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【首都スポ】[アイスホッケー]スマイルジャパンのエース浮田は平昌メダル狙う昭和大職員2017年4月6日 紙面から
アイスホッケー日本女子代表の点取り屋が、「大学職員」というユニークな立場で、来年の平昌五輪に備える。今年2月の同五輪最終予選で出場権獲得に貢献したFW浮田留衣(20)=ダイシン=。17歳で2014年ソチ五輪の最年少メンバーとなり、翌年にはアイスホッケー王国・カナダのアカデミーへ留学。米国の一流大学から推薦入学をオファーされながら、平昌五輪のために日本でのプレーを選択した。シーズンオフに昭和大(東京都品川区)の人事部で働きながら、チーム目標のメダル獲得を目指している。 (藤本敏和) 「先輩たちから仕事をいただいて、簡単な事務作業をやらせてもらってます。エクセルの入力をしたり、電話を取ったり…。かえって邪魔になっていないかなって思うこともあるんですけど。平昌出場が決まり、オフがほとんどなくなるんですが、短期間でもいいので、大学に顔を出して働きたいと思います」 パンツスーツで照れ笑いする姿は、少し背が高いだけの若手職員だ。その浮田には、もうひとつの顔がある。スマイルジャパンこと、アイスホッケー日本女子代表の若きゴールスコアラーだ。 釧路工を卒業した15年。当時、カナダのアイスホッケー専門校「オンタリオ・ホッケー・アカデミー」から誘いを受けていて、留学を前提に支援をしてくれる企業を、日本オリンピック委員会(JOC)の就職支援制度「アスナビ」を通じて探し、同大に就職した。 その前年。17歳で出場したソチ五輪では全5試合に出場、1試合平均16分プレーした。チームは最下位の8位、個人でもシュート5本で無得点1アシスト。結果は満足できるものではなかった。 「ソチでは何もできなかった。もっと成長したいしたいというのが、カナダに行った理由のひとつでした」 アカデミー入学の9月まで約5カ月間、大学に勤務し渡航。カナダでもトップクラスの女子ジュニア選手が集まるチームで抜群の存在感を示し、シーズン通算でチーム最多の103ポイント(ゴール+アシスト)を記録した。 カナダから優秀な選手が集まる隣国・米国の大学が、その活躍を見逃さなかった。強豪セントローレンス大、シラキュース大など、複数の大学から奨学金付き推薦入学の声がかかった。 全米大学体育協会(NCAA)は、1998年に五輪種目になる前から、北米の女子アイスホッケー界をけん引してきた。トップ校の実力は、発足間もないプロリーグ以上だ。その大学に、日本の女子選手が入学すれば、史上初の快挙だった。 だが、浮田は帰国を選択した。理由は、平昌のためだった。 「推薦入学には(NCAA規定の)英語力や学業成績を満たすため、半年から1年はオンタリオの学校に残って勉強に専念しなければならなくて。(平昌五輪開催の)2018年までにやらなければならないことを考えると、それでは間に合わないと思い、帰国することに決めました。五輪が1年、2年後だったら違う選択もあったかも、ですが…」 それでも、王国でフルシーズン戦った収穫は大きかった。特に成長したのは視野の広さだ。以前は強引でもゴールへ突き進むタイプだったが、カナダでの指導を受けて、周囲を生かすプレーもマスター。チームのポイント王になったのはその成果だ。 昭和大での勤務はオフのみという支援体制のため、シーズン中は小学生時代から所属する釧路市のダイシンでプレーする。チームリンクで氷上練習を十分できる環境は、進歩につながっている。 「短期間で5試合とかやる国際大会での体力不足が課題です。プレー面ではゴール前で混戦になったときの決定力を磨きたいです」。今や、日本に欠かせない存在となった20歳。2大会連続出場となる五輪で、初のメダル獲得を目標に突き進む。 <浮田留衣(うきた・るい)> 1996(平成8)年6月6日、北海道釧路市生まれの20歳。釧路・春採中から釧路工。168センチ、71キロ。アイスホッケーを始めたのは小1で、所属チームは一貫してダイシン。高1で年代別の日本代表合宿に招集された際、シュート力を買われDFからFWにコンバートされた。家族は父・好則さん(54)、母・明子(めいこ)さん(53)、兄・幸平さん(27)、姉・莉沙さん(24)。元ユニバーシアード日本代表の莉沙さんはダイシンのチームメート。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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