「芸術」でないような作品をつくることができようかーーマルセル・デュシャン
アートートロジー(Artautology)とは「アート(Art)のトートロジー(Tautology)」をひとつに繋げた、筆者による造語である。アートートロジーを/の「現在(進行)形」で/を批判すること。本論の企図は、さしあたりこう纏めることが出来る。
ではアートのトートロジーとは何か? それは文字通り「アートはアートである」という同語反復文のことである。AはAである。この文は通常何も意味していない。A=Aは式でさえない。だがごく稀に「AはAである」という無意味である筈の文が意味を持ち、効力を発揮する場がある。そのひとつが「アート」と呼ばれている領域である(他にもある。たとえば「文学は文学である」。拙著近刊『ニッポンの文学』を参照)。筆者には、このことはあまりにも自明であるように思われる。むしろ「アートはアートである」というトートロジーこそ、こんにちの「アート」のおそらく最も精確な定義なのではあるまいか。
どういうことか。自明なのだから説明するまでもないと思うのだが、そういうわけにもいくまい。出来るだけかいつまんで述べてみよう。アートートロジーの起源は、これはもう誰もが知っているように、マルセル・デュシャンである。既成の物体に僅かに手を加えたり、或いはまったく何もせずそのままで美術品として呈示する所謂「レディ・メイド」をデュシャンが発明したのは、一九一三年とされている。だがその時点ではまだ「レディ・メイド」という語は生まれていなかった。この言葉が最初に用いられたのは一九一五年、今からちょうど百年前のことである。
デュシャンはのちに(一九六一年)こう語っている。「私がどうしてもはっきりさせておきたい点があるが、それはこれら〈レディ・メイド〉の選択が何かしらの美的楽しみには決して左右されなかったということだ。この選択は、視覚的無関心という反応にそれと同時に良い趣味にせよ悪い趣味にせよ趣味の完全な欠如……実際は完璧な無感覚状態での反応に基づいていた」(「「レディ・メイド」について」/『マルセル・デュシャン全著作』北山研二訳)。そこでデュシャンは「芸術家以上に鑑賞者にとって芸術とは習慣性の麻薬である」とも言っている。それゆえ「この種の汚染から自分の〈レディ・メイド〉を守りたかった」のだと。また、彼はレディ・メイドのもう一つの特徴は「独創的な何ものも持たないこと」だと語っている。つまりレディ・メイドとは、美的な趣味判断とも独創性とも無関係な何かであり、だがその「何か」でさえ「芸術」になり得るのだということをデュシャンは自ら実践し、証明してみせた。有名な話ではある。
デュシャンは一九五七年、アメリカ芸術連盟の円卓会議で行なった報告で、「〈芸術〉という語の解釈を明らかにしたい。もちろん、それを定義しようとは思わないが」と断わってから、次のように述べている。
私が言いたいのはただ単にこうである。芸術は良いものでも、悪いものでも、あるいはいずれとも無関係なものでもありうるのだが、どのような形容語句を用いても、それを芸術と呼ばなければならないのである。悪い芸術でもやはり芸術なのである。悪い感情も感情であるように。
それゆえ、のちに私が「芸術係数」について話すときでも、やはり当然のことながら、私はこの用語を偉大な芸術との関係において用いるだけではなく、生の状態の芸術作品を良いものとして、悪いものとしてあるいはいずれとも無関係なものとして生み出す主観のメカニズムを描くよう試みるのである。
創造行為の間、芸術家は意図から始まって、主観そのものの一連の反応を通過して、完成へと向かう。完成へ至るまでの闘いとは、一連の努力・苦悩・拒否・決心なのであるが、これらは少なくとも美の次元では十分意識されないし、そうされるべきでもない。
この闘いの結果とは、意図とその実現との差異のことなのだが、この差異は芸術家が決して意識しない差異である。
