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同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月 2日(日)23時43分32秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

如是我聞

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 2日(日)23時32分41秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/66881
投稿感謝します。

先生は、そのようなことを法華経の智慧で語られていたのですね。

本当に先生は凄いと思う。
ここまでの言葉を残してくれていたとは・・・先生。

法華経の智慧より

名誉会長: そう。ここで大事なのは、法と仏の関係です。「法」には「教え」という意味も含めて、さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
 「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
 法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。


■釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命と別のものではない。
如是我聞。
その通りです。
虚空会にて、付属されたものが何であったのか。
ある時、ありがたいことに、虚空会に同座していたことを思い出した。
けれど、どうしても何を付属されたか思い出せなかった。
それを大聖人は、御本尊として顕わしたのだけれど。結局、その御本尊様とは何か。
何を顕わしたのか、その法とは何なのか
そして、ある時、悟った。

■釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、ということと考えられる。
如是我聞。
その通りです。
戸田先生が、獄中の悟達より、仏とは生命なりと悟られた。
そして、家の御本尊の相貌を拝され、一字一字、拝され、その通りだと、言われたという。
僕もまた。同じ。
確かに、虚空会で付属されたもの。
それは、師匠の生命そのものであった。
そして、我が胸中に、師匠の生命は躍動し、太陽の如く、我が生命の中心で輝き。
そして我が生命の隅々までを照らす。
その我が身の生命を、顕わすなら、まさに御本尊の相貌となることに気が付いた。
御本尊とは、自身の生命。御本尊は、師匠の生命は、ここにある。厳然とある。
これが歓喜の中の大歓喜。

■法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的には、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師として悟りを開いたのです。

如是我聞。
その通りです。
胸中の先生の声。御本尊の声。その想いは確かに感じています。
道は明らかです。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/37105

再掲します。

私は生きる。
後継の弟子が顕れるまで、生きて生きて生きるのだ。
それは、胸中の先生との誓いである。
広宣流布の未来、それは後継の君たちにかかっている。
その未来を見届けるまで、たとえ体が朽ちるとも、私は生きる。

後継の君たちよ、今こそ、私のこの生命を引き継ぎなさい。
私の全てを引き継ぎなさい。
私の生命を自身の仏界の生命としなさい。
君たちが一人立ち、私のこの生命を引き継ぐまで、私は死ねない。

私は君たちの仏の種となろう。これが本当の下種仏法なのだ。
それが師弟不二なのだ。
私の肉体は滅ぶだろう。
しかし、嘆いてはいけない。
私の生命、私の全ては君たちの生命の中に永遠に生きているのだ。
どんな事があっても挫けてはいけない。
私は、常に君たちと共にある。共に戦っているのだ。

私の胸中には、常に戸田先生がいる。
戸田先生の胸中には、牧口先生がいらっしゃった。
その先生の生命の奥に見ていたものは、御本仏である大聖人である。
法華経である。

地涌の菩薩達が、付属されたものは何なのか
それは、師匠の生命そのものである。
師匠から弟子への生命の引き継ぎのドラマである。
下種仏法の下種、種とは何なのか。
それは、師匠の生命そのものなのである。
胸中に師匠の生命なきもの、師弟不二にあらざるものは、本当の法華経ではない。

今こそ、時は来たのだ。
私が引き継いできた、師匠の生命を、君たちに託そう。
大聖人の御本仏の生命を君たちに託す。

君たちの法華経のドラマは、今、始まったのだ。
歓喜の舞を、舞いに舞い行け。偉大なる後継の菩薩達よ。

 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月 2日(日)22時52分6秒
  23時より開始します。よろしくお願い致します。

右傾化する日本社会。その先棒を担ぐ公明党。
公明党を操り権力におもねる原田会長以下の執行部。
誰の目にも明らかになってきましたね。
 

Twitterより。学会員が発信する情報が増えた。現場組織でディスカッション出来ないのが一番の理由。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 4月 2日(日)22時20分54秒
  学会員が発信する情報が増えた。本当にそう思う。
現場組織でディスカッション出来ないのが一番の理由だと思う。

ネットやSNSに情報が流れるのが嫌ならば、教義でも公明党関連でも、生活相談でも真摯に対話してみよ。出来るが人がおらんだろ。
 

ハイハイ

 投稿者:ブラックタイガー  投稿日:2017年 4月 2日(日)22時00分19秒
  エイプリルフールは終わってまっせ~w  

歴史の評価は難しいです

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)21時57分6秒
編集済
  反論を有難うございます。文革を現代中国の人間革命、精神革命と礼賛する声がありました。池田大作先生の言葉ではありませんが。ことほど左様に歴史の評価は難しいです。文化大革命で連想するのが四人組。何処かの国の某宗教団体にも権力闘争の四人組がいることは賢明な当板の読者ならお分かりのことでしょう。私はドイツ現代史絡みの在野の研究者でもあります。ドイツ赤軍について調べておりますが、同時代のパリ5月革命、中国の文化大革命を知らなくては研究を進められなくなりました。それで、中国の人間革命をも参照しました。  

ダメさん、初めましてかな?

 投稿者:滋賀県大津市乃虎  投稿日:2017年 4月 2日(日)21時18分53秒
編集済
  この板で  裏話するのは  俺だけか
何をもって決めつけか   それを言ったらこの板が   終焉迎えまっせ
◯リさんに その事聞けば  良いんじゃない(笑)
この辺り 今回投稿  終わります
ダメさんね  虎を相手に  ご苦労さん
そう言えば   KちゃんHちゃん   頑張りや
ついでに   GちゃんIちゃんも   来世でお会いしましょうね
 

毎年思う

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月 2日(日)20時46分29秒
  戸田先生がご逝去された時、何故、総本山で宗葬にならなかったのであろう。

また、戸田先生ご逝去前後の、弟子、池田先生の思いを知ることができる「若き日の日記」をあらためて読み返すと、感慨深いものがある。
 

ドミサイル信濃町の入居者さま

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 4月 2日(日)20時41分27秒
  中国の人間革命、序文より抜粋

>私はただ、どこへ行っても、誰に会っても、誠意だけは尽くしたつもりである。誠意の接触は”百聞は一見にしかず”で私が中国の大地を踏んだ時、見るもの、聞くことが、一つ一つ新鮮な驚きと、貴重な経験として残った。<
>私は、訪問した先々で心の底から「この姿を、日本の人たちに伝えます」と述べると、即座に「中日友好のために日本人民に私たちの姿をお伝えください」という言葉が返ってきた。私は「必ずそういたします」と固い約束を取り交わしてきたのである。<

ドミサイルさま自身の言葉ではないと思いますが、文革を讃えた奇書というのは、不適切な表現と考えます。

小生的には、当時、日本国民は中国のことをあまり知らない実態があって、池田先生は、自らが、見た事、聞いた事を、率直に文章にすることにより、

日中友好の橋渡しをしたいという考えであったと思います。

なお、人間革命という言葉を使用されたのは、信仰による人間革命ではなく、違う視点からの人間革命を言われています。

中国の人間革命、序文より抜粋

>なによりも中国の民衆全員が一人残らず十分食べられるようになっただけでも、中国数千年の歴史になかった革命的なことと言わなければならない。泥棒の心配もなく、忘れ物でもすると飛行機に乗ってまで返しにくる誠実な人民の姿勢へと変換していった事実。---この事実そのものを私はまず直視したい。更にその根底にあるものは、新しい人間の誠意、あるいは一つの「人間革命」とも言うべき信念の道があるように思えてならない。<


 

中国の文化大革命発動から50年。

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)20時10分13秒
編集済
  1966-2016。いまだに研究史は混沌としています。ゴダールやミシェル フーコー、そしてパリ5月革命が文革のマオイズムを歪めて受容してきていることの研究はありますが。反体制であり、執行部の権力闘争を見抜くには、歴史に学ぶことです。  

