2013年06月16日

勝新太郎 十七回忌を巡るあれこれ(その2)、元マネージャーのアンディさん

 例えば内田裕也さんという人について、いろんな人がいろんな事を言います。それは裕也さんが長きに渡って多彩な活動をしてきた有名人なので必然的について回ることではありますが、それでもやはり多くの人は数年前のスキャンダルに眉をひそめ、そのときの「ロケンロールに免じて勘弁して下さい」発言に「何だ?ありゃ!」「意味わかんねぇぞ!」とか言う(一応、私の周りでのささやかな世論調査した結果に基づく)。

 しかし私個人的には、裕也さんが世間(マスコミ)からスキャンダルで叩かれてるのを見ると、青臭い人たちが反社会的なイメージでカッコいいとか言ってるのとは別の意味で、誰が何と言おうと弁護して庇いたくなってしまいます。それは裕也さんという人が映画の分野において俳優として、製作者として素晴らしい仕事もしてきた実績があるからに他なりません。

 恐縮ながら裕也さんの話を引き合いに出させてもらったのは、晩年(1990年代)の勝新太郎さんについても同じような状況があったからで、例えば私が「勝新太郎という人は日本映画において素晴らしい仕事をしてきた人だ」と言っても、やれ「麻薬所持はけしからん」とか「もうパンツは穿かない」とか「玉緒さんが可愛そう」とか...勝新映画の話そのものをさせてもらえない。今でもある世代以上の理解のないオッサンやオバハンに勝新太郎の話をすると、この始末(苦笑)。

 勝さんが亡くなって今年で十七回忌を迎えるわけですが、もうそろそろ作った映画作品そのもので語られてほしいと思っているところ、最近ファンになったという若い人と話す機会がありました。その若者はメディアが報じた事件やスキャンダルの先入観なしに、レンタルビデオ屋で「座頭市」シリーズを直感で選んで観て感動したとのことでした。そういう若者がいることを嬉しく思うと同時に、新たに気を取り直して語り継いで行きたいと思う次第です。


 拙ブログにて何度か、生前の勝新太郎さんと懇意にしていた一部の方々と面識が出来たという話を書いてきてますが、その中で最も勝さんと長い時間を共有したであろう人が、勝プロ設立の中期ごろから最晩年まで勝さんの付き人・マネージャーを務め続けたアンディさんです。

 眞田正典さん(勝プロ常務/プロデューサー)が広く勝新ファンに知られているのに比べると、アンディさんはコアな勝新マニアにもあまり知られてはおらず、(2013年現在)ネットで検索してもある程度以上細かく書かれた記事はAV監督の村西とおるさんの書いた過去の日記(注:2013年6月時点では削除されたようだ)と、私のこのブログぐらいしか出てこないというぐらい情報は少ないです(私がプライベートなところに書いた日記を、心ない人が勝手に変なとこにコピペしたのもある)。

 彼の名が勝新マニアにも殆ど知られてないのは、マネージャーとして勝新太郎を立てることが何よりも第一という、裏方にのみ徹してきたからとも言えますが、最近では2011年に出た勝新評伝『偶然完全 勝新太郎伝』(田崎健太 著)でメジャーな出版物での文章としては初めて紹介されたのではないかと思います。

 しかし『偶然完全〜』でのアンディさんを紹介する文章パートは実際の人物を知ってる視点で読むと中途半端(悪く言えば雑)に感じる部分があり、あの本を読んだ人には「歴代の勝新太郎マネージャーの1人」ぐらいの印象しか与えてないのではないでしょうか

 そんなわけで、僭越ながら私が改めてアンディさんの人となりについて補完すべくお伝えしようという次第です。


 アンディさんは生まれも育ちも東京の日本人です(こうしてブログ等に書くことの了解は得てますが、現在は芸能界から距離を置いていらっしゃるので実名は伏せます)。なぜアンディなのかというと、得意な英語を生かした観光関係の仕事で外国の人たちとやりとりする際、「あ」で始まる彼の名をうまく発音できない外国人が多くて、いつしか「ANDY」と呼ばれるようになったそうです。

 そんな彼が若かりし日、いろいろ思うところがあって会社を辞めようと思ってた際、上司から「送別会をやるから何か希望はあるか?」と聞かれたので、どうせ最後だから我がまま言ってやろうと思い「京都の高級クラブ”ベラミ”でやってくれ」と言ったら、渋い顔しながらも「ベラミ」で送別会をやってくれることになったそうです。

 そして、その送別会の日のクラブ「ベラミ」において、たまたま来ていた勝新太郎との運命的な出会いがありました。トイレ行くのに席を離れた時に偶然に勝さんに会ったので、すれ違いざまに「大ファンです!」と告げ、握手をしてもらった際「あとで一緒に飲もう」と言われ、周囲の知人から「そんなの社交辞令だろ」と言われながらも真に受けて、勝さんの所に言ったら快く酒席に迎え入れてくれたのが事の始まりです。

 勝さんの最初の言葉「お前、いい眼をしてるな。目は化粧できないし、(目が語る)心は演技やメーキャップでも隠せないんだよ」という殺し文句を言われる(いろんな評伝を読むと、勝さんはこの言葉を氣の合いそうな初対面の人間には時々言ってきてるようだ)。
 それで観光会社を辞めようと思ってることや、英語や外国語が得意で海外との折衝/交渉の業務経験のあることを伝えると勝さんに「じゃぁ、俺のところにこないか?」「お前が座頭市を外国に売ってみろよ」と口説かれます。

 例によって、周囲からは「酔った席での社交辞令だろ」と冷笑されながらも、真に受けたアンディさんは東京に帰ってから連絡のある約束の日に電話の前でじっと待っていたそうです。夜になっても連絡が来ないので、やっぱり冗談か社交辞令だったのか...と思って諦めかけた頃(夜の11時を過ぎていた)、電話が鳴ったそうです。勝さんの事務所の人から今すぐに来てほしいとの連絡がありました。

 高まる鼓動を抑えながら、勝さんの待っているクラブ(確か、ラテンクォーターだったか..)に行くと、勝さんは何人かの関係者に向かって「こいつがアンディです。よろしくお願いします」と、まるでアンディさんが既に身内の人間であるかのように関係者&スタッフの方々に丁寧に紹介してくれたそうです。

 居合わせた関係者の中には勅使河原宏さん(勝さんが自ら監督作品を作るようになるキッカケと影響を与えた芸術家/映画監督)もいたそうなので、勝さんの映画で言えば『燃え尽きた地図』の公開後〜1970年以後...勝プロ創立初期〜中期の頃になるでしょうか。アンディさんが30歳の頃の話。

 京都での運命的な出会いから以後20余年に渡って、最晩年まで勝新太郎の付き人&マネージャを務めることになります。事実は小説より..もとい映画よりも奇なり。



 冒頭に評伝『偶然完全 勝新太郎伝』におけるアンディさんを紹介する文章について、実際の人物を知っている観点で読むと中途半端に感じる部分があると述べましたが、1つ具体例を挙げると、勝さんの夜の豪遊でのお金の使い方の話が出てくる下りがあります。その時の勝さんとアンディさんの表面的なやりとりの事実関係を箇条書きにすると以下になりますが..

