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【コラム】

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 詩人の大岡信さんは、「不思議」という言葉が何となく好きだったという。三十年前には、自分が生まれた情景をうたったこんな詩を書いた▼<真赤になつて/盥(たらい)の中でわめいてゐる僕…/御国の宝がまた一人/軍国の田におんまれなすつた/爆死もせず 号令もかけず/銃剣で人をあやめもせず/やつてこられた僥倖(ぎょうこう)が/まだぶよぶよの状態で/盥の中でわめいてゐる/逆さ眼鏡でじつとその子を見てゐると/ただただ 不思議に 怖ろしい。>▼大岡さんが生まれた一九三一年、満州事変が起きた。少年時代はずっと戦争で、いずれ戦死すると思っていたから、「将来」とはせいぜい二十歳までのことだった▼だが十四歳の夏、戦争は終わった。「殺し、殺される」ことから逃れ得たことへの放心するような不思議な思い。そんな感覚を原点に、大岡さんは敗戦の翌年から詩を書き始めたという▼詩集『詩とはなにか』で大岡さんはうたっている。<ただ一度でいい/わが詩のなかに閉ぢこめたいと願つてゐる/幼い子が仔猫(こねこ)とならんで/草の葉に宿る露を/じつと見あげて動かない/あの無防備な/見てゐる者を悲しくさせる/何も語つてゐないほど深いまなざし>▼八十六歳で逝くまで探り続けたのは、「言い尽くすことはできないけれども、言い尽くしたいという気持ちを沸き起こらせる」言葉の不思議だったのだろう。

 

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