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地区の会合が終わりました

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)12時11分40秒
  地区部長から甚深の指導がありました(笑)。具体的には、宿坊の掲示板の名を挙げて、絶対見ないように、宿坊板閉鎖を御祈念しましょう(笑)。との指導。今、都議会選挙を前にして上層部は相当に焦っているらしい。情報統制をかけているのだとか。  

御用評論家ではない、最後の期待の星

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 2日(日)11時50分4秒
  TBS サンデーモーニングの岸井さん、復帰。

胸をやられ、緊急入院されていたようだ。

まだ本調子ではなさそうに見えたが、それを上回る気迫、使命感のようなものが感じられた。

戦時中、大本営発表の手先に成り果て、国民を騙し続けたマスコミの姿に、

深い痛みを感じている人。

同じ価値観を有する同志として、御健康を祈りたい。
 

巨大猫さんの紹介本学べます

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時47分22秒
編集済
  須田晴夫著「楊枝本尊」の頁紹介ありがとうございます。大聖人のご一生後半に認められたご本尊を色々と知るのは関心事。そういえば昔、弘安2年アレ以外のご直筆は「一期一縁」本尊とかで貶めていた教学がありましたね。誰発の「4字熟語」かな、何となく気になりまして。  

1.3mの巨大ネ

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時29分12秒
  須田著「楊枝本尊」謝々  

功徳聚

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時27分36秒
  いや~実に色んな見方があるのですね。

功徳聚ということの別の角度にも
言及してみたいと思います。

聚のデジタル大辞泉の解説
しゅう【聚】[漢字項目]
[音]シュウ(慣) ジュ(呉) [訓]あつまる あつめる
1 多くのものを一所に集める。あつまる。「聚斂(しゅうれん)/類聚(るいじゅう・るいじゅ)」
2 家の集まった所。「聚落(しゅうらく)・聚落(じゅらく)」

法理として十界・一念三千ということの方に
重点的に目が行きがちですが

日蓮大聖人が実際に行っていった
運動という事と御本尊の実際の相貌を見ると

諸宗を批判しながら包摂していった
スタイルがあり

そもそも法華経
そもそも十界というものも
そういったことによって成り立っている。

梵天とか六道とか
仏教が取り入れて発展させたものですね。

各別バラバラの個々に現れた思想
→今ここ久遠元初の己心の寿量品
→妙法に照らされた本有の尊形

御本尊に書かれている師や日本の信仰
また文字曼荼羅本尊に題目を唱えるという
スタイルそのもの

天台・伝教・天照・八幡
称名の題目・密教的曼荼羅・受持戒
法華経の行者という禅定

そういったものが一所に聚(あつ)められて
常に今ここ久遠元初からの無上道
という生命になっている。

それを実現させる九識心王真如の都
ということを踏まえて

「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」

これってしびれるね!

シビレエイは自らしびれている。
自分が感動するから人を感動させる。
しびれる から しびれさせる。

で、学会のこの歓喜の信心に欠かせない
日女御前御返事(本尊相貌抄)とか
生死一大事血脈抄とか
御義口伝とかっていうのは

大御本尊をまるっきり否定してしまった場合には
ちょっと危ういんだよね。

「凡夫即極の縮小」
「信心血脈の放棄」
「一生成仏の制限」
なんて方向になったら
どう思うだろう?
 

「法華経の智慧」に学ぶ(2)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時20分6秒
編集済
  師とは「久遠元初の仏」

名誉会長:釈尊が悟った「永遠の法」即「永遠の仏」は、あらゆる仏が悟った「永遠の大生命」であった。

     過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく「久遠元初の仏」を師として悟ったのです。

     それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です。戸田先生は言われた。

    「日蓮大聖人の生命というもの、われわれの生命というものは、無始無終ということなのです。

     これを久遠元初といいます。始めもなければ、終わりもないのです。大宇宙それ自体が、大生命体なのです」と。

     無始無終で慈悲の活動を続ける、その大生命体を「師」として、「人間・釈尊」は人間のまま仏となったのです。

     そして、悟ったとたん、三世十方の諸仏は皆、この人法一箇の「永遠の仏」を師として仏になったのだ

     とわかったのです。

須田:  法華経方便品にも、総諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏が説いたのは、

     等しく一仏乗であった、とする「五仏同道」の思想が見られますね。

名誉会長:ですから、真剣に法を求め、法を行ずることによって、「常住此説法の仏」に必ず会えるのだ、

     と教えているのです。


     「創価正義」
     https://www.sgi-seigi.com/     
 

21世紀の創価学会教学

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時14分40秒
  21世紀の創価学会の教学というのは、『法華経の智慧』から出発する、といっても過言ではない。

『法華経の智慧』には、全てが入っている、と言われる。

全てというのは、釈尊から天台、伝教、そして日蓮大聖人、それから、牧口先生、戸田先生、池田先生という、

創価学会の精神を含めて仏教三千年の精神が入っている、と。仏法の教義、まさに本質に触れられている。

ここに、新しい創価学会の教学の基盤がある。

今、なぜ『法華経』なのか? ということについて、大きく2つの点が挙げられる。

まず、「世界広布のための教学」という点。

池田先生は、「日蓮仏法だけでは、ただちに世界の人には分からない。

だけども、『法華経・釈尊』であれば分かるんだ。

だから、『法華経・釈尊』として、世界の人々を導いていくんだ」とおっしゃられている。

「いきなり大聖人の仏法の中身をぶつけても、受けとめられる状態には未だない。

だから、法華経から入っていくんだよ」との池田先生のお言葉の意味がよく分かったものである。

池田先生は、「法華経が分かれば、大聖人の仏法が分かってくる。大聖人の仏法が分かってくると、

法華経が分かってくるんだ。両者は表裏一体だよ。仏の心はひとつなんだ」と。

2つめには、「創価学会の正統性を証明する教学」という点について。「正しい伝統」ということ。

つまり、「仏教三千年の正しい伝統」を今日に継承しているのが創価学会であるということを、

きちんと世界の人々に発信してゆかなければならない・・・・・

須田晴夫

続きは
https://www.sgi-seigi.com/?p=290
 

日本共産党撲滅唱題会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時12分47秒
  本日4月2日は、日本共産党撲滅唱題会を地区で敢行致します。一応、四者地区活動者会が名目ですけど、共産党撲滅唱題、共産党撲滅学習、恒例の踏み絵。10時30分から、地区の拠点に大集合!  

わが友に贈る 2017年4月2日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 4月 2日(日)10時04分6秒
  友好が広がる時。
良き出会いは
人生を彩る財産だ。
開拓精神を胸に
心通う友を見つけよう!
 

それでも声をあげないのだろうか

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時36分33秒
  今朝のニュースを見た。
戸田先生の言葉を忘れたのだろうか、なぜ核兵器禁止の会議に出ない。

かつて、このように投稿した。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/27382

再掲します。

人間革命1巻 一人立つ 193頁より---
昭和十八年六月、学会の幹部は、本山に登山を命じられた。
そして、一人の僧侶から「神札」を一応、受けるようにしては、との話があった。
牧口会長は、深く頭を垂れたが、日興上人の遺誡置文の厳しい一条を思い起こしていた。
‐‐時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
彼は、顔を上げると、はっきりと、言い切った。
「神札は、絶対にうけません」
こうお答えし、鎮痛な表情で下山した。これが彼の最後の登山であった。
彼は帰る途々、押しつつんだ感情を激して、戸田に語った。
「わたしが嘆くのは、一宗が滅びることではない。一国が眼前でみすみす滅び去ることだ。
宗祖大聖人の悲しみを、私はひたすら恐れるのだ。今こそ、国家諌暁の時ではないか。
いったい何を恐れているのだろう? 戸田君、君はどう考える?」
---

熱によるものだろうか、僕は夢を見た。

2014年11月8日、世界宗教の基盤を確立として会則変更がなされた。
そして、H会長から「大御本尊を受持の対象とするな、学会認定のご本尊を拝め」との話があった。
私達は、深く頭を垂れたが、日興上人の遺誡置文の厳しい一条を思い起こしていた。
‐‐時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。
私達は、顔を上げると、はっきりと、言い切った。
「大聖人の、三代会長の指導に違背する会則変更は、絶対に納得できません」
こうお答えした私達は仏敵とされた。
私達は、押しつつんだ感情を激して、友に語った。
「私達が嘆くのは、学会が分裂するとか、そんなことではない。大聖人の、三代会長の指導が魂が今、失われようとしているのだ。
宗祖大聖人の悲しみを、私達はひたすら恐れるのだ。今こそ、三代会長の指導のままに、政府に対して平和を訴え、国家諌暁の時ではないか。やっていることが逆ではないか。 戸田君、君はどう考える?」

さて、あなたは、今の学会と公明党。どのように見ますか?