(1)勝さんは高級クラブで呑む時はいつもホステスやボーイやスタッフ全員に1万円のチップを上げていた(それとは別に店の支払いはツケ払い)
(2)チップのお金を用意して配るのはアンディさんの役目だった
(3)ある時、アンディさんが1万円のチップを5千円で配ってしまったことがあった
(4)そしたら勝さんから(人のいないところで)大声で叱られた
(5)勝さん曰く「俺はスター気取りの見栄でチップを出してるんじゃない、世間のことや人間のことを学ばせてもらってる授業料として差し上げているんだよ」

 私が思うに、アンディさんから聞いたこの話を他人に伝える時の大事なポイントが2つあります。1つ目は勝新太郎が常人には想像できない次元&視点でものを考る人であったこと、2つ目はアンディさんがこの出来事を通して勝新太郎という男に改めて惚れ直したこと...なのですが『偶然完全〜』の文章からは後者が全く伝わってこないのです。

 恐らく『偶然完全〜』の著者もアンディさんから、私が聞いてるのと同じ「温度」でいろいろなエピソードを聞いているはずと思うのですが、その辺のニュアンスが抜け落ちてしまっている上に、他の部分でのフォローもないので、読者には「男として惚れ込んで最後まで仕えた人」ではなく、「勝プロで雇われた歴代の付き人/マネージャーの1人」ぐらいの印象にしか伝わらないでしょう。

 この評伝はクリエイターとしての勝新太郎の「作品論」ではなく、人物の素顔の魅力を伝える「人物論」に位置づけられると思うのですが、「人物の魅力」を伝える材料としては最高の部類であろう、執筆対象の人物に惚れ込んで晩年まで仕えた人物を取材してるのにその辺が表現されてない部分を中途半端〜非常にもったいないように感じてしまうわけですよ。

(話ついでに言わせてもらうと、この著者は概ねの勝新ファンが共通認識として持っている勝新太郎作品の魅力・面白さがあまりわかってないようにも思いますが、著者と勝さんしか知らない事柄=一般ファンにとっての新事実を伝える部分には感謝してます...まぁ、この日記は書評ではありませんので)


 素顔の勝さんと親しく懇意にしていた人たち(具体的にはアンディさん、ピッピさん、田賀のマスター&ママ)からいろいろ聞いてきた話から察すると、勝さんに可愛がられた人はみんな「自分が一番可愛がられてる」「自分が勝新太郎の一番弟子」だと思っちゃう部分があるようで、これは巷でよく言われるように勝さんが「人たらし」だったというだけでなく、実際に一人一人の友人/知人に対して真正面から誠実に向き合う人だったようなのです。

 勝さんのことをオヤジと呼んで身の回りの世話をしていたアンディさんもその例に漏れず、いろいろと人間として男としての薫陶を受ける日々を過ごしていたわけですが、それ故に他の関係者から嫉妬されることも幾度となくあったらしいです。ある時、勝さんがアンディさんにこう語ったそうです。

勝さん:「アンディ、男と女の間の嫉妬、男同士の嫉妬、女同士の嫉妬
   いろんな嫉妬があるけれど、どれが一番コワいかわかるかい?」

アンディさん:「えーーと....男女の間の嫉妬でしょうかね」

勝さん:「..ちがうよ。男が男にする嫉妬が一番タチ悪くてコワいんだよ」


 男からも女からも惚れられる勝新太郎だからこそ言える、含蓄のある言葉です。

 とにかく私からは、アンディさんという人は勝プロが倒産した時や麻薬所持疑惑などのスキャンダルで世間から叩かれてた時も、ずっと傍で仕えて支え続けてきた人であるということを、あえて強く伝えておきたいのです。


 1997年、出会って以来から男として惚れ込んできた勝さんが亡くなった時には「後を追ってこの世から去ろうか..」とまで考えてしまうほど落胆&絶望して思い詰めてしまったそうです。そんな時に生前の勝さんが「アンディ、自殺なんかするんじゃないよ」と言った言葉を思い出して我に返ったのだと..

 勝さんがアンディさんに「自殺なんかするんじゃないよ」と言ったのは、その時点で既に10年以上も前のことで、何気なく話している時に全く脈絡なく発した言葉に聞こえたため、ずっと気にも留めてなかったそうなのですが、そのとき急に思い出したのだそうです。曰く「オヤジ(勝さん)はオレの性質を見抜いてて、いつかこんな状態になるのをわかった上で、あの時に先読みして伝えたのかもしれないな..」。

 さすがに勝新太郎という人が予知能力で未来を見通していた..とまでは言いませんが、勝さんは人並み外れて人間に対する洞察力や直観力を持っていた部分があって、考えていることを言い当てられたり、ウソや隠し事を見抜かれたりすることがしばしばあったそうです。この点に関して勝さんは(合氣道や古武術で言うところの)「氣を感じる」/「氣を配る」ことができたのではないか?という私的な見解があるのですが..いささかオカルト方面に誤解されそうな話に脱線するので、割愛します。

 話が逸れますが、アンディさんの手相は手のひらを一直線に知能線と感情線がつながる「ますかけ線」と云われる相なのでした(写真参照)。徳川家康の手相もこのタイプだった話が有名で、天下取りの相だとか言う話もありますが、実際に会ってみると、アンディさんはとても強い「氣」を出している感じの人です。

 アンディさんが勝さんの話をするときに発している「氣」は、とにかく「俺は誰よりもオヤジ(勝さん)が大好きなんだ!」「男として惚れ込んでいるんだよ!」という、テレパシーなどの超能力がなくても感じられるものです。

 そんなアンディさんですが、勝さんが逝去した後の十数年は中国の上海で事業をして暮らしてきたのですが、数年前に日本に帰ってきてお仕事をされています。そして長年に渡り、側近を務めてきた勝新太郎という希有な人物のことを後世に語り継いで行きたいという熱い気持ちを持ち続けていて「付き人/マネージャから見た勝新太郎伝」を世に出すべく原稿を執筆中なのだそうです。

 「勝新太郎の語り部」の役を引き受けるのも、男として惚れ込み、オヤジ(=育ての親)と慕ってきた勝さんへの恩返し..「僭越だけど、そんな氣がしてる」..と、遠くを見つめて語る彼は、勝新太郎という不世出の人物が墓場まで持って行った秘密の一端を一番近くで垣間見た人間の一人なのであります。

 さすがに聞かせて頂いたお話の全てを一度には書き切れませんし全ては書けませんが、今後も伝えられる範囲でテーマを決めて伝えていこうと思います。実際に間近に傍にいた人から聞く、尾ヒレが付かない勝新伝説は他のファンの皆さんと共有すべき財産だと思いますので。  

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2013年06月09日

勝新太郎 十七回忌を巡るあれこれ(その1)〜ピッピさん、横山剣さん

 去る5月、浅草にクレイジーケンバンド(以下CKB)の横山剣さんが舞台演劇に初挑戦する(させられる?)という「横山剣 大座長公演」の初日公演を観てきました(第一部は舞台劇〜第二部はCKBのライブ演奏の2部構成)。

 聞くところによると、剣さんはこの舞台劇に初挑戦する企画の依頼を勢いで引き受けてしまったらしく(雑!)、一体どうなってしまうのだろう?という期待と不安が入り混じった気持ちで初日の公演を観ましたが、第一部の演劇パートでは剣さん並びにCKBの各メンバーのキャラがうまい具合に生きる感じで、舞台経験の豊富なプロの役者さんたちのサポートもあり、ちゃんと楽しめるものになってました。ま、基本は出オチなんですが(笑)。

 そして、第二部のCKBライブ演奏パートでは水を得た魚の如くの本領発揮で、いつもながらの手抜きなしのサービス&パフォーマンス。ライブ前半での演奏曲「男の滑走路」にて唄の歌詞を部分的に忘れる小さなハプニングもあったりいして(普通に時々あるが)、いつもと違う慣れないことをやったので流石の剣さんもちょっとテンパってしまったんだろうか?と思ったのですが、後になって「いや!それはたぶん違う!!」と思い直しました(詳細理由は後に述べる)。

 締めのラスト曲は勝新太郎さんに捧げる旨の言葉を添えての「マイ・ウェイ」を熱唱。「マイ・ウェイ」は言わずもがなのフランク・シナトラの名曲でいろいろな歌手にカヴァーされてきてますが、勝新太郎さんがディナー・ショウでの締めの曲として歌っていたことでも知られる曲です。この公演のラスト曲で剣さんが歌ったのは勝新太郎のカヴァー曲としての「マイ・ウェイ」であり、ライブ前半での「男の滑走路」とも精神的に地続きなのです。