戸田先生の御命日

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 2日(日)19時33分1秒
  神奈川創価学会ホームページの広布史。
まだ削除されずに、残っていた。

さすが大聖人有縁の地。反転攻勢の起点。方面別学会革命の起点になればと祈りたい。

戦争の惨禍を、どこよりも味わい尽くした沖縄、広島、長崎。

現在の自公政権のやり方に、激怒されている会員さんの怒りが伝わって来るようだ。

池田先生の頃は、こんな無様な学会ではなかった。

今日は、戸田先生の御命日。
現在、3時間の唱題中。

 

何だか名前が同じ様で違うけど(笑)

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月 2日(日)19時27分0秒
  言い方や表現が一緒ですね(笑)

何を持って決めつけておられるのか解りませんが(笑)

改めて余計なお世話です。
 

中国の人間革命

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)19時07分31秒
  かつての文革を讃えた奇書らしい。当然、今の創価学会の正史からは抹消されています。著作の名義は何と池田大作先生です。  

楽しいね

 投稿者:滋賀県大津市乃虎  投稿日:2017年 4月 2日(日)18時37分1秒
編集済
  いつまでも わからず一生 過ごすのね
担当が 決まっていたのね すみません
本尊が 一人歩きで もう終わり
 

誰とは言いませんが(笑)

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月 2日(日)18時19分51秒
編集済
  申し訳無いが、投稿するもしないも。暇があるも無いのも。自由です。

見るのも読むのも自由。題目も自由。価値創造も自由。

余計なお世話(笑)
 

日本会議にブレーキをかける公明党!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)18時00分2秒
  斉藤鉄夫先生の頑張りと私たちのお題目で、日本会議にブレーキをかけているのだとか?今朝の地区活動者会で、地区婦人部長が豪語していました。  

お題目

 投稿者:滋賀県大津市乃虎  投稿日:2017年 4月 2日(日)17時50分40秒
  投稿を する暇 見る暇 あるのなら 題目題目 価値創造
 

(無題)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)17時10分6秒
編集済
  インド仏教滅亡歴史的教訓(1)

・・・このように釈尊の在世に於いては、いかなる権力、武力による難も、仏教を滅亡させる事は出来なかった。

それどころか仏教興隆の糧とさえなった。その仏教が・釈尊入滅後、やがてインドで滅亡してしまった理由は何か。

ここに重大な歴史の教訓がある。

インド仏教の滅亡ーこのテーマについては、インドのカラン・シン博士との対談でも論じ合った。

その対談集「内なる世界ーインドと日本」は近い将来、出版される予定になっている。

また、これからも機会を見て、種々の観点からふれるつもりである。

そこで、今日は、その概略のみを述べておきたい。

インドにおける仏教の滅亡を決定づけたのは、八世紀から十三世紀にかけて繰り返されたイスラム教徒の侵入である。

この点について、カラン・シン博士は述べている。

「ハ世紀に始まり、その後、幾世紀にも渡ってインドを荒らしたこの侵略は、インドの仏教に最後のとどめを

さしました。この様相を象徴的に示しているのが、1203年のイスラム教徒によるブイクラマシーラ寺院の

容赦のない破壊と、その僧尼の大虐殺だったわけです」と。

この通り、同事件を持ってインド仏教滅亡とするのが現在の定説である。

ここで大切なことは、なにゆえに仏教が、イスラム教徒の信仰という”大難”の前に敗れ去ってしまったのか。

その根本の因は何か、という一点である。

(昭和62年9月6日)神奈川文化総会

・・続く・・
 

素朴な疑問

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 4月 2日(日)15時49分5秒
編集済
  アメリカの歴代婦人部長は、なぜ今、日本に来たのだろう?
そして、なぜ皆さん、現在の役職が記載されないのだろう?
普通、現在の役職が記載され、括弧に元の役職が記載される
というのが、これまでの紹介の仕方だったと思うが…

そして、今のアメリカの婦人部長は誰?
その人は、一緒に来日したのかな?
リンダさんまでは、同中で記憶があったけど、そういえば…
今は誰が婦人部長だか知らない事に気がついた
なんか最近、SGIが遠く感じる
なぜだろう?
 

大御本尊!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 4月 2日(日)15時14分23秒
   >僕は自身の胸中にこそ、大御本尊はあるとを感じているわけで、大石寺のあれは、そう師匠が定めたものとの認識。僕も師匠と同じく、大御本尊と定めることを継承している(投稿者:蘭夢   投稿日:2017年 4月 1日(土)21時47分10秒)<
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/66889

 「胸中にこそ大御本尊」「(大御本尊は)師匠が定めたものとの認識」――深い思索で大賛成です。

 「御本尊は大宇宙の縮図」という表現があります。「大御本尊」を「大宇宙」と置き換えたらどうなるでしょう。「大宇宙」が胸中にあるということになります。
 「宇宙」の認識は、同じであるようで、実は、人によって違うようです。時代によっても違いました。月に餅をつく“ウサギ”はいません(いた方がロマンがありますが)。明けの明星、宵いの明星の金星を、恒星だという人は現代ではまず一人もいません。ついこの間までは宇宙の始まりはビッグバンと言われてきましたが、いまは主流ではないようです。しかし、「宇宙」は厳然とあります。厳然とあって、我々や万物を支えていてくれています。

 宇宙の構造や、その構図の解析も、その知識や了見によって随分違いがあるものです。表記も異なります。その解析の担い手は、もちろん科学の眼です。構造、構図の解析や、その表記が異なったとしても、「大宇宙」は、厳然と我々を支え、育んでいてくれることになります。もし、「大宇宙」が「大御本尊」だとすると、その表記の細部の仕方が異なれ、大御本尊が我々を護っていることには何ら変わりがありません。

 大御本尊の構図、構成、つまり「二千二百二十余年」なのか「二千二百三十余年」なのかなど、「広」「略」「要」の違いこそあれ、その「義」を踏襲する限り、その本義を逸脱するものではありません。それはむしろ、「正しい」「その義あり」と“信じる”あるいは“信じられる”ことに根源的な“意味”があるのではないのでしょうか。



 

雌伏

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 4月 2日(日)14時10分7秒
  「大山」も酷かったけれど、「雌伏」はもっと酷いですね

5月から7月に、いきなり飛んでいます
雌伏8
「師の正義を宣揚し抜いていく事こそ、弟子に課せられた責務にほかならない」

有言実行を求めます!
自語相違しすぎていませんか?
今の学会も公明党も
「看板に偽りあり」になっていませんか?
先生の言葉をオウムのように繰り返し、会員に無理無駄を強いり、自分達は、挑戦しようともしない
そんな幹部ばかりになっていませんか?

それは「宝山」にいて功徳を要らないと言っているのと同じ事
自分は、先生の言葉、今世で幾つ果たす事が出来るか?挑戦していきます

先生の話
「お世話になったね。また来るからね」
79.4.23立川文化を出発し、学会本部に向かった
24日のニュースで「会長勇退」の報が流れると日本全体が揺れた
25日、立川に戻った
「東京には、私の席はなかったよ」
皆、絶句した
「ここを作っておいて良かった
  ここで、戦うよ
  ここから新しい時代を作るんだ」

こんな状況が有ったこと
触れていないのは、片手間であり、無理があり過ぎではないですか?