再掲、終わり。---

この世界、誰か救世主、真実の弟子が顕れて何とかして広宣流布する。
そう思っていないだろうか

そんなことはない、滅ぶ時は滅ぶ。

広宣流布される世界の流れもあるが、しない流れ、そういう世界もある。

選択だ。

これから、どこに進むか、選択だ。

貴方の選択する世界に他人は関係ない、それは、貴方だけが見る世界。

世界は、実に平行世界。どの世界に行くかは、選択するのは貴方自身。

夢で逢いましょうという、どこかで聞いたフレーズ。

再び、逢える選択をすることを祈る。
 

どんな功徳?

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時30分32秒
  と聞かれた気がする。
スピリチュアルっぽいので、興味のない方はスルーして読まないでください。

一般的に語られる功徳の話は、ここではしない。
本来の功徳は六根清浄なので、それを話したいと思う。が、これがなかなか難しい。
多分、言葉で話しても理解できないし、翻訳できないと思う。

でも、無理やり言葉にしてみよう。

菩薩は、人を救う事を悩みとしている

その境涯が高まれば高まるほど、
救いたい人々の範囲はどんどん広がり、その智慧が未来まで見通すほどならば
未来の人々の救いに苦悩し、境涯の高まりは、さらに無限に苦悩を拡大させ
永久に仏には至らない

そのような内容をかつて投稿したかと思う。

六根清浄の功徳とは、生命の本質をありのままに観ることができる功徳。

ここからが、言語化が難しい。

全ての願いを成就し、広宣流布という化他の願いも全て成就し、
自分を含む、一切の人々を救いきった。
その歓喜は、計り知れなく、歓喜の中の大歓喜というものだろう。

それを感じるということは、どういうことか

その瞬間に、広宣流布は成就している。

肉眼が見ているものは、常に過去であり、僕は、常に広宣流布が成就されきった世界を感じ、そこに生きている。
そのことは、僕の偏った見方ではないと思う。確かに法華経にも、仏の住する処として書かれている。一致している。

そして、皆さんがみているであろう、また僕の自我が見ている、この現実は
自己としての僕にとっては過去であり、このストーリー、ドラマを選択して観ているだけに過ぎない。

如来という意味は、そういうこと。そういう悟りであるから

自我という、また時間という物理法則に限定された思考。
即ち、脳ミソのシナプスの電気信号とかで生成された、それを自分の考えと思っている状態。
それでは答えは出せない。

だから、考えるのではない。感じること。気づくしかたどり着けない。と常々、言っている。

瞬間、瞬間に真理はあり、思考した瞬間に時間というものに捕らわれ、過去となる。

だから、考えるのではなく、感じていくしかない。

見えている景色とは、どのようなものか

事故で脳に障害を持ったある人が、みるものが、全て数式に見えるというという話がテレビでかつて放映されていた。

同じように、五感とは、別の感覚だろうか、人の心がざわめきとして観えている。
肉眼的に見えているわけではない、ただ感覚としては観えているような感覚。
そして、意識は確かに、現肉体上にあるのだが、平行しているものが何となく、ぼんやりとだがわかる。
別の世界線なのかは、わからないが、肉眼で見えているものは、実に限られてたものしか見えていないと感じる。

また、意識というか認識のスコープを拡大していくと、こんな感じ。

素晴らしい。
僕は僕でありながら、御書にある通り、大宇宙と差別なく、世界のすべてが僕の一部であり、僕は世界であることが分かる。
そこの意味において、僕個人という自我は、単なるアバターでしかない

僕は善であり悪でもある。自他の境なく、僕は自であり他でもあるから、なぜなら、全ては僕なのだから。僕が作り出した世界であるし、それは僕自身であるし、それはほんの一部でしかないけれど。僕は一部でありながら無限でもある。

そして広宣流布というかつての時間軸の時間を選択し観ていることがわかる、ビデオに撮った過去の自分をくつろぎながら鑑賞している僕がそこには存在している。

鑑賞している僕は、この広宣流布途上の世界を、ただ選択し観ているに過ぎない。

否、時間は物質の制約があるから観測されているに過ぎない。鑑賞している僕にとって、もう時間の枠はない。
過去も未来も、全てはこの僕の中にある。
そして、それが生命の本質。

結局、どこぞのスピリチュアルっぽい話になってしまった。難しい。

だから歓喜の中の大歓喜と言ってみたり、生きていること自体が楽しい境涯といってみたり
どんな願いもかなう御本尊といってみたり
結局、成仏という境涯というように、何かわからないけれど良いものとしか説明のしようがなかったり。

こういうのを方便という。

凡夫即仏とかね。
高尚な人格とかになるんじゃなく、そのまま、何も変わらない、ありのまま。
といっても、価値観はまったく変わるけど、だから高尚に観える場合もあるかも。

だって、生命そのものが仏の当体なんだよ。そのように感じられるか感じられないか。

感じられるようになる功徳が六根清浄の功徳。

その功徳の上で、一般的に功徳と語られるもの、願いがかなうと言うのは

本質は、願いがかなうというのではなくて、願う必要はない、願う前に叶っている。ただ結果という残像の過去があるだけ。

祈りが叶うか叶わないかの、本質のことを言っているのだけれど、わかるかなぁ

分かりやすく言えば、表層意識の願いや祈りは叶わず、深層意識の願いや祈りが叶う。

叶うはずがないだろうという深層意識があれば、そのように叶いそうで叶わない現実が展開される。

もっと、信心よりの言葉に変えれば、叶う叶わないは信心の厚薄による

大聖人の言葉を借りれば
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず、水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとくみなの御心は水のごとし信のよは きはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし、木は道理のごとし風のゆるがすは経文をよむがごとしとをぼしめせ」

水すめば月うつる・・・六根清浄で生命の本質を正しく掴む。
信心の強きが六根清浄の功徳ともいえるだろう。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、まず、アナタがナニをすべきか? よ~く考えましょ~う(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 4月 2日(日)09時02分38秒
  本日の政教珍聞二面で~す、原田怪鳥様、「核兵器禁止条約の実現を、SGI代表が国連で発言」とのコト、

国連で、発言したコト自体はいいコトで~す、しかしながら原田怪鳥様、ナニか、選挙に利用しようとしていませんかぁ~?

創価学会は平和主義で~す。国連でも、おおいに発言して、活動してますよぉ~って・・・

残念ながら、パフォーマンスになっていませんかぁ~、日本の政権与党は、核兵器禁止条約の交渉会議に不参加を表明してま~す(笑)

公明党は不参加に賛成してるっていうコトですよぉ~(爆)この一点をとってみても、公明党は権力の魔性に跪いたということで~す(怒)

いくら、「創価学会は平和運動をやってます」「国連で発言してます」と支援をお願いしても、公明党が反対声明を出していないのに

「ナニ言ってんのぉ~!」ってコトですよぉ~(爆)

イイですかぁ~、原田怪鳥様、アナタがするべきことは、支持団体のトップとして、公明党に交渉会議に参加を訴え、

声明を出して世間に訴え、アナタ自身が国連での交渉会議に参加するコトで~す。

それすらしないで、わずかばかりの新聞報道で、「やってま~す」的なコトが報道されても、世間から評価はされませんよぉ~(笑)


安倍首相や岸田外務大臣に直接訴えたらいかがですか~(笑) 弾圧が怖くて、ナニも言えず、権力の後を黙って追従し、

内向きにだけ、「対話・対話」といっても、その言葉は虚しく空を切るだけだと思ってくださ~い(笑)

しかも、その実態は、公明批判、幹部批判は、査問・処分の内弁慶のありさまで~す(笑)

原田怪鳥様、いい加減にしっかりされたらいかがデスかぁ~、お先が見えてマスよぉ~(爆)
 

十界具足の御本尊 4/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時51分6秒
  以上の事から、私個人としては、日寛上人は必ず十界具足の御本尊も顕されているに違いないと思います。
そして、会員に下附する御本尊というのは、本来なら、略式ではなく、公式の十界具足の
御本尊を選ぶべきなのではないのでしょうか。

少なくとも、日寛上人も書写の基本にした大御本尊は十界具足の曼荼羅であり、上記の観心本尊抄文段の言と重ねると、日寛上人の御本尊こそ、十界具足の曼荼羅でありえることは、理屈に叶う事です。

