11月27日(木)午後7時より、星陵会館会議室にて守る会関東支部学習会が開催されました。以下は金名誉代表の講演要旨をまとめたものであり、帰国事業について私たちが考える上での重要な提言が幾つもなされています。帰国事業とは何だったのかという問は、未だ充分な回答を見出したとはいえません。会員の皆様、特に当時を知る方々は、匿名でも結構ですので、どうぞカルメギ編集部、守る会各支部宛に活発なご意見をお寄せください。
尚、カルメギ前号の学習会告知にて、金民柱名誉代表と張明秀氏のお名前を誤記してしまいました。深くおわびします。(編集部)
張明秀氏の最新作は論ずるに足らない
守る会の金民柱です。今回の学習会では、まず張明秀氏の最新作「謀略・日本赤十字北朝鮮『帰国事業』の真相(五月書房)」が発売されました。ここでは、私金民柱はKCIAの手先とか、模範的韓国中央情報部活動家とか書かれてあるのですね(笑)。張さんとは守る会の初期には、共に活動していましたが、とうとうこういうことを言うようになってしまったのかという思いです。しかも、民団新聞がこの本を書評で高く評価して、帰国事業についての教科書だとまで言いました。私は腹が立ったので、民団新聞あてに抗議しましたところ、充分に本を読まずに書評を書いてしまったと(笑)。斜め読みで書評を書いて推薦してしまった、申し訳ないと謝っていました。
まあ、私のことはさておいて、この本自体は取るに足らない本です。題から見て、何かすごい陰謀論が暴かれているのかと思うと、単に赤十字のパンフレット一つを挙げて色々と思い付きを並べているだけです。本以前のメモに過ぎません。しかし、やはり私は、かって帰国事業に関係した元総連の人間が、こういう本を書く事はやはり許しがたい。日本赤十字に謀略や悪意があったというなら、その時朝鮮総連が何をしたか、北朝鮮でどんなことが起きていたのかを何故指摘しないのですか。張さん自身が総連で帰国事業を大いに推進していたくせに。全ての責任を、赤十字を含む日本側に押し付けてしまうなど、とんでもないことです。
この本については、これ以上論じるに足りません。ただ、私だけではなく守る会の名誉も傷つけられているのですから、何らかの抗議を行うべきではないかと思います。
朝鮮総連の歴史と過ち
朝鮮総連は、建前上は在日朝鮮人の権利を擁護する組織であるとか言っていますけれども、実態は在日朝鮮人を北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国の指導の下に一致団結させることが目的です。これは総連の規約にも明記されております。
戦後、在日朝鮮人は、朝連(在日朝鮮人連盟:1945年結成、49年、日本政府及びGHQにより強制解散)、民戦(在日朝鮮統一民主戦線:1950年結成、朝鮮戦争後路線転換して総連へ)といった団体を経て朝鮮総連が出来上がる事は、皆様ご存知の通りと思います。まず、総連の議長、ハンドクスは、総連の前身である民戦とは何ら関わりはありませんでした。彼は日本植民地化では日本名を名乗り、抵抗運動らしいことは何もやっていません。そんな彼が何故総連の議長になれたのかという点から話して行きたいと思います。
金日成のイエスマンだったハンドクス
朝鮮戦争終結後、1954年から、左派の在日活動家がしばしば北朝鮮に密航するようになります。そして、ハンドクスは女性の案内人を伴って、1949年ごろから既に入朝を繰り返していました。実はこのときから、北朝鮮の対日工作活動は始まっていたのです。その目的は、日本を拠点に、韓国情報を収集すること、また韓国への工作活動の拠点を造ること、また韓国からの留学生への工作活動などでした。スパイ摘発に厳しい当時の韓国よりも、日本に工作基地をおくことの方がたやすいことだという判断があったのでしょう。
そして、1954年8月30日、北朝鮮から「在日朝鮮人は、日本政府に順応し法を守れ、朝鮮民主主義人民共和国の在外公民として生きよ」という指令(南日声明)がもたらされます。これに真っ先に飛びつき、この方針を掲げて総連を指導することを宣言したのがハンドクスでした。いわば、金日成のお墨付きと後ろ盾で、在日のリーダーとしての地位を得たのですね。
勿論、これは全くのでたらめです。私の経験から言って、朝鮮総連はいかなる意味においても合法団体でもなんでもない。しかし、この点はまた後にして、帰国事業がこの後総連によってどう導かれたかをお話し致します。