実際、創造行為に伴う連鎖反応には、その連鎖の環の一つが欠けている。芸術家が自分の意図を完全に表現できないということを表わすこうした切断が、つまり芸術家が計画していたことと実現したものとのこうした差異が、作品に含まれる個人的「芸術係数」なのである。
言い換えれば、個人的「芸術係数」とは、「表現されなかったが、計画していたもの」と「意図せず表現されたもの」との間の算術的関係である。
誤解を避けるために再度言わなければならないのだが、この「芸術係数」とは「生の状態の芸術の」個人的表現なのである。これを鑑賞者は「精製」しなければならない。
(「創造過程」/同前)
「創造過程」と題されているこのスピーチは、元々英語で行なわれたものであり(ただし引用はデュシャン自身による仏語版テクストからの翻訳)、原題は「The Creative Act」である。ここで言われている「芸術係数(art coefficient)」とは「表現されなかったが、計画していたもの」すなわちコンセプトに内在していたがリアライズされなかったものと「意図せず表現されたもの」すなわちコンセプトに内在していなかったがリアライズされたものとの「算術的関係」ということになる。
何であれ「芸術」作品は(「芸術」に限るまいが)、煎じ詰めればコンセプトとリアライズの函数である。いずれか片方だけではない。そこには動的なプロセスがあり、デュシャンはそれを「The Creative Act」と呼んでいる。「要するに、芸術家は一人では創造行為を遂行しない。鑑賞者は作品を外部世界に接触させて、その作品を作品たらしめている奥深いものを解読し解釈するのであり、そのことにより鑑賞者固有の仕方で創造過程に参与するのである。こうした参与の仕方は、後世がその決定的な審判を下し何人かの忘れられた芸術家を復権するときに、一層明らかになる」。今ではごく穏当な、常識と言ってもよい主張だが、デュシャンの時代には、まだ敢えてこう述べる必要があったのだ。
「創造過程」は冒頭で「芸術分野のあらゆる創造の二つの極」として「芸術家」と「鑑賞者」を挙げている。鑑賞者、観察者、観客、読者、聴衆(聴取者)など、創造や表現や現象を受容する側の関与の発見と、その権利/権能の増幅は二十世紀文化の特徴であり、デュシャンは「芸術」においてその先鞭をつけたといえばそれはその通りである。「創造過程」にはレディ・メイドという語は出てこないが、いわばデュシャンは「芸術係数」の零度を示すものとしてそれを生み出したのだと考えられる。レディ・メイドにおいては、コンセプトは「芸術」であること、リアライズも「芸術」であること、ただそれのみであり、その他の要件は全て消去されている。「芸術係数」の零度は「芸術」の零度でもある。ここからフルクサスまではあと半歩、ジョセフ・コスースとアート&ランゲージまでは一歩、そして諸々あって、ニコラ・ブリオーの「関係性の美学」まではひと続きである。
これまた有名な話で恐縮だが、八〇年代に、ベルギー出身の美術史家、美術評論家のティエリー・ド・デューヴが、マルセル・デュシャンに立ち戻って、この件を蒸し返している。その著書『マルセル・デュシャン』(原著出版1984年、邦訳2001年)には「絵画的唯名論をめぐって」という副題が附されているが、原題は正副が逆転していて『絵画的唯名論ーマルセル・デュシャン、近代性の画家』、絵画的唯名論は「NOMINALISME PICTURAL」、この言葉自体がデュシャンによるものである。同書の中でド・デューヴは「芸術において、わたしは結局、いわば芸術的分野の決定というような決定をしたくなくなってしまうところまでいくだろう」と書きつける。だが唯名論というのだから、ある意味では「決定」しかしていないとも言える。ただ「絵画=芸術」という名のみが存在しており、その名が何に与えられるかということでしかなく、そしてその名は原理上、何に対しても与えられ得る。
レディメイドが絵画と呼ばれるべきかどうか分からないわれわれ観者は、作者に決めてもらおうと期待しても無駄である。美的判断は、作者からも観者からも決定できない、なんらかの決定、意図、計画ということは存在しない。不決定、意図欠如、計画未確定ということも存在しない。だが、間隔、差異、さらに欠如という超薄い(引用者註:アンフラ-マンス。デュシャンの用語)事実は確かに存在する。
