本日、4月1日をもって、自分は約5年間勤めていた会社を退職しました。
箱型キテレツマシーンに中指の指紋を取られるのも、今日で最後です。
「いつもニコニコゼロ文句、手など抜かないハードワーカー」
カナダに移住して約11年。自分はこの会社に入るまで、典型的なノースアメリカの日本人像を必死に演じていました。
英語が感情に追いつかなかったこと、そして知り合いも頼れる人もいない状況を生き抜く為に、なるべく敵を作ってはいけないと盲目的に考えていたことが原因です。
カレッジ時代に行った企業研修がきっかけで入社する事になったこのホテルでは、本当に色々なことがありました。
「マックと同じバーガーを作って」等、無理難題の呪文を連日唱えてくるゲストとのバトル。
出身国別にクセがある同僚さん達とのせめぎ合い。
エレベーターのボタンを全て押して逃げるガキ、お子様との追っ掛けっこ。
移動した飲食部で「ファ○ク」が合言葉であるキッチンスタッフとの関係作り。
途切れる事なく迫り来るYouはShock(ユワシャ)の衝撃波。ニタニタイエスマンでは太刀打ち出来るはずもなく、横っ面を引っ叩かれる日々が続きました。
イエスマン、いち抜けた。
「ですので、お客様、先ほども申し上げた通り、当ホテルではLEGOブロックの貸し出しサービスはございません」
横暴になるのではなく、無理なものは無理と強く伝える。
「C君、担当のステーションがポテチまみれだよ、ちゃんと掃除してね。それから、プレッツェルの粒塩まみれになった電話の受話器、消毒してから帰ってね」
黙ってキレイキレイするのは優しさではない。ノースマイルでしっかり伝達。
(あっ、G君またゲスト情報の引き継ぎ忘れてる……)
強くなろう。
自分の人生で最も足りていなかったもの、それは強さです。
土俵際のうっちゃり取り組みを幾度も重ねた結果、自分の通名は ”クレイジージャパニーズグランマ” になりました。
ほら、キャッシュアウト間違えてる。
ほら、こことここ、入力ミスしてる。
ほら、タコスのカスが服に付いてる。
約5年、自分はその年月をかけて、どうにか四股を踏めるようになったのです。
勤務最終日の出発前、気持ちがソワソワしていたので、自分は庭にある大きなもみの木の前に行き、無事に仕事が終えれるようにと祈りました。
心がどうも落ち着かないのは、最後の仕事だからではありません。
仕事終わりのこの日、ホテルのボールルームでは年に1度の全カナダ・ダンスコンペティションが開かれ、ユワシャゲストの中でも圧倒的な戦闘力を誇るダンスマム達が勢揃いすることを知っていたので、浮き足立っていたのです。
(誠に勝手ながら、家の安全、及び、一般的な願掛けをさせて頂いているビッグもみの木将軍)
ダンスマム。おっかないですが、最終決戦に相応しい相手です。
バッチこいと準備した思いとは裏腹に、去年のダンスマム集団の恐ろしさが通勤中に蘇り、ドッキドキの状態で職場に着くと、いつもはバッチリ帰り仕度を済ませている朝勤務の同僚が悠長にパソコンをいじっていました。
「まだ終わってない仕事があって、あと30分くらいはかかる。その間の電話対応はするから、裏のキッチンに行って今日の予定を見てきてくれるかな?」
裏のキッチン?
当日の予定は、すぐ横のコルクボードに貼られてあるはず。
1分の残業さえ嫌がるG君が30分も残るなど、ありえない。
あ、これドッキリだ。
やけにオフィスを覗いてくる他のスタッフ。
「早く行った方がいいよ」と含み笑いをして、キーボードをエアタイプするG君。
前回、仕掛けて頂いた時と同様の匂いがプンプンします。
ドッキリは、そうと分かった時点でドッキリではなくなります。
(どうしよう、どんな感じのリアクションをしよう……)
意地汚い心が顔を出します。
色々と考えを巡らせながら、普段は誰もいないバックキッチンに足を運ぶと、見慣れた顔が一列に並んでいました。
あ、やっぱり、ドッキリだ。
何とも言えない気持ちで皆の方へ笑顔を向けると、その列の先頭にいた副料理長が、持っていたトングをマイクのように握って自分に向けてきました。
「ヨシ、ノーライス?」
「え?」
「ノー、ノー。ヨシ、ノーライスゥ?」
「あ、あぁ! ノーライス、ノーライフ!」
ノーライス、ノーライフ。
お米大好き人間である自分は、パスタやポテトばかりの社食メニューを避け、いつも大量のご飯を家から持参していました。
以前その事を副料理長にからかわれ、「ノーライス、ノーライフだ!」と主張してから、そのフレーズがキッチンの間でよく分からない合言葉のようになってしまったのです。
ノーライス、ノーライフ。
自分がそう答えたのを合図に、ドアの向こうにいたキッチンスタッフが1枚のお皿を持って現れました。
1膳のご飯に立てられ、火花を散らすスパークラー。
テンテン、スイカ頭。
それはまさに、いにしえのキョンシーで見たお供え物。
ノーライス、ノーライフ。
完全に、予想外の光景です。
「大丈夫、スィーツもちゃんとあるから」
記念の写真を撮っている自分の肩を叩いたスーシェフは、何度か盗み食いをした大好きなガナッシュタルトのプレートを並べて置いてくれました。
上手く言えないのですが、ここで働いてきてよかったという思いや、良い人達に恵まれたという気持ちより先に、生きてきてよかった、という感情が浮かびました。
握手をして、抱きしめる。
パーティーなどであんなに苦手だったハグを喜んで交わす事ができた皆様に、多大なる感謝です。
自分が最後の日だからといって、その日のダンスマム方の対応が楽になるはずもなく、相変わらずボスキャラ感全開で大変でしたが、何とか無苦情で終わりを迎える事が出来ました。ありがたや。
(シンボルピンよ、さようなら)
「柱もねぇ、壁もねぇ、床板まともにハマってねぇ」
幾三・三拍子揃った改築中の家の間借りから始まったカナダ生活。
本当に何もない状態から、どうにかここまで来ました。
次の就職先は、カナダに来て初めて自分の意思で勤める所です。
生き残る為、根を生やす為ではなく、自分が働きたいと思って勤める職場。
声を掛けて頂いた縁に多謝です。
小説や詩など、まだまだ書きたいことばかり。
新しい刺激が自分の思いに反映されますように。
(氷と雪で埋め尽くされていたオンタリオ湖も、完全に溶けています。もう、春です。明後日から1週間ほどネットが使えない環境になります。想像しただけでも不便で恐ろしや)