貧しい在日への宣伝
著名な活動家の金天海氏が、1949年、北朝鮮に渡り、在日朝鮮人の帰国を訴えたのが、在日朝鮮人への北朝鮮への帰国呼びかけの最初だと思います。この時は、地上の楽園とかそういう美辞麗句は無かった。国家建設のために人材が不足しているから、祖国に還って建設を手伝わないか、という趣旨の呼びかけでした。しかし、この時点ではむしろ金日成は帰国を抑制しているのです。
また、韓国から日本への密入国者は、韓国建国後の混乱と左右の対立の中で増加する一方で、大村収容所には1000人を超える人々が収容されていました。そして、彼らの多くは左派・南朝鮮労働党か、もしくはそれに近い立場の人が多く、彼らは北朝鮮に行くことを望んでいました。日本政府は国籍から言って韓国に送還しようとしたのですが、当時の李承晩政権は彼らの入国を拒否し、大村に長期収容の形になっておりました。この問題も、帰国事業を考える上で無視できない問題だと思います。
ハンドクスは、さらに北朝鮮に対し、様々な形で在日コリアンが帰国を求めているシグナルを送り続けます。北朝鮮への帰国を求める最初の運動は神奈川で起こりますが、これは朝鮮総連中央が直々のてこ入れによって行われています。
当時の北朝鮮帰国を希望する理由としては、祖国は社会主義国で貧しい在日朝鮮人が、子供の教育が無料で、しかも外国留学まで可能だという宣伝に騙されたことが大きかったと思います。ですから、貧困者、学生、また学生の親などが最初は帰国を希望しました。当時は6万人に近い在日朝鮮人が生活保護を受けている状態でしたし、総連の宣伝が効果をあげやすかったのです。
元々、在日朝鮮人多くは今日の韓国、つまり南の出身ですから、北朝鮮そのものは、故郷はないはずなんですね。ただ、当時の雰囲気として、朝鮮戦争も北朝鮮が仕掛けてきたとは思われていなかったし、むしろ北主動の統一は間近いという意識すらありました。そして、金日成も、そこまでハンドクスや在日が望むならということで、帰国事業に積極的になっていったのです。
南労党の悲劇
また、北朝鮮では朝鮮戦争後、統一に失敗した責任が南労党にあるというキャンペーンがなされ、北朝鮮国内の元南労党員は、代表的な指導者朴憲永を初めアメリカのスパイとしてほぼ全員粛清されています。帰国事業で北に帰った人の中でも、南朝鮮から日本へ密入国して帰国した人たちはほとんどスパイとして粛清されています。
北朝鮮は朝鮮戦争後、53年から南労党出身者が、53年から56年にかけてはソ連派が、56年から58年にかけては中国延安派が粛清されていきます。そして帰国者の中でも、先に述べたような南労党系や、また、日本共産党に属し、抗日運動をしていた人ほど先に粛清されているようです。誰よりも北朝鮮のために、命をささげようとまでした人々が真っ先に粛清されていったのです。
そして、帰国事業は北朝鮮側からすれば、資本主義の国から社会主義の側に多くの人々が移動してきたという、社会主義北朝鮮の優位性を示す大きな宣伝材料にもなりました。そして、金日成は帰国事業を楯に朝鮮戦争の責任をうやむやにしてしまったと言えます。
独裁体制打倒のためならば
誰とでも連帯する用意がある
最後に一言だけ申し上げておきたいのですが、張明秀さんに限らず、私たちが北朝鮮金正日体制に抗議すると、それは韓国に利用されているとか、アメリカに利用されるとか、そういう批判をしてくる人が多いのですね。ここではっきり言いますが、あの体制の下で、帰国者だけでなく、数多くの民衆が苦しんでいるのです。90年代末に300万の餓死者が出たという説を、当初私は信じられませんでしたが、帰国者から切れ切れに伝わる情報から見ると、残念ながらそれは正しいとしか言えないようです。他にも、口には出せないような痛ましい悲劇がわが民族に起こっているのです。
私は、あの体制を倒し、帰国者と民衆を救い出すためならば、あえてどのような力とでも手を組み、目的を実現しようと決意しております。(終わり)
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或る在日帰国者家族の北朝鮮訪問記
編集部
この一年のある時期、北朝鮮に家族訪問を行った在日帰国者が、匿名を条件に以下の情報を提供してくれました。家族及びご本人の安全のために実名その他の詳しい情報出せないことをお詫びしたうえで、本人の許可のもと発表します。
