付近を結ぶ最長7.8キロを約35~50分で走らせる。春秋限定で6人乗りの船を使い試験運航を重ねており、JTBなどと組んで、寺社の拝観券などとセットの旅行商品として販売している。
今春は初めて、京都市から大津市に向かう「上り便」の試験運航を行っている。特に上り便は観光客でにぎわう京都市から、疏水の沿線に人を運ぶ導線になるとの期待が高い。人気が高く既に旅行商品はほぼ完売した。
18年春には定員12人の新型船を建造し、本格運航を始める。冬季を除き年150日程度運航する計画だ。春は満開の桜、秋は紅葉が楽しめ、季節の変化を感じられる。
この疏水船に期待を寄せるのが、乗船ルートのほぼ中間にあたり乗船場が設置される山科区だ。「山科が注目されるきっかけになれば」(堀池雅彦区長)。市内を訪れた日本人観光客のうち山科周辺に足を運んだ人は数%。5割近い清水・祇園周辺や嵯峨嵐山周辺など主要観光地との差を縮めたい考えだ。
疏水船が就航しても「山科全体を周遊してもらわないと効果は半減する」(堀池区長)。区は名所を知ってもらうため、16年12月に国内の旅行会社15社を招いた視察旅行を実施した。
天智天皇陵、毘沙門堂とともに関心を集めたのが京都の伝統工芸品、清水焼の窯元が集まる清水焼団地だ。「約20年前は大型バスで大勢の観光客が訪れた」(清水焼団地協同組合の小山好弘会長)というが、近年は客足が遠のいていた。
■採算性が課題 海外の陶器との価格競争で「清水焼の販売はピークの2~3割に落ち込んだ」(小山会長)。清水焼団地では職人が手作業で陶器を作る風景が間近で見られる。山科が観光地として再び脚光を浴びれば、清水焼の復興につながる可能性もある。
疏水船への期待は高いが、「採算性が課題」(実行委の山田委員長)。幅の狭い水路を走る疏水船は乗客の定員が限られ、乗船料が割高になる。今春の試験運航では寺社の拝観券とセットで4500円からだった。疏水船を観光資源に育てるには、乗船料を手ごろな価格に抑えたり、周辺観光を組み合わせ付加価値の高い旅行商品をつくったりする工夫が必要になりそうだ。
(京都支社 浦崎健人)
▼琵琶湖疏水 琵琶湖の水を京都に引く水路。1890年(明治23年)に第一疏水が完成した。事業用水力発電や電気鉄道など多数の日本初の事業が京都で生まれたのは疏水の貢献が大きいとされる。人や貨物を運ぶ疏水の舟運は1951年に途絶えた。現在、飲料水や農業用水に使われる水を毎日約200万トン運ぶ。京都市内の広域に巡らされ、全長は分線を合わせて計約35キロに及ぶ。