米国の小説家ジャック・ロンドンが韓国を訪れたのは1904年の露日戦争直前だった。彼は米国のある新聞社の従軍特派員として韓国にやって来た。多くの苦労を重ねた末に平壌に到着し、戦場の様子をはじめて報じた。するとそのニュースに驚いた世界のメディア関係者たちが続々と韓国にやって来た。トルストイやローマ法王にインタビューを行ったことで有名な米国のジェームス・クリルマンもこの時韓国にやって来た。同じく韓国にやって来てその後大韓毎日新報を創刊したアーネスト・ベセルも英国の従軍記者だった。
その後、世界中から多くのメディア関係者が再び韓半島(朝鮮半島)を訪れたのは6・25戦争(朝鮮戦争)の時だ。38度線が突破されると、世界17カ国から数百人の記者がやって来たが、うち16人は戦場で命を落とした。英国のチャーチル首相の息子ランドルフ・チャーチルも従軍記者としてやって来たが、足を負傷したため帰国した。北朝鮮の捕虜となったフランス人記者のモーリス・シャントルー氏は、3年にわたる捕虜生活の実情をフランスの新聞に連載し有名人になった。これは韓国や日本でも翻訳出版されている。
女性の従軍記者がはじめて注目されたのも6・25だった。仁川上陸作戦にも従軍した米国の女性記者マーガレット・ヒギンスは6・25を紹介した『War In Korea』(邦訳:南朝鮮の一前線指揮所より)で有名になった。6・25は記者たちに多くのピューリッツァー賞を受賞させたが、その中で最も有名になったのがヒギンス氏だった。女性の従軍記者として初の受賞だった。