不十分、不徹底な政策しか打たれずに問題が先送りされた結果、巨額の赤字を垂れ流し続けました。その赤字を埋めるのが財政投融資による借金でした。それがどうにもこうにもならなくなったのが国鉄末期です。

赤字でも賃金が上がるなら
働かない方がいいという論理

──葛西さんは、国鉄時代に財務業務と労務業務の両方を管掌する立場にありましたね。

 そうです。雪だるまのように膨らんだ負債と、増え続けた人員の両方を減らさなければ、国鉄を立て直すことは難しいと思いました。

 私が入社したのは、1963年なのですが、この年が、国鉄が黒字だった最後の年。私が国鉄にいた24年間のうち、23年間はずっと赤字でした。

 非常に大雑把に言えば、国鉄末期の収入が3兆円、税金が7000億円、それ以外に土地を売ったりして、合わせて3.7~3.8兆円くらいの収入がありました。その収入に対して、人件費が約85%もありました。

 つまり、国鉄は100円の収入を稼ぐのに85円の人件費を使っていた。私鉄は100円稼ぐのに30円程度の人件費が占めていましたから、国鉄の労働生産性は私鉄のそれの半分以下だったということです。働いていない組合員の数が多すぎるのです。国鉄の運転手は、ハンドルを握っている時間が2~3時間じゃないかと言われたものです。

 だから、われわれ若手幹部は、「一生懸命働かないと、飛行機や自動車に客を奪われてしまう。経営が悪化すると給料をもらえなくなるかもしれない。剣は磨かなければならない」と組合に言う。

 でも、組合の論理はこうです。「黒字が出ると運賃の値上げが認めてもらえないじゃないか。働けば働くほど運賃の値上げが先送りになる。ならば一生懸命働く必要があるのか」と。確かに、物価も人件費も上がっているのに、国会がだらしない妥協をして運賃は値上げできませんからその通りなのです。

──非常に歪んだ論理ですね。

 でも、彼らの論理も事実に立脚しているんですよね。国鉄は公共企業体。公共サービスを提供しているからストライキはやってはいけない。まあ散々やっていたんだけれども、やってはいけない法律になっていた。

 労働組合はある。団体交渉もできる。しかし、争議権はない。