福島県内の3町村 一部地域除き避難指示解除
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東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県の浪江町と飯舘村、それに川俣町の山木屋地区に出されていた避難指示が、31日に一部の地域を除いて一斉に解除されました。来月1日に解除される富岡町を合わせると、避難指示が出ている区域の面積は、最大時の3分の1まで縮小することになります。
政府は、宅地などの除染が終わり生活環境が整ったとして、31日午前0時、福島県の浪江町と飯舘村の、放射線量が比較的高い帰還困難区域を除く地域、それに川俣町山木屋地区に出していた避難指示を解除しました。
対象となる住民は、3つの町と村を合わせて2万2000人余りで、このうち浪江町は1万5000人余りと、これまでに解除された自治体で最も多くなっています。
内閣府によりますと、この3つの町と村で、帰還に向けた生活再建のための準備宿泊を登録している人は1300人余りで、避難指示の解除が進んでも放射線や生活環境への不安から多くの住民のすぐの帰還は見通せていません。
原発事故に伴う避難指示は、多いときで福島県内の11の市町村に出されましたが、これまでに、田村市、川内村、楢葉町、それに帰還困難区域を除く葛尾村と南相馬市で解除され、今回で8つの自治体で解除されたことになります。
来月1日は、富岡町の大部分でも避難指示が解除され、福島県内に残る避難指示区域は、大熊町と双葉町をはじめ7つの市町村の帰還困難区域など、合わせて369平方キロメートルとなり最大時の3分の1まで縮小します。
対象となる住民は、3つの町と村を合わせて2万2000人余りで、このうち浪江町は1万5000人余りと、これまでに解除された自治体で最も多くなっています。
内閣府によりますと、この3つの町と村で、帰還に向けた生活再建のための準備宿泊を登録している人は1300人余りで、避難指示の解除が進んでも放射線や生活環境への不安から多くの住民のすぐの帰還は見通せていません。
原発事故に伴う避難指示は、多いときで福島県内の11の市町村に出されましたが、これまでに、田村市、川内村、楢葉町、それに帰還困難区域を除く葛尾村と南相馬市で解除され、今回で8つの自治体で解除されたことになります。
来月1日は、富岡町の大部分でも避難指示が解除され、福島県内に残る避難指示区域は、大熊町と双葉町をはじめ7つの市町村の帰還困難区域など、合わせて369平方キロメートルとなり最大時の3分の1まで縮小します。
福島県内の避難の状況は
福島第一原発の事故で、福島県内では、多いときで11の自治体に避難指示が出されていましたが、3年前の4月に田村市都路地区で、10月には川内村の一部の地区で解除されました。さらに、おととし9月には、楢葉町で、役場とすべての住民が避難していた自治体としては初めて解除され、去年は6月に葛尾村の大部分と川内村の残りの地域、7月には南相馬市の小高区など大部分の地域の避難指示が解除されました。
今回、浪江町と飯舘村の帰還困難区域を除く地域、それに、川俣町山木屋地区が加わり、8つの自治体で避難指示が解除されたことになります。
政府は原発事故による福島県内の避難指示について、帰還困難区域を除いて、今月までの解除を目指してきましたが、来月1日の富岡町の解除も合わせると、ほぼ実現されることになります。
一方、避難指示の解除が進んでも、放射線や生活環境への不安などから多くの住民のすぐの帰還は見通せず、戻った住民の割合は今月初め時点で、楢葉町で11.1%、葛尾村で8.8%などとなっています。
県や復興庁のまとめでは、避難を続けている人は今月27日時点で、7万7000人余りに上っていますが、1年前に比べるとおよそ2万人減っていて、避難先での定住や災害公営住宅への入居も進んでいると見られます。
戻って来る住民が限られ、十分な税収なども見込めない中、避難指示が解除された自治体は、今後も生活基盤の整備や住民サービスの維持、それに高齢化や人口減少への対応など、多くの課題で難しいかじ取りを迫られることになります。
今回、浪江町と飯舘村の帰還困難区域を除く地域、それに、川俣町山木屋地区が加わり、8つの自治体で避難指示が解除されたことになります。
政府は原発事故による福島県内の避難指示について、帰還困難区域を除いて、今月までの解除を目指してきましたが、来月1日の富岡町の解除も合わせると、ほぼ実現されることになります。
一方、避難指示の解除が進んでも、放射線や生活環境への不安などから多くの住民のすぐの帰還は見通せず、戻った住民の割合は今月初め時点で、楢葉町で11.1%、葛尾村で8.8%などとなっています。
