今日はお釈迦様のお誕生日。我が学園では毎年この日に入学式を行います。
今年も希望に満ちた新入生たちが私たちの家族となりました。「家族」…これが本学園の教育の一つのキーワードです。
私は今、いわゆる「(日本的)家族主義」を地球全体に移写敷衍する「グローバル・ファミリズム」という新しい概念を構想(妄想)中でありますが、これは職場での「家族」体験に根ざしたものと言えます。
今日、
教育勅語の原本、半世紀ぶり確認 国立公文書館で公開へというニュースが報じられました。
戦後GHQの先導によって国会で失効、排除が決まって以来、全く顧みられることがない…どころか、その内容も吟味されずに全面否定されてきた教育勅語。
ある意味「家族主義」とも言えるこの教育勅語。まさに戦後、教育勅語が否定されて日本の家族制度は崩壊していきました。

だいいち皆さんはその「教育ニ関スル勅語」の内容をご存知でしょうか。
原文は漢文訓読体であり、それもかなり難解な語彙を駆使して作られています。漢文に(書き下しならぬ)書き上げられたものもありますが、正直本国の方でもかなり理解しがたいものです。
そこで、この教育勅語に含まれている12の徳目を、ウィキペディアから引用してみましょう(口語訳部分のみ)。これなら分かりますよね。
どうでしょう。問題があるとしたら、最後の「お国(天皇)のために」という部分のみでしょう。あとはどうですか?正直素晴らしいというか、当たり前の徳目ですよね。逆に今必要とされている、必要だと叫ばれていることばかりです。
ですから、いつも私は言うのです。戦前戦中を経験されひどい目にあった方々はともかくとして、戦後生まれの我々は、ちゃんと戦前戦中のことを学び、現代に通用すること必要なことはしっかり受け継ぎ、現代的、未来的な意味で間違っていると判断されることは反省し改めればよいと。なにもかも頭から全て否定することは最も避けるべきことであると。
真の「戦後レジームからの脱却」とはそういうことでしょう。
また、この教育勅語は、当時でさえ賛否両論であり、また制定にあたっては大変な紆余曲折があったことも知るべきです。まるで当時の人々がみんなこの教育勅語に心酔していたかのようにとらえるのは、先人に対する冒涜です。

たとえば、ボツになった中村正直による草案や、かの内村鑑三が起こした教育勅語にまつわる不敬事件には、キリスト教が大きく関わっています。そのあたりを知るだけでも、当時の人々の道徳観、宗教観、教育観がいかに多様であったかが分かります。
そのあたりの、「教育勅語」に関する多様な歴史を学ぶ一般書がなかなかないんですよねえ。
私はある方からこの「教育勅語絵巻物語」という素晴らしい本をいただき勉強させていただきました。今は絶版であり、1万円近い値段で取引されるような稀覯本になってしまいました。残念です。
このような本がもっと多くの方に読まれて、私たちが忘れてしまっている日本人としての美徳を思い出す機会が増えればよいと思います。
これもまた「国譲り」ですね。本当に大切なモノは無意識化されて保存され、必要な時に世にでる…。
そろそろそういう時を迎えているのではないでしょうか。
いったい世の先生方の中で、教育勅語をちゃんと読んでいる方はどれくらいいらっしゃるのでしょう。ウチには教育勅語や終戦の詔が掲げられていますが、そういうセンセイをはなから危険視するような世の中ですから、まあ御身大切な先生方はあえて火中の栗を拾うようなことはしませんかね(苦笑)。