変わった部分、変わらない部分
『愛国者なら商売をして献金せよ』
今回北朝鮮を訪問したら、いくつかの点では数年前とは変わっていた。まず、昔は案内人が帰国者の家にまでついてきて、夜も泊まっていく事まであったけれど、今は、私の家族の要るところまで案内すると、案内人は帰っていった。そして、翌日迎えに来る。
それから、荷物検査も以前はとてもうるさくて、例えば私の持っていった服にタグがついていたらいちいち切らせたり、少しでも英語のロゴや絵文字があっただけでもクレームがついたけれど、今はあんまり言われないし、検査もいい加減になった気がする。
勿論、根本的に自由がないということは全く同じ。一つの場所に行くことや移動するためにもあらゆる許可が必要だし、私が家族の家に泊まっていると、家の外にはいつも監視員らしい人の姿が夜も昼もあった。この監視体制は今も完璧にある。
そして、北朝鮮の生活や食糧事情の厳しさにも何の変化もないです。配給を正式に辞めて、今、北朝鮮では国民に、自由に商売をやりなさいと言っている。それは、農家で野菜とか作っている人たちは、作物を市場に持っていくとか、方法はあるかもしれない。でも、私の家族のように貧しい帰国者にはそれは出来ない。しかも、北朝鮮政府は、お前たちが国を愛しているなら、一人当たり1万ウォン、1年間で貯金して国に献金しなさいとまで言っている。これはたまらないですよ。一体何を作って売ればいいのか。
自由市場では、とうもろこし麺やパンのようなものを売っている人もいるけれども、日本なら簡単にある、食べ物を包むためのサランラップも何もないんです。誇りまみれの麺を売っているようなものですよ。私の家族は正直、こうして持っていく私からのお金が頼りです。一部では北朝鮮でも経済改革が始まったようなことを言う人もいるけれども、全くそんな気配はない。自由に働くことも、意見を言うことも出来ない国で経済がうまくはたらくわけがない。
届かぬ援助食糧、盗賊と化した軍隊
韓国は、日本は何をすべきか
泥棒はすごく増えた。しかも、その多くは軍隊。平壌でも、或る家が厳重に錠をかけていたのに、泥棒が壊して中のものを盗んだと言う話を聞いた。こういうのは全部軍隊のしわざ。軍隊は泥棒をしても今は殆ど罪に問われず、もうやりたい放題。泥棒と言えば党の有力者も同じで、市場ではお金も払わず品物を持っていってしまうこともあると聞いた。
食糧援助も、言われているように殆ど私たち帰国者や一般の人たちには届いていない。ただ、外国から食料が来ている事はわかっているみたいだった。白い袋にハングルで書かれた食料袋が地方から都市部に向けて走っていく姿を見たといっていました。多分、地方に配るべき食料を、また回収して平壌に運んでいく途中だったのじゃないかと思う。
日本で韓国から来た人にあって話しをすると、時々唖然とすることがある。今すぐの統一は難しいとか、今北朝鮮が崩壊したら経済的に困るとか、そういう話ばかりだ。私の家族は、本当に辛いけれども、会うたびに顔色が悪くなっているし、やせ衰えていくのがひしひしと伝わる。みんな栄養も不足しているし、何か病気にかかっているけれども、薬もないし、医者にかかることも出来ない状態だ。韓国は、ひたすら問題を先延ばしにしているだけだと思う。
何も、韓国や日本が、帰国者やそこにいる人たちを全部迎え入れてくれと言っているのではない。あの体制さえ変わり、人々が自由になりさえすれば、その地で貧しいなりに働いていけばいい。まず、あの体制を何とかすること、そのことに韓国も、日本も力を尽くしてほしいし、そのためには世界中を巻き込んで、北朝鮮に、あんな酷い政治、国民から自由を奪い、しかも食べ物も与えないような政治はやめなさいと言わなくちゃいけない。
日本に期待したいのは、とにかく妥協しないこと、北朝鮮に対しては強い姿勢で臨むこと。
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「『北朝鮮へのまなざし』を考える連続講座」始まる
運営委員 高柳 俊男