御本尊様は絶対!
池田先生は絶対!
執行部は?
残念ながら絶対でもなければ、無謬でもない
先生は
「会員の声、現場の声を聞きなさい」と言われていますが、聞いていますか?
聞いていない時点で、既に無謬ではないのでは?
過ちを素直に認め、先生の御指導に戻り、運営して欲しいと願います

先生が何も言われない=執行部は正しい
と思いたい会員は、多いと思いますが…
本当にそうだろうか?
2000年、与党入りした頃
先生は
「このままでは、私がいなくなったら、学会は無くなってしまう」と言われました
2000年のあの時、学会は軌道修正したのだろうか?
現在起きている全ての事が、先生が心配されていた通りであり、何ら改善されていないと思うのは、無責任な末端会員の要らぬお節介なのだろうか?

青春対話より
「正義の宝剣を持った人は、一生涯、多くの天人から守られるでしょう
邪剣を握った人は、必ず地獄の鎖に繋がれるでしょう

我が宝剣を磨け!
私は、必ず勝って見せると立て」




 

地区の会合が終わりました

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)12時11分40秒
  地区部長から甚深の指導がありました(笑)。具体的には、宿坊の掲示板の名を挙げて、絶対見ないように、宿坊板閉鎖を御祈念しましょう(笑)。との指導。今、都議会選挙を前にして上層部は相当に焦っているらしい。情報統制をかけているのだとか。  

御用評論家ではない、最後の期待の星

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 2日(日)11時50分4秒
  TBS サンデーモーニングの岸井さん、復帰。

胸をやられ、緊急入院されていたようだ。

まだ本調子ではなさそうに見えたが、それを上回る気迫、使命感のようなものが感じられた。

戦時中、大本営発表の手先に成り果て、国民を騙し続けたマスコミの姿に、

深い痛みを感じている人。

同じ価値観を有する同志として、御健康を祈りたい。
 

巨大猫さんの紹介本学べます

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時47分22秒
編集済
  須田晴夫著「楊枝本尊」の頁紹介ありがとうございます。大聖人のご一生後半に認められたご本尊を色々と知るのは関心事。そういえば昔、弘安2年アレ以外のご直筆は「一期一縁」本尊とかで貶めていた教学がありましたね。誰発の「4字熟語」かな、何となく気になりまして。  

1.3mの巨大ネ

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時29分12秒
  須田著「楊枝本尊」謝々  

功徳聚

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時27分36秒
  いや~実に色んな見方があるのですね。

功徳聚ということの別の角度にも
言及してみたいと思います。

聚のデジタル大辞泉の解説
しゅう【聚】[漢字項目]
[音]シュウ(慣) ジュ(呉) [訓]あつまる あつめる
1 多くのものを一所に集める。あつまる。「聚斂(しゅうれん)/類聚(るいじゅう・るいじゅ)」
2 家の集まった所。「聚落(しゅうらく)・聚落(じゅらく)」

法理として十界・一念三千ということの方に
重点的に目が行きがちですが

日蓮大聖人が実際に行っていった
運動という事と御本尊の実際の相貌を見ると

諸宗を批判しながら包摂していった
スタイルがあり

そもそも法華経
そもそも十界というものも
そういったことによって成り立っている。

梵天とか六道とか
仏教が取り入れて発展させたものですね。

各別バラバラの個々に現れた思想
→今ここ久遠元初の己心の寿量品
→妙法に照らされた本有の尊形

御本尊に書かれている師や日本の信仰
また文字曼荼羅本尊に題目を唱えるという
スタイルそのもの

天台・伝教・天照・八幡
称名の題目・密教的曼荼羅・受持戒
法華経の行者という禅定

そういったものが一所に聚(あつ)められて
常に今ここ久遠元初からの無上道
という生命になっている。

それを実現させる九識心王真如の都
ということを踏まえて

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」

これってしびれるね!

シビレエイは自らしびれている。
自分が感動するから人を感動させる。
しびれる から しびれさせる。

で、学会のこの歓喜の信心に欠かせない
日女御前御返事(本尊相貌抄)とか
生死一大事血脈抄とか
御義口伝とかっていうのは

大御本尊をまるっきり否定してしまった場合には
ちょっと危ういんだよね。

「凡夫即極の縮小」
「信心血脈の放棄」
「一生成仏の制限」
なんて方向になったら
どう思うだろう?
 

「法華経の智慧」に学ぶ(2)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時20分6秒
編集済
  師とは「久遠元初の仏」

名誉会長:釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。

     過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。

     それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。戸田先生は言われた。

    「日蓮大聖人の生命というもの、われわれの生命というものは、無始無終ということなのです。

     これを久遠元初といいます。始めもなければ、終わりもないのです。大宇宙それ自体が、大生命体なのです」と。

     無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。

     そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだ

     とわかったのです。

須田:  法華経方便品にも、総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏が説いたのは、

     等しく一仏乗であった、とする「五仏同道」の思想が見られますね。

名誉会長:ですから、真剣に法を求め、法を行ずることによって、「常住此説法の仏」に必ず会えるのだ、

     と教えているのです。


     「創価正義」
     https://www.sgi-seigi.com/     
 

21世紀の創価学会教学

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時14分40秒
  21世紀の創価学会の教学というのは、『法華経の智慧』から出発する、といっても過言ではない。

『法華経の智慧』には、全てが入っている、と言われる。

全てというのは、釈尊から天台、伝教、そして日蓮大聖人、それから、牧口先生、戸田先生、池田先生という、

創価学会の精神を含めて仏教三千年の精神が入っている、と。仏法の教義、まさに本質に触れられている。

ここに、新しい創価学会の教学の基盤がある。

今、なぜ『法華経』なのか? ということについて、大きく2つの点が挙げられる。

まず、「世界広布のための教学」という点。

池田先生は、「日蓮仏法だけでは、ただちに世界の人には分からない。

だけども、『法華経・釈尊』であれば分かるんだ。

だから、『法華経・釈尊』として、世界の人々を導いていくんだ」とおっしゃられている。

「いきなり大聖人の仏法の中身をぶつけても、受けとめられる状態には未だない。

だから、法華経から入っていくんだよ」との池田先生のお言葉の意味がよく分かったものである。

池田先生は、「法華経が分かれば、大聖人の仏法が分かってくる。大聖人の仏法が分かってくると、

法華経が分かってくるんだ。両者は表裏一体だよ。仏の心はひとつなんだ」と。

2つめには、「創価学会の正統性を証明する教学」という点について。「正しい伝統」ということ。

つまり、「仏教三千年の正しい伝統」を今日に継承しているのが創価学会であるということを、

きちんと世界の人々に発信してゆかなければならない・・・・・

須田晴夫

続きは
https://www.sgi-seigi.com/?p=290
 

日本共産党撲滅唱題会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時12分47秒
  本日4月2日は、日本共産党撲滅唱題会を地区で敢行致します。一応、四者地区活動者会が名目ですけど、共産党撲滅唱題、共産党撲滅学習、恒例の踏み絵。10時30分から、地区の拠点に大集合!  

わが友に贈る 2017年4月2日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時04分6秒
  友好が広がる時。
良き出会いは
人生を彩る財産だ。
開拓精神を胸に
心通う友を見つけよう!
 

それでも声をあげないのだろうか

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時36分33秒
  今朝のニュースを見た。
戸田先生の言葉を忘れたのだろうか、なぜ核兵器禁止の会議に出ない。

かつて、このように投稿した。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/27382

再掲します。

人間革命1巻 一人立つ 193頁より---
昭和十八年六月、学会の幹部は、本山に登山を命じられた。
そして、一人の僧侶から「神札」を一応、受けるようにしては、との話があった。
牧口会長は、深く頭を垂れたが、日興上人の遺誡置文の厳しい一条を思い起こしていた。
‐‐時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
彼は、顔を上げると、はっきりと、言い切った。
「神札は、絶対にうけません」
こうお答えし、鎮痛な表情で下山した。これが彼の最後の登山であった。
彼は帰る途々、押しつつんだ感情を激して、戸田に語った。
「わたしが嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。
宗祖大聖人の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諌暁の時ではないか。
いったい何を恐れているのだろう? 戸田君、君はどう考える?」
---

熱によるものだろうか、僕は夢を見た。

2014年11月8日、世界宗教の基盤を確立として会則変更がなされた。
そして、H会長から「大御本尊を受持の対象とするな、学会認定のご本尊を拝め」との話があった。
私達は、深く頭を垂れたが、日興上人の遺誡置文の厳しい一条を思い起こしていた。
‐‐時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
私達は、顔を上げると、はっきりと、言い切った。
「大聖人の、三代会長の指導に違背する会則変更は、絶対に納得できません」
こうお答えした私達は仏敵とされた。
私達は、押しつつんだ感情を激して、友に語った。
「私達が嘆くのは、学会が分裂するとか、そんなことではない。大聖人の、三代会長の指導が魂が今、失われようとしているのだ。
宗祖大聖人の悲しみを、私達はひたすら恐れるのだ。今こそ、三代会長の指導のままに、政府に対して平和を訴え、国家諌暁の時ではないか。やっていることが逆ではないか。 戸田君、君はどう考える?」

さて、あなたは、今の学会と公明党。どのように見ますか?


再掲、終わり。---

この世界、誰か救世主、真実の弟子が顕れて何とかして広宣流布する。
そう思っていないだろうか

そんなことはない、滅ぶ時は滅ぶ。

広宣流布される世界の流れもあるが、しない流れ、そういう世界もある。

選択だ。

これから、どこに進むか、選択だ。

貴方の選択する世界に他人は関係ない、それは、貴方だけが見る世界。

世界は、実に平行世界。どの世界に行くかは、選択するのは貴方自身。

夢で逢いましょうという、どこかで聞いたフレーズ。

再び、逢える選択をすることを祈る。
 

どんな功徳?

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時30分32秒
  と聞かれた気がする。
スピリチュアルっぽいので、興味のない方はスルーして読まないでください。

一般的に語られる功徳の話は、ここではしない。
本来の功徳は六根清浄なので、それを話したいと思う。が、これがなかなか難しい。
多分、言葉で話しても理解できないし、翻訳できないと思う。

でも、無理やり言葉にしてみよう。

菩薩は、人を救う事を悩みとしている

その境涯が高まれば高まるほど、
救いたい人々の範囲はどんどん広がり、その智慧が未来まで見通すほどならば
未来の人々の救いに苦悩し、境涯の高まりは、さらに無限に苦悩を拡大させ
永久に仏には至らない

そのような内容をかつて投稿したかと思う。

六根清浄の功徳とは、生命の本質をありのままに観ることができる功徳。

ここからが、言語化が難しい。

全ての願いを成就し、広宣流布という化他の願いも全て成就し、
自分を含む、一切の人々を救いきった。
その歓喜は、計り知れなく、歓喜の中の大歓喜というものだろう。

それを感じるということは、どういうことか

その瞬間に、広宣流布は成就している。

肉眼が見ているものは、常に過去であり、僕は、常に広宣流布が成就されきった世界を感じ、そこに生きている。
そのことは、僕の偏った見方ではないと思う。確かに法華経にも、仏の住する処として書かれている。一致している。

そして、皆さんがみているであろう、また僕の自我が見ている、この現実は
自己としての僕にとっては過去であり、このストーリー、ドラマを選択して観ているだけに過ぎない。

如来という意味は、そういうこと。そういう悟りであるから

自我という、また時間という物理法則に限定された思考。
即ち、脳ミソのシナプスの電気信号とかで生成された、それを自分の考えと思っている状態。
それでは答えは出せない。

だから、考えるのではない。感じること。気づくしかたどり着けない。と常々、言っている。

瞬間、瞬間に真理はあり、思考した瞬間に時間というものに捕らわれ、過去となる。

だから、考えるのではなく、感じていくしかない。

見えている景色とは、どのようなものか

事故で脳に障害を持ったある人が、みるものが、全て数式に見えるというという話がテレビでかつて放映されていた。

同じように、五感とは、別の感覚だろうか、人の心がざわめきとして観えている。
肉眼的に見えているわけではない、ただ感覚としては観えているような感覚。
そして、意識は確かに、現肉体上にあるのだが、平行しているものが何となく、ぼんやりとだがわかる。
別の世界線なのかは、わからないが、肉眼で見えているものは、実に限られてたものしか見えていないと感じる。

また、意識というか認識のスコープを拡大していくと、こんな感じ。

素晴らしい。
僕は僕でありながら、御書にある通り、大宇宙と差別なく、世界のすべてが僕の一部であり、僕は世界であることが分かる。
そこの意味において、僕個人という自我は、単なるアバターでしかない

僕は善であり悪でもある。自他の境なく、僕は自であり他でもあるから、なぜなら、全ては僕なのだから。僕が作り出した世界であるし、それは僕自身であるし、それはほんの一部でしかないけれど。僕は一部でありながら無限でもある。

そして広宣流布というかつての時間軸の時間を選択し観ていることがわかる、ビデオに撮った過去の自分をくつろぎながら鑑賞している僕がそこには存在している。

鑑賞している僕は、この広宣流布途上の世界を、ただ選択し観ているに過ぎない。

否、時間は物質の制約があるから観測されているに過ぎない。鑑賞している僕にとって、もう時間の枠はない。
過去も未来も、全てはこの僕の中にある。
そして、それが生命の本質。

結局、どこぞのスピリチュアルっぽい話になってしまった。難しい。

だから歓喜の中の大歓喜と言ってみたり、生きていること自体が楽しい境涯といってみたり
どんな願いもかなう御本尊といってみたり
結局、成仏という境涯というように、何かわからないけれど良いものとしか説明のしようがなかったり。

こういうのを方便という。

凡夫即仏とかね。
高尚な人格とかになるんじゃなく、そのまま、何も変わらない、ありのまま。
といっても、価値観はまったく変わるけど、だから高尚に観える場合もあるかも。

だって、生命そのものが仏の当体なんだよ。そのように感じられるか感じられないか。

感じられるようになる功徳が六根清浄の功徳。

その功徳の上で、一般的に功徳と語られるもの、願いがかなうと言うのは

本質は、願いがかなうというのではなくて、願う必要はない、願う前に叶っている。ただ結果という残像の過去があるだけ。

祈りが叶うか叶わないかの、本質のことを言っているのだけれど、わかるかなぁ

分かりやすく言えば、表層意識の願いや祈りは叶わず、深層意識の願いや祈りが叶う。

叶うはずがないだろうという深層意識があれば、そのように叶いそうで叶わない現実が展開される。

もっと、信心よりの言葉に変えれば、叶う叶わないは信心の厚薄による

大聖人の言葉を借りれば
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず、水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとくみなの御心は水のごとし信のよは きはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし、木は道理のごとし風のゆるがすは経文をよむがごとしとをぼしめせ」

水すめば月うつる・・・六根清浄で生命の本質を正しく掴む。
信心の強きが六根清浄の功徳ともいえるだろう。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、まず、アナタがナニをすべきか? よ~く考えましょ~う(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時02分38秒
  本日の政教珍聞二面で~す、原田怪鳥様、「核兵器禁止条約の実現を、SGI代表が国連で発言」とのコト、

国連で、発言したコト自体はいいコトで~す、しかしながら原田怪鳥様、ナニか、選挙に利用しようとしていませんかぁ~?