(『マルセル・デュシャン』ティエリー・ド・デューヴ/鎌田博夫訳)
ド・デューヴは、デュシャンという稀代の反=芸術家の足取りを丁寧に辿りつつ、その試みと企みによって「芸術」が「名」へと還元されていく工程を、鮮やかに描き出してみせる。右の文章に続いて、ド・デューヴは先の「創造過程」の「芸術係数」のくだりを引用している。この「係数」とは、われわれの言い方ではコンセプトとリアライズの間のズレを示す値、それぞれの側からの、もう一方との「超薄い」差異を表す数のことである。それが「数」であるということは、実際には具体的な数値ではないにせよ、デュシャンがそれを計測/計算可能なものだと考えていたということである。そこで興味深いのは、「創造過程」の引用した部分のすぐ後に、デュシャンがこう書いていることだ。「この芸術係数は鑑賞者の審判にいかなる影響も与えない」。なるほど確かに「芸術係数」は単なる計測/計算値でしかない。それは「芸術家」にも「鑑賞者」にも属しておらず、ただ現にそこにある「作品」のコンセプトとリアライズの狭間で測られ/計られるものに過ぎない。だがデュシャンは、むしろそれこそが「芸術」の係数だと言っているのである。「芸術家」とは定義上、何らかの手段で「芸術」を生産する存在であるが、その「芸術」度は彼もしくは彼女が事前にしようと思ったことでも結果としてしたことでもなく、その隙間によって判断される。
言葉は存在する、絵画はいつもすでに名づけられている。それが画家を生みだす状況である。契約は前提であり、なんらかの同意は絵画という語をめぐって支配するが、契約はその語に関与しなかった。「絵画」はすでに死んだ過去の絵画を名づけるだけであり、それに反対をひきおこすエネルギーももはや存在しない。いかにして画家は画家という名で生まれるのだろうか。まず彼は絵画を破壊し、契約を破り、名を排除し、反対を挑発しなければならない。その挑戦は、名の回復へのアピール、新しいコンセンサスの先どり、絵画自身の死を想定して与えられる猶予でしか生きられない絵画の制作にほかならない。(同)
いささか晦渋な文章だが、ここではデュシャンが切り拓いた「芸術」の無意味な不死、「芸術」の生成と否定の絶えざる循環の可能性が語られている。いやむしろ、デュシャン以後、レディ・メイド以後、もはやそれ以外で(も)あり得る可能性が封じられたのだ。
これまた有名な事実だが、ティエリー・ド・デューヴはもう一冊、この問題を更に突き詰めた書物を著している。『芸術の名において』(原著出版1989年、邦訳2002年)である。同書でド・デューヴは、絵画的唯名論をより原理的なレヴェルで追究、展開している。「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」と副題にあるように(これは全三章から成るこの本の第二章の題名でもある)、ド・デューヴはそこでカント『判断力批判』をデュシャンに接続している。だが、かなりレトリカルかつパフォーマティヴな論議を追うのは避け、そこでの主張から今のわれわれに意味があると思われる部分を抽出してみよう。
かりに今、誰かがあなたに芸術を定義するように求めたとしよう。あなたは、あなたの好みと個人的な感覚に基づいて答える。あなたはお気に入りの作品を指差して、芸術はあれとこれとこれだと言うだろう。あなたは定義を求められる。しかし、自らの感覚以外に導くものをもたないあなたは、一般化することができないと感じ、理論を与える代わりに幾つかの例を示す。あなたは個々の例に芸術の名前を与える。「芸術とはこれだ」、「これは芸術に属している」といった文章が、あなたの判断を表現する。それは、感覚的な経験、より正確には美的な経験に基づいているがゆえに、半ば経験主義的な定義と呼べるようなものを与えている。仮に美的ということが、認識というより感覚の管轄に属しているとするならば、自らが好む例に芸術という洗礼名を与えつつ、あなたは美的な判断をしている。おそらく多くの場合、異論の余地無き傑作についてと同様に、あなたはとうの昔に与えられた洗礼名を繰り返しているに過ぎない。
