田中角栄の没後から四半世紀が経とうとする今、生前の功績や人柄を称える書籍の出版が相次ぐ。マスコミ各社は「ナマの角栄」を見ていない若い世代をも巻き込む「ブーム」として色めき立ち、新証言や新資料の発掘を競い合っている。
元秘書の朝賀昭さんによれば、昨年末時点で通算130冊を数えた「角栄本」は9月までに170冊を超えた。今年春に石原慎太郎氏の小説『天才』がブレイクしてから、1年も経たぬうちに40冊も刊行されたということだ。私は仕事柄、その多くを手に取っているが、大体は「田中角栄はスゴイ」ということが描かれてある。
かくいう私もここ2年間、生前の素顔を知る「生き残り」を断続的に訪ね、20人以上の貴重な証言をメモ帳に書き溜めている。古希を超えた彼ら彼女らが語る田中全盛期とは、自身の黄金時代でもある。当然、オーラルヒストリーはどれも眩しかった。
一方、その凄まじい引力を前にすると、「闇将軍」とも呼ばれた政治家の不都合な部分をつい聞き逃してしまう。空前絶後の人気を誇った天才政治家が、なぜ権力の絶頂期に失政を続け、勝負どころで議席を減らし、下からの造反を止められず、その後の転落劇に国民の多くが大喝采を送ったのか。結局、謎は解けないままでいる。
ならばと、私は、角栄と距離を取った「あちら側」の生き残りの聞き取りも始めた。その1人が、小泉純一郎元総理である。昨年に行ったロングインタビューには、福田赳夫の愛弟子であった「反田中のプリンス」からユニークな角栄観を引き出そうとする目論見もあった。
そして、今回、角栄の最も遠い立場から「反田中」を訴え続けてきた唯一の現職政治家を、40年以上前の新聞記事から発見した。
菅直人元総理(69)である。
彼が総理在任中の2011年夏、私は総理公邸で約2時間にわたり原発事故に対する対応を問い質したことがある。5年ぶりに取材に応じた菅は、今年に入ってから海外での講演やインタビューで引っ張り凧だという。震災直後とは違う、なにかが吹っ切れたような笑顔で、饒舌に「オフレコなし」で語った。
――今、「田中角栄ブーム」と言われる現象が出版界で起こっております。石原慎太郎さんが田中角栄の一生を一人称で描いた小説『天才』は読みましたか。
菅: 読んでいないけど、石原慎太郎さんがそういう本を書いたこと自体、やや奇異に感じているの。なぜかと言うと、石原さんというのは、いわゆる田中角栄的なるものを否定して青嵐会(※1973年に自民党内にできた若手反田中系タカ派による政策集団)を作って、反田中でやってきた人だから。
時間が経ったとはいえ、急に持ち上げるというのは、なんとなく私の中ではピタッと来ないよね。ああいう政治のやり方を観念的に否定してきた人だから、やや違和感がありますね。
――「田中角栄的なるもの」「ああいう政治のやり方」とはなんでしょうか。
菅: 角さんの逮捕直後にあった1976年の衆院選、いわゆる「ロッキード選挙」に、私は革新系無所属で立候補しました。その時、私の論文(「否定論理からは何も生まれない あきらめないで参加民主主義をめざす市民としての私」)を「朝日ジャーナル(76年12月3日号)」が載せてくれた。そこに、ロッキード事件を引き起こした田中政治のどこが根本的な問題で、なぜこのような汚職が発生するのか、どれを変えたらいいのかを全部書きました。
大企業には、儲けるために政治を利用したいという願望がいつもある。自分たちの利益のために経済力にモノを言わせてどんどん政治献金を寄付して、お金の力で政治を買い占めようとする。
そういうことが起こると、結果として大企業や富裕層の利益は増える。しかし、中間層や貧困層の利益は減る。そして中間層や貧困層から得た税金は大企業や富裕層のために使われていく。これは、民主主義の原則に反しています。私の言う市民政治と全く対極にあるということで、「大企業による政治の買い占めの禁止」を第一の政策に掲げたんです。
私にとっての「田中角栄的なるもの」とは、固有名詞の人間・田中角栄というよりも、政治家・田中角栄に代表される、自民党政治のあり方に対する根本的な疑問から始まっています。角栄という政治家に人間的な魅力があることは一つの要素だったけど、地元新潟のことをしっかりやる一方で、お金の力を政治にリンクさせて駆け上っていったわけ。国民もそういうものに対して言葉で否定しながら、政治的に否定できていませんでした。
――そこで菅さんは「田中政治打破」を掲げて政治家を志したというわけですか。
菅: 自分が立候補する2年前に、74年の市川房枝さん(元参院議員・戦後を代表する婦人運動家)の選挙応援からスタートするわけです。田中内閣の時にあった参院選で、いわゆる「金権選挙」と言われ、角さんの政治に対抗しようと、政界引退を考えていた市川さんが、我々若者有志の出馬要請を受け入れてくれて、出ようということになりました。
この写真ね。
――菅さん、若いですね。なるほど、こうして当時の写真を今でも議員会館の事務所に飾っているわけですか。