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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2017-04-03

羽生さんのAIに関する認識はかなり間違ってる気がする 08:02

羽生 たとえば「接待将棋」という、相手にうまく負けて喜ばせてあげるっていう研究を真面目に研究されている方もいます。接待将棋を指すのって、難しいのです。接待将棋は、基本的に相手の人がどれくらいのレヴェルで、どれくらいの将棋を指すのかを推測できないとできない。力を加減することはできるのですけど、あからさますぎてバレバレになるのですぐわかっちゃう。


AIに仕事が奪われる、みたいな話もありますが、ぼくの答えはいつも決まっていて、「接待ゴルフのような仕事は絶対なくなりませんよ」って答えるようにしています(笑)。

http://wired.jp/2017/02/14/habu-ishiyama/


そんなことないんだよ。

「相手が喜んだかどうか」という評価関数をもとに強化学習をかければ、なまじの人間よりもよほど正確な接待将棋AIが訓練できる。少なくとも理論上はね。


んで、相手が対人間の場合は試行回数にかなり時間がかかるから、「このような展開を人間は喜ぶ」という条件付けを定義してやればAI対AIでも学習できるので飛躍的に高速にできる。


その昔、通信対戦のオセロゲームを作っていたときに、プログラミングを担当した水野くんが、「いろいろなアルゴリズムを試しましたが、最終的にはランダムに打つのが一番ほどほどの強さでちょうどいいという結論になりました」と言っていたのを思い出す。


オセロの場合、ルール上打てる場所に打つと、必ず攻撃になる。そして、オセロの場合は先に集中力が切れた方が必ず負ける。だからランダムで打ってもそれほど結果が変わらないし、相手の手が予測できないからほどほどに面白い、という話だった気がする。オセロくらい単純だとコンピュータが本気出したら人間は絶対勝てない。


既に将棋レベルの話だと、電王戦ではわざとマシンにハンデをつけて興業として成立させている。それだって十分、立派な「接待将棋」でしょうが。本気でやったら勝負にナンないから、わざと非力なマシンと人間が闘うっていう最初からハンデ戦なのに。


接遇みたいなものを人間がやっていることのデメリットはメリットよりも遥かに大きいと僕は思う。

たとえばむかしは、飲み物を買うのはドリンクスタンドに立つきれいなお姉さんからだったかもしれない。そんな時代知らないけど。でも今は自動販売機で買うのが当たり前。自動販売機になったからといって購入者は満足度が減ったりしないし、むしろ値段は下がるしスピードも速い。ドリンクスタンドに並ぶより遥かに迅速にドリンクを購入する(そして摂取する)という目的を果たすことが出来る。



コンビニ店員がある日突然ロボットになっても、おそらく困ったりガッカリしたりする人はコンビニ店員以外居ない。


接遇の頂点としてひとつの形を考えると、たとえばキャビンアテンダントはどうか。

飛行機に乗る楽しみが綺麗なキャビンアテンダントの接遇にあるという人もいるだろうがむしろ少数派だ。

これが自動化されると、今より遥かに快適になるだろう。


たとえば料理をワゴンで運ぶのではなく天井に張り付いたロボットが持ってきてくれてサーブするだとかの仕組みになれば、いつでもトイレにいけるし、食べ終わった後、いつまでも身動きのとれない状態で待ち続ける必要はない。エコノミークラスでもね。CAは万が一の事故や病気のときのための保安要員としての役割もあるため、いきなり全部のCAをなくすわけにはいかないとしても、半分にできればそれだけスペースが広くなるし燃料代も浮く。



これは一流ホテルのベルボーイにもあてはまる。ベルボーイがいなくて困るのは誰か?たぶんベルボーイだ。


もちろんとはいえCAやベルボーイがいなくなるのは最後の最後だと思う。まあ既に安いホテルにはベルボーイはいないけど。


プロの棋士が居なくなって困るのは誰か?やっぱりプロの棋士だ。だからプロの棋士は必死で自分たちのレゾンデーテルを確立しなければならない。結果、頑張って人間の棋士が必要な理由を考えるから、接待将棋みたいな特殊なケースをわざわざ例に出すわけだけど、そんな程度のことが実現できないものをAIと呼べるわけがない。そして実際問題として人間の棋士がプロである必要性はどんどん薄まっている。


人間による接遇は贅沢とかんがえられる日はそう遠くないだろう。


程よい強さの相手と将棋が楽しみたければ、レベルを下げてゲームをすればいい。接待将棋なんていうのはかなり特殊な状況であるが、にも関わらずたぶんシンプルに実現できる。


最強の将棋プログラムがあったとして、中盤あたりでいきなり手をミスればいい。

しかも不自然じゃないような手で、後々相手の勝率を上げるような手を打つ。これは現行の技術でヒューリスティックに解決できる。


これはAIに接待を強化学習させるより遥かに簡単に実装できる。それがエンターテインメントとしての将棋ソフトがもともと備えている機能だ。



「AIにはこれができない」という点をことさら強調するのは、消え行く人々の断末魔だと思ったほうがいい。しかもその指摘はだいたい間違っている。


げんにクリエイターはAIという存在が空想のものではなく現実のものになりつつあることを感じてワクワクしているではないか。それはAIが出現してもクリエイティブという領域は絶対に守られると信じているからであり、おそらくそれは正しいからだ。


AIの出現によって、我々はこれから想像力を試される。いまだかつてないほど想像力が必要になる。そして想像力こそが人間が人間である理由、ホモ・サピエンスがサピエンス(賢い)と呼ばれる理由でもあるわけだ。