(『芸術の名において』ティエリー・ド・デューヴ/松浦寿夫+松岡新一郎訳)
読まれる通り、これは明らかにカントの論議のまとめであり、こう言ってよければ、より身も蓋もない絵画的唯名論である。しかしここからド・デューヴは、いうなれば名の問題を名づけの問題にシフトしてゆく。すなわち「芸術」という単語=名を「これは芸術である」という言明=文にパラフレーズする。「レディメイドを創造したのはひとつの文章であり、この同じ文章がレディメイドを選択し、また、それに妥当性を付与した」。この文章こそ「これは芸術である」に他ならない。
デュシャンは好んで、「タブローを作るのはそれを見る者たちだ」と語っていたが、壜掛けや便器を前にしてデュシャンが、「これは芸術である」と宣告したとき、彼はタブローの観者と異なった位置にいたわけではない。デュシャンのただ一つの利点は、芸術について他の者よりくわしく知っているとか、何か特殊な技術を駆使しえたとかいうことではなく、最初にそれを行なったという点にある。レディメイドを芸術と名ざしたのは、単なる概念的な芸術製作(fiat ars)ではなく、感覚であるが、レディメイドを再び芸術と名ざすべきなのも直観であるが、しかし、この感覚は、単なるフェティストの運命愛(amor fati)ではなく、判断なのである。いいかえれば、デュシャンが口にしたものであれ、観者が口にしたものであれ、「これは芸術である」という文章は、美的判断の表現である。(同)
「芸術における近代性(私は近代芸術とはいわない)は、他のどんな表現にもまして、「これは芸術である」という表現によって、美的判断が暗黙にであれ明白にであれ表明されるような、歴史の一時代である」。筆者からするとド・デューヴの態度がやや不可思議なのは、ここまで言っておきながら、なお彼が自分が問題にしているのが「美的判断」であるという前提を手放さないことなのだが、それはとりあえず置くとして、アートートロジーを構成する文、すなわち「芸術は芸術である」は、この段階でほぼ完成されている。あとは「これは芸術である」の「これ」に「芸術」を代入すればいいだけである。その手助けもティエリー・ド・デューヴがしてくれる。『芸術の名において』の第三章は「何でもいいから何かを為せ」と題されている。これまた実に身も蓋もない命令である。ド・デューヴはあくまで(たぶん)真面目なのだが、現時点から見ると彼の主張は半ばギャグのようにも思えてくる。この論文は次の一文で始まる。「ひとりならぬ素人にとって、現代芸術は「何でもいい何か」に支配されているように見える」。ここで「何でもいい何か」と訳されているのが章題にも使われている「le n'importe quoi」、英語だと「anything-whatever」である。尚、邦訳書の「訳註」でも触れられているように、フランス語で「N'importe quoi!」は「デタラメだ!」「ドイヒー!」という口語表現であり、従って「何でもいいから何かを為せ」は「デタラメをやれ」と訳すことも可能である。にもかかわらず英語版の「anything-whatever」と同じく邦訳でも「何でもいい何か」とされているのは、何が「デタラメ」であるのかが必ずしも明確ではない以上、字義通りの何でもありという訳にしておいた方が「何か」の範囲を広く取ることが出来るからだろう。だがそれと同時に、やはりここには「デタラメ」「ドイヒー」という含意もあることは留意しておいた方がいい気がする。
芸術は、芸術家たちが制作するものの条件、規範、規準ではないように、彼らの制作するものの帰結、結果、効果でもない。芸術は、芸術家たちの制作するものの計画、目的、目標ではないように、手段、媒体、技量でもない。そうではなくて、芸術は、芸術家たちの制作したものの結果と事実であり、物体と行為である。そして芸術は、何よりも芸術家が制作したものの理念と名前であり、人が芸術について判断を下し、それを芸術と名づける際の統制的な理念である。(同)
