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微笑ましい一晩だったな。
永遠に刻むぞと息巻いて始めた54年の検証は、各部の長を列記してみたら、案外、みんな存命で元気。A谷氏も元気。記憶を辿った書き込みも、ちりばめられる事実誤認に頬がゆるむ。
聖教若手氏が支離滅裂な主張で急にいきり立ったかと思うと、そこから、仲間の身から出た錆のう○こ旋風。54年のできごとは、こんなに牧歌的だったのかと自身の記憶を疑う程だったよ。
君たちが54年を振り返るのに決定的に欠けているのは、何も記憶違いや事実誤認だけではない。反逆・退転・除名になった人間に手玉にとられた、惨めな歴史だ。
魔に学会を食破られ、師匠を守れなかった罪は重い。それには、心から賛同する。しかし、35年の歴史が証明しているのは、最も悲惨だったのは反逆・退転の輩に絡めとられ、一緒に踊った人間たちであるいう事実だ。調べてみろ。みんな見事に死んでるから。
後から「あいつは戦わなかった」などとあげつらうのは簡単だ。安全地帯からいくらでも叫んでいればいい。
しかし、54年を本当に支えたのは、砂をかもうと、泥をすすろうと、先生のつくった学会の中で戦った父・母だ。
反対に一番、卑怯な奴。それは師匠のつくった学会の中で這いつくばることをやめた人間だ。
簡単に言ってやろう。君たちが尊敬している20歳の3年後、7年後を想像してみろ。この中に3年後、7年後に責任を持てる奴がどれだけいる。
もっと言ってやろう。今の自分を見ろ。そして、このまま続けた、君たちの3年後、7年後を想像してみろ。結局、20歳も君らに退路をどんどん塞がれているんだよ。
池田先生が御元気で、池田先生と御会いする機会が少しでも残っている時に、君たちは最も遠くに向かっていくんだ。しかも、悪人としても善人としても、後世に何の名も残さない、小悪人と共にな。
それも自己責任だ。好きなだけやるがいい。
しかし、それで君たちが青春をかけてきたものは成就したのか。今も日顕はまだのうのうと惰眠を貪っている。仇はとれたのか。
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