しかし私個人的には、裕也さんが世間(マスコミ)からスキャンダルで叩かれてるのを見ると、青臭い人たちが反社会的なイメージでカッコいいとか言ってるのとは別の意味で、誰が何と言おうと弁護して庇いたくなってしまいます。それは裕也さんという人が映画の分野において俳優として、製作者として素晴らしい仕事もしてきた実績があるからに他なりません。
恐縮ながら裕也さんの話を引き合いに出させてもらったのは、晩年(1990年代)の勝新太郎さんについても同じような状況があったからで、例えば私が「勝新太郎という人は日本映画において素晴らしい仕事をしてきた人だ」と言っても、やれ「麻薬所持はけしからん」とか「もうパンツは穿かない」とか「玉緒さんが可愛そう」とか...勝新映画の話そのものをさせてもらえない。今でもある世代以上の理解のないオッサンやオバハンに勝新太郎の話をすると、この始末(苦笑)。
勝さんが亡くなって今年で十七回忌を迎えるわけですが、もうそろそろ作った映画作品そのもので語られてほしいと思っているところ、最近ファンになったという若い人と話す機会がありました。その若者はメディアが報じた事件やスキャンダルの先入観なしに、レンタルビデオ屋で「座頭市」シリーズを直感で選んで観て感動したとのことでした。そういう若者がいることを嬉しく思うと同時に、新たに気を取り直して語り継いで行きたいと思う次第です。
眞田正典さん(勝プロ常務/プロデューサー)が広く勝新ファンに知られているのに比べると、アンディさんはコアな勝新マニアにもあまり知られてはおらず、(2013年現在)ネットで検索してもある程度以上細かく書かれた記事はAV監督の村西とおるさんの書いた過去の日記(注:2013年6月時点では削除されたようだ)と、私のこのブログぐらいしか出てこないというぐらい情報は少ないです(私がプライベートなところに書いた日記を、心ない人が勝手に変なとこにコピペしたのもある)。
彼の名が勝新マニアにも殆ど知られてないのは、マネージャーとして勝新太郎を立てることが何よりも第一という、裏方にのみ徹してきたからとも言えますが、最近では2011年に出た勝新評伝『偶然完全 勝新太郎伝』(田崎健太 著)でメジャーな出版物での文章としては初めて紹介されたのではないかと思います。
しかし『偶然完全〜』でのアンディさんを紹介する文章パートは実際の人物を知ってる視点で読むと中途半端(悪く言えば雑)に感じる部分があり、あの本を読んだ人には「歴代の勝新太郎マネージャーの1人」ぐらいの印象しか与えてないのではないでしょうか。
そんなわけで、僭越ながら私が改めてアンディさんの人となりについて補完すべくお伝えしようという次第です。
そんな彼が若かりし日、いろいろ思うところがあって会社を辞めようと思ってた際、上司から「送別会をやるから何か希望はあるか?」と聞かれたので、どうせ最後だから我がまま言ってやろうと思い「京都の高級クラブ”ベラミ”でやってくれ」と言ったら、渋い顔しながらも「ベラミ」で送別会をやってくれることになったそうです。
そして、その送別会の日のクラブ「ベラミ」において、たまたま来ていた勝新太郎との運命的な出会いがありました。トイレ行くのに席を離れた時に偶然に勝さんに会ったので、すれ違いざまに「大ファンです!」と告げ、握手をしてもらった際「あとで一緒に飲もう」と言われ、周囲の知人から「そんなの社交辞令だろ」と言われながらも真に受けて、勝さんの所に言ったら快く酒席に迎え入れてくれたのが事の始まりです。
勝さんの最初の言葉「お前、いい眼をしてるな。目は化粧できないし、(目が語る)心は演技やメーキャップでも隠せないんだよ」という殺し文句を言われる(いろんな評伝を読むと、勝さんはこの言葉を氣の合いそうな初対面の人間には時々言ってきてるようだ)。
