ぷーの一日

99%、介護のグチです
ご覚悟めされい (^-^)

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いやらしいのは承知の上なので、

スルーしてくださって結構です。

 

 

 

 

 

 

ここからも繰り返しになりますが…。

 

今度は家庭内のこと。

まずは両親と妹について。

 

私はこの家族と、本当に相性が悪かったのだと

思います。

父に言われたことがあるのですよね。

おまえとは親子じゃなければ付き合うことは

なかっただろう って。

20歳前後の頃です。

 

子どもの頃はよく殴られました。

小学校6年ぐらいまでは、手を振り上げられれば

ごめんなさい! と叫んで頭を腕で覆って。

中学に入った頃からは反抗しました。

何すんのよ!! と食ってかかって、

二人で流血したり。

テニスではオール三菱でAクラスの腕前の父に

平手で殴られ、耳の上が内出血でふわふわに

なったことがあります。

高校時代にサッカーをやっていたという足で

蹴飛ばされましたしね。

 

小学校2年か3年の頃、母はきつい薬を

飲んでいて、妹を寝かしつけるのと同時に

寝てしまう日々、

父は会社から帰宅して晩酌をするのに

母が相手をしてくれない、できない。

イラついて、目の前の私を怒鳴り、

しゃくりあげる私に、黙れ! うるさい!と殴る。

泣いたら殴られる と覚えた私。

 

後年、母にこの話をしたら、

あんたは逃げないんだもの って。

さらに、こうやって子どもが父親に殴られたら

普通は、良し悪しはさておき、母親がかばう

らしいわよ、なぜかばってくれなかったの?

と尋ねたら、

だってあんたが悪いからよ

もっと殴られれば良かったのよ と。

そっか、もっと殴られれば良かったんだって。

 

 

母には、お父さんはいつも正しい とも

言われていました。

この辺の言葉が 呪いのようでもあったなぁ と。

 

 

この家庭は、どんなひどい形であれ、

私の原点なので、

父を見送り、

母をみている。

どんな関係であれ、

この家庭を否定することはできない。

 

でも、昨今の母の仕打ちの中で、

そして私も、加齢なんでしょうねぇ、

もう虐待まがいのこの関係を耐えられない。

こちらも暴れることができたから乗り越えられた。

でももうそんな元気は無いもの。。。

 

今住んでいるこの実家には修繕の跡が

いくつかあります。

私が怒りにまかせて、土壁にかかとをぶつけ、

ぼこっとあいた穴。

二階の扉から階段の踊り場に向けてものを投げ、

壁にぶつけた傷。

経緯は忘れたのだけど、そんなこともしました。

そして土壁の穴を指して、父が、

おまえがやったんだぞ、覚えておけ と。

そうだね。

でも、なぜ暴力に出ざるを得なかったか、

そこは一切考えてはくれないのかな。

 

 

前後するけれど。。。

私はやんちゃな子どもで。

静岡のド田舎にいた頃に、すぐ裏は山で、

社宅の門を出れば茶畑で。

茶畑の中を通って保育園に行き。

道端のヘビイチゴ、絶対食べるなと大人たちが

言うので食べてはいないけれど、見つめた私。

すぐ近くの中学校の中に、夕方に忍び込んだ私。

保育園のスモックを洗う時に、母がポケットを

さぐった、中から出てきたのはトカゲの干物

だったことがあったそうです。

 

消火栓に、バケツいっぱい捕まえてきた

アオガエルを詰め込んだことがあります。

指を入れるところからカエルが顔をだす、

それを指でグッと押し込んだのを覚えています。

大阪・豊中にきて、近くにドブ川があって、

靴や靴下を脱いで、その中は入っていった

ことがあります。近所のおばさんが母に連絡、

その足を家の前の道路で、バケツに汲んだ水で、

怒った顔で洗い流す母を覚えています。

小学校2年のときに叔母宅に預けられ、

膝下を泥だらけにして帰ってきたことが

あるそうです。私は覚えていないのだけど、

私は、そんな子どもでした。

手がかかったのでしょう。

だから、嫌いだったのでしょう。

 

子どもを持ってみて、

幼い頃の私の様子を振り返って、

親に構われていなかった子だったんだなと

そんなことを思いました。

勉強もね、できなかった。

これは次に書きます。

 

 

おそらくは2番めに古い記憶、

私は4階建ての社宅の4階に住んでいて、

外に遊びに出ていた、

でもトイレに行きたくなって戻ってきて、

扉を叩く。

ママ、おしっこ、 って。

チェーンをかけて扉を開ける母、

隙間の上からにらみつけ、舌打ちをする、

当時母の上の前歯には三角の金歯があって

それがキラリと光って。扉がしまる。

ママ、あけて と叫ぶけれどあかなくて、

踊り場にしゃがみこむ。もらす。

まだ自分でズボンの上げ下げができなくて

まだ3歳だったから

あの跡はどうなったのかなぁ。

 

母は妹を産む前後に体を悪くして、

別の棟の社宅の1階に引っ越しをして、

私を家に閉じ込めるようになって。

色紙と折り方の本を用意して、

しきりに折り紙をさせたがる。

社宅の敷地内に公園があって、

私はそこへ行きたい。

でも家に閉じ込められて。

母に幻聴・幻覚が出始めていた時期でした。

 

 

そんなに嫌いなら産まなければよかったのに。

「あんたは出来たから産んだのよ」

「まだ欲しくなかった」

「あんたがおなかに出来たとお父さんに言ったら

 ひどく困った顔をしていたわ。

 まだ子どもなんて欲しくなかったのよ」

「◯◯(妹)は欲しくて産んだの」

なぜそんなひどいことを言うの?と尋ねると

「だって本当のことなのよ」

 

小学校2年のときに、近くにあった中学の門の前で

私はきっと中学まで生きていなくて、

ここには来ない と思っていました。

中学はそこそこ楽しかったので高校には行ったけれど、

高校では、母に、毎月学費をもらうたびに

「このお金があればスーツが買えたのに」と

3年間言われ続けて、

我慢できずに家出をしたのが高校2年、

引き取りに来た父は怒りまくった顔をしていて、

家に帰ると、「あんたもなのね?」と

ものすごく嬉しそうな顔をした母。

家出を繰り返して病院に入れられた人ですからね。

こんな時でも、母が私を心配したことは皆無。

 

私は節目節目で、この先も生きてはいないだろうと

思い続けて生きてきて、

最後は、息子が社会人になったら と思っていたこと。

なぜ今も生きている?

 

 

 

 

 

 

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