Renaです。父や母や、その思い出話をつらつらと書きました。
エイプリルフールです。
嘘、と言っていちばんに思い出すのは母が私についた父についての嘘です。
「お父さんはお船で遠い国に行っているんだよ」
父が亡くなった
私が4歳のとき、父は急性心不全で他界しました。
厄年くらいで亡くなったと聞いているので父は41〜42歳くらいだったと思います。
「行ってきます」と朝、会社に出掛けて、そのまま帰ってこなかったのです。
父は仕事上、船で海外に数ヶ月行くこともあったので、しばらく父がいないことに私と妹は疑問をあまり持たなかったのでしょう。
けれど、あまりに帰って来ないのでとうとう母に聞きました。
「お父さんはどこにいるの?」
この言葉は母の心をひどく傷付けたと思います。
最愛の人を亡くして、その悲しみを誰とも分かち合えず、幼い我が子を強く支えねばならない。
母は言いました。
「お父さんはお船で遠い国に行っているんだよ」
私も妹も、それで納得したらしかったですが、それでもたびたび聞くので、母はそのたびにそう答えました。
亡くなったという認識
私が父が亡くなったと認識したのはいつかははっきりとはわかりません。
が、6歳のときの父の日には「私にはお父さんがいないから、お母さんにプレゼントをしよう」と思ったのを覚えています。
2年ほどの間に、ゆっくりと受け止めることができたのでしょう。
ショックを受けた記憶がありません。
これは私にとってとてもラッキーなことですが、母の思いやりと忍耐があってのものであることは言うまでもありません。
父の葬儀
よくよく思い返してみると、あれが父の葬儀だったのではという思い出があります。
青と白の縞模様に囲まれた空間。
黒い服を着たおじさんたちがぞろぞろ。
私は妹と2人、パイプ椅子に長いこと座らされてなんだか疲れてきた。
2歳になる妹は落ち着きがなく、地面にまだ届かない足をバタバタ。
帰りたいし遊びたいけれど、なんだかそれを言っちゃいけない雰囲気。
これが私の父の葬儀の記憶です。
最近母に確認したところ、葬儀は父の会社が主となって行ったようで、青と白の幕は会社の流儀に沿ったもの、おじさんたちは同僚、確かあの時は畳ではなくパイプ椅子を並べた会場だった、とのことでした。
状況の描写だけではなんてことはない記憶なのですが、私は「父に関する思い出がひとつでもあってよかった」と大事な思い出になりました。
嘘も方便
嘘も方便とはよく言いますが、エイプリルフールは幸せになるような嘘、人を思いやる嘘をついてみたいものです。
母がついた嘘は確実に私たち子供のことを思っての嘘でした。
幼い我が子に親の死というものをどうやって認識させるのか、母は悩んだことだろうと思います。
が、私も妹も父の死を幼いながらに冷静に受け止められました。
それに、父の記憶はありませんが、父のことが大好きです。
さいごに
エイプリルフールで記事を書こうと思い立ったはいいものの、あまり関係ない話になってしまいました。
たらたらと思い出話を連ねただけの記事を、最後まで読んでくださりありがとうございました。
嘘もいいですが、身近な人を大事にする嘘をついてください。ではでは。ciao!!