 「男の滑走路」の歌詞に次のような一節があります
♪マイ・ウェイ〜シナトラのように〜私は私の道を行こう
♪その先に何が待ち受けていようと、全て蹴飛ばし生きてゆくぜ


 CKBのライブ公演に通ってるファンの間では知られた話ですが、剣さんは「男の滑走路」をライブで歌うときにレコーディングしたオリジナル歌詞の「シナトラ」を「カツシン」に変えて、「♪マイ・ウェイ〜カツシンのように〜」と歌うことがあります。きっとこの日の剣さんは「〜カツシンのように〜」歌おうとしたのだが..いざ、歌おうとしたときに何か熱くこみ上げるものがあって言葉が出なかったのだろう..と勝手に妄想してます。

 これが一CKBファンであり勝新マニアである私の勝手な思い込みで、事実とは違ってたとしてもそういう見方をすることでより面白く味わい深さが感じられる〜これはある意味で勝新語録でいうところの「偶然完全」なのである....などなどと屁理屈をこねてしまいましたが、まぁいいじゃないですか。最近の剣さんの言い方での「雑!」ってことで。

 ちなみに、「横山剣 大座長公演」の会場となった浅草公会堂は入り口の足元に昭和のスターたちの手形が飾られていることで有名な場所ですが、その中には勝新太郎さんのものもありました(写真を参照)。「S55.11」=昭和55年(1980年)ごろですから、勝さんが勝プロでTVドラマ『警視−K』を撮ってたころのものでしょう。

 『警視−K』と言えば、ドラマの出演者で勝さんと親密な関係にあったピッピさんこと水口晴幸さんは、剣さんのクールスRC時代の先輩の一人でもあり、「ジェームス・ブラウンのショウと、勝新太郎のディナー・ショウは絶対に生で見ておけ!」と剣さんに命じたとも伝えられております。

 歌謡ステージ上での勝新イズム=アンリミテッドな人情&サービス精神はピッピさんを経由して、たしかに横山剣さんに受け継がれているのだと、改めて確認できたのが嬉しい再発見でもありました。



 その剣さんの先輩でもある水口晴幸さん=ピッピさん(ex.クールス/クールスRC)は現在も現役のロケンローラーとして精力的にライブ公演などをこなされてます。私も東京近郊でライブがある時は行ける限り足を運んで観に行ってますが、昨年10月の還暦記念のバースデー・ライブの時には、自ら率いる4つのバンド〜ユニットで約4時間もステージで歌い続けるという(勢いで予定時間を大きくオーバーしちゃったらしい)、還暦を迎えたとは思えないパワフルさ。

 毎度ライブでは手抜きなし、パワフルでエッジの立ったパフォーマンスをするピッピさんですが、それは彼本来の持ってる性分であるだけでなく、オヤジと呼んで慕ってきた勝新太郎さんから受け継いだアンリミテッドなサービス精神に根ざしたものでもあるのでしょう。

 以前に拙ブログにも少し書きましたが、そのピッピさんに数年前に偶然に(一勝新ファンとして)お会いできた機会があり、いろいろなお話を聞かせて頂いたことがあります。初対面の時は、そりゃぁビビりましたよ(笑)。私にとってピッピさんは、クールスのレコードのジャケやドラマ/映画(『警視−K』『暴力教室』とか『新幹線大爆破』..)の中の人でしたから。勝さんのマネージャーだったアンディさんから「こいつがピッピね」と紹介されたとき、「ハイ!ぞ、ぞ、存じ上げておりまス」と...多分ドモってたんじゃないかと思います。

 実は私、ピッピさんに対して初対面時に「しくじり」をやってしまいました。ちょうどその少し前にピッピさんが過去に袂を別った方々..ジェームスさんやヒデミツさんたちがやっている現在のCOOLSを観に行ったことをボソっと話してしまったら、少し間をおいて言われた言葉が、

「....あ、あれね。ウソのクールス。」

 この言葉を聞いて一瞬凍りついたのですが、ピッピさんは上下左右なく人と向き合う勝さんに直々に可愛がられてきた人だけあって、ファンには優しく初対面の私にも威圧的な態度など一切見せることなくいろいろ気さくに話して下さいました。

 クールスについての補足ですが、原宿発祥のオリジナルのクールスは舘ひろしさん(ボス)、岩城洸一さん、ピッピさんを中心にバイクチームとして結成され、その後ロックバンドとしての活動を経て舘さんが解散を宣言した後に、一部のオリジナル・メンバーが在籍する形でクールス・ロカビリー・クラブ(クールスRC)が結成され、その流れで現在のCOOLS(2013年現在も活動中)もあるわけですが、今でもファンおよび関係者の中には「舘さんのクールスだけがクールスである!」と強くこだわっている方々がいることは理解しておく必要があります。

 この辺の経緯は遠藤夏樹氏によるクールス時代のピッピさんをモデルにして書かれた小説『原宿ブルースカイヘブン』(最近、文庫も出た)に詳しいですが、どちらが正しいとかの問題ではないデリケートな部分ですし、ファンや部外者が一概に”不仲”と決め付けるべきものではないでしょう。

 余談ですが、クールスRC時代のピッピさんの後輩=横山剣さん率いるクレイジーケンバンドの初期の名曲「暴動」の歌詞、〜♪あの人の顔を立てれば♪この人の顔が立たない♪〜の下りを聴くたびに、尊敬する先輩たち=ピッピさんやジェームスさんの間で板ばさみになっては悩んでいたであろう若き日の剣さんを想像してしまいます。

 話を戻しますが、ピッピさんは現在もオヤジと呼んで慕ってきた勝さんのことをとても大切に思っていて、今でも月に一度はお墓参りをしているそうです。いろいろ貴重な話を聞かせて頂いた中で、勝さんへの愛を感じたこの言葉が最も印象に残ってます。

「オレね、オヤジ(勝さん)が『座頭市』のラストシーンとかで見せる後ろ姿、あの背中がたまんない。今でも『座頭市』の映画とか観てると”オヤジ!”って叫んで後ろから抱きつきたくなっちゃう」

 聞くところによると、ピッピさんは勝さんに出会ったばかりの若かった頃、酔った勢いで本当に勝さんに後ろから「オヤジ!!!」と叫んで抱きついてしまったらしくて、それ以来、勝さんのことをオヤジと呼ぶようになったんだとか(このエピソードは評伝『偶然完全 勝新太郎伝』にも書かれている)。

 山下達郎さんプロデュースのソロアルバムのジャケット写真をキッカケに勝さんに見出され、勝さん演じる賀津刑事の部下役として出演していた勝プロ製作のTVドラマ『警視−K』の放送打ち切りが決まったとき、勝さんはピッピさんに寂しげに語ったそうです。

「お前と毎晩飲みに行けなくなるのが、さみしいよ...」

 ピッピさんは昨年11月、ソロ・アルバムとしては第4作『Dear Cool Japan』を発表しました。1980年代のソロ・デビューから、レコーディングされたアルバムとしては約30年ぶりのソロ・アルバムとなるわけですが、その「声」や「歌」に込められたある種の情念〜その佇まいを、あえて勝さんが演じた「座頭市」シリーズのフィルモグラフィに重ねるなら、私にはシリーズ最終作の『座頭市』(1989年作品、1979年に終了したTVドラマ版から20年後に公開された)に重なってみえて仕方がありません。

 ピッピさんも長年オヤジと呼んで慕ってきた勝さんが逝去した年齢に近づきつつあるわけですが生涯現役。
 今後の活動にも注目して行きたい、It's only Rock'n Roll Do it!