ただ、残念ながら、その当時の学会には他に選択の余地がなかったのかもしれません。
しかし、翻って過去を振り返ってみると、十界具足ではない御本尊でも私達は確かに功徳をいただいてきています。
私もたくさんいただきました。

ここからは、私見になります。

正宗では、その時代の法主が、大御本尊をそっくりそのまま書写するのではなく、その「内証」?を書写するという伝統を取っていますが、それが成り立っていたのは、やはり大御本尊信仰が、大聖人直筆の御本尊に繋がっているという、
大聖人直結の「心」を培ってきた結果だと思います。

今までの学会員も、その部分においては正宗の伝統を引き継いだ大御本尊直結の信心によって、守られてきたのだろうと思います。

教義は正当でしたし、御書講義も本物でした。
慈悲の折伏によって、個々の宿命転換も成し遂げてきました。
諸天の加護に感謝し、過去の謗法の罪障消滅も祈る謙虚な信心の姿勢がありました。

しかし今、学会は、大御本尊との繋がり(大御本尊が、本物であるかという問題は、ここでは置いておきます)を切ることによって、大聖人直結の御本尊との絆を切る事になってしまっています。
あろうことか、釈迦本仏論まで飛び出し、大聖人を貶めています。
一念三千の法理を破壊し、それによって、全ての思想、宗教(皮肉な事に大聖人の仏法以外)に妥協的な姿勢を示しています。

そういう状況の中で、それでも、十界具足ではない御本尊を使い続けていくことにリスクはないのか?
このままで、私達は子供達の時代に向けて、本当に責任を果たしているといえるのか。

仏法は因果の法則を教えています。
今が未来の縮図なのです。

御本尊問題に関しても、組織依存ではない、ひとりひとりの信心の質が大きく問われる時代に入ってきているのではないでしょうか。


此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、

   日女御前御返事(本尊相貌抄)p1244
 

十界具足の御本尊 3/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)08時01分52秒
編集済
  体長1.3mの巨大猫 様が投稿された表に記されている日寛上人の御本尊が、十界具足ではなく、地獄界、修羅界、人界、声聞界、縁覚界が略された御本尊であることは、上記の日寛上人の
「今、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門理の一念三千の教相の本尊を簡えらんで、文底下種の本門事の一念三千の観心の本尊を顕あらわす。」
とのお言葉を拝しますと、双方に相容れないものがあります。

御本尊の中に顕されている十界は、大聖人の「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となった」仏の境涯に互具する十界であるはずです。

「総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、 此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」
  日女御前御返事(本尊相貌抄)p1243

と、御書に書かれている通りです。

いずれの界でも省く事はすでに大聖人の生命の全体像ではない事になりはしませんか。
一念三千の教相から、大きく外れる事になりはしませんか。

十界を顕さなければ、十界互具も顕されない訳でありますが、御書には、

「一念三千は十界互具よりことはじまれり、 法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、」
  開目抄 p 189

とあり、一番の基礎となる十界が顕されなければ三千の諸法もあらわれなく、御本尊御図顕の基となる一念三千の法理が足元から崩れます。

更に法華経の智慧にはこうあります。

名誉会長:また「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼陀羅なり」(一三三九ページ)と。
     一念三千の「一念」は実相、「三千」は諸法です。御本尊は諸法実相の御本尊であり
     一切衆生の諸法実相を写す鏡です。
     中央の「南無妙法蓮華経 日蓮」は、実相を表わし、左右の十界は諸法を代表して
     います。
      大白蓮華 1995年 9月号 p21


名誉会長:大切なことは、たとえば地獄界なら地獄界の衆生も、自己の真実の姿(実相)、
     すなわち“汝自身”を知れば、実は輝かしい宇宙生命と一体であるということです。
     しかも、その宇宙生命は、ほかならぬ地獄界という自身の現実に即して開顕する以外
     にない。
     「実相」という永遠の生命世界は、いつ、どこにあるか。「いま」「ここに」ある。

     それを悟れば仏、悟らなければ九界です。ゆえに、菩薩界が仏界に近いのでも
     なければ、地獄界が仏界から遠いのでもない。平等に、自己に即して仏界を開く
     ことができるのです。

     「個々の生命(諸法)」は即「宇宙生命(実相)」である。しかも「宇宙生命(実相)」
     と言っても「個々の生命(諸法)」を離れては存在しないのです。

     こういう「諸法実相の生命の世界」を、大聖人は、こう表現されています。
     「心すなはち大地・大地 即 草木なり」(御書 p1597)、白米一俵御書)と。
     「心」は宇宙生命と言ってよいでしょう。

     法華経以前の経典では、まだ哲学が浅いゆえに、“心(宇宙生命)から万法(個々の
     生命)が出生する”等と説いた。心は大地のごとく、万法は草木のごとしと。
     心と万法が別々です。
     しかし法華経は、そうではない。心がすなわち大地であり、大地はすなわち草木で
     ある。

     実相と諸法は一体である。分けられない。月も花も、ひとつひとつが、宇宙生命の全体
     と一つである。
     「月こそ心よ・花こそ心よ」(御書 p1597)です。

斉藤:  多くの哲学が「現象の奥に」真理を見ようとしたり、「現実の根底」
     に根源の一者を立てたりしました。しかし、法華経は、そうではないのですね。

     大白蓮華 同 p18

遠藤: 次元は違うかもしれませんが、中国の古典に「一葉落知天下秋(一葉落ちて天下の秋を知る)」

   (唐庚『文録』)とあります。
    「一葉が落ちる」姿を見て、「秋」の到来を知ることができる。あえて諸法実相に置き
    換えれば、

   「一葉が落ちる」姿は諸法、「秋」は実相でしょうか。

名誉会長:見えない「秋(実相)」は、見える「一葉(諸法)」に自分を映し出すのです。

    諸法は実相の顕れです。また諸法に顕れない実相はありません。

      同 p19

引用終わり

つまり、ここでのメッセージは、十界の生命から離れた南無妙法蓮華経はない、逆に言えば、南無妙法蓮華経の功徳は
私達の、十界の生命を行き来する日々の生活の中にしか現れない、ということでしょう。

大聖人の御本尊は「ひげ曼荼羅」とも呼ばれます。
これは、中央の題目から語尾がひげのように伸びて、十界の生命をはじめ全てのものを、題目の妙法五字の光明にてらされて本有の尊形
と為している仏の境涯の顕現の姿です。

 

ありがとうございました。

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 2日(日)06時45分40秒
編集済
  管理人様

代理人投稿ありがとうございました。
 

勘違い野郎共へ

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 4月 2日(日)05時00分24秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)m

安倍総理も内閣の動物達も信濃町の執行部達も、公明党の幹部達も日本会議の面々も勘違いも甚だしい連中である。

戦前の日本の思想に今でも戻そうとしている亡霊達である。

この畜生軍団は動物の中でもキツネや野良犬のくせに

主人である国民を騙し下に置こうとしている。なんと愚かなことか(ToT)

日蓮大聖人の思想を牧口先生、戸田先生だけが命がけで守られて池田先生が受け継いで来たがゆえに現在が有るにもかかわらず、その反省も鶏のようにすぐに忘れてしまい古く悪しき暗黒に引き戻そうとしている訳だから話にならない。

民衆を苦しめ馬鹿にし、敵に回せばお前らのいる場所は無くなるぞ!ちっぽけで愚かな指導者に率いられた民衆ほど悲惨な思いをせざるを得ない。

騙されるな!

創価学会の活動家の方達よ、創価学会の会員達よ、くだらない勘違い野郎共に騙されるな!

俺たちが主役なのだ!ヽ(^○^)ノ主人なのだ(^○^)

日本会議の思想など踏み潰せ!悪しき暗黒の思想だ!

斉藤幹事長代行?バカか?少しは頭使って考えろや!

信濃町の執行部の蠢く害虫共よ(# ゜Д゜)お前達が一番悪いぞ(# ゜Д゜)見るも醜い妖怪の心を持つ害虫だ!