これをド・デューヴは「レディメイドの法、モダンなものの法」と呼ぶ、カントが見通していた趣味判断形成のメカニズムは、デュシャンによって歯止めを失って暴走する。もはやここでは事態はあからさまにパラドキシカルに、再帰的に、トートロジカルになってしまっている。右の引用は、端的に「芸術は芸術である」という一文に還元することが出来る。実のところそもそもの始まりからそうだったのだが、いや、始まり以前からそれはそうであるしかなかったのだが、それでもマルセル・デュシャンという「芸術家」が、すでに造られてあるものたちに「芸術」という名を貼り付けてみせて以降、ますますもっていよいよ、芸術は芸術であり、芸術が芸術であるという、ほとんどナンセンスな同語反復は決定的となり、強度を増し、ありとあらゆる「何でもいい何か」を受け入れる貪欲と飽食を極めつつ、以後の百年を繰り越してきたのである。
ド・デューヴは提言する。「それが芸術と名づけられるように、「何でもいい何か」を為せ」と。以下の引用は、やはりカントを露骨に踏まえている。
だがまた、君が制作し終えたもの、君の格律の結果である対象をとおして、このありきたりのものが、そのものの規則であるひとつの理念によって君に課されたものであることを感じさせるように、「何でもいい何か」を為せ。この統制的な理念は、美ないし崇高の理念であるかもしれないし、また、革命の理念、絵画ないしユートピア的な社会の理念、芸術家の理念ないし芸術の理念、あるいは非=芸術家の理念ないし非=芸術の知念であるかもしれない。この統制的で、本当に強制的に作用する理念は、何でもいい何らかの理念でありうるし、その結果、君はこれらの理念がすべて同時に、また定言的に有効であるかのようにふるまうことができる。あたかも君はこれらの理念をすべてまとめて格律とみなさねばならぬかのように、君が制作し終えたものが、何でもいい何らかの理念に適合するように、「何でもいい何か」という普遍的な、つまり不可能な理念、まさしく近代性が芸術と名づけるこの理念に適合するように、為せ。(同)
そして実際、多くの「芸術家」たちは、こう言われるまでもなく、それと意識することさえない者も含めて、さまざまな仕方で、それを為してきたわけである。こうして「芸術の名前は「何でもいい何か」の同義語となる」と結論づけられる。「それは、その内容ではなく、その文面である」と。ティエリー・ド・デューヴは宣告する。「近代芸術とは、「何でもいい何か」の君臨である」。
芸術は芸術である。「アートはアートである」。アートのトートロジー。アートートロジーは、こうして定立された。それがどうしたと思われる方もいるかもしれない。そんなことはとっくの昔から誰もが知っていたことだ(ということをここまで書いてきたのだが)。今更デュシャンだレディ・メイドだなどと言うことに一体何の意味がある? そもそも一世紀も昔の話だし、ティエリー・ド・デューヴだってもはや過去の人だ。アート・セオリーははるかに先に進んでいる。実践もまたしかり。要するに、そんなことはもう誰ひとり気にしてなどいないのだ、気にしている暇なぞないのだ。こんな話を今ごろ始めるのは門外漢のお前くらいだ。お前は無知と無恥ゆえにしたり顔で皆が忘れたどうでもいい話題を持ち出しているだけだ、云々。
そう言われることは百も承知で、筆者はこの論を書き進めている。私としては、こう返したい。なるほどそれはそうかもしれません。というか実際そうでしょう。そうです。しかしそういうあなた方は、本当に、ほんとうにこの問題をまともに考えてみたことがあるのですか? この問題を真正面から受け止め、その意味を考え抜いた上で、それでも「アート」を為し、「アーティスト」であるということが、どういうことなのか、この問いが突きつけてくる面倒極まりない真理を、あなたはどうやって乗り越えたのですか? アートートロジーこそが、あなたを生かしているのではないのですか?