本誌既報のとおり、拉致問題を日本人・朝鮮人双方にとってナショナリズムを強化する物語にさせない立場から、2003年7月20日に「拉致被害者・家族の声をうけとめる在日コリアンと日本人の集い」が開かれた。朝鮮問題をめぐる従来からの不幸な二分法的図式のなかで、下手をすれば両方のサイドから叩かれるかもしれない微妙な集会だったが、幸いこの問題で心を痛めている多くの方々の参加を得て、人道的で普遍的な立場から1つの意見表明をすることができた(詳しくは
http://tsudoi0720.at.infoseek.co.jp /参照)。
そこでの成果を今後につなげていくためには、私たち日本人や在日コリアンがこれまで北朝鮮(ひいては韓国・朝鮮・在日全般)とどう向き合い、どんな経験を蓄積してきたのか、その過程でどこにどんな誤りがあったのかを歴史のなかで検証し、それとは異なる新たな未来の創造を模索することが大事であろう。その手始めとして、「『北朝鮮へのまなざし』を考える連続講座」を実施することとなった。
10月18日に行われた第1回目では、7月の「集い」のよびかけ人代表の1人でもある高校教師の鈴木啓介氏が、「私と朝鮮問題の40年」と題して、学生時代以来の自分と朝鮮との出会いや関わりを振り返りつつ、問題提起をしてくれた。
情熱をこめて語った長時間の話のなかで、とくに印象的だったのは、荒れた生徒たちが朝鮮高校生と衝突する事件に直面した時代の話だった。背景には日本人の子供たちの間違った朝鮮認識があるとして、山崎朋子さんを呼んで全校講演会を開いたり、朝鮮高校との交流活動を始めて、それなりに成果を上げたという。
しかし同時に、その交流のなかで、同じく荒れた子供たちを抱えている教育者として、朝鮮高校の教員たちとホンネの話をしようとしても避けられてしまったり、朝鮮学校の「民族教育」に疑問を感じても、それを提起することはなかなかできなかった。受け持った在日の子の家庭訪問先で、北朝鮮へ帰国した親族の悲惨きわまりない手紙を親から見せられる経験もした。
結局、当時は社会主義への幻想もあったし、「抑圧者」側とされた日本人の立場から朝鮮人に物を申すことにはさまざまな困難がつきまとった。しかし、日本人とコリアンは本来、対等で水平な関係を築くことが重要であり、「おかしいと思ったことをもっと早くおかしいと言えなかったことに悔いが残る」、と鈴木氏は回顧した。
日本人としてかつての朝鮮への侵略や差別の問題を考えていくことは重要だが、同時に今回の拉致問題に限らず、そうした角度からのアプローチのみでは現実に有効に対処できなかったり、贖罪意識がかえって問題のトータルな把握を妨げる側面があるのも事実である。建て前やきれいごとにとどまらない講師の発言には、長年にわたる教育実践の苦闘に裏打ちされた重みが感じられた。日暮里というやや集まりにくい場所にもかかわらず、会場は40数人の参加者で埋まり、活気ある質疑応答や意見交換が二次会まで続いた。
すでに第2回目の太田昌国氏「『「拉致」異論』を出版して」まで終了したが、第3回目以降も以下のように決定している(場所は千代田区飯田橋のシニアワーク東京の予定。詳細は上記ホームページでご確認を)。どうぞご参加の上、状況の好転に向けた活発な討論を共有できればと願っている。
・第3回12.20小池和彦
北朝鮮関連本からみる日本の言論状況
・第4回1.24高柳俊男
映画「海を渡る友情』から北朝鮮帰国事業を再考する
・第5回2.21西中誠一郎
マンホール画家・ツ良奎のみた韓国・日本・北朝鮮
・第6回3.13呉崙柄
私の歩いてきた道
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脱北者が語る北朝鮮の今
北朝鮮難民救援基金シンポジウムの報告
運営委員 佐倉 洋
シンポジウム『大連拘束から一周年記念脱北者が語る北朝鮮の今』が11月19日、都内で北朝鮮難民救援基金主催のもとに開かれた。当会山田文明代表も参加。
現在でも、数多くの韓国人支援者が中国では拘束中ということもあって、シンポジウムでは難民の苦境、北朝鮮国内での餓死の惨状、食料支援の必要性等と共に、中国当局やUNHCRへの批判に加え、韓国当局の弱腰を批判する声もあがった。
確かに難民として認定されるにこしたことはないのだが、そもそも統一という大義のもとでは脱北者は韓国籍。脱北者にヴィザを即座に支給するとか、もっと韓国が強く出れば中国も北朝鮮も手出しも口出しもできないのだろうと思うが、それには韓国への後押しも必要だろう。