この新種の害虫は厄介だ虫のくせに悪知恵が働く

害虫のくせに聖職者の外見をしている。

しかし本性を見破ってしまえば醜い害虫である。

んっ?何か言ったか?虫君(^○^)

ちゃんと鳴かないと聞こえねーぞヽ(^○^)ノ

 

聖愚問答抄ひらがなを投稿しました

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 4月 2日(日)04時09分39秒
編集済
  ひらがなプロジェクトへ 聖愚問答抄ひらがなを投稿しました。

本尊について、蘭夢様、一人のSGI様が論じておられるので、わたしは、体験として述べてみたいと
思います。
蘭夢様の大御本尊観に賛同します。
化儀 化法だったかな・・・化儀は変えて良いけど、化法は変えてはいけないと習いませんでしたか。
御本尊は化法でしょう、変えてはいけないと云うことが、気になりませんか。

最初に本尊を知ったのは、18歳のころでした。
務めていた、電機店の社長が子供のけがが、治らないのを心配して学会に入信されました。
その時の話の中で、可笑しなことを言われていたので、驚きました。
社長は、大学も出ておられる、電機や機械の技術者です。

その人の口から、静岡にあるお寺の大御本尊に参詣に行ったのだが、この本尊を拝したとたん涙が
止まらなくなってしまった、これはすごいご大御本尊様だ。

君も信心した方がいいよ・・・と折伏されたのです。
私は、仏さんや神様を見たり拝んだりしても、涙すると言う事が解せなかったから、心の中で、天井
から、トウガラシの粉末でも、まいているのだろうと思っていました。

次に、大御本尊様の事を知ったのは、入信して最初に大石寺へ登山したときのことです。
事前に登山者指導会があって、大御本尊様は、日蓮大聖人様が今世に出現されて、出世の本懐として
あらわされた、唯一無二の大御本尊様だ、過去遠々劫の昔からの謗法の罪が消える、すごい御本尊
だから、おめでとうと祝福されて、初登山しました。

行く時は、準急列車の貸し切りで、男子部は座席が無くて立っていた人も居ましたが、夜中になると
通路に寝ている人も居ました。
今から思うと、輸送班の人でしょう。

奉安殿での、御開扉には、びっくりでした。
奉安殿の中に、立ったままで、いっぱい詰め込んで、一斉に座らせるのです。
人の膝の上に座る人も出てきています、わたしは、座れましたが、周りが、ぎちぎちで、それが気になって、
落ち着きません。

その上、勤行が長くて、足がしびれて、大変なところに来てしまったと、思う事の方が先で、大御本尊様の
事など、上の方が少し見えたかもしれませんが、覚えていません。

数多く登山していくうちに、大御本尊様にお目通りすることは、歓喜できる境涯になりました。
毎回登山したくて、給料を貰ったら、登山会の金額は別に置いといて、いつでも空きが出たら、行けるよう
に、幹部にお願いしていました。
大御本尊様にお会いに行くことが、最大の喜びになりました。

つづく・・・かも。

引用です。

日女御前御返事 ?P1243

是全く、日蓮が自作にあらず、多宝塔中の、大牟尼世尊、分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる、本尊なり、


通解
この本尊は、まったく日蓮が自作ではありません、多宝塔中の多宝如来、分身の諸仏等が版木で、刷ったよう
な、本尊であるので、全ての仏の成仏の因となる本尊です。


されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等
舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多
愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太
神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、

「されば、しゅだいのごじはちゅうおうにかかり、しだいてんのうは、ほうとうのしほうにざし、しゃか、
たほう、ほんげのしぼさつ、かたをならべ、ふげん、もんじゅとう、しゃりほつ、もくれんとう、ざをくっ
し、にちてん、がつてん、だいろくてんのまおう、りゅうおう、あしゅら、そのほか、ふどう、あいぜんは
なんぼくのふたかたにじんをとり、あくぎゃくのだった、ぐちのりゅうにょいちざをはり、さんぜんせかい
のひとの、じゅみょうをふうばあっきたるきしもじん、じゅっらせつにょとう、しかのみならずにほんこく
のしゅごしんたる、てんしょうだいじん、はちまんだいぼさつ、てんじんななだい、ちじんごだいの、かみが
み、そうじてだいしょうのじんぎとう、たいのかみつらなる、そのよのゆうのかみ、あにもるべきや」(1243-09)うんぬんと。
 

Lさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 4月 2日(日)01時30分46秒
  Lさん「自公の選挙が、よく分かんなくって」

ひかり「何が?」

Lさん「公明党、都議選は自民党と組まないんでしょ?」

ひかり「小池さんらと組むんだよね? 都民ファーストとかいう」

Lさん「衆院選は?」

ひかり「自民党とじゃん?」

Lさん「それがさ、友達は、自民と公明は、今度からは別々だって言うの」

ひかり「え? あ、そうなのかな?」

Lさん「友達のところは、自民党なの。ばりばりの」

ひかり「へえ。じゃ、自民党の中では、別々という事で、決まっちゃってるのかな?」

Lさん「でも、幹部が、自民党と公明党は一緒だって言うんだよ」

ひかり「??え? ということは、学会幹部だけがそんな事言ってるってこと?」

Lさん「でしょ」

ひかり「んん?」

Lさん「でも、どーでもいいや。もう(笑)」








 

Eさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時13分56秒
  Eさん「いつまで人をあてにするんだか、いいかげんにしてくれっての」

ひかり「ご立腹ですね」

Eさん「もうFなんかとるもんか」

ひかり「でも、幹部がハッパかけに来るでしょ?」

Eさん「そん時は、適当に返事しときゃいいんだ」

ひかり「嫌になっちゃったんですか?」

Eさん「そりゃそうだよ。あんたも、森友の事件とか籠池さんの証人喚問、見たでしょ?」

ひかり「はい。連日やってますからね、国会中継とワイドショー」

Eさん「安倍の正体が、あんなにバカ者だと思わなかったよね」

ひかり「すごいですよね」

Eさん「安倍。あんなにキレちゃって、わめいてさ。公明党の議員も何あれ?」

ひかり「確かに」

Eさん「籠池さんて、堂々としてて、あっぱれじゃないの」

ひかり「籠池さんのほうが立派な国会議員に見えますね」

Eさん「籠池さんの息子もあっぱれだよ、あんた」

ひかり「なんか、ファミリーの戦いっぷりが、いい感じですね」

Eさん「ああいう流れだと、いじめられてる方に肩入れしたくなるってもんだ」

ひかり「ごもっとも。日本人ですから、やっぱりね」

Eさん「はははは」

ひかり「はははは」

Eさん「ずるくて、きたなくて、威張ってる党なんか、応援してたまるかよ」

ひかり「ずるくて、きたなくて、威張ってる党ですね、自民党も今や公明党も」

Eさん「利用されてばかりでたまるかっての、ふざけてんじゃねえって」

ひかり「手弁当で相当やってきましたよね、何十年と」

Eさん「そうだよ。そのまま死んじゃうところだった。人生台無し大損だ」

ひかり「ほんとほんと。人生台無し大損。うーん確かに」

Eさん「おお嫌だ、公明党なんか」

ひかり「何度も裏切りの煮え湯を飲まされて、言い訳ばかり聞かされて、バカにすんな」

Eさん「幹部も幹部だ。選挙の時しか来ないくせに『Fの目標』なんてよく言うよ」

ひかり「そんな義務なんか最初から無いのに。当たり前のようにするから驚きます」

Eさん「変なのに、変だと思わないのが、変なんだよ」




 

蘭夢様に共感

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時03分59秒
  法華経を、学問的に捉えようとすると、たいてい読み損なうようだ。

あのM教授のように。

私にとって、御本尊といえば、大御本尊様のこと。

池田先生に、そのように教えられたから。それだけで十分。

国家権力と戦うこともなく、牢屋にすら入ったこともない者達が語る本尊論に、意味はない。

怪鳥ハラダー流の教学など、そのうち消えて無くなる。



 

十界具足の御本尊 2/4

 投稿者:一人のSGI 代理投稿  投稿日:2017年 4月 2日(日)00時00分50秒
  さて「御本尊」には「教相」と「肝心」があります。


「教相の本尊」とは、教説を理論的に究明した理の一念三千の法理それ自体であり、
「観心の本尊」とは、教説に説かれた真理を己心に観ずる修行、つまり大聖人の仏法では、
 仏界の湧現を可能にするところの、事の一念三千の御本尊(私達が受持している御本尊)です。


そして、その両者の関係を日寛上人はこの様におっしゃっています。


観心本尊抄文段 上


問う、教相の本尊・観心の本尊、その体たい如何いかん。


答う、今いう所の教相の本尊とは、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門しゃくもん理の一念三千、これを教相の本尊と名づくるなり。


観心の本尊とは、文底もんてい下種の本門事の一念三千、これを観心の本尊と名づくるなり。


今、文上もんじょう脱だっ益ちゃくの迹門理の一念三千の教相の本尊を簡えらんで、文底下種の本門事の一念三千の観心の本尊を顕あらわす。


故に「観心之ノ本尊抄」という。


http://www.mitene.or.jp/~hokkekou/honnzonnsyoumonndann.html


つまり、私達がいただいている御本尊は「一念三千の教説」を基にして顕されているという事です。


それについて大聖人は御書でこう言われています。


「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼陀羅なり。当世の習いそこないの学者、ゆめにもしらざる法門なり」(同/新編523)
  草木成仏口決 p1339


