2006年10月13日

第二次朝鮮戦争前夜だった1994年

 北朝鮮が核実験を行ってしまった今、思い出されるのは1994年の事である。

 核開発を行う北朝鮮に対し、クリントン政権が開戦を真剣に検討した時期があった。それに水を差したのがカーター元大統領であった。クリントン大統領、国務省、国防総省の意向に反して訪朝したカーター氏は核開発の凍結と査察受け入れを北朝鮮に約束させた。強引なスタンドプレーではあったがおかげで戦争が回避され、カーター氏は一躍英雄となった。

 しかしながら、その北朝鮮が先日核実験を行った。こうなってしまうと、結局カーター氏がした事は何だったのかという話になるのは当然である。結果論を言えば、カーター氏が戦争回避に尽力した事によってアメリカは北朝鮮に核開発の時間を与え、その間国際社会は様々な経済援助を行い……要するに各々の意図はどうあれ、世界中で北朝鮮の核武装を手助けしたも同然の12年間だった。核武装という目的が長期的に見て正しいかどうかは別として、その目的遂行の為に世界中を踊らせた北朝鮮は相当なものである。

 もし1994年に第二次朝鮮戦争が起きていれば、今頃は「朝鮮半島の統一国家」の復興も相当進んでいたのではないか。この12年間に北の体制維持に使われた経済援助、そして韓国が北朝鮮と対峙するために費やした、そして今後も費やすであろう莫大な国防予算と人的資源。これらのリソースを全て復興と発展に費やす事が出来たなら……

 もっとも1994年当時の日本は、現在の日本と違って未だ平和ボケの直中にいた。「ジャパンパッシング」の時代でもあった。そんな時に第二次朝鮮戦争が起きていたら、日本はまともな軍事的貢献など出来るはずもなく、湾岸戦争の時と同様に国威を大きく下げるだけだっただろう。だからあの時戦争が回避されたのは、日本にとっては良かったと言えるかも知れない。
 しかしそれも、今後北朝鮮の核兵器や工作活動を封じ込める事が可能かどうかに懸かっている。

 北朝鮮が核武装を自国の安全保障の核心と見ているのは明らかであり、過去の例から見ても、平和的な話し合いでこれを放棄させるのは不可能だろう。だからといって核を保有する国を武力攻撃するのは極めて危険である。それに北朝鮮の通常兵器にしても、国境を接する韓国にとって大変な脅威であり、何しろ首都ソウルは北朝鮮の弾道ミサイルや長距離ロケットの射程距離内である。よほどうまくやらない限り、ソウルは開戦後即座に火の海になるだろう。

 話し合いでも駄目、武力攻撃も難しい。そうなると北朝鮮の脅威に対して我々が出来る事は、まずは北朝鮮の体制を援助するような活動の阻止、そして地道な国防力の増強である。弾道ミサイルの発射態勢を把握する為の無人偵察機導入、MD(ミサイル防衛)開発、危機に際しての警報と国民避難体制の整備等々、重要課題は山積している。



banner2.gifブログランキングへの応援クリックをお願いします
posted by amano at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/25413205
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。