川原千夏子
2017年3月31日12時42分
日常の暮らしが消えてから6年余り。雲間から朝日が差した31日、避難指示が解除された福島県浪江町の中心街は、ひっそりと人の帰りを待っていた。
「朝一番で町を見に行ったけど、しーんとしてた」。元中学校長の岸真(まこと)さん(80)は、解除の朝を浪江の自宅で迎えた。
家に戻る準備のため、例外的に寝泊まりを認める制度を使い、半年前に避難先の栃木県から浪江町の自宅に戻った。
浪江町は1956年、四つの町村が合併して生まれた。事故当時は人口約2万人を擁する双葉郡最大の町だった。太平洋に面した請戸漁港に、阿武隈山地の高瀬川渓谷、ショッピングモールに繁華街。活気に満ちた町に原発はなかった。
それが、原発事故によって全町民が避難を余儀なくされた。沿岸部の漁村は津波で壊滅。町中心部の避難指示は解除されたが、町面積の8割は放射線量の高い帰還困難区域となり、この日の解除後も原則として立ち入れない。
「解除だなんて、信じられっか。がらがらだ」。解除前日の30日、目抜き通りの「新町通り」に立った岸さんが言った。
約400メートルにわたって続く通りは、左右に銀行やスーパーが立ち並んだ。秋には明治時代から続く祭り「十日市」が開かれた。3日間、歩行者天国となった道は、「袖が触れあう」ほどごった返した。
いま、通りに町民の姿はない。…
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