県や復興庁のまとめでは、避難を続けている人は今月27日時点で、7万7000人余りに上っていますが、1年前に比べるとおよそ2万人減っていて、避難先での定住や災害公営住宅への入居も進んでいると見られます。
戻って来る住民が限られ、十分な税収なども見込めない中、避難指示が解除された自治体は、今後も生活基盤の整備や住民サービスの維持、それに高齢化や人口減少への対応など、多くの課題で難しいかじ取りを迫られることになります。
浪江町の課題
浪江町は福島県沿岸部の双葉郡にあり、役場を含めた町の広い範囲が福島第一原発から20キロの範囲に入っています。
震災前は漁業や商業が盛んで、当時の人口は2万1000人余りと、双葉郡の8つの町と村の中で最も多く、200以上の店があった中心部の商店街は多くの人でにぎわっていました。
浪江町は6年前、地震と津波、原発事故という複合災害の被害を受け、182人の死者と行方不明者が出たうえ、国や東京電力から原発の情報が十分届かない中で、すべての住民が全国各地に避難しました。
その後、町は避難指示の解除を目指して、除染やインフラの復旧を進め、飲食店や生鮮食品の販売店が入る仮設の商店街、それに、新しい町立の診療所を役場の近くに設けるなど、帰還する住民の生活基盤の整備に力を入れてきました。
また、地元の請戸漁港では、町の外に避難させていた20隻余りの漁船が、2月に6年ぶりに戻り、コウナゴの試験的な漁も始まっています。
しかし、去年9月に行われた意向調査で「町に戻りたい」と答えた住民は17%にとどまり、52%が「戻らない」と答えていて、町は3月、多くの住民が避難する二本松市にも新たに仮設の診療所を整備し、町内と避難先の2つの診療所を運営せざるをえない状況に置かれています。
さらに今回、避難指示が解除されたあとも、浪江町は、およそ180平方キロメートルと、県内の自治体で最も広い帰還困難区域を抱えていて、町の中心部の復興や避難を続ける住民のケアとともに、残された山間部の除染や復旧をどう進めるかも課題になっています。
震災前は漁業や商業が盛んで、当時の人口は2万1000人余りと、双葉郡の8つの町と村の中で最も多く、200以上の店があった中心部の商店街は多くの人でにぎわっていました。
浪江町は6年前、地震と津波、原発事故という複合災害の被害を受け、182人の死者と行方不明者が出たうえ、国や東京電力から原発の情報が十分届かない中で、すべての住民が全国各地に避難しました。
その後、町は避難指示の解除を目指して、除染やインフラの復旧を進め、飲食店や生鮮食品の販売店が入る仮設の商店街、それに、新しい町立の診療所を役場の近くに設けるなど、帰還する住民の生活基盤の整備に力を入れてきました。
また、地元の請戸漁港では、町の外に避難させていた20隻余りの漁船が、2月に6年ぶりに戻り、コウナゴの試験的な漁も始まっています。
しかし、去年9月に行われた意向調査で「町に戻りたい」と答えた住民は17%にとどまり、52%が「戻らない」と答えていて、町は3月、多くの住民が避難する二本松市にも新たに仮設の診療所を整備し、町内と避難先の2つの診療所を運営せざるをえない状況に置かれています。
さらに今回、避難指示が解除されたあとも、浪江町は、およそ180平方キロメートルと、県内の自治体で最も広い帰還困難区域を抱えていて、町の中心部の復興や避難を続ける住民のケアとともに、残された山間部の除染や復旧をどう進めるかも課題になっています。
飯舘村の課題
飯舘村は人口6000人余りの自然豊かな村で、福島第一原発からは北西におよそ40キロ離れていますが、6年前の原発事故で飛散した放射性物質によって、比較的高い放射線量が計測され、およそ1か月後に全域が計画的避難区域になりました。
当時、村は近くの自治体で避難先の確保を図ったこともあり、近隣の福島市、伊達市、川俣町の3つの自治体に、村の住民のおよそ8割が避難しています。
今回の避難指示の解除で、帰還困難区域の住民を除くおよそ5800人が、希望すれば村に戻れるようになりますが、住民の帰還に向けては多くの課題があります。
1つは放射線への不安の解消で、住宅や農地などの生活圏の除染はほぼ完了したものの、村の面積のおよそ75%を占め村民の生活の一部だった森林については除染が行われておらず、不安の声が上がっています。
また、医療や介護の環境整備も課題で、村では去年9月に診療所が再開されましたが、戻る住民の多くは高齢者とみられ、自宅から診療所に通う交通手段の確保も求められます。
村の唯一の介護施設は人手不足のため入所者のケア以外のデイサービスや訪問介護を休止している状態で、村は近隣の自治体の事業所に参入してもらえないか調整を進めています。