もっとも有名なレディ・メイドである『泉』(1917年)を、デュシャンは最初、自作であることを隠してニューヨークのアンデパンダン展に出品しようとした。一応述べておくと、これは男性用小便器に「R. Mutt」という架空の人物のサインを施したものである(面倒なのでこの名の由来には触れない)。出品は正式には許可されなかったというが、重要なのはそのことでも、正体が明らかになってからの騒ぎや余波でもない。この作品でデュシャンが行なったのは、便器を用意すること、自分のものではないサインをすること、それを展覧会に出品すること、の三つである。これは素材(支持体)の選択、制作(労働)、公開/発表という古典的な「芸術」の生産プロセスに則っている。だがここでは、慣習的な意味で「芸術」の要件を満たすと考えられるのは三点目だけである。逆に言えば、デュシャンは明らかに便器を美術館で展示することによって「芸術」たらしめようと企んだ。そして、その時すぐにはそうならなかったとしても、結局はそうなったのだった。もうひとつ、ここには三つの名がある。『泉』という作品名、「R. Mutt」という署名、そしてその背後に隠された「マルセル・デュシャン」という名前。
デュシャンの作品名をめぐっては膨大な解釈の歴史があるわけだが、ここではただ単に題名が附されているという点のみに注目しよう。「無題」だって題名の一種であるように、作品には必ず名前がある。逆転すれば、名前が与えられているものが作品なのである。それから、作品には署名がつきものである。これも逆さにすれば、「芸術家」の署名が附されているものが「芸術」なのである。しかし最も重要なことは、いつのタイミングであったとしても、便器を買ってきて「R. Mutt」なるサインを施したのが「マルセル・デュシャン」という名の人物であったということが露見したという事実こそが、他のあらゆる悪条件(?)を退けて『泉』を「芸術」として成立させているということである。レディ・メイドは「何でもいい何か」の「何でもいい」の過剰な行使であり、従って小便器はその小便器でなければならなかったわけでも、そもそも小便器でなければならなかったわけでもない。だが、その小便器をめぐる全過程が「マルセル・デュシャン」によるものでなかったならば、結果は間違いなく全く違っていただろう。「芸術」のその後の歴史は別のすがたになっていただろう。
とすると、ここまでのアートートロジーの証明には瑕疵があったことになるだろう。ド・デューヴは「デュシャンのただ一つの利点は、芸術について他の者よりくわしく知っているとか、何か特殊な技術を駆使しえたとかいうことではなく、最初にそれを行なったという点にある」と言っていたが、それは「最初にそれを行なったのがデュシャンだったという点が、レディ・メイドの一つの利点だった」と書き換えられなくてはならない。他ならぬ「マルセル・デュシャン」によってそれが為されたからこそ、彼に続く者たち、より名前の小さな者たち、或いは無名の者たちは、レディ・メイド的なあれこれや、それ以外のアートートロジーの行使を許されることになったのだ。はじめに名前があった。だが、この名前は「何でもいい何か」というわけにはいかなかった。いや、原理的にはそれだって「何でもいい何か」である筈だし、そうあるべきだったのだが、そうではなかったのである。
アートはアートである。このトートロジーは、潜在的な可能性としては全面的、かつ絶対的に機能するものであり、その効力は理論的には無限である。けれどもしかし、事実上、現実的には、当然ながらそうはならない。ティエリー・ド・デューヴは『芸術の名において』の第一章「芸術はかつて固有名であった」で「芸術」を「芸術」たらしめるコンセンサスについて延々と書いている。「その社会的な重要性がどうであれ、社会生活における他の領域と同様、芸術においても、コンセンサスにはつねに非現実的で流動的な要素が伴うのだ。それはさまざまな意見ーーその多様性こそが重要であるにもかかわらず、標準とされるものの周囲に凝集させられるーーを統計に従って配分したものにすぎない。たとえ多数者が従うコンセンサスであったとしても、疑わしさに変わりはない」。コンセンサスは常に欲望されながらも、けっして十全に実現されることはない。