それで観光会社を辞めようと思ってることや、英語や外国語が得意で海外との折衝/交渉の業務経験のあることを伝えると勝さんに「じゃぁ、俺のところにこないか?」「お前が座頭市を外国に売ってみろよ」と口説かれます。
例によって、周囲からは「酔った席での社交辞令だろ」と冷笑されながらも、真に受けたアンディさんは東京に帰ってから連絡のある約束の日に電話の前でじっと待っていたそうです。夜になっても連絡が来ないので、やっぱり冗談か社交辞令だったのか...と思って諦めかけた頃(夜の11時を過ぎていた)、電話が鳴ったそうです。勝さんの事務所の人から今すぐに来てほしいとの連絡がありました。
高まる鼓動を抑えながら、勝さんの待っているクラブ(確か、ラテンクォーターだったか..)に行くと、勝さんは何人かの関係者に向かって「こいつがアンディです。よろしくお願いします」と、まるでアンディさんが既に身内の人間であるかのように関係者&スタッフの方々に丁寧に紹介してくれたそうです。
居合わせた関係者の中には勅使河原宏さん(勝さんが自ら監督作品を作るようになるキッカケと影響を与えた芸術家/映画監督)もいたそうなので、勝さんの映画で言えば『燃え尽きた地図』の公開後〜1970年以後...勝プロ創立初期〜中期の頃になるでしょうか。アンディさんが30歳の頃の話。
京都での運命的な出会いから以後20余年に渡って、最晩年まで勝新太郎の付き人&マネージャを務めることになります。事実は小説より..もとい映画よりも奇なり。
(1)勝さんは高級クラブで呑む時はいつもホステスやボーイやスタッフ全員に1万円のチップを上げていた(それとは別に店の支払いはツケ払い)
(2)チップのお金を用意して配るのはアンディさんの役目だった
(3)ある時、アンディさんが1万円のチップを5千円で配ってしまったことがあった
(4)そしたら勝さんから(人のいないところで)大声で叱られた
(5)勝さん曰く「俺はスター気取りの見栄でチップを出してるんじゃない、世間のことや人間のことを学ばせてもらってる授業料として差し上げているんだよ」
私が思うに、アンディさんから聞いたこの話を他人に伝える時の大事なポイントが2つあります。1つ目は勝新太郎が常人には想像できない次元&視点でものを考る人であったこと、2つ目はアンディさんがこの出来事を通して勝新太郎という男に改めて惚れ直したこと...なのですが『偶然完全〜』の文章からは後者が全く伝わってこないのです。
恐らく『偶然完全〜』の著者もアンディさんから、私が聞いてるのと同じ「温度」でいろいろなエピソードを聞いているはずと思うのですが、その辺のニュアンスが抜け落ちてしまっている上に、他の部分でのフォローもないので、読者には「男として惚れ込んで最後まで仕えた人」ではなく、「勝プロで雇われた歴代の付き人/マネージャーの1人」ぐらいの印象にしか伝わらないでしょう。
この評伝はクリエイターとしての勝新太郎の「作品論」ではなく、人物の素顔の魅力を伝える「人物論」に位置づけられると思うのですが、「人物の魅力」を伝える材料としては最高の部類であろう、執筆対象の人物に惚れ込んで晩年まで仕えた人物を取材してるのにその辺が表現されてない部分を中途半端〜非常にもったいないように感じてしまうわけですよ。
(話ついでに言わせてもらうと、この著者は概ねの勝新ファンが共通認識として持っている勝新太郎作品の魅力・面白さがあまりわかってないようにも思いますが、著者と勝さんしか知らない事柄=一般ファンにとっての新事実を伝える部分には感謝してます...まぁ、この日記は書評ではありませんので)
素顔の勝さんと親しく懇意にしていた人たち(具体的にはアンディさん、ピッピさん、田賀のマスター&ママ)からいろいろ聞いてきた話から察すると、勝さんに可愛がられた人はみんな「自分が一番可愛がられてる」「自分が勝新太郎の一番弟子」だと思っちゃう部分があるようで、これは巷でよく言われるように勝さんが「人たらし」だったというだけでなく、実際に一人一人の友人/知人に対して真正面から誠実に向き合う人だったようなのです。
勝さんのことをオヤジと呼んで身の回りの世話をしていたアンディさんもその例に漏れず、いろいろと人間として男としての薫陶を受ける日々を過ごしていたわけですが、それ故に他の関係者から嫉妬されることも幾度となくあったらしいです。ある時、勝さんがアンディさんにこう語ったそうです。
勝さん:「アンディ、男と女の間の嫉妬、男同士の嫉妬、女同士の嫉妬
いろんな嫉妬があるけれど、どれが一番コワいかわかるかい?」
アンディさん:「えーーと....男女の間の嫉妬でしょうかね」
勝さん:「..ちがうよ。男が男にする嫉妬が一番タチ悪くてコワいんだよ」
男からも女からも惚れられる勝新太郎だからこそ言える、含蓄のある言葉です。
とにかく私からは、アンディさんという人は勝プロが倒産した時や麻薬所持疑惑などのスキャンダルで世間から叩かれてた時も、ずっと傍で仕えて支え続けてきた人であるということを、あえて強く伝えておきたいのです。
1997年、出会って以来から男として惚れ込んできた勝さんが亡くなった時には「後を追ってこの世から去ろうか..」とまで考えてしまうほど落胆&絶望して思い詰めてしまったそうです。そんな時に生前の勝さんが「アンディ、自殺なんかするんじゃないよ」と言った言葉を思い出して我に返ったのだと..
勝さんがアンディさんに「自殺なんかするんじゃないよ」と言ったのは、その時点で既に10年以上も前のことで、何気なく話している時に全く脈絡なく発した言葉に聞こえたため、ずっと気にも留めてなかったそうなのですが、そのとき急に思い出したのだそうです。曰く「オヤジ(勝さん)はオレの性質を見抜いてて、いつかこんな状態になるのをわかった上で、あの時に先読みして伝えたのかもしれないな..」。
さすがに勝新太郎という人が予知能力で未来を見通していた..とまでは言いませんが、勝さんは人並み外れて人間に対する洞察力や直観力を持っていた部分があって、考えていることを言い当てられたり、ウソや隠し事を見抜かれたりすることがしばしばあったそうです。この点に関して勝さんは(合氣道や古武術で言うところの)「氣を感じる」/「氣を配る」ことができたのではないか?という私的な見解があるのですが..いささかオカルト方面に誤解されそうな話に脱線するので、割愛します。
アンディさんが勝さんの話をするときに発している「氣」は、とにかく「俺は誰よりもオヤジ(勝さん)が大好きなんだ!」「男として惚れ込んでいるんだよ!」という、テレパシーなどの超能力がなくても感じられるものです。
そんなアンディさんですが、勝さんが逝去した後の十数年は中国の上海で事業をして暮らしてきたのですが、数年前に日本に帰ってきてお仕事をされています。そして長年に渡り、側近を務めてきた勝新太郎という希有な人物のことを後世に語り継いで行きたいという熱い気持ちを持ち続けていて「付き人/マネージャから見た勝新太郎伝」を世に出すべく原稿を執筆中なのだそうです。
「勝新太郎の語り部」の役を引き受けるのも、男として惚れ込み、オヤジ(=育ての親)と慕ってきた勝さんへの恩返し..「僭越だけど、そんな氣がしてる」..と、遠くを見つめて語る彼は、勝新太郎という不世出の人物が墓場まで持って行った秘密の一端を一番近くで垣間見た人間の一人なのであります。
さすがに聞かせて頂いたお話の全てを一度には書き切れませんし全ては書けませんが、今後も伝えられる範囲でテーマを決めて伝えていこうと思います。実際に間近に傍にいた人から聞く、尾ヒレが付かない勝新伝説は他のファンの皆さんと共有すべき財産だと思いますので。