シンポジストには中国での拘束体験者である当会代表の山田文明氏のほかに、同じく体験者の加藤博氏(基金事務局長)、チョン・ギホン牧師、さらにタイム誌でアジアのヒーロー100人に選ばれた人権活動家のキム・サンホン氏、ジャーナリストの石丸次郎氏、また司会が鳥越俊太郎氏だった。そして男性(42歳)と女性(45歳)の二人の脱北者の証言があった。
二人の脱北者は帰国者だが、90年代末の食糧難時代についてふれ、地方都市の駅舎では餓死者で足の踏み場もない惨状もあったという。これに外国援助を受け入れる決意を金正日がし、状態は良くなったとも述懐した。それなりに金正日が支持される政治的な基盤も(多分に宣伝の効果だろうが)あるようだ。また必ずしも援助食料がわたっていなかったわけではなく、援助食料が入ればその後、暫くは配給されていたともいう(もっとも二人の社会的な地位が当時は比較的高かったからかもしれない)。さらに軍人といっても、ほとんどが道路や水路建設の労働にたずさわっていて栄養失調状態で、食料支援は必要というのがお二人の意見だった。また、この食料支援と脱北者の数は反比例しているようだ。なお脱北にあたってはこの女性は二度つかまり労働鍛練所にもおくられていた。ここでは1日130グラムぽっちの玉蜀黍で水タンク用の穴掘りや伐採をさせられたが、三度目は死を覚悟で脱出したという。
脱北については、これまでと違い都市民ではなく市場自由化の恩恵のない農村出身者が増えていると石丸氏は語る。さらに中国は国境警備に解放軍を投入しており、その数は一部報道の20万というのはやや誇大で、実数は2〜3万人位ではないかと指摘。地元出身者の多い国境警備隊が、プロの辺境防衛隊から警備の方法を指示されている段階で、パートパートを受け持っているのではないかと述べた。
中国当局と北朝鮮の保衛部との連携は、実際は密で、加藤氏も取り調べ中に北に引き渡すと脅されたことを明らかにした。加藤氏は昨年の10月31日に集団駆け込み事件にかかわったという嫌疑で中国の公安当局に逮捕され、椅子に固定されたまま朝から晩まで、時には早朝まで7日間取り調べられた。加藤氏は、約300人の脱北者への冬期の衣類や医薬品の支援の打ち合わせに行っていて、大使館への駆け込みには全く関与していなかったという。
山田代表は今年の7月に訪問時からマークされていたふしもあり、21日間の拘束だが、公安ではなく入管関係でしかも上海の当局だったので取り調べは紳士的だったという。脱北者ついては約束に反し送還されたおそれもあり、「中国も共犯者的である」と言明した。この中国の姿勢についてはまさに脱北を企画主導したドウリハナ宣教会のチョン・ギホン牧師が強く批判した。同牧師は2001年に中国−モンゴル国境地帯で7カ月も四畳半程度の部屋に8人もという拘留を経験、米国のブラウンバック上院議員の応援でやっと釈放されたという。しかし、ほかにもチェ・ボンイル、キム・ヒテ、ソク・ジェヒン、チェ・コンフン、オ・ヨンピルの各氏が拘束中という。なおドウリハナとはエゼキエル書37-17の「あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ」からとったとのこと。この宣教会は北朝鮮の同胞支援で1999年に設立され、これまで417名ほどの脱北者を韓国入りさせている。またブラウンバック上院議員は1956年生まれ、カンサス出身で農業畑専門だが、イランやスーダンの人権や拉致問題でも発言がある。
シンポでは中国当局への批判は強かったが、加えて「日本人支援者に比べ韓国人支援者が中国当局に不当に扱われている」ことの原因にもなっている「韓国当局者が中国にペコペコしている」とのキム・サンホン氏から韓国政府の弱腰を指摘する声があった。また「UNHCRの北京事務所に駆け込んだが、所長は最初居留守をつかって逃げていた」(石丸氏)などUNHCR(国連高等難民弁務官事務所)への批判もあいついだ。ただUNHCRは中国の難民認定があってはじめて動けるという仕組みにあり、期待するのは元々難しいとの声もあった。
そこで北朝鮮の人権擁護での国際的な国会議員の連携(山田氏)や、NGOとUNHCRなど援助機関との会議(キム・サンホン氏)の動きもあるようだ。これらに加えて、国際世論のバックアップもさらに必要だということで一致した。
〈社説〉脱北者、全ての同胞が支援の輪を(12月10日民団新聞)