アートートロジーの個別具体的な合意形成は、不可能な理想として無限遠点に置かれている。ならば、何がそれを可能にするのか。それは時にはコンセンサスの土台となり、時にはコンセンサスを破壊しもする、判断や審判や言説の両義性や可変性をその時々に底支えすることになる諸条件の網の目、すなわちコンテクストである。たとえば「マルセル・デュシャン」という名は複数の、無数のコンテクストの交錯の上で成り立っている。当たり前のことだが、それはマルセル・デュシャンという生身の人間が名付けられ名乗った名前とは別の次元に属している。或る名前は必ず何らかのコンテクスト群の上に搭載されている。名の諸々の作用は当該のコンテクストに依存し、あからさまに、もしくは暗に規定されている。
無論、コンテクストにかかわるのは名前のみではない。アートはアートであるというトートロジーは、実際にはコンテクストの網目を通してのみ機能する。従って「何でもいい何か」も同様であり、それはまったくもって「何でもいい」のだが、しかし「何か」ではある以上、コンテクストの磁場から逃れることは出来ない。アートートロジーは、それ自体意味内容を持たない空疎な言明であるのだが、それゆえにこそ、あらゆることを可能にする権能と共に、排除と選別の効果も備えている。そしていま一度裏返すなら、こうしたコンテクストの無法な振る舞いは、アートートロジーによって支えられている。誰もコンテクストを完全に制御することは出来ない。だが部分的には可能だし、そのことで「アートはアートである」という同語反復は種々の使用価値を帯びることになるのだ。
さて、以上は前提である。「アートートロジーを/の「現在(進行)形」で/を批判すること」と最初に筆者は述べた。まだ「現在(進行)形」については何ひとつ語っていない。だがひとまずここでは、なぜアートートロジーの「現在(進行)形」の批判が必要だと考えたのかを記しておきたい。既に触れたように(ご存知のように)、筆者はアートの専門家でも研究者でもない(それを言うなら何にかんしても専門家でも研究者でもないのだが)。ただ一介の好事家として、自分なりの関心と興味でもって、あれこれの「アート」に触れてきたに過ぎない。これまで複数のジャンル/領域で何事かを書いたり語ったりしてきた/いるが、アートについては遠巻きにうろうろする程度に留まっていた。その距離感は今後もおそらく変わることはないだろう。がしかし、ここ最近、自分が直接相手取って仕事をしてきた幾つものジャンル、音楽、映画、舞台芸術、小説などなどの中の、とりわけ自分自身が惹き付けられ、思考を刺激され、これについて何かを書かなければならない、といった切迫した要請に駆られもする表現や作品のあれこれと、アートと呼ばれている世界の或る部分で起こっていることには、何らかの関係が、それも強い関係があるのではないかと、そう思うようになったのである。そして、この関係性の紐帯となるキーワード、少なくともそのひとつが、アートートロジーなのである。
もしかすると、ここまでの記述によって誤解されているかもしれないが、筆者はアートのトートロジーを、まったく悪いことだとは思っていない。むしろ大変結構なことだと思っている。アートはアートである。マルセル・デュシャンが可能にしたこの同語反復は、数多くの宝を「芸術」の歴史に齎した。筆者などが言うまでもなく、この事実は疑いない。だからむしろ、こういうことなのだ。とりあえず留保を付けた上で述べておくならば、筆者にとっては、良きアートートロジーと良くないアートートロジーがあるのである。いや、アートートロジーのポジティヴな作用と、ポジティヴとは言えない(ネガティヴとまでは言わない)結果があるのだ。アートートロジーとコンテクストの乗算によって、現代日本の「アート=芸術」として存在している(と筆者には思われる)さまざまな試み/営みを、自分なりに説明し、分析し、評定し、仕分けしてみたい。そしてその作業は、現時点では特に理由の開示抜きに、アートートロジーの問題と何らかの関係が、それも強い関係があるのではないかと筆者には思えている他ジャンルにおける「現在(進行)形」をも、複雑な反射鏡のようにして照らし出すことになるのではあるまいか。
というわけで、アートートロジーは始動する。本稿はその序説である。