こんにちは!Milkです!
猫のように生きたい今日このごろ。
仕事に復帰する上で、私の中のもろもろのことを修正しようと決心しました。
私はかなり頑固なのでね・・・だいぶ抵抗感があったのですが、素直になってみて、「もう一度、根本から考えなおしてみよう。」と思ったのです。
そうでなきゃ、私は同じ轍を踏むことになりかねませんからね。
どういう風に行動できると、もっと気持ちを楽にすることができるのでしょうか?
アサーションという考え方
リワークカリキュラムの中で、「アサーティブな自己表現」というものを習いました。
そもそもアサーションとはなんでしょう?
アサーションとは、以下のような考え方です。
自分も相手も大切にする関わり方
自分のことは自分で責任を持つ。そして、大切にする。また同様にして、相手を尊重することを適用する。
ふむ。まだ何ともしっくり来ませんね。
アサーションという考え方には、自分を表現する方法は、以下の3つの種類に分類出来るとしています。
非主張的自己表現
一言で表現すると、「おどおどさん」と言われます。
この表現方法の流れを見てみましょう。
- 主張を行いたい
- 主張できない
- 理由を付けて自分を納得させようとする
例えば、レジに並んでいて横入りをされた場合などです。
心の中ではイラッとして、「自分の番だ!」と言いたいのですが、言い出せず、何か言わない理由を自分の中で付けて解決しようとします。
問題なのは、「自分の人権を自分で侵す」と言う点です。
自分を見下したり、自分を卑下したり、何か自分の価値を下げるようにして対応するということです。
また、この表現方法を繰り返すことで、ストレスが蓄積され怒りの元となります。
3回ほど横入りされた場合、3回目の人は前の2人分の怒りをぶつけられるという状態になります。
横入りするのは悪いことですが、前の2人分の怒りもいっぺんにぶつけられるのは理不尽ですね。
結果的に、八つ当たりになります。
攻撃的自己表現
一言で表現すると「いばりやさん」と言われます
この表現方法の流れを見てみましょう。
- 相手をNOと言わせない
- 自分の主張に従わせる
- 相手との関係が続かない(スッキリしない)
相手に一方的に意見を押し付ける。また、有無を言わせなかったり、相手がNOと言えない状況を作り出します。
言葉や暴力としての攻撃だけでなく、そのような圧力をかけることも含まれます。
問題なのは「相手の人権を自分が侵す」という点です。
非主張的自己表現が、我慢の限界を越えて、この攻撃的自己表現に変化するということは、よくあるケースです。
まぁ、最初から攻撃的な人もいますけど・・・
アサーティブな自己表現
一言で表現すると「さわやかさん」と言われます。
この表現方法の流れを見てみましょう。
- 自分の思いを確認する
- 自分の思いを表現する
- 相手の出方を見る
まず、大切なのは、「自分の思いを確認する」ということです。
先ほどの横入りのことを考えましょう。
レジで横入りをされました。自分はどう思うでしょうか。
「余裕があるし、まぁいいか。」と思うなら、それで良しです。
でも、「せっかく順番を待っていたんだ。それは嫌だ。」と思うなら、次の「思いを表現する」という行動を起こします。
これにより「自分の思ったことを行動で表す」ということをします。
これがアサーションとなります。
また、大切なのは「相手の出方を見る」という部分も含まれるという点です。
「皆、並んでいるんです。後ろに並んでもらえますか?」と言ったとしましょう。
相手は次の選択肢があります。
- 賛成
- 反対
- どちらでもない
この中から、相手は何かしらの反応を示すでしょう。
例えば反対して来た場合、「すみません。どうしても急がないといけない理由があるので、先に会計をさせてくれませんか。」と言ってくるかもしれません。
これは、実際に行動を起こして話してみたからこそ、状況が分かったのです。一方的にイライラして黙ったり、怒鳴ったり、では発生しない状況です。
これに対して、あなたも3つのうちの選択肢から返答する権利があります。
つまりは、「お互いに意見を言い合う世界」ということになります。
アサーティブな自己表現を行ったからと言って、摩擦が起きないということではありません。
互いに自分にストレスを貯めこまず、擦り合わせる機会をしっかり設けましょうということです。
認められている権利
アサーションとは、人間に認められている権利です。
自分と相手を尊重するという考え方ですからね。
ですから、以下のようなことも尊重されなければならないのです。
- 間違いをする権利を認める
- 誰もが自分がどうするか決定する権利を持つ
また、以下のような考え方によって、アサーションという権利が阻害される場合があります。
- 理想が当たり前であり、それが正しい
- 自分の行動に全て責任を持つべきである
まだまだ、権利や阻害要因は色々あったんですけど、衝撃を受けたものを並べました。
例えば、「間違いをする権利を認める」
確かにそうなんですけど、それが「権利」と言われると、心の中に抵抗感が・・・
しかしながら、「人は不完全であり間違いは必ず出てくる」ので、これを認めることで相手を許すことが出来るようになるということです。
これは逆に、自分自身も「間違いをする権利」が存在するということになります。
また、阻害要因の部分は、「理想を掲げるのは良いが、それが正しい」とはしないようにと。
現実的に、その理想は実現可能なのか?という話になり、また、人それぞれの理想があるので、自分が絶対に正しいということはないわけです。
そして、「自分の行動に全ての責任を持つべきである」
これは私の中で、核となる部分でしたので、頭をぶん殴られた気分でした。
確かに自分の行動によって、結果が発生しますが、それが予測不能であったり、全てに対して個人で抱えきれる結末になるとは保証できません。
ですから、「自分の行動に全ての責任を持つべきである」という主張は、確実に遂行できるものではないわけです。
最後に
この他にも色々な、アサーションを実現するために、主張できる権利や阻害要因といったものは数多くあります。
ポイントとしては、
- 自己主張を行い、相手との対話を行う
- 自分も相手も間違いを犯す
- 「私はこう思う」と述べ、それを押し付けない
ということです。
幾つか参考の資料をご紹介します。
対人関係で、非主張的自己表現や攻撃的自己表現の割合が大きくなると、相手との摩擦が大きくなったり、自分にストレスが必要以上に増えたりします。
アサーティブな自己表現とは、過剰な状態になる前に、互いに調整することで(調整によって多少の葛藤はありますが)、過度なストレスが蓄積するのを防ごうということです。
さて、皆さんは3つの自己表現の割合は、どれぐらいの比率になるでしょうか?
それでは、今回はこの辺で。
adios!!