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【芸能・社会】

芸一筋、夫婦漫才で人気 京唄子さん死去 89歳

2017年4月8日 紙面から

インタビューに答える京唄子さん=1999年7月

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 故鳳啓助さんとの夫婦漫才で親しまれ、鳳さんが亡くなった後もテレビドラマや舞台で女優として活躍した京唄子(きょう・うたこ、本名鵜島ウタ子=うじま・うたこ)さんが6日午前10時33分、肺炎のため大阪市内の病院で死去した。89歳。京都市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長女節子(せつこ)さん。

 旅回りの劇団で活動後、1956年に鳳さんと漫才コンビを結成。強気な唄子さんのツッコミに、鳳さんが「大口に吸い込まれる〜」「ポテチン」などとボケる絶妙の呼吸で「夫婦漫才の手本」と称された。「てなもんや三度笠」などのテレビ番組にも出演し、人気を博した。

 65年に離婚した後もコンビは続き、テレビのトーク番組「唄子・啓助のおもろい夫婦」が高視聴率を記録した。鳳さんは94年に亡くなった。

 一方、60年代から女優としても幅を広げ、映画やドラマに出演。人情味あふれる女性などを多彩に演じた。主な出演作は、ドラマ「遠山の金さん」「暴れん坊将軍」「渡る世間は鬼ばかり」など。

 芸一筋に生きた女優の訃報に7日、タレントの西川きよしは大阪市内で記者会見し「おとこ気のある、華のある女性芸人でした」と語った。ドラマで共演した高橋英樹が「あの明るさ、元気さ、現場にあふれるパワーが今も忘れられません」とコメントするなど、親交のあった人々から哀悼の声が相次いだ。

◆思い出尽きない 藤田朋子

 京さんの訃報を受けて、TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で共演した藤田朋子(51)が7日、コメントを寄せた。

 「おはがきの返事が届かなくなり案じていました。ドラマの収録で最後にご一緒した時に足の具合が悪くなり、舞台を自由に動けない、と寂しそうでした」とし、「自慢のお帽子をおしゃれに被る京さん。おしろいの下の愛らしい瞳、遠くからでも聞こえる『へえ!へえ!おはようさん!』の声。思い出は尽きません…。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」と悼んだ。

 ドラマで藤田は岡倉家の五女長子役で、その夫の母を京さんが演じた。

◆優しいお母ちゃん 

 植草克秀(50) 「渡る世間は鬼ばかり」で初めてご一緒した際に「お母ちゃんて言うて」とおっしゃっていただいたことを今でも鮮明に覚えています。舞台の仕事でお母ちゃんのいる大阪に行った際には観劇に来て下さり、観劇後には必ずご飯に連れて行ってくださいました。いつも元気でシャキシャキした心優しい大阪のお母ちゃんが僕の心の中にいます。ご冥福をお祈り致します。

◆夫婦仲良く別れたらあかんと…

 宮川花子(61) 「(宮川大助・花子の)結婚30周年イベントの時、サプライズで激励に来てくださいました!! いつも会うたび『夫婦仲良く別れたらあかんよ…』と何度も言われました。教訓にしてます。昨日、娘の節子ねえさんに電話で唄子師匠のことを…ご冥福をお祈り致します」

◆いつも自分におもろい子やなぁ

 西川のりお(65) 「いつも顔を合わせたら『あんた、おもろい子やなあ』と言ってくれたおしゃれな唄子師匠の顔が目に焼き付いています。残念です。お悔やみ申し上げます」

◆稽古場をパッと明るくしてしまう

 プロデューサー石井ふく子さん(90) 「ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』と舞台でご一緒させていただいた。とても親しみやすく、稽古場に入ってくるだけで周りをパッと明るくしてしまう方でした。京唄子さんのようなキャラクターの女優さんはあまりいません。まだまだご活躍できたと思います。残念です」

◇劇団旗揚げ長年の夢だった

<悼む> 京唄子さん・鳳啓助さんの夫婦漫才コンビが「唄啓劇団」を旗揚げし、1970年10月17〜21日、名古屋・栄の中日劇場で旗揚げ公演した。

 2人はもともと舞台出身で、唄子さんは終戦直後、宮城千賀子さんの劇団「なでしこ」に入団したのが芸能界入りの最初だった。この劇団でミュージカルなどに出演した後、退団して地方回りの劇団を転々とし、女剣劇の瀬川伸子一座で啓助さんと知り合って結婚した。啓助さんが劇団「人間座」を立ち上げて失敗したのを機に1956年、夫婦漫才コンビを組んで人気を集めたが、劇団旗揚げは唄子さんの長年の夢だった。

 待望の旗揚げ公演の演目は人情喜劇「くちなしの花」(志織慶太作、演出)。物語は大阪を舞台に、料亭の女将の意地と根性を描いた。共演は姿美千子、関敬六さん、高田次郎ら。

 唄子さんは「森光子さんや浪花千栄子さんのような女優を目標に、味のあるシリアスな芝居を作りたい」と話して熱演し、当時は異色の舞台として評判になった。志織慶太は啓助さんの脚本家としてのペンネーム。

   ◇  ◇

 唄子さんと最後に会ったのは2009年10月、名古屋市中村区、名鉄ホールの松井誠公演に出演していた楽屋だった。

 当時、唄子さんは腰椎(ようつい)圧迫骨折のため半年間仕事を休み、名鉄ホール公演は復帰の舞台。松井とは「親子のように親しくしている」ということで出演した。

 ただ、体調はあまり良くなく、人情喜劇「稲荷札」では派手に飾り付けた車いすに座ったままの出演。楽屋には大きなベッドを持ち込み横になっていたが、口は滑らか。

 私が「(車いすでも出てほしいという)松井さんは優しくて、素晴らしい男性ですね」と問い掛けると、「そうだけど、でも私が一番好きなのは(韓流スターの)ウォンビン。一度でいいから会ってみたい。韓国ドラマはよく見ているし、本も持っている」。「ウォンビンは(元夫の)鳳啓助さんと似ているところがありますか?」には「そんな下らんことを…」とピシャリ。

 そして続けた。「でも最もうれしいのは、きょうのようにお客さんの温かい拍手。だいぶ体もよくなってきたので、もっと楽しんでいただける舞台を作っていきたい」と笑顔を見せた。 (二村譲)

 

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