(いろいろと書ききれないので次回に続きます、たぶん)  
Posted by kimlucky at 15:46Comments(0)TrackBack(0)

2012年09月26日

2012年 新カツシン研究・序説

 以前、このブログにて勝新太郎さんと生前懇意にされていた一部の関係者の方々と面識ができたという旨の話を書かせてもらったことがありますが現在も少しながらご縁はあり、先の7/29には渋谷で行われたピッピさんこと水口晴幸さん(ex.クールス、クールスRC)のライブを観に行ってきました。

 行ったその場で、勝さんの付き人・マネージャを長年に渡り務めてきたアンディ松本さんとお会いすることができ、先に勝さんの命日である6/21に墓参りをしたことを伝えると大変に喜んで下さってました。

 ピッピさんには直接お会いしてのお話はできなかったのですが(さすがに楽屋に押しかけるほどの顔じゃないので)、ピッピさんは客席フロアーにいた私を見つけて、私にだけわかるようにメッセージを送って下さいました。どういう風にメッセージを送ってきたか...「それは秘密だ(勝さんの声色で)」ということにさせて下さい。

「おお、今日はよく来てくれた。いつもオヤジ(勝新太郎)のことを大事に思ってくれていて、ありがとうな!」...というピッピさんの心の声が、確かに私には聞こたのです。

 それにしてもステージに立つピッピさんはいつも通りパワフルで全くエッジが衰えてません。この秋に還暦を迎えるようには全く見えません。流石!生涯現役!!、横山剣さんのセンパイ!!!、シビれるぜ。



 さて、すこしばかりアンディ松本さんの話をさせて頂きます。

 眞田正典さん(元・勝プロ常務/プロデュ−サー)が勝新ファンには広く知られているのに比べると、アンディさんに関してはコアな勝新マニアの間でも知っている人は多くはなく、昨年に田崎健太さんが出した勝新評伝『偶然完全 勝新太郎伝』でメジャーな出版物としては初めて紹介されたのではないかと思います。

 しかし、『偶然完全』に書かれているアンディさんの人物描写はなんだか、私が直接お会いしてお話を聞かせて頂いてるアンディさん自身とは大きく印象が異なります。

 以前にAV監督の村西とおるさんがアンディさんのことをWEB日記に書かれていたものがあり、現在もサーバ上に存在してるようなのでリンクを貼ります。長い文章ですが中盤ぐらいに「私の知っているアンディさん」の話が出てきます。
 『偶然完全』を読んだ人ならば、同じエピソードも書かれてるのに気づくと思いますが、ニュアンスが全く異っているのがわかるでしょう(長い文章の中盤ぐらいに勝さんとアンディさんの話が書かれてます)。

【村西とおるさんの日記 リンク】

 アンディさんは勝さんが逝去した後はしばらく中国の上海で事業をして暮らしこられ、昨年から日本に戻られたのだそうです。そして何らかの形で”オヤジ”と慕ってきた勝新太郎という人物のまだまだ知られてない面を語り伝えていきたいという熱い考えを持ち続けていて、いつか本に出せるように原稿を書き続けているとのことでした。



 アンディさんが言う勝さんの「まだまだ知られてない面」とは、勝新太郎=奥村利夫という人の非常に哲学的な部分であるといいます。

 ある時、アンディさんが日々、生で聞いていた「勝新語録」に感じる哲学的な面を追及していったら、中村天風(日本に初めてインド哲学/ヨガを紹介し独自の実践的哲学を説いた人物)に辿りついたと仰ってたことがありました。中村天風と勝新太郎の語っている言葉に共通する部分を多くみつけたとのことです。

 また、勝新太郎が座頭市の殺陣で悩んでいた際、植芝盛平(言わずと知れた合気道の開祖)からある種の「極意的な教え」を授かったという話もあり(自伝『俺、勝新太郎』にサラっと書かれてる)、勝新と植芝翁が接した時間(期間)は長くないと思われますが、天才肌の勝新ですから「一を聞いて十を知る」如くに伝授/体得したであろう「氣」「心」というべきものが座頭市シリーズでの所作〜殺陣(アクション)に反映されている...という私的な直観があります。

 勝新太郎という人の演技(存在〜所作〜佇まい・・諸々)に心を揺さぶられるのはなぜか?と1ファン/1マニアとして考えた場合、あの肉体を通じて我々に見せているのはある種の「心のあり方」「心の持ち方」「心の動かし方」かもしれず、まず「心」ありきで肉体が後を追うように動いているのではないか?、それが例え映画というフィクションであっても、ある種の「氣」の動きと連動した肉体の動きを見せているのかもしれない...という捉え方。

 中村天風や植芝盛平という人たちについて調べ始めると、神秘めいた伝説的な話がいろいろ出てくるので、追えば追うほど深みにハマり真相が見えなくなる面もあるのですが(植芝翁は大本教の出口王仁三郎ともつながりがある)、1つの可能性として考えられるのは勝新太郎という人は洋の東西問わず、近代以前から人間が持っている「普遍的な感覚」を持ち合わせていた、そういう「ある種の極意的な情報」に無意識的につながる感覚を天才的に持ち合わせた人物だったのではないか?...

 その線で追求して行くと、植芝盛平と中村天風という2人の巨人に同時に師事した「心身統一合氣道」の藤平光一という人物にたどり着きます。藤平氏は合氣道のフィジカルな技術を植芝盛平に学び、その背後(深層)にあるべきメンタルな部分=「心」の動かし方〜「氣」の出し方を中村天風に学んだという稀有な人物で、あの王貞治さんのスランプ時に直接指導し、一本足打法を生み出すキッカケを与えた人物としても知られています。

 藤平氏の説く「心身統一」の根幹にあるのは「人間は天地自然と一体」であるという思想で、こういう話になると神秘思想やオカルトめいた話として受け取られがちなのですが、それは今風の言い方をすれば、人間は肉体というハードウェアだけで動いているのではなく、「心」というソフトウェアで動いているのであって、まず「心」ありきで、「心が体を動かす」という考え方と言えるでしょうか。それも決して、俗にいう精神論や根性論に収まらない実践手段として説くところが、藤平氏の思想の奥深く興味深いところです。

 個人的な見解としては(想像&妄想も入ってますが)、この話のベクトルの向かう先は佐山サトル師(=初代タイガーマスク)の提唱する「掣圏真陰流」の根幹にある思想や、佐山師の催眠術の師匠でもあるドクター苫米地が著書や雑誌(「KAMINOGE」など)で言っている「格闘技や音楽における抽象的な情報空間をコントロールする技術」の話に、地続きに(あるいは電波的に)つながっているように思えたりもして、「まだ知られざる勝新太郎」というテーマを読み解く鍵にも思えたりするわけですが...

 現時点で経験/体験を伴わない言葉で語るのは難しいし誤解も生じるので、この辺はもっと考察&洞察が必要...



 勝新太郎という人物に関して世間に流布している情報は大まかに分けると2種類あり、1つは最近では吉田豪さんあたりが面白可笑しく紹介する「大スターの破天荒&豪快伝説」的なもので、もう1つは春日太一さんの著書などにより注目されつつある「クリエイターとしての勝新」を真面目に再検証するものに分けられるでしょう(勝新語録に哲学者ニーチェの言葉を重ねた市山隆一氏の『私論・勝新太郎』も重要)。

 その「破天荒な大スター」「前衛的なクリエイター」というそれぞれの面は勝新太郎=奥村利夫という人物が世間に対して見せてきた姿であり、その「間」を補完する情報をすくい上げる役割を果たしてきたのが、根本敬さん&湯浅学さんの名盤解放同盟での勝新レポートであったというのが、私の個人的な見解です。その「間」の部分にはまだまだ知られてない未知の言語化できない「ある種の情報」が膨大に隠されている気がします。

 それは「隠されている」という言い方よりも、「目の前にあった」のに「気づけなかった」というのが適切かもしれません。今、改めて勝新太郎が作り上げた作品や残した言葉から、今まで気づかれず埋もれていた部分に光を当て、言語化してみたり、感じてみたりするという作業は大きな意義があり、普遍的であるが故に終わりのない、今後の勝新研究の私的なテーマになってきています。

 勝新太郎という人物は、世間一般の尺度で物理的/経済的/唯物的な観点からみれば、映画制作の事業には頓挫し、経営的に破綻した人なのかもしれません。真似のしようのない破天荒/天衣無縫な生き方をした部分だけが大きく取り沙汰されがちではありますが、その宇宙観/世界観/人生観/人間観〜「心の持ち方」「心のあり方」には学ぶべきことも多くあるはずで、受け取る人によっては混迷するこの世界で明日も生きる希望をもつキッカケにもなり得るはず、というカツシンが...

