【ネタばれ】「雪のプリンセス」の朱里について、ほか。
てかコレ新作ミュージカルなんか。
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ミュージカル『雪のプリンセス』は、ディズニー映画『アナと雪の女王』の「Let it go」をはじめとする、すべての挿入歌の訳詞、そして劇団四季『アラジン』の訳詞を手がけた高橋知伽江が、アンデルセンの『雪の女王』をモチーフに10年にわたって温めていた脚本を、グリーンフェスタ2015「BIG TREE THEATER賞」を受賞したミュージカル『TRAILS』の演出家・大杉 良とのコンビで作り上げた新作ミュージカル。今回、AKB48・高橋朱里を主演に迎え、昨年3月の初演に続く待望の再演となる。
イマイチ新作感はない・・・と思ったら、”待望の再演”とあるし新作ちゃうなあ。
ハナシとしてはそれほど難しくなくて、朱里が自立するというお話で、そこに雪の女王だの雪女だのサンタクロースだの、いろんな登場人物がごっちゃになっとる。
やっぱしかし、人々は女王様の配下にいるしかない、というのがおかしいよなあ。
そういう意味では、女王になれない朱里に対してクーデター、というのは、人類の選択肢としてあるけど、この劇ではあんま現実的ではなかったし、みんな現実的と受け取らんかったやろ。
それは、いろいろとあるけど、一番の理由は、朱里が圧倒的な魔術を持っとることが、観客の誰にもわかるからやと私は思う。
他の誰が、形式上、城を乗っ取ったとしても、城を動かす仕組みを動かせんねん。
それで、それは、日本政府にだって当てはまる。
いっくら東大を出た秀才とか言うても、圧倒的な思考力があるとかいうのが、誰から見てもワカランようなヤツばっかが、(政治家ではなく)事務次官とかになることに血道をあげとる。
そんなんでどうやって日本政府を切り盛りしてくねん。
アメリカはもっと大統領の権力が強いけれども、トランプだって圧倒的な魔術みたいなものがないからこそ、自分の政策は否決されてまうねん。
・・・・いや、だから、魔術というのは、否決されるものも可決させてまうというような強引なものではなくて、人々の真意を汲み取って、自分の意見を変えるからこそ、可決されやすくなる、その”人々の真意を汲み取って”の部分が現れたものやねん。
現代の人間は、魔術とは、相手の本意でないことをさせることだ、と思うとるけど、そうではなくて、相手の本意を汲み取ったからこそ、第三者から見ると、一見そのヒトを意のままに動かせとるように見えるねん。
そんな発想の転換を、いろいろと試してみたいなあ。
朱里はまあ期待以上のレベルには仕上げてきたと思う。
私はもっと音程が低くて、あちゃー!と思うのを想像しとった。
ただ、他の役者さんを見ても、音程を高く保つことはけっこう指導しとったと思う。
(・・・・スイセイミュージカルはそのあたりけっこうテキトーやったよなあ・・・)
そこはええんやけど、プリンセスとしてどうしても動きが少ないし、プリンセスは出番も少ないし、主役のハズのくせして正直あんま印象濃くない。
人間で場内に入った男の子とその姉の女の子、サンタの孫、城でいちばん喋っとるイケメン、この4人のほうが印象に残るんちゃう?
朱里はそこを超えて、自分をどう作るかは考えたほうがええと思うなあ。
いまのままではネクラなお姉さんになってまう。
あと、最後のドレスは、けっこう綺麗やと思うたけれども、・・・いやそれ自分の将来のウェディングドレスよりも目だってみえるんちゃうんか?と、ついつい心配してもた。
まあ、ウェディングドレスが重要なのではなくて、たとえドレスはみすぼらしくとも、日々幸せを感じられる生活のほうが大切なんやけどな。
朱里が演じるプリンセスは、一般人の、”たとえドレスはみすぼらしくとも、日々幸せを感じられる生活のほうが大切”という思いを理解しとるか?
そんな生活にあこがれながらも、やっぱ人間関係ではなくて、カネとか財産のことを考えてまうのが一般人やねん。
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