創価学会は平和主義で~す。国連でも、おおいに発言して、活動してますよぉ~って・・・

残念ながら、パフォーマンスになっていませんかぁ~、日本の政権与党は、核兵器禁止条約の交渉会議に不参加を表明してま~す(笑)

公明党は不参加に賛成してるっていうコトですよぉ~(爆)この一点をとってみても、公明党は権力の魔性に跪いたということで~す(怒)

いくら、「創価学会は平和運動をやってます」「国連で発言してます」と支援をお願いしても、公明党が反対声明を出していないのに

「ナニ言ってんのぉ~!」ってコトですよぉ~(爆)

イイですかぁ~、原田怪鳥様、アナタがするべきことは、支持団体のトップとして、公明党に交渉会議に参加を訴え、

声明を出して世間に訴え、アナタ自身が国連での交渉会議に参加するコトで~す。

それすらしないで、わずかばかりの新聞報道で、「やってま~す」的なコトが報道されても、世間から評価はされませんよぉ~(笑)


安倍首相や岸田外務大臣に直接訴えたらいかがですか~(笑) 弾圧が怖くて、ナニも言えず、権力の後を黙って追従し、

内向きにだけ、「対話・対話」といっても、その言葉は虚しく空を切るだけだと思ってくださ~い(笑)

しかも、その実態は、公明批判、幹部批判は、査問・処分の内弁慶のありさまで~す(笑)

原田怪鳥様、いい加減にしっかりされたらいかがデスかぁ~、お先が見えてマスよぉ~(爆)
 

十界具足の御本尊 4/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時51分6秒
  以上の事から、私個人としては、日寛上人は必ず十界具足の御本尊も顕されているに違いないと思います。
そして、会員に下附する御本尊というのは、本来なら、略式ではなく、公式の十界具足の
御本尊を選ぶべきなのではないのでしょうか。

少なくとも、日寛上人も書写の基本にした大御本尊は十界具足の曼荼羅であり、上記の観心本尊抄文段の言と重ねると、日寛上人の御本尊こそ、十界具足の曼荼羅でありえることは、理屈に叶う事です。

ただ、残念ながら、その当時の学会には他に選択の余地がなかったのかもしれません。
しかし、翻って過去を振り返ってみると、十界具足ではない御本尊でも私達は確かに功徳をいただいてきています。
私もたくさんいただきました。

ここからは、私見になります。

正宗では、その時代の法主が、大御本尊をそっくりそのまま書写するのではなく、その「内証」?を書写するという伝統を取っていますが、それが成り立っていたのは、やはり大御本尊信仰が、大聖人直筆の御本尊に繋がっているという、
大聖人直結の「心」を培ってきた結果だと思います。

今までの学会員も、その部分においては正宗の伝統を引き継いだ大御本尊直結の信心によって、守られてきたのだろうと思います。

教義は正当でしたし、御書講義も本物でした。
慈悲の折伏によって、個々の宿命転換も成し遂げてきました。
諸天の加護に感謝し、過去の謗法の罪障消滅も祈る謙虚な信心の姿勢がありました。

しかし今、学会は、大御本尊との繋がり(大御本尊が、本物であるかという問題は、ここでは置いておきます)を切ることによって、大聖人直結の御本尊との絆を切る事になってしまっています。
あろうことか、釈迦本仏論まで飛び出し、大聖人を貶めています。
一念三千の法理を破壊し、それによって、全ての思想、宗教(皮肉な事に大聖人の仏法以外)に妥協的な姿勢を示しています。

そういう状況の中で、それでも、十界具足ではない御本尊を使い続けていくことにリスクはないのか?
このままで、私達は子供達の時代に向けて、本当に責任を果たしているといえるのか。

仏法は因果の法則を教えています。
今が未来の縮図なのです。

御本尊問題に関しても、組織依存ではない、ひとりひとりの信心の質が大きく問われる時代に入ってきているのではないでしょうか。


此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、

   日女御前御返事(本尊相貌抄)p1244
 

十界具足の御本尊 3/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時01分52秒
編集済
  体長1.3mの巨大猫 様が投稿された表に記されている日寛上人の御本尊が、十界具足ではなく、地獄界、修羅界、人界、声聞界、縁覚界が略された御本尊であることは、上記の日寛上人の
「今、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門理の一念三千の教相の本尊を簡えらんで、文底下種の本門事の一念三千の観心の本尊を顕あらわす。」
とのお言葉を拝しますと、双方に相容れないものがあります。

御本尊の中に顕されている十界は、大聖人の「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となった」仏の境涯に互具する十界であるはずです。

「総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、 此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」
  日女御前御返事(本尊相貌抄)p1243

と、御書に書かれている通りです。

いずれの界でも省く事はすでに大聖人の生命の全体像ではない事になりはしませんか。
一念三千の教相から、大きく外れる事になりはしませんか。

十界を顕さなければ、十界互具も顕されない訳でありますが、御書には、

「一念三千は十界互具よりことはじまれり、 法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、」
  開目抄 p 189

とあり、一番の基礎となる十界が顕されなければ三千の諸法もあらわれなく、御本尊御図顕の基となる一念三千の法理が足元から崩れます。

更に法華経の智慧にはこうあります。

名誉会長:また「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼陀羅なり」(一三三九ページ)と。
     一念三千の「一念」は実相、「三千」は諸法です。御本尊は諸法実相の御本尊であり
     一切衆生の諸法実相を写す鏡です。
     中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」は、実相を表わし、左右の十界は諸法を代表して
     います。
      大白蓮華 1995年 9月号 p21


名誉会長:大切なことは、たとえば地獄界なら地獄界の衆生も、自己の真実の姿(実相)、
     すなわち“汝自身”を知れば、実は輝かしい宇宙生命と一体であるということです。
     しかも、その宇宙生命は、ほかならぬ地獄界という自身の現実に即して開顕する以外
     にない。
     「実相」という永遠の生命世界は、いつ、どこにあるか。「いま」「ここに」ある。

     それを悟れば仏、悟らなければ九界です。ゆえに、菩薩界が仏界に近いのでも
     なければ、地獄界が仏界から遠いのでもない。平等に、自己に即して仏界を開く
     ことができるのです。

     「個々の生命(諸法)」は即「宇宙生命(実相)」である。しかも「宇宙生命(実相)」
     と言っても「個々の生命(諸法)」を離れては存在しないのです。

     こういう「諸法実相の生命の世界」を、大聖人は、こう表現されています。
     「心すなはち大地・大地 即 草木なり」(御書 p1597)、白米一俵御書)と。
     「心」は宇宙生命と言ってよいでしょう。

     法華経以前の経典では、まだ哲学が浅いゆえに、“心(宇宙生命)から万法(個々の
     生命)が出生する”等と説いた。心は大地のごとく、万法は草木のごとしと。
     心と万法が別々です。
     しかし法華経は、そうではない。心がすなわち大地であり、大地はすなわち草木で
     ある。

     実相と諸法は一体である。分けられない。月も花も、ひとつひとつが、宇宙生命の全体
     と一つである。
     「月こそ心よ・花こそ心よ」(御書 p1597)です。

斉藤:  多くの哲学が「現象の奥に」真理を見ようとしたり、「現実の根底」
     に根源の一者を立てたりしました。しかし、法華経は、そうではないのですね。

     大白蓮華 同 p18

遠藤: 次元は違うかもしれませんが、中国の古典に「一葉落知天下秋(一葉落ちて天下の秋を知る)」

   (唐庚『文録』)とあります。
    「一葉が落ちる」姿を見て、「秋」の到来を知ることができる。あえて諸法実相に置き
    換えれば、

   「一葉が落ちる」姿は諸法、「秋」は実相でしょうか。

名誉会長:見えない「秋(実相)」は、見える「一葉(諸法)」に自分を映し出すのです。

    諸法は実相の顕れです。また諸法に顕れない実相はありません。

      同 p19

引用終わり

つまり、ここでのメッセージは、十界の生命から離れた南無妙法蓮華経はない、逆に言えば、南無妙法蓮華経の功徳は
私達の、十界の生命を行き来する日々の生活の中にしか現れない、ということでしょう。