...もとい確信があるのです。
あ、つまんないダジャレ言っちまった。  
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2011年07月09日

カツシン不在の勝新イズム

110709_1 去る6月21日は勝新太郎さんの命日でした。

 勝さんが亡くなって今年で14年目、生きていれば80歳....ということを、実は私も忘れかけてたりするのですが、例によって生前の勝さんと親交のあった赤坂・田賀のマスターから「命日は勝さんを偲ぶ日にする」という旨の連絡を頂き、6月21日にお邪魔してきました(※ 赤坂・田賀に関しては拙ブログのここら辺ここら辺を参照)。

 当日に行ってみたら、勝さんのマネージャー&付き人を務めてきたアンディさんに、ドラマ『警視K』で共演もされ深い関係にあったミュージシャンのピッピさん(元クールス)をはじめ、生前の勝さんと関係の深かった方々が来られていまして、その呑みの席に恐縮しつつも「勝新愛」ひとつを胸に抱いて同席させて頂きました。

 あくまで一勝新ファンがプライベートな呑みの席にたまたま同席させてもらったという話なので、何でもかんでもここに書いていいはずはありませんが「勝新太郎という稀有な天才が残した作品や哲学を語り伝えて行きたい」という人たちがいて、それに深く共鳴している人間(私)がいることを叫ばずにはいられません。

 そこら辺の気持ちは追々、拙ブログ&サイトで再びテーマにして取り上げて行こうと思ってますが、そんな気持ちで日々を暮らしていると「勝新太郎の不在」にも関わらず、なぜか「そういえばあの時カツシンを感じたような気がした」という感覚(妄想/錯覚)が起こったりするものです。

 それは湯浅学さん(幻の名盤開放同盟)が表現した「勝新は山であり川であり海である。否、道が勝新であり山が勝新であり海が勝新であり・・・(中略)・・・太陽が勝新なのである」という勝新原理主義の境地までに至りはしないものの、アントニオ猪木信者が日常と非日常の境目に「アントニオ猪木的なもの」を見出してしまう性(さが)に近いものかもしれません。



『マチェーテ』 勝新度☆☆
110709_4 昨年公開されたR・ロドリゲス&E・マニキス監督、ダニー・トレホ主演の『マチェーテ』ですが、劇場に観てる最中になぜか『座頭市('89)』での勝新太郎の印象がよみがえってきてました。

 『マチェーテ』は豪快にエロス&バイオレンスをフィーチュアした娯楽傑作で、大ナタや刃物でバッサバッサと敵を斬り倒す様や、兇状持ちで組織に追われるアウトローの身でありながら巨悪に立ち向かって行く様は当然、座頭市チックではあるのですが、実は一番勝新イズムを感じるのはジェシカ・アルバ演じるヒロインへの態度なのでした。

 ここで、ピッピさんが仰っていた勝さんにまつわる印象的な言葉を紹介させて頂きます。
「最後に撮った座頭市('89)での樋口可南子と共演してるときや、TV(座頭市「冬の海」など)での原田三枝子と共演してるときの市って、相手のことが好きなのに手が触れそうになる寸前で止めるだろ。あれがいいんだよ、あれがオヤジ(勝さん)なんだよ」

 本当に大切で愛しい相手には気安く触れない、ワイルドな風貌に似合わずジェントルなマチェーテに勝新〜座頭市的なものを感じながら観てたのですが...ラストシーンで覆されました(笑)。ま、いいか。ハリウッド映画なんだし、座頭市でなくマチェーテなんだし。

 『マチェーテ』のラストシーンを観たとき、いっそのこと「このままトレホ叔父貴とジェシカちゃんが結婚してくれないなかぁ」と思いましたよ。そうなれば21世紀版のブロンソン&ジル様のような「男の夢」を感じさせてくれて素敵だよなぁ....(妄想)



『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』 勝新度☆☆☆☆☆
110709_2 この映画自体、素晴らしすぎて劇場で見終わった後はよくわからなくてボンヤリしてたのですが、後からジワジワと思い出しては泣けてくるという、一撃必殺でない三年殺し的な魅力を放つ作品です(拙ブログのこの辺も参照下されば..)。

 ジョニー・トー監督の映画の撮り方は一応、アウトラインとなる脚本はありながらも現場で思いつきや成り行きまかせで撮り進めてストーリーを作って行ったり、細かい演技指示やストーリーの背景説明なしに俳優に演技させてそこから出てきたものをストーリーに反映させたりもするという手法を行うそうなんですが、これって伝え聞いてきたところでの映画監督としての勝新太郎の手法に非常に近いです。

 それとジョニー・アリディの圧倒的な存在感。フランスでは国民的なロックスターなのだそうですが、日本で言ったら内田裕也さんにショーケンやジュリーを足して、更に3を掛け算したような存在なのかと思います。映画の冒頭で登場したダンディな佇まいは横山剣さんか!勝新か!!という男っぷり。

110709_3 それとアンソニー・ウォンです。もともと香港俳優の中ではバタくさい顔のウォン様ですが、この作品ではあらゆる矛盾や葛藤、シロクロのつかないアンビバレントさを一身に背負う役どころで、その「顔」がですね....『警視K』や『顔役』での現代劇での勝新太郎に重なって見えて仕方がありません。

 更に特筆すべきはジョニー・トー監督作品ならではの男同士の友情....誤解を恐れずに言えば精神的なホモ寸前の男同士の絆なのですが、いろんな話を聞いたり読んだりしてきた限り、勝新太郎という人もこの辺の感覚を非常に大事にする人だったと思う。ここでアンディさんが仰っていた勝さんにまつわる印象的な言葉を紹介させて頂きます。

 あるとき、勝新太郎が話した言葉。
「男が女にする嫉妬、女が男にする嫉妬、男が男にする嫉妬....いろんな嫉妬があるけれど、一番コワいのはどれだと思う?」
「男が女にする嫉妬でしょうか...」
「....ばかやろう、男が男にする嫉妬だよ」


 勝さんという人は上下左右なく誰にでも気さくに接して相手を気遣う人だったのだそうですが、その中でもまた「男と男」の間でしか通じ合えない繊細な感覚も人一倍鋭敏だったのでしょう。『兵隊やくざ』シリーズでの田村高廣さん演じる上等兵殿との絶妙なコンビネーショ&チームワークも、その土台の上に成り立っていたのだ思えば改めて納得。

 まぁ、いろんな意味であちらこちらに「勝新イズム」が匂ってくる作品なのでありますが、勝さんが生きていたらジョニー・トーと一緒に映画作ってほしかったと切に思う。80歳の勝新太郎が上海〜香港〜マカオを股にかける映画なんて、想像しただけでたまんないものがあるよなぁ....
  
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2010年06月19日

『座頭市 THE LAST』、終わりというより始まり以前

 さて、ようやく慎吾ちゃんの『座頭市 THE LAST』を観た話でもさせて頂きましょうか...