冬には零下20度、30度に下がることもあるという北の地に、「祖国」の温もりを求めて「帰国者」らが新潟港をあとにしたのは、まさに日本でも寒さが増そうとするこの時期でした。
「帰国同胞」は抑圧の対象
北送事業が開始されてこの12月で満44年になります。9万3千人もの在日同胞が「地上の楽園」との宣伝に乗せられ、北送船に揺られながら「帰国」の途に就いたのてす。
彼らの多くは「祖国建設」の気概に燃え、全ての財産を処分してまで「帰国」したものでした。ところが、暖かいはずの「祖国」で彼らを待っていたのは、徹底した抑圧だったのてす。
加えて近年の極悪な食糧事情に耐え切れず、ついに止むにやまれず命がけで脱北の道を選び、日本に戻った人たちが既に50人以上に達していると言われています。
北韓での「帰国同胞」に対する抑圧状況がなんら改善されず、なおも極悪な食糧状況が続くようだと、さらに多くの元在日同胞が北韓を脱出し日本に戻ってくることが予想されています。命からがら北韓を脱出し、ようやくの思いで日本に辿り着いた元在日同胞らは今、日本社会に定着するため必死の努力を重ねています。
彼らの日本定着を支援しようと、民団が「脱北者支援民団センター」を設置してから半年が過ぎました。本来なら総連が率先して彼らに対する支援を行うべきです。総連は「帰国事業」を推進した当事者として、脱北者に限らず「帰国者」全員に対し責任を持つべき立場にあるのですから。
ところが総連中央は、「共和国で罪を犯したり」「反共和国、反総連騒動の手先に成り下がった者」と、元在日脱北者のことを口を極めて非難し、支援など「突拍子もないことだ」と一蹴する始末です。
着実に広がりみせる支援事業
この間、支援の輪は多くの同胞の共感を得て支援センターを中心に着実な広がりを見せています。同胞組織は各種のチャリティ行事を催してはその収益金を寄付していますし、在日韓国商工会議所はザクロ飲料を販売しその利益の大部分を支援センターに寄せています。
名もない数多くの同胞からは莫大な募金が寄せられ、住居や就職提供の申し入れが相次いでいることからも、脱北者問題に対する在日同胞の関心の高さが窺えます。
支援センターでは定着への第一歩として住居と就職の斡旋を最優先課題に挙げる一方、医療相談を受けたり、日本語を理解できない北送同胞2世らに対する言語教育などにも手を差し伸べてきています。
総連が一日も早く態度を変化さ廿、人道的な立場から全ての同胞が元在日脱北者らの生活定着を支援できる態勢を作ることが望まれます。
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守る会関東支部学習会報告
「脱北者の救援と
日韓NGOの連携
金基柱(ジャーナリスト)
12月20日、午後6時半、守る会関東支部学習会が、この夏山田代表と共に上海で脱北者救援途中で不当拘束されたジャーナリストの金基柱さんを講師に、亀戸文化センター5階研修室にて行われた。参加者は約30名。金基柱さんは今やプロ野球選手の代理人を初め、様々な分野で活躍中。今回の学習会は質問形式で、テーマは『脱北者の救援と日韓NGOの連携』以下はそこでの発言要旨。(編集部)
1、最初に中朝国境を訪れ、脱北者とあったのはいつごろですか。
1998年、NHKの仕事で中朝国境を訪れました。そして、南坪という町で脱北者と出会い、彼らの貧しさにショックを受けました、約200ドルあれば、4人家族が1年間食べられると言う。韓国では、贅沢な人は一夜の食事や宴会で200ドルや300ドルは平気で使っていた。韓国とのギャップに驚きました。
当時、韓国では、太陽政策によって北朝鮮への援助が行われていたのに、それでも沢山の餓死者が出ていることに疑問や関心が寄せられていましたから、実際に北朝鮮で何が起きているのか、脱北者の話から知りたい、韓国の人たちにこの現実を伝えたい、そして彼らを助けたいと思ったのがこの問題に触れるきっかけでした。
2、 脱北者の印象はどのようなものでしたか
とにかく、殆どの人が人間不信に陥っていました。北朝鮮では、生き抜くためには時には法律も破らなくてはいけなかったし、親兄弟、友人であれ信じられない、押しのけてでも生き抜かなくちゃいけなかった。ですから、彼らが時には嘘をついたり、こちらを信用しなかったり、多少わがままに見えたとしてもそれは当たり前と言えば当たり前なんですね。だからこそ、この人間不信の心を変えるためにも、彼らを温かく迎えなくちゃいけないと思いました。
