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【首都圏】

水俣病と歩んだ半生 本に 熊本の「語り部の会」会長・緒方正実さん

「10年かかったが、満足できる本になった」と話す緒方正実さん=東京都千代田区で

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 熊本県水俣市立水俣病資料館の「語り部の会」会長・緒方正実さん(59)が「水俣・女島の海に生きる わが闘病と認定の半生」を、「世織書房」(横浜市)から出版した。3月に東京都内で出版記念会があり、出席者と記憶の継承を誓った。 (石原真樹)

 緒方さんは一九五七年、水俣湾に面した女島(現芦北町)の漁村に生まれた。水俣病が公式に確認された翌年だ。実家は網元。朝昼晩と刺し身を食べていた。祖父は五九年に急性劇症型水俣病で死去、同じ年に生まれた妹は胎児性水俣病だった。一時、患者運動の先頭に立ち、著書「チッソは私であった」で知られる緒方正人さんは叔父にあたる。

 緒方さんは幼いころよだれがひどく、感覚障害など水俣病とみられる症状があった。だが、差別を恐れて患者の認定申請はしなかった。初めての認定申請は九七年。医療費の補償が受けられる制度の適用を求めたところ非該当とされ、「行政に切り捨てられた」と感じたのがきっかけだった。申請は何度も棄却され、患者と認められるまで十年もかかった。

 著書では、県とどのようなやりとりがあったかなど、認定申請の過程を詳細に記した。体が弱かったため妹と一緒に小学校にバス通学したことや結婚に際して妻と交わした会話など、個人的な内容も明かした。水俣病から目を背けていた自分こそが水俣病を差別していたと気づき、反省したことなども正直に書いた。

 「水俣病の被害にあった私が背負わされた役割だと思う。自分の道のりを世の中に言い残して、問題にぶつかっている人に、解決への材料として差し上げたい」

 現在は手足のしびれなどの症状があり、一日に薬を二十五錠服用している。それでも「(原因企業の)チッソも行政も許す」と言う。「被害を受けるとまず恨み、憎んだりする。でも一生そのままでいいのか。恨んだその先に、許しという抜け道もあることを知ってほしい」と力を込める。

 著書の出版社は横浜にあり、編者は「東京・水俣病を告発する会」のメンバーら。首都圏からの支援で本が完成したことに、出版記念会で緒方さんは感謝を述べた。「水俣病は失うことばかりではない、得ることさえある。それは出会い。みなさんに出会えて素晴らしい人生です」

 著書には認定申請時の資料や、二〇一三年の水俣条約国際会議でのスピーチ、同年の「全国豊かな海づくり大会」で天皇、皇后両陛下に行った講話なども収録した。四六判、三百四十四ページ。二千七百円(税別)。問い合わせは、世織書房=電045(317)3176=へ。

 

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