数学というよりもむしろ算数、算数というよりは九九のお話
とあるところで雑談をしていたときのお話。小学校の算数の話から九九の話になったんですよ。いんいちがいち、いんにがに、の九九ね(いや他にないから)
ある方がおっしゃるには「七の段が難しい」とかいうんです。
いやいや、九九に簡単も難しいもなくて呪文のように覚えたじゃないですか。それがその方はどうも六の段までは覚えたんですけど七の段は覚えるのが嫌になったんだと。
で、どうしたか。
七の段の時はひっくり返して考えればほぼ答えがでる、と導き出したとのこと。
「は?」ですが本人は至ってまじめ。
だから、7×6は「しちろくよんじゅうに」と覚えるんじゃなくて
6×7と同じだから「ろくしちよんじゅうに」と脳内でひっくり返す
いやいやいやいや、しちろくよんじゅうにで行こうよ。なんでわざわざ引っくり返してろくしちよんじゅうにに直して計算するかな。
でも彼女はこうも言っていました。
「7×7はどうしても覚えなくてはいけなかった」そらそやろ。
彼女は仲間をよんだ
そんな話を先日してて、昨日その話を別の人がいるときにしたんですよ。「わざわざひっくり返して九九を考えるんだって!」って。
そしたら話に混ざったもう一人の子が「それ、私だけじゃなかったんだ」えええ?
まさかこの広い世界で「ひっくり返して掛け算をする族」の人を二人も同時に見つけることが出来たとは・・・その子も7の段から覚えるのが嫌になったそうな。
確か僕が小学校2年生のとき、掛け算をならったんですが、1の段から覚えていって全部ちゃんと覚えられるまで繰り返し繰り返しやりましたよね?
それとか隣の子とこんな風に数字をランダムにタテヨコに書き込んだものを交換して誰が早く九九を書き込めるか競争したりして。数字と数字がぶつかるところに答えを書いていくんですよ。
僕はそろばんを1年生のときから通ってたから学校の九九なんて余裕だったんだけどね(その余裕から結局数学は苦手になったのはここだけの話、でもない)
そういうのをみっちりやらなかったのかな、その年代の人達は(どの年代かはプライバシー保護のためここに書くことが出来ません)
思考に生まれるタイムラグ
7×6=42って計算する人と「7×6は6×7だから42」って考える人では思考スピードって変わる気がするんですよね。そういえばインドの人って九九が20×20まであるっていうじゃない。地方によっては100×100まであるんとか。
じゅうななじゅうよんはにひゃくさんじゅうはち!とか言いにくいわ!!!
(17×14は238らしいんですけどそういうことじゃない)
でも記憶してしまうことで数字の計算は間違いなく早くなるでしょうね。僕なら電卓を手に取るかスマホの電卓アプリを起動してるあいだに思い出せちゃうんだから。
そうか、それならもしかするとインドの人からすれば僕の計算もひっくり返す族のように「九九までしか言えない族」みたいになってるのかもしれない。
でもこれはちょっと覚えられそう無いなあ。
ところで数学のことで質問
これ、誰に聞いても教えてくれないんですが、高校の時に数学の先生にならった公式の暗記なんですが・・・
「サイコはサイサイ」
「ココはココ」
この2つ。僕の記憶ではサイン、コサイン、タンジェントのやつ(三角関数?)の公式を覚えるためにこんな呪文にして覚えさせられた記憶があるんですが・・・
これ、なんですか?(笑)
サイコはサイサイの「サイコは」はサインとコサインのような気がするんですが、「わ」が和のことだとすると「サイン+コサインは」サイサイなわけです。
うむー全然思い出せないんだ・・・息子に聞くと「そんな公式は絶対にない」というし。もしかすると30年前に絶滅した太古の公式の末裔かもしれぬ。
ココはココ、もコサインとコサインの和がココ、だったような気がする(余計わからん)ほら、たまにいるじゃないですか、数学が得意だった人(いやめっちゃいるっちゅうねん)
僕の30年ほどの疑問、説いて頂けると嬉しいんですが・・・もしや記憶違い?