3、脱北者から聞いた北朝鮮国内の様子で、最も印象に残った事は何でしょうか。
本当は口にしたくないけれども、やはり飢えの余り人間の肉を食べるところにまで追い詰められていたことですね。
4、守る会では、帰国者や日本人妻が脱北してきたときにどう救援すべきかを考えているのですが、まず、帰国事業は韓国ではどのように評価されているのでしょうか。
私は学校の教科書でも帰国事業の事は習いましたが、そこでは、当時自己主張が強くてうるさく感じていた在日韓国人を、日本政府は何とか追い出したかった。そして、日本赤十字と朝鮮総連もそれに加担し、また、北朝鮮は朝鮮戦争後で貧しく、労働力、資金、そして在日の技術や知識も欲しかった。この双方の利害が一致して、在日を北朝鮮はいい国だと騙して連れて行ったのが帰国事業で、韓国は猛反対したけれども聞き入れられなかった、と教えられました。或る帰国者家族の悲劇として、騙されてきた朝鮮に渡った一家が悲惨な目にあう、という話も確か教科書に載っていましたよ。
私が子供のころは、もう今と違って、徹底した反共、反北教育でしたから、北朝鮮は今にも襲い掛かりそうな恐ろしい狼と描かれていて、共産主義者は頭に角の生えた悪魔であるかのように、そして韓国は狼におびえるウサギのように描かれていました。それが今は、太陽政策後は全く変わって、北朝鮮について同じ民族として悪く言わないようになりましたから、若い人の間には混乱がおきているのでしょうね。
5、脱北者の救援のためには、日本と韓国のNGOが連帯していくことがこれからは必要だと思いますが、それについてはどうお考えですか。
正直、日本と韓国では、脱北者の問題については、国民性もあってかなりの温度差があるんですね。いい悪いではなく、韓国では親類を助けよう、たとえお金がかかって、後はどうなってもいいから助け出したい、という感情が強いんです。日本人は、無理をして後で後悔したくないから、充分準備が出来てから行動したい、と思う冷静な人が多いですよね。そして、親類がいるから助ける、と言うのではなく、純粋に人道的な人がNGOとして動いている。
また、韓国と日本のNGOの連携と言っても、全くないわけではないですけれども、これまでは余り深くはなかったと思います。むしろ韓国とアメリカのNGOの方がまだ連携は深い。これは一つには、韓国側のNGOは宗教色が強い人が多く、日本側にその発想がなじめなかったこともあると思います。むしろ連携はこれからの課題で、私は韓国で生まれ、日本で暮らしてきましたから、両方の発想が少しはわかるつもりなんです。その意味で、両方をつなぐ仕事が少しでも出来ればいいと思っています。
6、今、韓国のNGOメンバーが中国で何人も拘束されていますね。彼らの救援を日韓が協調して行えればいいと思います。
私も今年上海で拘束されてよくわかりましたが、はっきり言って、中国は韓国と日本を明確に区別しています。日本のNGOが逮捕されても比較的短期間で釈放されるけれども、韓国の場合は平気で1年以上拘束している。これは、日本と韓国の経済力や国力の差もありますし、残念ながら、韓国政府が中国に対して、もう少し強い姿勢を示して欲しいと思う点もありますね。勿論、拘束中のNGOの支援は急務です。ご家族にもお会いしましたが、本当にお気の毒ですよ。生活に困っている人もいますし。
7、脱北者、また帰国者の救援のために、最も必要なものは何でしょう。
目先の援助、目先のパンを与えることより、私たちがまず、自分の心の中にある脱北者や帰国者への偏見を捨てることです。彼らはたまたま北朝鮮に生まれた人であって、たまたま総連の宣伝に騙されて北朝鮮に渡った人たちです。彼らを仲間として受け入れて、ただ援助するんではなくて、自立できるようにしてあげなくてはいけない。
彼らは北朝鮮で確かに苦しんできたけれども、この資本主義社会で生きるのも同じように大変なことです。北では、はっきり言えば働かなくても働いても変わらない、努力しても評価されない、むしろ怪しまれるような環境だった。しかし、韓国や日本では、努力しなくては生きていけない。このギャップに悩んで、あれだけハナ院で援助しても定着に失敗する脱北者が多いわけです。日本でも、早急に彼らに職業教育や、この社会で生きていくためのルールを教える施設を作らなくてはいけないと思うし、それが出来ない間は、私たちNGOがその変わりを果たさなくてはいけないと思います。