大聖人の御本尊は「ひげ曼荼羅」とも呼ばれます。
これは、中央の題目から語尾がひげのように伸びて、十界の生命をはじめ全てのものを、題目の妙法五字の光明にてらされて本有の尊形
と為している仏の境涯の顕現の姿です。

 

ありがとうございました。

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)06時45分40秒
編集済
  管理人様

代理人投稿ありがとうございました。
 

勘違い野郎共へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)05時00分24秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

安倍総理も内閣の動物達も信濃町の執行部達も、公明党の幹部達も日本会議の面々も勘違いも甚だしい連中である。

戦前の日本の思想に今でも戻そうとしている亡霊達である。

この畜生軍団は動物の中でもキツネや野良犬のくせに

主人である国民を騙し下に置こうとしている。なんと愚かなことか(ToT)

日蓮大聖人の思想を牧口先生、戸田先生だけが命がけで守られて池田先生が受け継いで来たがゆえに現在が有るにもかかわらず、その反省も鶏のようにすぐに忘れてしまい古く悪しき暗黒に引き戻そうとしている訳だから話にならない。

民衆を苦しめ馬鹿にし、敵に回せばお前らのいる場所は無くなるぞ!ちっぽけで愚かな指導者に率いられた民衆ほど悲惨な思いをせざるを得ない。

騙されるな!

創価学会の活動家の方達よ、創価学会の会員達よ、くだらない勘違い野郎共に騙されるな!

俺たちが主役なのだ!ヽ(^○^)ノ主人なのだ(^○^)

日本会議の思想など踏み潰せ!悪しき暗黒の思想だ!

斉藤幹事長代行?バカか?少しは頭使って考えろや!

信濃町の執行部の蠢く害虫共よ(# ゜Д゜)お前達が一番悪いぞ(# ゜Д゜)見るも醜い妖怪の心を持つ害虫だ!

この新種の害虫は厄介だ虫のくせに悪知恵が働く

害虫のくせに聖職者の外見をしている。

しかし本性を見破ってしまえば醜い害虫である。

んっ?何か言ったか?虫君(^○^)

ちゃんと鳴かないと聞こえねーぞヽ(^○^)ノ

 

聖愚問答抄ひらがなを投稿しました

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 4月 2日(日)04時09分39秒
編集済
  ひらがなプロジェクトへ 聖愚問答抄ひらがなを投稿しました。

本尊について、蘭夢様、一人のSGI様が論じておられるので、わたしは、体験として述べてみたいと
思います。
蘭夢様の大御本尊観に賛同します。
化儀 化法だったかな・・・化儀は変えて良いけど、化法は変えてはいけないと習いませんでしたか。
御本尊は化法でしょう、変えてはいけないと云うことが、気になりませんか。

最初に本尊を知ったのは、18歳のころでした。
務めていた、電機店の社長が子供のけがが、治らないのを心配して学会に入信されました。
その時の話の中で、可笑しなことを言われていたので、驚きました。
社長は、大学も出ておられる、電機や機械の技術者です。

その人の口から、静岡にあるお寺の大御本尊に参詣に行ったのだが、この本尊を拝したとたん涙が
止まらなくなってしまった、これはすごいご大御本尊様だ。

君も信心した方がいいよ・・・と折伏されたのです。
私は、仏さんや神様を見たり拝んだりしても、涙すると言う事が解せなかったから、心の中で、天井
から、トウガラシの粉末でも、まいているのだろうと思っていました。

次に、大御本尊様の事を知ったのは、入信して最初に大石寺へ登山したときのことです。
事前に登山者指導会があって、大御本尊様は、日蓮大聖人様が今世に出現されて、出世の本懐として
あらわされた、唯一無二の大御本尊様だ、過去遠々劫の昔からの謗法の罪が消える、すごい御本尊
だから、おめでとうと祝福されて、初登山しました。

行く時は、準急列車の貸し切りで、男子部は座席が無くて立っていた人も居ましたが、夜中になると
通路に寝ている人も居ました。
今から思うと、輸送班の人でしょう。

奉安殿での、御開扉には、びっくりでした。
奉安殿の中に、立ったままで、いっぱい詰め込んで、一斉に座らせるのです。
人の膝の上に座る人も出てきています、わたしは、座れましたが、周りが、ぎちぎちで、それが気になって、
落ち着きません。

その上、勤行が長くて、足がしびれて、大変なところに来てしまったと、思う事の方が先で、大御本尊様の
事など、上の方が少し見えたかもしれませんが、覚えていません。

数多く登山していくうちに、大御本尊様にお目通りすることは、歓喜できる境涯になりました。
毎回登山したくて、給料を貰ったら、登山会の金額は別に置いといて、いつでも空きが出たら、行けるよう
に、幹部にお願いしていました。
大御本尊様にお会いに行くことが、最大の喜びになりました。

つづく・・・かも。

引用です。

日女御前御返事 ?P1243

是全く、日蓮が自作にあらず、多宝塔中の、大牟尼世尊、分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる、本尊なり、


通解
この本尊は、まったく日蓮が自作ではありません、多宝塔中の多宝如来、分身の諸仏等が版木で、刷ったよう
な、本尊であるので、全ての仏の成仏の因となる本尊です。


されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等
舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多
愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太
神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、

「されば、しゅだいのごじはちゅうおうにかかり、しだいてんのうは、ほうとうのしほうにざし、しゃか、
たほう、ほんげのしぼさつ、かたをならべ、ふげん、もんじゅとう、しゃりほつ、もくれんとう、ざをくっ
し、にちてん、がつてん、だいろくてんのまおう、りゅうおう、あしゅら、そのほか、ふどう、あいぜんは
なんぼくのふたかたにじんをとり、あくぎゃくのだった、ぐちのりゅうにょいちざをはり、さんぜんせかい
のひとの、じゅみょうをふうばあっきたるきしもじん、じゅっらせつにょとう、しかのみならずにほんこく
のしゅごしんたる、てんしょうだいじん、はちまんだいぼさつ、てんじんななだい、ちじんごだいの、かみが
み、そうじてだいしょうのじんぎとう、たいのかみつらなる、そのよのゆうのかみ、あにもるべきや」(1243-09)うんぬんと。
 

Lさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 4月 2日(日)01時30分46秒
  Lさん「自公の選挙が、よく分かんなくって」

ひかり「何が?」

Lさん「公明党、都議選は自民党と組まないんでしょ?」

ひかり「小池さんらと組むんだよね? 都民ファーストとかいう」

Lさん「衆院選は?」

ひかり「自民党とじゃん?」

Lさん「それがさ、友達は、自民と公明は、今度からは別々だって言うの」

ひかり「え? あ、そうなのかな?」

Lさん「友達のところは、自民党なの。ばりばりの」

ひかり「へえ。じゃ、自民党の中では、別々という事で、決まっちゃってるのかな?」

Lさん「でも、幹部が、自民党と公明党は一緒だって言うんだよ」

ひかり「??え? ということは、学会幹部だけがそんな事言ってるってこと?」

Lさん「でしょ」

ひかり「んん?」

Lさん「でも、どーでもいいや。もう(笑)」








 

Eさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時13分56秒
  Eさん「いつまで人をあてにするんだか、いいかげんにしてくれっての」

