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    2015.11.30

    『賢者の智慧の書』 大竹稽 (ディスカヴァー・トゥエンティワン)

    Th__20151201_190518 著者の大竹稽さんご夫妻が遊びにいらしてくれました。短時間でしたが、実に濃厚で楽しい時間を過ごさせていただきました。
     初めてお会いした時から、本当に不思議なくらいお互いに波長が合い、また今日は伴侶どうしも初めて会うのに、その二人もまたまるで姉妹のような共鳴ぶりでした(笑)。
     不思議なご縁、まあ一言で言えば富士山の神様と仏様のお導きで出会った私たち、これからいったいどんなことをしでかしていくのか、本当に楽しみです。特に教育と仏教の領域において。
     そして、今日、この瑠璃色の美しい本を、学校図書館に一冊寄贈していただきました。そう、哲学の本とは言え、中学生でも実に気持ちよく読める本だと思います。
     哲学というと難解というイメージがありますが、全くそんなことはありません。今日も大竹さんと話しましたが、その要因の一つは、フランス哲学が「文学的」であるということだと思います。すなわちドイツ哲学などとは違って、科学的な厳格さよりも、ある種あいまいで多義的な部分を残していると言いますか、それこそが人間の本質であり魅力であるという信念に基づいた思索なのでしょうね。
     そう、私の哲学?で言うところの「モノ」性ですね。「コト」ではなく「モノ」。言葉や論理ではなく、目に見えないが確実に存在するもの。
     それは愛かもしれないし、人間そのものの存在かもしれません。そう、「人間愛」は言語化されないし、されるべきでないのかもしれない。神の愛は絶対だが、人間の愛はある意味無常であり、はかないものです。
     日本の哲学…と言っていいかは分かりませんが…とフランス哲学、いや哲学に限らず、両国の美術や音楽や文学までもが、不思議と親和性が高いのは、そうした「人間愛」への圧倒的な信頼があるからではないでしょうか。
     その無常なる、はかないものへの飽くなきアプローチこそ、本来の哲学なのではないでしょうか。答えの出ない問いの迷宮を旅することは、楽しくも切ないものです。
     そういう意味でも、この本の日本語は実に見事です。フランス語の絶妙なニュアンスやエスプリやアンニュイを、大竹さんは本当に見事に日本語として表現してくれています。
     単なる訳本ではありません。超訳というのも正しくない。これこそが翻訳だと言っていい。だから、読んでいて心地よいし、中学生でもすらすら読めるのです。
     そして、ご本人もおっしゃっていましたが、あえて解説を載せなかった。これがいい。その代わり、モラリスト3人の言葉を上手に並べ、編みこみ、一つの大きな物語として語っている。これは本当に素晴らしい仕事です。お世辞ではなく、こういうお仕事ができるのは、やはり読者という人間に対する愛が根底にあるからです。
     その結果、よくある名言集、箴言集のように説教臭くなることなく、まさに一つの文学を味わうように「体験的」に言葉が響いてくるし、浸透してくる。こういう読書体験は久しぶりです。
     なんか褒めすぎじゃないの友人の本だからって、と言われそうですが、疑う者は実際に手にとってみるべし。Kindle版もあるけれども、やはりこの美しい装丁も含めて「感じて」もらいたい。
     先哲の、編著者の切ないほどの愛が、このブルーにこめられていることを、誰しもが確認しないではいられないでしょう。
     贈り物にも最適だと思います。一家に一冊。ふとした時にふと開いたページを読むも良し。おススメです。

    23:34 心と体, 文化・芸術, 書籍・雑誌, 歴史・宗教 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)