繰り返しますが、彼らに必要なのは、目の前のパンではなくて、自立できるための環境と教育です。
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米、亡命許可など「北朝鮮自由法案」を上院に上程
(中央日報11月21日)
北朝鮮住民の米国亡命許可や、北朝鮮への経済支援の禁止などを柱とする「北朝鮮自由法案」(North
Korea Freedom Act of
2003)が20日、米上院に上程された。米上院のサム・ブラウンバック(共和、力ンザス)東アジア太平洋小委員長とエバン・ベイ(民主、インディアナ)議員が提出した同案は「金正日(キム・ジョンイル)政権交代」を明確に狙ったもので、北朝鮮の反発が予想される。
ブラウンバック議員は「法案は、北朝鮮の大量殺傷兵器の開発を中断させ、韓半島で民主政府による統一を支援し、北朝鮮の人権を改善するためのものだ」とし「米国と全世界の安保は、北朝鮮で自由・民主・人権が確立することで保証される」と主張した。同法案は、米国政府が北朝鮮住民に避難場所と支援を提供し、彼らの入国を許可するもの。また北朝鮮の大量破壊兵器情報を提供した北朝鮮住民には米国での永住を速やかに許可し、北朝鮮の子供を米国内で養子に迎えることも法的に保障するという。
さらに米国の対北朝鮮放送を拡大し、北朝鮮住民にラジオを送るため、年間1100万ドル(約12億円)を支援する内容も含まれている。
ワシントン=金鍾赫(キム・ジョンヒョック)特派員
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書評
尹大日「『北』の公安警察」(講談社)
三 浦 小太郎
北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。
元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務める尹大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。
金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁)
金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。
本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。
金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。
罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。
あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(141頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。
そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。
私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすら法と職務に従ってユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。
北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。
しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示して
いる。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。
そして、著者はアメリカに証言者として招かれた2002年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。
(雑誌 「諸君」 2 月号掲載書評より」)
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