ひかり「ご立腹ですね」

Eさん「もうFなんかとるもんか」

ひかり「でも、幹部がハッパかけに来るでしょ?」

Eさん「そん時は、適当に返事しときゃいいんだ」

ひかり「嫌になっちゃったんですか?」

Eさん「そりゃそうだよ。あんたも、森友の事件とか籠池さんの証人喚問、見たでしょ?」

ひかり「はい。連日やってますからね、国会中継とワイドショー」

Eさん「安倍の正体が、あんなにバカ者だと思わなかったよね」

ひかり「すごいですよね」

Eさん「安倍。あんなにキレちゃって、わめいてさ。公明党の議員も何あれ?」

ひかり「確かに」

Eさん「籠池さんて、堂々としてて、あっぱれじゃないの」

ひかり「籠池さんのほうが立派な国会議員に見えますね」

Eさん「籠池さんの息子もあっぱれだよ、あんた」

ひかり「なんか、ファミリーの戦いっぷりが、いい感じですね」

Eさん「ああいう流れだと、いじめられてる方に肩入れしたくなるってもんだ」

ひかり「ごもっとも。日本人ですから、やっぱりね」

Eさん「はははは」

ひかり「はははは」

Eさん「ずるくて、きたなくて、威張ってる党なんか、応援してたまるかよ」

ひかり「ずるくて、きたなくて、威張ってる党ですね、自民党も今や公明党も」

Eさん「利用されてばかりでたまるかっての、ふざけてんじゃねえって」

ひかり「手弁当で相当やってきましたよね、何十年と」

Eさん「そうだよ。そのまま死んじゃうところだった。人生台無し大損だ」

ひかり「ほんとほんと。人生台無し大損。うーん確かに」

Eさん「おお嫌だ、公明党なんか」

ひかり「何度も裏切りの煮え湯を飲まされて、言い訳ばかり聞かされて、バカにすんな」

Eさん「幹部も幹部だ。選挙の時しか来ないくせに『Fの目標』なんてよく言うよ」

ひかり「そんな義務なんか最初から無いのに。当たり前のようにするから驚きます」

Eさん「変なのに、変だと思わないのが、変なんだよ」




 

蘭夢様に共感

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時03分59秒
  法華経を、学問的に捉えようとすると、たいてい読み損なうようだ。

あのM教授のように。

私にとって、御本尊といえば、大御本尊様のこと。

池田先生に、そのように教えられたから。それだけで十分。

国家権力と戦うこともなく、牢屋にすら入ったこともない者達が語る本尊論に、意味はない。

怪鳥ハラダー流の教学など、そのうち消えて無くなる。



 

十界具足の御本尊 2/4

 投稿者:一人のSGI 代理投稿  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時00分50秒
  さて「御本尊」には「教相」と「肝心」があります。


「教相の本尊」とは、教説を理論的に究明した理の一念三千の法理それ自体であり、
「観心の本尊」とは、教説に説かれた真理を己心に観ずる修行、つまり大聖人の仏法では、
 仏界の湧現を可能にするところの、事の一念三千の御本尊(私達が受持している御本尊)です。


そして、その両者の関係を日寛上人はこの様におっしゃっています。


観心本尊抄文段 上


問う、教相の本尊・観心の本尊、その体たい如何いかん。


答う、今いう所の教相の本尊とは、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門しゃくもん理の一念三千、これを教相の本尊と名づくるなり。


観心の本尊とは、文底もんてい下種の本門事の一念三千、これを観心の本尊と名づくるなり。


今、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門理の一念三千の教相の本尊を簡えらんで、文底下種の本門事の一念三千の観心の本尊を顕あらわす。


故に「観心之ノ本尊抄」という。


http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/honnzonnsyoumonndann.html


つまり、私達がいただいている御本尊は「一念三千の教説」を基にして顕されているという事です。


それについて大聖人は御書でこう言われています。


「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼陀羅なり。当世の習いそこないの学者、ゆめにもしらざる法門なり」(同/新編523)
  草木成仏口決 p1339


「一念三千を識らざる者には、仏、大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」
   観心本尊抄 p254


御本尊に向かい、題目を唱えて仏界を湧現する、、これが観心の修行ですが、その「観じる」べき「心」とは、生命の真理である「一念三千」を悟る「仏の智慧」です。
仏界とはこの「仏の智慧」の異名です。


そしてこの「仏の智慧」が全ての「悪業の根」である、「無明」(生命の真理に暗い)を切る利剣であると大聖人はおっしゃっています。
宿業転換の戦いの為の力強い武器です。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時42分54秒
  今晩は
皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

コモンセンスさん、後出しジャンケンじゃ意味ないです。

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時38分52秒
  執行部の現状がすべてを物語っているじゃないですか。

結晶化して脳裏にこびりついた記憶の断片にとりすがって、
文献の切り貼りによる確証バイアスを幾重にも積み重ねて、
今の自分に都合のよい過去の書き換えになってしまっている。

貴方にお子さんやお孫さんがいるなら、まずはそんな論法で果たして理解可能かを念頭に置きましょう。

問題提起としては最初のうちは悪くなかった。
だが所論の着地点が何処なのか貴方ご自身にも不明のまま迷走を続けている。
広宣流布の未来に目を向けましょう。次代の広布の主役を担う世代に益する議論を興していきましょう。

自己都合に応じた「思い出補正」を繰り返しても、そんなのはただの後出しジャンケン。
若い人たちからすれば、なんのこっちゃ、わけワカメの、おじいちゃんの独り言にしか聞こえません。
実際に貴方が今、青年を育てる立場にいないから、堂々巡りの所論を吐く羽目になるのです。

貴方が必死で擁護する北條さんもそれでは浮かばれません。彼が気の毒です。。

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追記;ヤマトさん。

   吾人(×)→御仁(〇)かと。吾人では吾輩と同じく「私」の意になります。
 

十界具足の御本尊 1/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時15分16秒
  いろいろな御意見読ませてもらって勉強になります。
ここで、私も感じるところを一言?書かせてもらいました。

御本尊は、大聖人が御自身の「仏」の生命の全体像(環境も含める)を、草木成仏の原理で紙面に文字を使って書き顕したものです。

そしてその存在意義は、御自身の滅後、私達凡夫が、いつ、どこにいても、その「仏」の命に感応し、帰命し、境智冥合することによって、この一生のうちに仏界の境涯を体験でき、宿業転換をしていく糧になる、大切な宝です。

御本尊の相貌を分類すると「広」「略」「要」などに分けられるようですが、その定義もいろいろあり、相貌の違いがこれほど多岐に渡る、というのもいろいろな意味があるのでしょう。

只、個々の御本尊が顕されたその時の状況を図ることはできない訳ですから、私達にとって大切な事は、御本尊の相貌の普遍性を見つけ出すことだと思います。

その為には、まず御本尊とは何か、を知る事が大切ではないでしょうか。

先にも書きましたが、御本尊とは、「大聖人の仏の生命の依正、色心、因果等の全体像を、少しも欠かさず完璧に顕された」曼荼羅です。

そして更に御本尊は、私達の生命の鏡でもあるわけですから、この相貌を間違ってしまうと、私達の生命自体を歪んで解釈してしまうことになるのではないかと危惧します。

そして、その生命の表現法の媒体となるのが「諸法実相」である一念三千の法理です。
大聖人はこの「一念三千の法理」を使って御自身の生命を御本尊に表現しました。


 

同盟題目23時に!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時53分28秒
編集済
  開始です。よろしくお願い致します。  

誰とは言わないが憐れすぎる!54年問題は会長追い落とし劇。その結果が北条仏罰である!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時47分57秒
編集済
  先生からみれば、すべては『意味のあること』だとしても、
だからといって

それで当時の執行部が
先生を追い落としたという事実はなんら変わらない。

【池田先生が明言】

「北条は毎日ヤマトモも飯を食って55億を騙しとられた。」

「北条死にました!仏罰です。」

これが真実の如是我聞です!

参考までに54年問題当時の執行部の面々です。
 

意味不明

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時33分25秒
編集済
  どうもわけのわからない論理を吐いている吾人がいるようだが
論理と体験は違うんだよ。

コモなんとかさん、あなたは54年4月24日を実体験として
語ってるのかい?
 