 勝新&座頭市マニアを名乗ってきている私ですが、かつて北野武監督版『座頭市』の公開時には観に行く前に10日前ぐらいかけて「心の準備」をしました。あの作品に関しては「座頭市と呼ばれたもう一人の男の話」「たびたび出現したニセモノの座頭市の中で最強の部類」という見方をしています。

 それにはちゃんと根拠がありまして、DVD等で観る機会があったら確認して欲しいのですが、あの映画の劇中でビートたけし演じる「座頭市」は一言も「私は市です」とか「オレが座頭市だ」とは発してなくて、「盲目」で「居合の達人」である彼をみて回りの人間が、「座頭市だ!」と騒いでいるだけなのです。劇場公開時に「おや?」と思い、TV放映時に再確認したので間違いありません。

 その辺は恐らく「本家・勝新版」には絶対に敵わないことを悟りきった北野監督の確信犯的な戦法で、わかる人にはわかるようにサインを送っていたのだ...私の妄想かもしれませんがそのように確信しています。

 今回の慎吾ちゃんにしても、『ICHI』での綾瀬はるかちゃんにしても、アイドル俳優を起用して「座頭市」を演じさせること自体に否定的な見方があると思いますが、個人的にはそういう部分はむしろ好意的に見てます。
 プロレスで例えるなら、長州小力に対して今どき「長州力をナメるな!プロレスをバカにするな!」と怒るプロレスファン(&元ファン)は少なく、むしろ「長州力が、プロレスが好きなんだなぁ」「もっと世間に発信してくれ。頼む!」と思う人の方が多いだろうことに似ています。

 そういう意味ではむしろ『〜THE LAST』と題してシリーズ(?)を終わらせることの方に疑問を感じていて、オマージュでもパロディでも「もっとやってくれ!」と思っているぐらいです。その辺の気持ちは梶原一騎・原作劇画で例えると、「あしたのジョー」や「巨人の星」が今の時代においてはアナクロなギャグとして取り上げられたりしながらも、作品として語り継がれてジョーや飛雄馬の「魂」が人々の心を震わしているように「伝えてくれ」と。

 しかし、今回の『座頭市』で映像作品化を「終わり」にしてほしいと望んだのは原作者の遺族サイドの要望らしいのですが、(情報源はたまたま買った「映画芸術 No.431」の阪本順治監督のインタビュー)実はこのことが今回もっとも「なんだかなぁ..」と思っていることだったりします。なにか嫌なことでもあったのでしょうか。


100619ichi 例によって長い前置きをしてしまいましたが本題、『座頭市 THE LAST』。

 慎吾ちゃんの一生懸命さや、作品全体に漂うある種の真摯さに押されて、いいところを探そうと頑張ってみましたが「リアルな座頭市の話」を通り越して、「座頭市になれなかった男の話」にしか思えないのが今現在の正直な感想です。

 ヒーローものをリメイクする場合の方向性としては、継承〜継続/再構築/脱構築(否定)/原点回帰...と、いろいろな選択肢があり得るわけですが原点(原作)に回帰し過ぎてしまい、「ヒーロー未満」=「限りなく普通の人」に近い話だったとでもいいましょうか。もちろん、その描き方ならではのいいところもあります。

 しかし、普通の人に近いからといって必ずしも共感できるということではないのですよ。座頭市をお約束的なヒーローとして描かなかったのは明らかに阪本監督の意図したことのようですし...確かに「この手で来たか」「この方向性があったか」とは思いましたけど。

 この作品でも市は大変な試練に遭うわけですが、試練を乗り越えられませんでした(私にはそう見える)...乗り越える力はあったと思うんだけどなぁ。何がしかの思いを遂げて(あるいは遂げられずに)死んで行く主人公の登場する映画は過去にもいろいろありますが、この作品に関しては「堅気のコミュニティに属することのできないはぐれ者には孤独な死があるだけだった」という後味の悪さの方が日増しに大きくなってくる感じです。その辺を確信犯的に狙ったのだとしたら逆に凄い人ですよ、阪本順治監督という人は。

 しかし今にして思えば、あのような試練/修羅場を乗り越えて生き延びてもなお、笑顔で他人に優しくできるのが本家・勝新版の最大の魅力でもあり、その境地に至るまで(冥府魔道の住人になる以前)が大映「座頭市」シリーズの初期四部作だったわけで、シリーズ第四作『座頭市 兇状旅』のラストシーンの勝先生の演技が不思議な感動を呼び起こすのは、そういうものを全て一人で背負う覚悟が表れていたからだったと...

 改めて勝先生がいかに天才であったかを思い出させてもらったので、そこらへんはまた旧作品を見直して考察してみようと思います。だって、もう新作映画なんかしばらく見たくないし(笑)。


追伸:
 実は慎吾ちゃんは大好きなんですよ。あんな弟がいたら頼もしいというか、あんな息子がいたら自慢したいというぐらいの感じには。心からお疲れ様、と言いたいです。

 それと、三池崇史監督&哀川翔さん主演の舞台版『座頭市』は限りなくナチュラルな角度で大映「座頭市」シリーズに向き合っていたのだなぁ...と。松平健サマの舞台版『座頭市』は残念ならが未見。  
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2010年01月31日

宇宙の片隅で「勝新!」を叫ぶ(たぶんそこが中心)

 「勝新太郎という人は豪快な一方で、とてもシャイで繊細な人だった」

090705ks02・・・というのは、勝さんが最晩年まで懇意にしていた「酒場 田賀」(現在は赤坂にある)のマスターから何度か聞かせて頂いた言葉です。ちなみに以前「田賀」を訪ねて書いた拙日記はこちら。

 勝新太郎といえば「昭和」という時代を代表する大映画スターであり、数々の破天荒でシビれる武勇伝や伝説が(最近では吉田豪さん経由で?)知られていると思います。尾ひれがついてデフォルメされてはいても、その多くは勝さん自身が世間に向けて演じて見せた姿なのでしょう。しかし、その一方では非常にシャイで繊細な面も持ち合わせていて、お店に来た他のお客を細やかに気遣っていたのだと。

 思えば「豪快な人たらし」のイメージのある「勝新太郎」という人物を表現するのに「シャイ」という言葉が出てきたのをあまり聞いたことがないような気がします。
 しかし、最近読んだ松田美智子さんによる評伝『越境者 松田優作』で数行だけ、優作さんの葬儀で会った勝さんの印象が「破天荒なエピソードの数々が信じられないほどシャイで、思いやりがある」旨で書かれたのを読んでも全く「勝新太郎のイメージ」に対するブレは感じませんでした。

 よく考えればそれは当たり前のことで、映画やドラマの中での勝さんは「シャイ」な演技だってしていたじゃないか、と。観ている方はそれを「演技」だとはわかってはいても、「演技」には思えなくなる....いや、「演技なのか演技でないのか?」がわからなくなっていたのは勝新太郎自身ではなかったのか?

tensai_katsu 改めて最近、そう思うようになっているのは先日発売された役者・勝新太郎の評伝『天才 勝新太郎』(春日太一著 文春新書)を読んだからでしょう。

 著者の春日太一さんは『時代劇マガジン』で昔からのTV/映画の時代劇のスタッフや職人さんへの丁寧な取材記事を書いてる方ですね。余談ですが『時代劇マガジン』のバックナンバーはほぼ全部持っております。

 リンク先の紹介文にもあるように「勝新太郎」というと破天荒で豪快な伝説が数多くある一方で、クリエーターとしての非常に繊細な部分を持ち合わせていたということを過去資料や関係者取材から検証した丁寧なルポルタージュとなっております。

 ファンやマニアによる想像&妄想まじりの文章(それはそれで面白いのですが)ではなくて、事実関係を足を使って当事者・関係者に確認してルポルタージュとしてまとめるということの重要さ...それも「勝新太郎」というテーマ故に情報量が上下左右かつ縦横無人の多方向に膨大であっただろうことを考えると気が遠くなってしまいます。一勝新ファンとしてご苦労を労い感謝を申し上げます。

100124k 読んでみて改めて思ったのは、「勝新太郎」という一人の人間の中に、作品クオリティを全てコントロールしたいという矢沢永吉的な部分、演技と映画のあるべき姿を追求するあまり孤立してしまう松田優作的な部分、面白さを追求するあまり結果的に周囲の人間を振り回して迷惑をかけてしまうアントニオ猪木的な部分....およそ全ての天才/カリスマの苦悩が集約されているということでした。