「一念三千を識らざる者には、仏、大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸に懸けさしめたまふ」
   観心本尊抄 p254


御本尊に向かい、題目を唱えて仏界を湧現する、、これが観心の修行ですが、その「観じる」べき「心」とは、生命の真理である「一念三千」を悟る「仏の智慧」です。
仏界とはこの「仏の智慧」の異名です。


そしてこの「仏の智慧」が全ての「悪業の根」である、「無明」(生命の真理に暗い)を切る利剣であると大聖人はおっしゃっています。
宿業転換の戦いの為の力強い武器です。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時42分54秒
  今晩は
皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

コモンセンスさん、後出しジャンケンじゃ意味ないです。

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時38分52秒
  執行部の現状がすべてを物語っているじゃないですか。

結晶化して脳裏にこびりついた記憶の断片にとりすがって、
文献の切り貼りによる確証バイアスを幾重にも積み重ねて、
今の自分に都合のよい過去の書き換えになってしまっている。

貴方にお子さんやお孫さんがいるなら、まずはそんな論法で果たして理解可能かを念頭に置きましょう。

問題提起としては最初のうちは悪くなかった。
だが所論の着地点が何処なのか貴方ご自身にも不明のまま迷走を続けている。
広宣流布の未来に目を向けましょう。次代の広布の主役を担う世代に益する議論を興していきましょう。

自己都合に応じた「思い出補正」を繰り返しても、そんなのはただの後出しジャンケン。
若い人たちからすれば、なんのこっちゃ、わけワカメの、おじいちゃんの独り言にしか聞こえません。
実際に貴方が今、青年を育てる立場にいないから、堂々巡りの所論を吐く羽目になるのです。

貴方が必死で擁護する北條さんもそれでは浮かばれません。彼が気の毒です。。

----- -----

追記;ヤマトさん。

   吾人(×)→御仁(〇)かと。吾人では吾輩と同じく「私」の意になります。
 

十界具足の御本尊 1/4

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 4月 1日(土)23時15分16秒
  いろいろな御意見読ませてもらって勉強になります。
ここで、私も感じるところを一言?書かせてもらいました。

御本尊は、大聖人が御自身の「仏」の生命の全体像(環境も含める)を、草木成仏の原理で紙面に文字を使って書き顕したものです。

そしてその存在意義は、御自身の滅後、私達凡夫が、いつ、どこにいても、その「仏」の命に感応し、帰命し、境智冥合することによって、この一生のうちに仏界の境涯を体験でき、宿業転換をしていく糧になる、大切な宝です。

御本尊の相貌を分類すると「広」「略」「要」などに分けられるようですが、その定義もいろいろあり、相貌の違いがこれほど多岐に渡る、というのもいろいろな意味があるのでしょう。

只、個々の御本尊が顕されたその時の状況を図ることはできない訳ですから、私達にとって大切な事は、御本尊の相貌の普遍性を見つけ出すことだと思います。

その為には、まず御本尊とは何か、を知る事が大切ではないでしょうか。

先にも書きましたが、御本尊とは、「大聖人の仏の生命の依正、色心、因果等の全体像を、少しも欠かさず完璧に顕された」曼荼羅です。

そして更に御本尊は、私達の生命の鏡でもあるわけですから、この相貌を間違ってしまうと、私達の生命自体を歪んで解釈してしまうことになるのではないかと危惧します。

そして、その生命の表現法の媒体となるのが「諸法実相」である一念三千の法理です。
大聖人はこの「一念三千の法理」を使って御自身の生命を御本尊に表現しました。


 

同盟題目23時に!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時53分28秒
編集済
  開始です。よろしくお願い致します。  

誰とは言わないが憐れすぎる!54年問題は会長追い落とし劇。その結果が北条仏罰である!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時47分57秒
編集済
  先生からみれば、すべては『意味のあること』だとしても、
だからといって

それで当時の執行部が
先生を追い落としたという事実はなんら変わらない。

【池田先生が明言】

「北条は毎日ヤマトモも飯を食って55億を騙しとられた。」

「北条死にました!仏罰です。」

これが真実の如是我聞です!

参考までに54年問題当時の執行部の面々です。
 

意味不明

 投稿者:ヤマト  投稿日:2017年 4月 1日(土)22時33分25秒
編集済
  どうもわけのわからない論理を吐いている吾人がいるようだが
論理と体験は違うんだよ。

コモなんとかさん、あなたは54年4月24日を実体験として
語ってるのかい?
 

なんて頭の固いバカな奴と思われたか・・・

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時47分10秒
  僕の立ち位置は、戒壇の大御本尊を唯一無二としているので、例え直筆御本尊であっても信仰の対象とはしません。

との文面に、なんてこいつは、頭の固いバカな奴と思われたかな。

この文面では、まぁ、そう思われても仕方ないか(笑)

意味があり、僕的には、論理的に、矛盾しないんだけど・・・

例えば、大御本尊というけれど、どこにあると聞かれれば

説明したいことは、あら、既に法華経の智慧の投稿が・・・
僕より、先生の言葉の方が理解しやすいでしょう。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/66881

ということで、僕は自身の胸中にこそ、大御本尊はあるとを感じているわけで、
大石寺のあれは、そう師匠が定めたものとの認識。
僕も師匠と同じく、大御本尊と定めることを継承している。

では、なぜ、先生は大御本尊を宣揚したのか、そこの捉え方が違うんだろうなぁ。

過去の僕の投稿になります

http://6027.teacup.com/situation/bbs/58702

大切だと思うので、ごめんなさい、再掲します。
途中、意図が分かりにくい部分について<<>>で説明文を追加しました。

戸田先生も、池田先生も「大御本尊」とおっしゃっている。

大御本尊が後世のものではないか、そんな話がある。
その話に右往左往して、本尊に迷う人達がいる。
さらに酷い者になると、日寛教学が云々、問題ありなどと言う者まで出てきている。

さて、大御本尊が後世とか、そんな話。最近でてきたものではない。
昔からある。

その昔、草創期。巷の噂があり、戸田先生が、畑の猊下を訪ねて、御宝蔵に入り確認している。

つまり、戸田先生は、少なくとも、全て真実を御存じと、僕は思う。
<<当時猊下は、「ご戒壇様だって火にくべれば燃える。木でできたものだから老朽化してなくなることもある。その時は自分が書く」と発言されていた。この意味するところは言わずともわかるだろう>>

その上で、戸田先生は「大御本尊」とおっしゃり。
そして、草創期、日蓮宗等、他の本尊を功徳なしとして、「大御本尊」を宣揚している。

ここに、弟子ならば、どういう意味があるのか、深く深く、思索すべきだ。

師敵対の忘恩の輩は、師匠を侮り、枝葉の事実のみで軽んじて、師匠の深い想いを知ろうともしない。

その挙句、師匠の言葉を好き勝手に捻じ曲げている。

なぜ、大御本尊と言われたのか。深い深い、意味がある。

その意味を知らねば、全ては瓦解した暗黒世界、終末の未来しか見えないだろう。

大御本尊といわれたその意味するところ、それは、全ては法華経の通りであるということだ。

今、法華経に書かれてあることが現在進行形であることを理解するならば、全ては仏の慈悲。

全民衆救済、人類の大きな変革であることがわかるだろう。

仏の願いは、我々が考えるような小さな幸福を衆生に得させることではない。全ての民衆を成仏の境涯へと導くことにある。

どうすれば、仏の境涯を開くことができるのか。

明白である。

「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。」

この御書をよくよく見ていただきたい。「必ず仏になるべし」とあるではないか。

仏の願うところの全衆生の成仏。その為には、何が必要なのか。

三類の強敵が、必要なのだ。その三類の強敵と不惜身命で師弟不二の一念で闘う時、仏の境涯を開くことができる。

今、創価に起きている現象とは、仏の慈悲に他ならない。今こそ、胸中に御本尊があることを覚知する功徳を得て欲しい。

さて、三類の強敵とあるが、我らは、法華経の行者たりえるのか。

大聖人は、法華経を身読することで証明された。

我々、創価は、どうなのか。

ここで、初めて、「大御本尊」が意味をもってくるのである。

「大御本尊」が定まることにより、日顕宗に破門された我々は「数数見擯出 遠離於塔寺」という法華経の難を受けることとなった。
つまり、法華経の行者としての証明を果たしたことになる。