なんて頭の固いバカな奴と思われたか・・・

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時47分10秒
  僕の立ち位置は、戒壇の大御本尊を唯一無二としているので、例え直筆御本尊であっても信仰の対象とはしません。

との文面に、なんてこいつは、頭の固いバカな奴と思われたかな。

この文面では、まぁ、そう思われても仕方ないか(笑)

意味があり、僕的には、論理的に、矛盾しないんだけど・・・

例えば、大御本尊というけれど、どこにあると聞かれれば

説明したいことは、あら、既に法華経の智慧の投稿が・・・
僕より、先生の言葉の方が理解しやすいでしょう。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/66881

ということで、僕は自身の胸中にこそ、大御本尊はあるとを感じているわけで、
大石寺のあれは、そう師匠が定めたものとの認識。
僕も師匠と同じく、大御本尊と定めることを継承している。

では、なぜ、先生は大御本尊を宣揚したのか、そこの捉え方が違うんだろうなぁ。

過去の僕の投稿になります

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58702

大切だと思うので、ごめんなさい、再掲します。
途中、意図が分かりにくい部分について<<>>で説明文を追加しました。

戸田先生も、池田先生も「大御本尊」とおっしゃっている。

大御本尊が後世のものではないか、そんな話がある。
その話に右往左往して、本尊に迷う人達がいる。
さらに酷い者になると、日寛教学が云々、問題ありなどと言う者まで出てきている。

さて、大御本尊が後世とか、そんな話。最近でてきたものではない。
昔からある。

その昔、草創期。巷の噂があり、戸田先生が、畑の猊下を訪ねて、御宝蔵に入り確認している。

つまり、戸田先生は、少なくとも、全て真実を御存じと、僕は思う。
<<当時猊下は、「ご戒壇様だって火にくべれば燃える。木でできたものだから老朽化してなくなることもある。その時は自分が書く」と発言されていた。この意味するところは言わずともわかるだろう>>

その上で、戸田先生は「大御本尊」とおっしゃり。
そして、草創期、日蓮宗等、他の本尊を功徳なしとして、「大御本尊」を宣揚している。

ここに、弟子ならば、どういう意味があるのか、深く深く、思索すべきだ。

師敵対の忘恩の輩は、師匠を侮り、枝葉の事実のみで軽んじて、師匠の深い想いを知ろうともしない。

その挙句、師匠の言葉を好き勝手に捻じ曲げている。

なぜ、大御本尊と言われたのか。深い深い、意味がある。

その意味を知らねば、全ては瓦解した暗黒世界、終末の未来しか見えないだろう。

大御本尊といわれたその意味するところ、それは、全ては法華経の通りであるということだ。

今、法華経に書かれてあることが現在進行形であることを理解するならば、全ては仏の慈悲。

全民衆救済、人類の大きな変革であることがわかるだろう。

仏の願いは、我々が考えるような小さな幸福を衆生に得させることではない。全ての民衆を成仏の境涯へと導くことにある。

どうすれば、仏の境涯を開くことができるのか。

明白である。

「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。」

この御書をよくよく見ていただきたい。「必ず仏になるべし」とあるではないか。

仏の願うところの全衆生の成仏。その為には、何が必要なのか。

三類の強敵が、必要なのだ。その三類の強敵と不惜身命で師弟不二の一念で闘う時、仏の境涯を開くことができる。

今、創価に起きている現象とは、仏の慈悲に他ならない。今こそ、胸中に御本尊があることを覚知する功徳を得て欲しい。

さて、三類の強敵とあるが、我らは、法華経の行者たりえるのか。

大聖人は、法華経を身読することで証明された。

我々、創価は、どうなのか。

ここで、初めて、「大御本尊」が意味をもってくるのである。

「大御本尊」が定まることにより、日顕宗に破門された我々は「数数見擯出 遠離於塔寺」という法華経の難を受けることとなった。
つまり、法華経の行者としての証明を果たしたことになる。

日顕宗に破門されることで、今、正に法華経のドラマが顕現され、地涌の菩薩、即ち、人類が人間革命する時が到来したと言えよう。
日顕宗による破門は、先生陣頭指揮の元での三類の強敵との闘いの予行演習みたいなもの。

本番は、今。主役は一人一人、さぁ、御書の通り、闘おう。そして「必ず仏になるべし」の通り、皆、仏の境涯を得るのだ。

そして、三類の強敵とは、何奴か、板の閲覧者なら御存じだろう。

さて、大聖人が「大御本尊」をどう思われていたか。
推測するしかないが、弟子への御遺命として、最勝の地に本堂を構えてと、本門の戒壇ということを弟子に残されている。
この事を考えた時、本来、自身の胸中に御本尊があることを覚知させるのが大切なことを考えれば、おかしな話である。
本堂とか、中心地みたいな場所は、本来必要ない。我が生命にこそ、大御本尊はあり、その生命の深奥こそ戒壇であるからだ。

ならば、答えは、弟子達の成仏のために本堂といい、本門の戒壇というものが必要だったということだ。

<<未来において三類の強敵たるもの発生を意識していたということ、日顕も、失効部も、すべて衆生の成仏の為に必要。魔王を誘発させ悪として三類の強敵として顕現させるために、本堂が必要だったということ。法華経の通りにするための遺言だったということ>>
<<その証拠に、大聖人は御書で「仏のごとく六通の羅漢のごとく・三衣を皮のごとく身に紆い・一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と・大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等・我が正法を失うべし、・・・」と予言されている。日顕も、失効部も、全て大聖人の予見されたことであり、全人類を成仏させる壮大な計画であることがわかるだろう>>

そのことを考えれば、史実が残っていなかったとしても、大聖人が「大御本尊」を考えられたことは間違いないと推測される。

<<大御本尊という唯一無二が定まらなければ、この壮大な計画は達成しえないことがわかるだろう。これは大聖人の意志だけではない、法華経がそもそも、そういうように書かれている。法華経の通りなのだ。魔王さえも、人類の救済のために使う。これが仏の智慧だ。>>

成仏の為には、三類の強敵が必須。そうなのだ、全ては弟子の成仏の為に、「三類の強敵」を呼び起こす必要があったのだ。

そして、創価の誕生と共に、戸田先生は、「大御本尊」を宣揚した。
草創期の大先輩達の功徳。「大御本尊」が「大御本尊」として力用を発揮した。ここに意味がある。

<<草創期の大先輩達の闘いは真贋を超えて「大御本尊」を真実の「大御本尊」と昇華させた。それに呼応し、魔が競い魔王が引きよせられた。仏と魔は表裏のように対となる。真実の「大御本尊」には魔王が引き寄せられる。そして法華経の壮大な時が動き出した>>

日寛上人も、戸田先生も、大聖人の意図すること、仏の意図することを理解した、だから「大御本尊」と宣揚したのだと推測される。
戸田先生は牧口先生から、発迹顕本しなさいと、まるで悪いことしているように責められたと言われている。
そして、戸田先生は、三類の強敵が顕れるのをずっと願っていた。
また、池田先生も、我々、会員に目の醒めるような発迹顕本を、と言われている。

大聖人の発迹顕本とは何だったのか。

牧口先生は言われた。我々は法華経の信者ではない。法華経の行者だと。

全ては、今、この時のため。さぁ、闘おうではないか、素晴らしい黄金の時だ。信心の総仕上げだ。法華経の通り、目覚めよ民衆よ。
そして、この世界を人間革命の波で覆いつくし、人類の今までの不幸な歴史にピリオドを打とう。
 

何だか意味不明(笑)

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時40分19秒
  誰とは言いませんが(笑)

ここでは既にかなり前から判別して論じているのですが?

何を今更、グダグダと同じ様な事を言っているの?
 

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