 それとずっと勝先生の側近を務めた真田正典さん(勝プロ常務取締役/プロデューサー)や中村努さん(脚本家)のエピソードの数々は涙なしに読めません...というか泣けましたよ。最後の『座頭市(1989)』の撮影エピソードは壮絶...狂気スレスレの才能故の苦悩の数々。コ●インでちょっとぐらい息抜きさせてあげてもいいじゃないか、とさえ思ってしまいます。


 しかし、こうやって書いていながらいつも思うことなのですが「勝新太郎」に関してはいくら書いても足りない/書けてないと思えてなりません。それは「シロウトだから文章を書くスキルが足りない」ということもあるのですが、それよりも「勝新の映画を、ドラマを、何でもいいから目で耳で心で感じてくれ!」と叫びたいような気持ちになってしまうからです。

 それと赤坂の「酒場 田賀」のマスター&ママさんを本日(1/31日)の「さんまのスーパーからくりTV」の取材VTRで拝見しました。ご無沙汰してるのでご挨拶に伺わないと.......きっとですね、勝さんが呼んでるんですよ(妄想)。  
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2009年07月05日

勝新太郎 十三回忌に想う

090705ks01 本日は石原裕次郎さんのド派手な二十三回忌イベントが話題になってましたが(余談だが私も裕次郎さん十三回忌イベントに出かけ混雑でヒドい目に遭った経験あり)、去る6月21日は故・勝新太郎さんの十三回忌でした。

 別に「俺は忘れてないぜ!!」とか声高に叫ぶつもりもないのですが名画座等での特集上映の話も聞こるわけでもなく、聞こえてくるのはSMAPの慎吾ちゃんを使って「座頭市 THE LAST」と題してのシリーズ最終作を作るという話....どうせやるのなら毎年、お盆と正月に劇場用の新作を永遠に「座頭市」を作り続けて欲しかったりするくらいです。

 プロレスに例えるなら、お笑い芸人が昭和の時代から活躍してきたプロレスラーの物まねをすることで、「本物」を知らない世代にその素晴らしさを伝えるのと同じこと....と好意的に捉えようとしてはいますが、そんな亜流の作品一本でシリーズが終わらされるほど本家・勝新太郎の「芸」はヤワなもんじゃありません。

 先日の三沢光晴さんの逝去後に、プロレスファンの一部では「憧れのヒーロー」を今一度自分の目で観ておきたいと再びプロレスの大会会場を訪れる人たちが増えつつあるという噂も聞こえてきますが、生きてるうちに見ておくことの大事さを改めて痛感しているところです(見る側と見られる側の双方にとって)。

 そのような意味において勝新太郎さんは私にとって「生きているうちに一度は直に見ておきたかった」ヒーローの一人でした。


090705ks02 生前に見ることはできなかったのだからせめてお墓参りでも、と思い勝新マニア有志にて都内某所にある勝さん(&若山富三郎さん)のお墓に参ったりしてるうち「そういえば勝さんの行き着けだったタカという居酒屋がTVで紹介されてたよな」という話になり、そちらも是非訪れてみねば...という経緯で以降、時々お邪魔させて頂いてるのが勝さんと最晩年まで懇意にされてたマスターのお店「田賀」(タカと読む)です。

 諸事情で六本木にあった店を閉店し、今年3月末に赤坂に「酒場・田賀」として移転オープン。挨拶に伺おうと思い続けながらもタイミングを逃しつつ、ようやく勝さんの十三回忌にかこつけてお邪魔してきました。通常は日曜はお休みなのですが、6月21日は特別に営業日でした。

 上記に書いたように、田賀のマスターは以前に何度か勝さん関連の番組でTVに出たり映ったりしたことのある方で、元々はサックス奏者で水原弘さんと興行で回ったり、赤坂「ニューラテンクウォーター」をハコに演奏してたり、という方です。
 それとWikipedia等のネット情報や、新装文庫版『俺 勝新太郎』巻末の吉田豪さんのあとがきに出てくる「勝新とB'z稲葉が出会った居酒屋」というのが旧「六本木・田賀」。

 例によって勝新マニア有志(自称「勝新友の会」)のメンバーから今回は2人で...というか私と一緒に行った人や店に居合わせた勝新ファンはみんな友の会メンバー、と私が言ってるだけなのですが、当日は雨のせいか客足が鈍く結果的に完全貸切状態となっておりました。

 それでもマスター&ママさんは快くサービス。勝さんの在りし日の思い出や、オフレコにせざるを得ない当事の六本木の芸能・裏話など話して下さいました。その中で印象深い話をいくつか紹介。

【突然乱入!勝新太郎ディナーショー】
 以前に田賀の身内・知り合いでのパーティーがあった際、突如!勝さん登場。
 場内のヴァイブ(氣)をがっちり掴んだ勝さん、その場で歌って語っての即席ディナーショーが始める。居合わせた誰もが「お金出したらウン万円もする勝さんのディナーショーが見れるなんて」と感激して帰っていったそうなのですが、勝さんはお礼のお金など受け取りもせず、逆にお祝儀を何枚も置いていったという、ごっつい男前な話。
 そのときの勝さんの写真はお店に飾られてあります。

【勝さんと田宮二郎さん】
 『悪名』シリーズで共演してた頃の話。プライドが高くてすぐ天狗になってしまう癖のある田宮さんに対し、勝さんは何度か堪忍袋の緒が切れて破門・絶縁を言い渡したことがあるそうで、そういうときに田宮さんは勝さんの親友の水原弘さんに泣きつくように「なんとか言ってとりもって下さいよ」と頼み込むものの、おミズさんも「俺からは..言えないなぁ」というやり取りで夜は更けていったと。これってそのまんま映画の中の朝吉&清次の関係を思い起こさせますね(笑)。


090705ks03 とにかく勝新太郎さんという人は上下左右なく他人と触れ合い、豪快な一方で繊細&シャイな一面を持ち合わせた人だったそうです。

 というわけで、十三回忌だろうが何だろうが勝新太郎の宇宙への扉はいつ何どき誰でも受け入れるべくそこに開き続けているのですから、「座頭市」でも「兵隊やくざ」でも「悪名」なんでもいいので機会があったら気軽にDVDレンタルでもして楽しんで頂きたいものです。。

 それと赤坂のお店「酒場・田賀」の方もちょっとだけ宣伝。
 赤坂見附駅から歩いて5分、永田町駅から歩いて10分弱。  
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2008年08月31日

奥村兄弟:語り継がれるべき伝説

367aebb7.jpg 廣済堂文庫から勝新太郎先生の自伝『俺 勝新太郎』、山城新伍さんが若山富三郎&勝新太郎の両先生の思い出を綴った『おこりんぼ さびしんぼ』が発売されました。大変に喜ばしいことであります。

 両方ともオリジナル(初版)の単行本を持ってますが、今後も新装版が出る度に買い続けますよ。みうらじゅんさんがボブ・ディランのレコードをジャケの印刷やシールが違うだけでも買ってコレクションするのと同じです。

 この本の素晴らしさを改めて伝えるべく本を開くと...ついつい読みふけってしまい収集がつきません。とにかく心ある人に読んで欲しい、と。
 2冊とも今回の文庫化に当たって今やタレント本の随一のオーソリティーである吉田豪さんが推薦&解説されてるのですから間違いないってもんでしょう。

 なお、『おこりんぼ さびしんぼ』に関しては巻末の吉田豪さんによる解説にも説明されている通り、浅草キッドの水道橋博士が著書『本業』の中で「今まで読んできたタレント本の中でベスト」と述べた上で、当時に単行本が絶版になっていたことを憂いてたのが晴れて文庫化されることになりました。

 とにかく一人でも多くの方に読んで(興味が沸いたら作品も観て)頂きたく、この駄文を書いているわけでありますが、自分自身も若山&勝兄弟の未見の作品の追跡をしようと気持ちも新たに思い立ったところであります。  
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2008年05月27日

裸の大将〜座頭市〜心の琴線

1a6d003b.jpg 先週の土曜、ドランクドラゴン塚地さん版の『裸の大将』シリーズ第二弾をを録画したのを観てました。

 『座頭市』といえば勝新太郎先生のものであるのと同様に、『裸の大将』といえば芦屋雁之助さんのものと思ってる私ですが、塚地さん演じる山下清も大好きなので今後も期待しております。

 で、塚地さん版『裸の大将』第二弾ですが泣けました....というとちょっと誤解されそうなのでどの部分に泣けたかを説明せざるを得ません。大人の事情でバラバラに暮らしている家族が再開〜和解する話なので、世間一般的に「泣ける話」ではありますが、私が泣けたのはそことはちょっとズレていて...

