2016年05月18日

『 運』いろいろ


 今回は、ノンフィクション作家工藤美代子氏の「絢爛たる悪運 岸信介伝」である。

 岸氏の活躍の様はみなさまご存じの通りであり、また、岸氏関係の本は数多く刊行されており、工藤氏もそれらを元に書かれているので、ここで云々はしない。

 小生がこの著書を読みながら「ほー そうなんだ」と思ったところをご紹介する。

一点目は、岸氏が生まれた長州の人材についてである。維新後、氏が生まれた頃は、政治の舞台では、長州閥が全盛であった時代である。

 しかし、山口県の不思議なところは、信介氏誕生前後だけを見ても、市川正一、野坂参三、神山茂夫、宮本顕治(日本共産党)などがいる。 岸氏は、自分たちが吉田松陰や久坂玄瑞、高杉晋作の流れをくむ主流だと信じていたところ、野坂参三氏が岸氏に反論して曰く、「後継主流は、革命的な我々の方が正統だ」と。

 岸氏は「・・・しかし、彼らのいうことにも一理あるんだよ。明治維新の頃の歴史においては、同じ長州ですから両方とも同じような考えを持っているんではないかと思うな・・・」とあまり気にすることもなかったという。
 なお、難波大助(無政府主義者、摂政宮狙撃犯)も山口県だという。

 二点目は、岸氏の弟の佐藤栄作夫人寛子さんの話として、佐藤夫妻は三島由紀夫の母の平岡倭文重氏と昵懇だったという。夏の軽井沢では、よく会っていたらしい。
 そのまま引用させていただくが=「寛子が語る三島の母との思い出として「ある時、私が(寛子氏)倭文重氏に『ご令息はどうして軽井沢にいらっしゃいませんの?』とお尋ねしましたところ、『いろいろ思い出が多すぎるからでしょう』と意味ありげなお答えが帰ってきました」
 皇太子殿下と美智子様が軽井沢のテニスコートでであったのは前年の昭和32年8月だった。
 『三島は、一説によると、当時美智子さんとお見合いをしようとして失敗したとされている』=引用終わり。 三島氏だからあり得るかも。

 皆さんは浜田マキ子氏なる名前に記憶がないだろうか。わからなければ「浜田卓二郎氏」なる名前は覚えがあるのではないか。
第三点目は、この浜田マキ子氏についてである。顔は、誰が見ても安部洋子夫人そっくり、立ち居振る舞いから、目鼻立ちまでにており、血が通い合っているといわれても不思議ないと思えたという。
 浜田マキ子氏には福田赳夫氏も言葉遣いから応接に至るまで待遇が並でなかったという。

 加えて、浜卓二郎氏が、埼玉で衆議院選立候補する時は、浜田氏の出身は鹿児島であり、埼玉では何のゆかりもなかったが、あっさり公認され、引退した岸氏が、応援演説に行ったという。なお選挙活動中なぜか「岸の隠し子」説は表面化しなかったという。
 その後の話も書かれているが割愛する。

 4点目は、岸第一次内閣で田中角栄氏を郵政大臣に抜擢し、第2次岸改造内閣で福田赳夫氏を農林大臣にしたが、好きだったのは福田氏で、後継争いで田中氏が福田氏を破ったとき、岸氏は、安倍洋子氏に「総理というのは、他の大臣と違って、誰でもなれるというものではない。田中は優秀だが、人には向き不向きがある。彼が総理になるようじゃ、日本の国は大変なことになるよ。田中は、湯気の出るような金に手を突っ込む。そういうのが総理になると、危険な状況を作りかねない」と、言ったという。

 この話を引用した安倍洋子氏の「わたしの安倍晋太郎」は、1992年の発行されており、田中氏存命中であったので本当の話かも知れない。昭和の妖怪だもの、そのくらいは言うだろう。

 なお、「悪運」については、著書を読んでいただこう。
娘婿の安倍氏は、道半ばで倒れ「不運」であったが、さてお孫さんのウンは、幸運、不運、開運、衰運、武運のどれだろう。
posted by てんてん at 05:35| Comment(0) | 読後感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: