雪崩死亡事故から1週間 専門家に依頼し規模や速度を調査へ
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栃木県那須町で登山の訓練をしていた高校生らが雪崩に巻き込まれ8人が死亡した事故から1週間、警察の検証などで、生徒たちは身を隠す樹木が少ない標高の高い場所で、160メートルにわたって流れ下ってきた雪崩に襲われたことがわかっています。警察は、さらに生徒たちが被害に遭った状況を解明する必要があるとして、今後、専門家に依頼し、雪崩の規模や速度などを詳しく調べる方針です。
先月27日の朝、栃木県那須町の茶臼岳で、7つの高校の山岳部の生徒らが雪をかき分けて進むラッセルの訓練中に雪崩に巻き込まれ、大田原高校の生徒ら8人が死亡し、40人がけがをしました。
これまでの警察の検証で、雪崩は茶臼岳の「天狗鼻」と呼ばれる付近で発生し、少なくとも長さ160メートルにわたって流れ下ったことがわかっています。
また、救助の際の状況から、8人が亡くなった大田原高校の班は、身を隠す樹木が少なくなる標高の高い場所で雪崩に巻き込まれたものと見られています。
警察は、さらに生徒たちが雪崩に巻き込まれた状況を解明する必要があるとして、今後、冬山の災害などの専門家に調査を依頼し、雪崩の幅や長さ、それに流れ下った速度などを詳しく調べる方針です。
警察は、こうした専門家による調査結果などを踏まえて、ラッセル訓練を行った判断は適切だったのかや、安全管理に問題はなかったのかを調べることにしています。
これまでの警察の検証で、雪崩は茶臼岳の「天狗鼻」と呼ばれる付近で発生し、少なくとも長さ160メートルにわたって流れ下ったことがわかっています。
また、救助の際の状況から、8人が亡くなった大田原高校の班は、身を隠す樹木が少なくなる標高の高い場所で雪崩に巻き込まれたものと見られています。
警察は、さらに生徒たちが雪崩に巻き込まれた状況を解明する必要があるとして、今後、冬山の災害などの専門家に調査を依頼し、雪崩の幅や長さ、それに流れ下った速度などを詳しく調べる方針です。
警察は、こうした専門家による調査結果などを踏まえて、ラッセル訓練を行った判断は適切だったのかや、安全管理に問題はなかったのかを調べることにしています。
救助隊員 当時の状況を語る
雪崩が起きた現場近くにある栃木県那須町のスキー場には、2日、事故当日に救助にあたった民間の山岳救助隊が訪れて献花台に花を手向け、救助を行った当時の状況を語りました。
民間の山岳救助隊「那須山岳救助隊」の高根沢修二副隊長は、「多くの優秀な若い人が亡くなり、本当に残念です。当初、遭難した場所はスキー場だと聞いたので、ゲレンデの中だと思いながら現場に向かいました。まさかあんなに上の方にいるとは思いませんでした」と、当時の状況を振り返りました。
そのうえで、当時の現場の天候について、「生徒たちが登り始めたあと、天候が急激に悪い方に変化したのかもしれませんが、われわれが現場に行った午前10時半ごろには、吹雪になっていました」と述べました。
そして、雪の中から助け出した人のうち、比較的症状が軽い人から順番にブルーシートにくるんで下山させたということです。また、別の隊員は救助活動を行うにあたっては、雪崩の危険性がないか、雪の状態を調べる「弱層テスト」を行ったということで、「当日、現場近くで雪の状態を調べる『弱層テスト』をしたら、雪崩の危険度が高い状況だとわかりました。訓練を行うと決めたのは間違いだったと思います」と指摘しました。
民間の山岳救助隊「那須山岳救助隊」の高根沢修二副隊長は、「多くの優秀な若い人が亡くなり、本当に残念です。当初、遭難した場所はスキー場だと聞いたので、ゲレンデの中だと思いながら現場に向かいました。まさかあんなに上の方にいるとは思いませんでした」と、当時の状況を振り返りました。
そのうえで、当時の現場の天候について、「生徒たちが登り始めたあと、天候が急激に悪い方に変化したのかもしれませんが、われわれが現場に行った午前10時半ごろには、吹雪になっていました」と述べました。
そして、雪の中から助け出した人のうち、比較的症状が軽い人から順番にブルーシートにくるんで下山させたということです。また、別の隊員は救助活動を行うにあたっては、雪崩の危険性がないか、雪の状態を調べる「弱層テスト」を行ったということで、「当日、現場近くで雪の状態を調べる『弱層テスト』をしたら、雪崩の危険度が高い状況だとわかりました。訓練を行うと決めたのは間違いだったと思います」と指摘しました。
亡くなった教員の通夜
雪崩事故で亡くなった大田原高校の教員、毛塚優甫さん(29)の通夜が2日夜に栃木市の葬儀場で営まれ、学校の教え子や友人などが次々と訪れ、毛塚さんの死を悼んでいました。
参列者によりますと、この中で毛塚さんの父親は、「優甫はかけがえのない宝でした。高校の教諭は楽しい、生徒と話すのは楽しいと言っていました。忙しくても充実しているようでした」と話したということです。
また、生徒の代表が「部活動が終わったあとも遅くまで働いている姿を見て、『大変じゃないですか?』と聞くと、『生徒のためなら大変じゃないよ』と言っていたのが印象に残っています」と、思い出を語っていたということです。
参列者によりますと、この中で毛塚さんの父親は、「優甫はかけがえのない宝でした。高校の教諭は楽しい、生徒と話すのは楽しいと言っていました。忙しくても充実しているようでした」と話したということです。
また、生徒の代表が「部活動が終わったあとも遅くまで働いている姿を見て、『大変じゃないですか?』と聞くと、『生徒のためなら大変じゃないよ』と言っていたのが印象に残っています」と、思い出を語っていたということです。