 長い間、母親と別れて暮らしていた子供を母親に会わせにいった裸の大将ですが、母親が「今はまだ一緒に暮らせない」とドアを閉めて閉じこもったのを見て突然踊りだす。舞台である神話の地=宮崎にちなんで、天岩戸に閉じこもった女神(アマテラス)がアメノウズメの踊りにつられて外に出てきたという伝説の話を思い出して「ここで踊れば出てきてくれるかもしれない」と言って踊りだす。
 この「悲しい場面でアホなことをする」というのにグラグラっと...はい、泣けました(笑)。

 これを見て思い出したのが勝先生の『座頭市 兇状旅』のラストシーン。
 物語はどうにもやりきれない〜やるせない結末を迎えるのですが、去っていく座頭市が遠くから聞こえてきた祭囃子に合わせて踊り出すというシーン。昔、これを見てボロ泣き(笑)したのを思い出しました。

 悲しい場面でこっけいなことをするのがなぜ泣けるのか?
 なぜだかわかりませんが、この先ずっとわからなくてもいいような気がします。  
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2007年12月17日

哀川翔 『座頭市』

89a3783e.jpg 演出:三池崇史、主演:哀川翔の舞台版『座頭市』(昼の回)を観に新宿コマ劇場に行ってきました。

 勝新ファンであるが故に、観るまではいろいろ思うところ、期待&不安の入り混じった感情がありましたが.....よかった!!
 大映での初期『座頭市』シリーズで勝先生が確立したスピリットをしっかりと捕らえて舞台化していたように感じられて、素直に感動しました。

 ライバルの剣豪役の遠藤憲一さんも良かったなぁ。酒びたりで市と情を交わす様は第一作『座頭市物語』での平手造酒(ひらてみき)、ヒロインを巡る三角関係は『座頭市と用心棒』での三船先生...的なキャラを好演。それでもエンケンはいつものエンケン.....翔アニキもいつものブレのない翔アニキでありながら「座頭市」...ひょっとしたら自分は「いわゆる一つの奇蹟」を観たのではないだろうか....今になってそうも思ったり。

 来週からは大阪公演。出演者の皆さんが無事によい舞台を演じられるよう、祈ってます。  
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2007年11月11日

勝新が唄う「千の風になって」

26b06477.jpg 東京都内・某所の勝新太郎&若山富三郎の両先生が眠るお墓にファン有志にて参ってきました(2年ぶり)。
 その後は勝先生が生前にご贔屓にしてた六本木の「多賀」へ。

...なぜか今、謎のヒット曲「千の風になって」が浮かんできています。勝先生はお墓に眠っているのか??

♪わたしのお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません、眠ってなんかいません.....千の風になって大きな空を吹き渡り、光になって畑に降り注ぐ、鳥になってあなたを目覚めさせる。星になってあなたを見守る....

 なんと言いますか「千の風」の詞が勝先生が生前に語っていた「電気菩薩様」のように思えてきました(「俺、勝新太郎」より)。
 今、私の心に聞こえてくる「千の風になって」は秋川雅史さんでなく、勝新太郎先生のアノ声なのです。

 あ、うしろでお兄ちゃん(若山先生)も唄ってるぞ...(妄想)  
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2007年06月24日

勝新太郎を偲ぶ

2762e0ae.jpg 池袋の「新文芸座」で「天衣無縫 勝新太郎」=勝先生の特集上映(6/16〜6/29)に行ってきました。

 本日の上映は「やくざ絶唱」/「不知火検校」の人間のダーティな面を勝先生が熱演した2本。
 また、以前に大阪のシネ・ヌーヴォで田中徳三監督の特集上映があった際に出版された「RESPECT田中徳三」も入手しました。監督ご自身のことや勝先生に雷サマの映画の裏話も読める大映ファンには嬉しい一冊です。

 今年は勝先生の没後10周年ということでTV「たけしの誰でもピカソ」でも勝新特集やってました。「今だから話せる秘話!」として玉緒さんが話したのが、結婚して娘さん(真粧美さん)が生まれたときに初めて運転免許を取ったと.....それまで無免許で運転してたと(笑)。

 嗚呼...違法だけどなんかイイ話ですね。  
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2007年05月27日

勝新太郎 特集上映

 池袋の新文芸座にて6/16(土)〜6/29(金)に勝新太郎の特集上映が行われます。 

 「座頭市」「悪名」「兵隊やくざ」の3大シリーズの他には、「不知火検校」「やくざ絶唱」「鯨神」「鬼の棲む館」「燃えつきた地図」「顔役」「破れ傘 長庵」「まらそん侍」「迷走地図」「ど根性物語 銭の踊り」「待ち伏せ」「無宿〈やどなし〉」が上映されます。

 あぁ....仕事サボって観てたいですよ。  
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2007年05月05日

市川雷蔵を偲ぶ

raozo 現在、池袋の「新文芸座」「市川雷蔵 変幻自在」=雷サマの特集上映が行われてます(4/28〜5/18)。

 日頃、「勝新リスペクト」を語ることは多い私ですが、実は時代劇に夢中になったキッカケは雷サマの『眠狂四郎』シリーズだったのですよ。

 本当に雷サマは憂いを秘めた役、今日ではアナクロ(時代錯誤)ともいえるストイックな役が似合います。わかりやすく言うと「ルパン三世」の石川五ェ門的なキャラという感じです。今時こういう雰囲気を出せる役者さんていないでしょうね...

 アニメ版「ルパン三世(1stシリーズ)」の五ェ門登場のエピソードは明らかに雷サマの『忍びの者』へのオマージュで、五ェ門のキャラ造型も「市川雷蔵ぐらいの二枚目が勝新太郎レベルの居合斬りをしたら」みたいな部分から行われた節がありますし。

 6/16(土)〜29(金)は勝新太郎先生の特集上映が行われる予定とのことです。  
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2007年01月22日

TV版「座頭市」DVDボックス第一弾

aa33fbc3.jpg 勝新ファンとしては待望のTV版『座頭市物語』DVD、ついに出ました。ついに出ました、と思わず2度も言いたくなるほど嬉しいです(笑)。

 もう、こんな駄文で説明不要なほどの名作なのは言うまでもありませんが、TVドラマとは思えないほど丁寧に作り込まれてるのに改めて驚きます。何もしないで一週間ぐらいずっと見ていたい...そうも行きませんがね。

 ところでこのDVDの発売元に「斎藤エンターテイメント」とあります。ひょっとして北野武さんのお話に出てくる(「座頭市」リメイクを薦めたという)、「斎藤のママ」さんでしょうか。本当にもう、この素晴らしい作品をリリースして下さって感謝致します。

 こればっかりは例え何があっても全シリーズ買い揃えますよ!!(興奮気味)。  
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2005年10月30日

お墓参りと携帯電話紛失事件

dfdc69cc.jpg いろいろ成り行きで昨日は都内某所にある若山富三郎&勝新太郎の両先生のお墓参りをしてきました。学校では教えてくれないことを映画やドラマで教えてくれたお礼をするとともに、両先生のロウ人形を新たに作る決意を致しました。

 で、昨日はこの歳にして初めての携帯電話を買ったのですが、今日なくすという事態になっております。買ったばかりの携帯なくしたぐらいでガタガタ騒ぐな、という勝先生からのメッセージを電波受信致しました。  
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