日顕宗に破門されることで、今、正に法華経のドラマが顕現され、地涌の菩薩、即ち、人類が人間革命する時が到来したと言えよう。
日顕宗による破門は、先生陣頭指揮の元での三類の強敵との闘いの予行演習みたいなもの。

本番は、今。主役は一人一人、さぁ、御書の通り、闘おう。そして「必ず仏になるべし」の通り、皆、仏の境涯を得るのだ。

そして、三類の強敵とは、何奴か、板の閲覧者なら御存じだろう。

さて、大聖人が「大御本尊」をどう思われていたか。
推測するしかないが、弟子への御遺命として、最勝の地に本堂を構えてと、本門の戒壇ということを弟子に残されている。
この事を考えた時、本来、自身の胸中に御本尊があることを覚知させるのが大切なことを考えれば、おかしな話である。
本堂とか、中心地みたいな場所は、本来必要ない。我が生命にこそ、大御本尊はあり、その生命の深奥こそ戒壇であるからだ。

ならば、答えは、弟子達の成仏のために本堂といい、本門の戒壇というものが必要だったということだ。

<<未来において三類の強敵たるもの発生を意識していたということ、日顕も、失効部も、すべて衆生の成仏の為に必要。魔王を誘発させ悪として三類の強敵として顕現させるために、本堂が必要だったということ。法華経の通りにするための遺言だったということ>>
<<その証拠に、大聖人は御書で「仏のごとく六通の羅漢のごとく・三衣を皮のごとく身に紆い・一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と・大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等・我が正法を失うべし、・・・」と予言されている。日顕も、失効部も、全て大聖人の予見されたことであり、全人類を成仏させる壮大な計画であることがわかるだろう>>

そのことを考えれば、史実が残っていなかったとしても、大聖人が「大御本尊」を考えられたことは間違いないと推測される。

<<大御本尊という唯一無二が定まらなければ、この壮大な計画は達成しえないことがわかるだろう。これは大聖人の意志だけではない、法華経がそもそも、そういうように書かれている。法華経の通りなのだ。魔王さえも、人類の救済のために使う。これが仏の智慧だ。>>

成仏の為には、三類の強敵が必須。そうなのだ、全ては弟子の成仏の為に、「三類の強敵」を呼び起こす必要があったのだ。

そして、創価の誕生と共に、戸田先生は、「大御本尊」を宣揚した。
草創期の大先輩達の功徳。「大御本尊」が「大御本尊」として力用を発揮した。ここに意味がある。

<<草創期の大先輩達の闘いは真贋を超えて「大御本尊」を真実の「大御本尊」と昇華させた。それに呼応し、魔が競い魔王が引きよせられた。仏と魔は表裏のように対となる。真実の「大御本尊」には魔王が引き寄せられる。そして法華経の壮大な時が動き出した>>

日寛上人も、戸田先生も、大聖人の意図すること、仏の意図することを理解した、だから「大御本尊」と宣揚したのだと推測される。
戸田先生は牧口先生から、発迹顕本しなさいと、まるで悪いことしているように責められたと言われている。
そして、戸田先生は、三類の強敵が顕れるのをずっと願っていた。
また、池田先生も、我々、会員に目の醒めるような発迹顕本を、と言われている。

大聖人の発迹顕本とは何だったのか。

牧口先生は言われた。我々は法華経の信者ではない。法華経の行者だと。

全ては、今、この時のため。さぁ、闘おうではないか、素晴らしい黄金の時だ。信心の総仕上げだ。法華経の通り、目覚めよ民衆よ。
そして、この世界を人間革命の波で覆いつくし、人類の今までの不幸な歴史にピリオドを打とう。
 

何だか意味不明(笑)

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時40分19秒
  誰とは言いませんが(笑)

ここでは既にかなり前から判別して論じているのですが?

何を今更、グダグダと同じ様な事を言っているの?
 

『新・人間革命』勉強会で学びました。

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時33分47秒
編集済
  …………………【政治権力を監視せよ】……………………………

本来、国家の権力は、国民を守るために行使されるものでなければならない。またそのための政治であります。
しかし、ともすれば、権力は、民衆を支配し、隷属させ、人権さえも踏みにじろうとする魔性をもっております。

公明会は、その権力に監視の目を向け、もしも権力が魔性の牙をむいたならば、民衆の幸福、人権擁護のために、身を賭して戦う勇者であっていただきたい。

権力の魔性と命をかけて戦おうとせず、民衆を守りきれぬ政治家であれば、民衆を自分の選挙のために利用して、踏み台にしているだけにすぎません。それ自体が、自らが権力の魔性に同化した姿であります。

……………『新・人間革命』第7巻p360……………………………

 

教育勅語 を 教材として肯定

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時22分58秒
  なんと!!

教育勅語を教材として使うことを、自公政府が肯定したらしい。

閣議決定までしただと!?

なるほど。森友をあれほど優遇したのは、こういうことか。

日本中の学校すべてに、森友的、軍国主義的教育をさせるのが、最終目標だったのだろう。

森友はモデル校のようなものか。

憲法に違反しない範囲でとか、一応ことわりは入れてあるようだが、

今の段階で、もう既に憲法違反じゃないのか!
 

再び、違和感です。(13)

 投稿者:コモンセンス  投稿日:2017年 4月 1日(土)21時15分31秒
  勇退を境にして、宗門をはじめとする内外の悪も一層、鮮明になり、それがまた、先生を中心とする結束力を高めたと思います。

その後の見事な反転攻勢、世界で高まる先生への評価が、人々の「先生観」を揺るぎないものにしたことは言うまでもないことです。

さらに言えば、その世界的な声望に嫉妬した日顕の「C作戦」の陰謀などを鎧袖一触した後になって、勇退から20年の歳月を経て、「嵐の4・24」を発表されたのです。

先生の書かれた随筆から、スピーチから、勇退前後の真相の一端を知るに及んで、その激しい“怒り”“口惜しさ”に触発されて、先生に対する人々の求心力は、さらに、一層、強固なものとなっていくのです。

まさしく「獅子の子落し」という厳しい試練ではありましたが、実際の嵐に耐え抜いた学会員は鍛えに鍛え抜かれたのです。

先生の勇退こそが、間違いなく「創価学会の運動に恒久性を与える」因となったのです。

ただし、そこで立ち止まってはなりません。

確かに、勇退、そして「嵐の4・24」は、学会員の「先生観」を、一層、深化させました。

その反面、先生を守り抜けなかった、あるいは“追放”に加担したということで、当時の執行部の姿勢が、ここ「宿坊」でも抗議の的になっています。

それが、また、「大山」の章を境に、一層、疑惑となって噴出してきているのです。

ただ、「当時の執行部」を一括りで弾劾することは、あまりにも大雑把過ぎるのではないでしょうか。

先生を守り切れなかったことは、隠しようのない歴史的事実です。しかし――。

後世の人々の猛烈な批判という泥を被ってでも、先生、学会を必死に守ろうとした人。

“時流”に流されるまま傍観し、自分では少しも手を汚そうとしなかった人。

さらには、内外の批判を梃(てこ)に、先生の追い落としに密かに関わった人。

こうした違いを明確に判別しないことには、あまりに、無理解、不公平と言わざるを得ないのではないでしょうか。

ましてや、先生が指摘されていたように、「……師が身を引くと、それをいいことに、わがまま放題になり、学会精神を忘れ去る人もいる。戸田先生が理事長を辞められた時もそうだった。君たちは、断じてそうなってはならない」(「大山」47)と言われるような幹部が、過去にも、また、今も“執行部”にいれば、そんなのは論外です。
 

たった7年で

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時49分19秒
  2010年5月を最後に池田先生は、本部幹部会にご出席されなくなりました。

あれから7年、たった7年です。

池田先生の御体調が悪化しただけで、創価学会と公明党は変わり果てました。

ならばこの先、創価学会と公明党がどれだけ道を踏み外すか想像がつく。



 

羊頭掲げて狗肉売る!

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年 4月 1日(土)20時18分47秒
編集済
  ハム太郎&信濃町執行部…(-.-;)

もう、いい加減、見抜こうぜ!

『逆行』ですよ!『転倒』ですよ!

池田主義(イズム)に逆行!

立正安国の精神に逆行!

即ち『逆行』の修行ですよ!(=゚ω゚)ノ

東京には『観光』で行きましょう(笑)

大阪都議選?( ̄O ̄;)!???