さらに、住民の帰還に向けては、基幹産業だった農業の再生も欠かせませんが、現段階で営農の再開を予定しているのは震災前の4%に当たる50件余りで、再開に向けた支援策や使われない農地の保全も課題になっています。
来年4月には、村内で小学校や中学校などが再開される予定で、若者や子育て世代がどれだけ戻るかも村の将来に影響します。
ことし1月に復興庁などが行った住民の意向調査では、将来的な希望を含め34%が村に戻りたいと答えていて、帰還を望む住民が早期に戻れるよう、村は引き続き生活環境の整備を進めることにしています。
当時、村は近くの自治体で避難先の確保を図ったこともあり、近隣の福島市、伊達市、川俣町の3つの自治体に、村の住民のおよそ8割が避難しています。
今回の避難指示の解除で、帰還困難区域の住民を除くおよそ5800人が、希望すれば村に戻れるようになりますが、住民の帰還に向けては多くの課題があります。
1つは放射線への不安の解消で、住宅や農地などの生活圏の除染はほぼ完了したものの、村の面積のおよそ75%を占め村民の生活の一部だった森林については除染が行われておらず、不安の声が上がっています。
また、医療や介護の環境整備も課題で、村では去年9月に診療所が再開されましたが、戻る住民の多くは高齢者とみられ、自宅から診療所に通う交通手段の確保も求められます。
村の唯一の介護施設は人手不足のため入所者のケア以外のデイサービスや訪問介護を休止している状態で、村は近隣の自治体の事業所に参入してもらえないか調整を進めています。
さらに、住民の帰還に向けては、基幹産業だった農業の再生も欠かせませんが、現段階で営農の再開を予定しているのは震災前の4%に当たる50件余りで、再開に向けた支援策や使われない農地の保全も課題になっています。
来年4月には、村内で小学校や中学校などが再開される予定で、若者や子育て世代がどれだけ戻るかも村の将来に影響します。
ことし1月に復興庁などが行った住民の意向調査では、将来的な希望を含め34%が村に戻りたいと答えていて、帰還を望む住民が早期に戻れるよう、村は引き続き生活環境の整備を進めることにしています。
川俣町山木屋地区の課題
川俣町は原発事故のおよそ1か月後、浪江町や飯舘村に接する南部の山木屋地区が計画的避難区域になりました。
先月末時点で548世帯1156人が避難していて、このうち200人余りは町内の仮設住宅で暮らしています。
避難している住民を対象に、国などが行った意向調査では、44%が「戻りたい」と回答していて、帰還に向けた準備のための宿泊には55世帯150人が登録しています。
ただ、帰還に向けた環境は十分には整っておらず、町が復興の拠点と位置づける商業施設は、ことし6月のオープンに向け、まだ建設が続いています。
また、帰還する住民は当面、高齢者が中心になると見られ、現在、週2回の開所にとどまっている診療所の拡充など、医療や介護の整備が大きな課題になっています。
基幹産業の農業も、除染で出た廃棄物の仮置き場が農地に点在していることもあって、本格的な再開の見通しが立っておらず、町は住民に農地の管理などを担ってもらい、将来的に地域で営農再開を進めるリーダーになってもらえるよう支援することにしています。
さらに、山木屋地区と県沿岸部の浜通りを結ぶ国道114号線が、東隣の浪江町にある帰還困難区域で通行止めになっていることから、通行再開を国に働きかけて、人の行き来を増やし活性化を図りたいとしています。
先月末時点で548世帯1156人が避難していて、このうち200人余りは町内の仮設住宅で暮らしています。
避難している住民を対象に、国などが行った意向調査では、44%が「戻りたい」と回答していて、帰還に向けた準備のための宿泊には55世帯150人が登録しています。
ただ、帰還に向けた環境は十分には整っておらず、町が復興の拠点と位置づける商業施設は、ことし6月のオープンに向け、まだ建設が続いています。
また、帰還する住民は当面、高齢者が中心になると見られ、現在、週2回の開所にとどまっている診療所の拡充など、医療や介護の整備が大きな課題になっています。
基幹産業の農業も、除染で出た廃棄物の仮置き場が農地に点在していることもあって、本格的な再開の見通しが立っておらず、町は住民に農地の管理などを担ってもらい、将来的に地域で営農再開を進めるリーダーになってもらえるよう支援することにしています。
さらに、山木屋地区と県沿岸部の浜通りを結ぶ国道114号線が、東隣の浪江町にある帰還困難区域で通行止めになっていることから、通行再開を国に働きかけて、人の行き来を増やし活性化を図りたいとしています。