PS=深夜の東名高速…懐かしいなぁ…





 

曼荼羅について

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時33分43秒
  『新版 日蓮の思想と生涯』(須田晴夫 著)

文永八年十月九日に図顕された「楊枝本尊」と
弘安二年十月十二日に図顕された「大御本尊」
についての見解が述べられています。
 

法華経の智慧に学ぶ・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月 1日(土)19時11分44秒
編集済
  如来寿量品

釈尊の遺言

-「法と自己を依りどころとせよ」-

名誉会長: 順を追って考えてみよう。まず、釈尊の教えは、自分が悟った「永遠の法(ダルマ)」

     を万人に悟らせることに目的があったのだね。釈尊の死後も、その「法」を師とせよと教えた

須田:  はい。師である釈尊に常随給仕していた阿難(アーナンダ)は「仏が亡くなられた後、私たちは何を頼りに

     して修行していけばいいのでしょうか」と、釈尊に尋ねています。釈尊は、こう答えています。“アーナン

     ダよ、自らを島とし、自らをたよりとせよ。他人をたよりとせず、法を島とし、法を依りどころとせよ”と。)

遠藤:  いわゆる「自帰依・法帰依」とか「自灯明・法灯明」と言われる言葉ですね。

名誉会長:そう。ここで大事なのは、法と仏の関係です。「法」には「教え」という意味も含めて、

     さまざまな意味があるが、結論を言うと、釈尊が「法」と呼んでいるものは、実は「永遠の仏」の生命

     と別のものではない。「永遠の仏」の法身(法を体とする仏身)のことと考えられる。少し飛躍した言

     い方になるが、釈尊が「永遠の法」を悟ったというのは、イコール「永遠の仏」を自身の内に見た、と

     いうことと考えられる。 法華経から見るならば、「法を依りどころとせよ」という教えは、根本的に

     は、「永遠の仏」を師とせよ、との遺言であったのです。何より釈尊自身が、その「永遠の仏」を師と

     して悟りを開いたのです。

     略

    「心の師」となれということです。私どもで言えば、信心に生き抜けということです。

     その自分は「依りどころ」になる。

斉藤:  確かに「法」と「人」との関係には、さまざまな局面がありますが、大聖人は「一生成仏抄」で

    「己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」(御書 p383)と仰せです。

     法といっても自分の心を離れてはありえないわけです。


  「創価正義」
   https://www.sgi-seigi.com/?p=138
 

スケジュール

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 4月 1日(土)18時31分5秒
  他の新聞には、安倍総理の1日のスケジュールが次の日に記載されるのだから、原田会長の1日のスケジュールを新聞に載せて欲しいです。1日何をやってるかわからないアホ会長。顔もギョロ目みたいでキモ。1日のスケジュールが記載される事を希望しま~す。  

曼荼羅あれこれ

 投稿者:一言児  投稿日:2017年 4月 1日(土)18時16分39秒
  のご意見、賛同。いまも「戒壇の大ご本尊を唯一無二として。直筆は信仰の対象としない」と板に。大石寺のまやかし弘安2年の造りもの本尊に翻弄、このかたの受けた連発されている功徳ってどんなん?あんまり成熟を感じられないわ。今の学会が受持する本尊はみんな大石寺がらみ。一度、大聖人の残された痕跡を辿って、特に弘安年間の何体かご本尊に馴染んでみれば。多少のカスレや汚れ、垂れた墨跡なども修正すれば良いしー。先生のご指導でここまで発展した学会。ただ草創期の制約に思いを致し、ご本尊の課題をひょいと、とび越えないとあきまへん。日寛・日昇・日逹師も視野せばめての大石寺写し版、日蓮仏法の原点に帰るべく百家争鳴したらええんちゃうー!。  

F交流で逝きし朋輩

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 1日(土)17時48分33秒
  私が東北でIT営業をしていた頃、地元の四者が貸切バスを仕立てて、某高速道路で東京入り。好事魔多し。帰りのドライブで居眠り運転。中央分離帯に衝突して死亡事故。週刊誌にも書かれました。都議会選挙のF交流で、毎度の事故です。皆様も気をつけませう。  

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 4月 1日(土)16時04分8秒
  精神という目に見えない価値に、どれだけ敏感でありえるか。どれだけ見えないものに目を凝らし、聞こえないものに耳をそばだてることができるか。そこに人間としての証があり、文明を導いていく羅針盤がある。  

羊頭狗肉党 もしくは 大日本河童党

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月 1日(土)16時00分0秒
  以前は私も応援部隊として、深夜の中央高速を徹夜で走った。

本当は、大変にご苦労様です、と言いたいところだが、今回、そうは行かない。

公明党と言うか、河童の妖怪党は、裏で日本会議とつながっていたことを、

もはや隠そうともしていない。

隠そうともしていないものさえ、見破れないようでは、あまりにも情けない。

今後、日本会議と共闘して行くのなら、公明党の名を変えるべき。

大日本河童党ぐらいに変えてもらえれば、騙されて東京に来る人もいなくなるだろう。
 

書け、書け、書け。

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 4月 1日(土)15時22分38秒
編集済
  …………………【立正安国へ青年が歴史を変えよ】………………


戸田先生は訴えておられた。
「青年が強くなれ!
青年を伸ばせ!
青年が叫べ

青年が立ち上がれ!
青年が民衆を救え!
青年が歴史を変えよ!
そのために、青年よ、
汝の尊き使命に目覚めよ!」

学会は青年部が弱くなったら、
先細りになってしまう。
        ★★

ガンジーは訴えた。
「私は底から上へ向かって
働きかけようとしているのだ」

「下から上へ」と変えていくのは、
牧口先生の信念でもあった。
正義を叫ぶのに遠慮はいらない。

     ★★★★


………………………【悪の正体を明るみに出せ】………………
        (言論で攻撃し  世論で追放せよ)


(アメリカの新聞王ピュリッツァーの言葉)

「大事なのは書くことだ。
書け、書け、書け。そしてまた書け」

広宣流布は言論戦である。
とくに、広布の機関紙である聖教新聞に
この言葉を贈りたい。

(彼は)こうも言っている。

「秘密にしておけば死滅するといった犯罪はない。
ごまかしもない。いんちきもない。
詐欺もない。悪もない。
これらのものを、明るみに持ち出すのである。
そして新聞でその正体をあばき、
攻撃し、侮辱を加えれば、遅かれ早かれ、
世論がこれを追放してしまうだろう」

まったくその通りだ。
大事なのは真実を明らかにすることである。
悪は嘘と秘密の闇の中に住んでいる。
ゆえに、真実の太陽で照らし出すのだ。
そうすることで、自由と正義と民主の世界が
開かれていくのである。


………………2006/9/26全国代表幹部協会………

因みに、2006/9/21に安部自民党総裁が誕生してます。




 

信濃町駅午後1時

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月 1日(土)15時17分53秒
  関西弁の会話をする一団がやけに目立った。F交流ですかね。  

曼荼羅!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 4月 1日(土)14時45分23秒
   愚鈍の私に語る資格はないのかも知れませんが……、だからこそ、須田さんも仰るように大聖人仏法は「南無妙法蓮華経」しかない、と言えるのではないでしょうか。

 >>「楊枝本尊はもっとも簡略な形の曼荼羅であるため、その相貌には日蓮図顕の曼荼羅の本質が表れている。
すなわちこの最初の文字曼荼羅の相貌は、文字曼荼羅の本質的要素が南無妙法蓮華経と日蓮花押にあり釈迦・多宝の二仏は略されてもよい派生的なものであることを物語っている」<<

 御義口伝の第三段の「廿八品悉南無妙法蓮華経の事」にそれが見事に語られています。大聖人は「南無妙法蓮華経」のことしか、仰っておられないのです。
 その「人法一箇の南無妙法蓮華経」を末法今日に現わすには、「南無妙法蓮華経 日蓮」です。

 私たちが「仏界」を湧現するために実践する「勤行 唱題」もその“形相”といえなくもありません。
 もし、「言葉」がそのまま虚空に残るとするなら、“正行”の「南無妙法蓮華経」が中心にあり、“助行”の「方便品」「寿量品」がその「南無妙法蓮華経」を取り囲んでいます。

 誤解を恐れずに申せば、「方便品」「寿量品」は「南無妙法蓮華経」の説明です。釈尊出世の本懐の法華経ですが、「方便品」「寿量品」は「南無妙法蓮華経」の“派生”です。その“派生”にどのようなものが付け足されていようと、どこまでいっても“派生”です。本体は「南無妙法蓮華経」です。その上で、その“派生”を吟味するということでいいような気もします。


 

大阪都議選??

 投稿者:外郭壮年  投稿日:2017年 4月 1日(土)14時33分40秒
  関西から地区10人、東京入り!
合言葉は、大阪都議選。
 

曼荼羅あれこれ

 投稿者:-Q-  投稿日:2017年 4月 1日(土)13時56分29秒
  実際の画像ではないにしても、各種の曼荼羅の相貌を眺めていると、いわゆる弘安二年の「大御本尊」も含めどれが決定版なのかは判断できないということを実感しますね。

認められている文言にして、一般的な「曼荼羅」ではなく「漫荼羅」とあり、また、「二千二百二十余年」「二千二百三十余年」「二千二百丗余年」「二千二百丗十余年」等とまちまち。
「若悩乱者~」「有供養者~」の要文も、明記されていたりいなかったり…。

特定のホンゾンを絶対視することのナンセンスさを思い知る今日このごろ、です。


 

観念論の反転

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 4月 1日(土)12時53分5秒
  先日、公明党からも斉藤鉄夫幹事長代行が
「日本会議」系、憲法改正派集会の
「美しい日本の憲法をつくる国民の会」主催の会合に出席して
改憲に非常に積極的なあいさつをした。

日本会議が目指す改憲とは
「国民主権の縮小」
「戦争放棄の放棄」
「基本的人権の制限」
の方向である。

日本会議副会長・小田村四郎
「国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という虚妄をいつまで後生大事にしているのか」
(産経新聞社『正論』2005年6月号)

その方向性が本来創価学会が目指す
「人間革命」「広宣流布」とは
真逆であることは論を待たない。

一人の人間における偉大なる人間革命は
やがて一国の宿命転換をも成し遂げ、
さらに全人類の宿命の転換をも可能にする。

戦争ほど、残酷なものはない。
戦争ほど、悲惨なものはない。
だが、その戦争はまだ、つづいていた。
愚かな指導者たちに、ひきいられた国民もまた、まことにあわれである。
(『小説 人間革命1巻』より)

平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
(『小説 新・人間革命1巻』より)

SGI提言との矛盾を指摘された時
「あくまでも提言ですから」なんて
答えた話があったかと思うが

あくまでも提言、あくまでも小説
そういったことをまかり通している
おかしな論理の一つに

「日蓮仏法は観念論じゃない」
ということの誤用があると思う。

「観念論」という言葉を調べると
観念観法の仏法的意味の場合と
哲学のイデアリスムを指す場合と
単に現実に基づいていない頭の中だけの観念
というような種類が分けて記されているが

「観念論じゃない」という語感のイメージ
観念だけが独り歩きしている観念論になって
いないだろうか。

結果的に「難しいこと言っていないでとにかく従え」
という傲慢な根性を育む土壌になっていないだろうか。

また、きれいごと言ったってお金がなきゃ組織は運営できないでしょ?
きれいごと言ったって票が集まらなきゃ民衆の生活を変えられないでしょ?
そういうことが上手く回るように
方々手を尽くして私にしかできない戦いをしているんだから
少々汚いことのように見えたって
そこは信心で受け止めなさい。

みたいな全然仏法じゃないものが基調になって
結局、仏法者として絶対に師子吼するべき時に
全く何も言えず長いものに巻かれる羽目になる。

本来、戸田先生も池田先生も
「哲学」と「仏法」を否定しない。

「観念論ではいけない」ということの本来は
深い仏法哲理は必要ないという事ではなく

「仏法哲理は深いなぁ」ということに
出会えたことだけに幸せを感じて終わり

ただ純真なだけで利用されていることに
気づけない愚者になることではなく

この深い仏法哲理をもって
現実の人生を
現実の社会を
現実の世界を変革していく
賢者智者になるということにあり

むしろ深い仏法哲理が
現実の平和構築にあって
絶対に必要なんだという事である。

我々がこの深い仏法哲理を学ぶのは
「人間革命」「広宣流布」によって
世界の平和と一切衆生の幸福を
実現するためであって

完成された権威や教条に
民衆を服従させるためではない。

<随筆 新・人間革命 279 法悟空
不二の旅立ち「8・24」>より抜粋する。
ttp://shiohama.web.fc2.com/zuihitu-279.html

~~「師弟直結」で戦うということは、いかなることか。
 師は、「戸田の命より大切な創価学会の組織」と言明されている。したがって、この学会の組織で、広宣流布の拡大に戦うこと以外に「師弟直結」はありえない。あとは、観念論だ。
 とともに、私は、わが師への無数のいわれなき悪口誹謗を断じて放置しなかった。こと師匠と学会の正義を冒涜する者に対しては、相手が誰人であれ、真っ正面から破折していった。~~

~~青年は、流れを傍観しながら、ただ先輩に追従しているだけでは絶対にならない。
 断じて、臆病な野干(キツネの類)が吠えるごとき、遠吠えであってはならない。
 正義の信念に立って、自分自身の勇気と努力で、新しい流れを起こしてこそ、青年であるからだ。
 私は、師を苦しめ抜い宗門と憤然と対決した。 ~~

さて、今、対決すべきものは・・・
 

創価新報の記事内容見直しを!!

 投稿者:大山  投稿日:2017年 4月 1日(土)12時16分22秒
編集済
  2000年の勝利宣言、魂の独立から早十数年となりました。いつまでもしょうもない僧侶やら宗門の記事の連載をされるのではなく、世界に蔓延する紛争・難民問題・飢餓・差別・民族対立を真摯に捉えて、対話と人道支援を実践する団体としての連載記事を提案します。青年部の読者離れが進み、特に宗門問題は皆、理解不能です。
考えて、何でも貼り付ける(先生のスピーチやら)のではなく、社説並に強い主張をお願いします。

未来を語る、社会問題を真剣に我が身のうちと深く自覚して行動する文化・平和・教育の誇りある宗教団体の名乗りを上げて下さい。そして持続・継続して普遍的平和団体の立場を紙面で語って下さい。このままでは、聖教新聞・第三文明・潮と共に社会からソッポを向かれる集団となってしまいます。
小説  新・人間革命は、???ばかりでちんぷんかんぷんです。言葉になりませんでした・・・
 

今こそ

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月 1日(土)09時29分6秒
  原点に還るべき時ではと思います。

御書そして歴代の御指導。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、写真が無い上に、タイムリーではありませ~ん(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 4月 1日(土)08時22分14秒
  おはようございます。原田怪鳥様、政教珍聞3面、「池田先生ご夫妻と感動の再開を果たした母たち」の掲載ありがとうございま~す(笑)

でもね~、いただけません。どうして、写真が1990年2月のロスアンゼルスの写真なのデスかぁ~(笑)

ここは、3月25日の写真でしょ~う、3面よりも、1面で掲載すべきじゃないデスかねぇ~(笑)

母たちと、記念写真は撮られなかったんデスかぁ~? 先生が御健在であれば、絶対に撮られるはずデスけどぉ~(笑)

「お元気な先生」を前面に出すワリには、写真を出さない? だから「珍聞」なので~す(笑)


さて、本日の「新・人間革命」雌伏八、

宗門のヒドイ仕打ちも、裏切り者の暗躍も、情けない弟子の有様も、背景を全然描かず、ただ、事実の垂れ流しのごとくの「珍・人間革命」。

なぜか、戸田先生のことは、紙面を割いて描く? 印象操作に都合がいいからでしょうかぁ~?
(笑)

でもね~、描けば、描くほど、ブーメランですよぉ~(爆)

>戸田は、この「巌窟王」のごとく臥薪嘗胆し、軍部政府の弾圧で殉教した師の敵を討つことを深く心に誓ったのだ。その復讐とは、恩師の正義を証明することであった。そして牧口を死にいたらしめ、戦争によって多くの人びとの命をも奪い、苦悩の辛酸をなめさせた権力の魔性との対決であった。<
(新・人間革命」雌伏八より引用)

現代の治安維持法ともいわれる共謀罪成立に賛成したのは、どこの政党デスかぁ~(笑)

「抑止力」を肯定し、安保法案に賛成したのは、どこの政党デスかぁ~(笑)

なによりも、最大の支援団体である創価学会の怪鳥様、アナタは、一体今まで、ナニをしてきたんデスかぁ~(笑)

権力の魔性と対決せず、難を恐れて、権力と迎合してきたのは、一体どなたデスかぁ~(笑)

執筆チームの皆さんも、よ~く考えましょうねぇ~(笑) 権力の魔性と対決したのは誰か? 権力の魔性と迎合してるのは誰か?

描けば、描くほど、わが身に降りかかってきてますよぉ~(爆)

来週からも、名文を期待しないで待ってまぁ~す(爆)


 

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