私たち、武雄市図書館歴史資料館を学習する市民の会(以下学習する会)は、武雄市議会議員全員(26人)に7項目の公開質問状を出しました。その第1問が「図書館の使命は何ですか。図書館と義務教育は人として生きる基本としての“知”を、誰でも身につけることができるように「無料」が原則になっています。また、図書館は“民主主義の砦”と言われています。あなたにとって図書館とは?」でした。
さて、みなさんはどうですか?どのように思われますか?図書館や歴史資料館のことを立ち止まって考えた事がありますか?実は、私はありませんでした。図書館や歴史資料館は、当然、公立であるものと考えていたからです。
私は、終戦の翌年小学校に入学しました。教科書は有りませんでした。教室の黒板には学聖・広瀬淡窓の漢詩が吊るされ、毎日暗誦していました。その小学校の隣にあった「広瀬淡窓図書館」は、開館していたような気がします。狭い書架の間でかくれんぼした記憶があるし、学年が上がるに従って、伝記物から文学全集に読書が広がり、友達と「あれは読んだ」「これはまだだ」と競争していたことを思い出します。今でも、図書館に行き書架の広がりを見ると、何かホッとした気持ちになります。
武雄にも図書館はありましたが、約40年前、私が武雄に来た時点では、確か電力会社の旧事務所を使っていました。その後も、病院の建物をお借りしたりして施設や書籍数も貧弱なものでした。そしてようやく現在地に図書館・歴史資料館の複合館として誕生したのは、ほんの12年前の事だったと思います。このように戦後50年を経て、ようやく武雄市民は「知的インフラ」を獲得したのです。電気やガスや水道をライフライン・道路や鉄道をインフラと呼ぶと同じように、図書館・歴史資料館は「知的インフラ」として市民生活に欠かせないものなのです。「図書館は民主主義の砦」や「民主主義を守るのは学校・図書館・メディアだと」という欧米の言葉も、あらためて考えてみる必要があると思います。
5月に突然東京で発表された武雄市図書館・歴史資料館の指定管理者制度導入の案件は、6月定例市議会を経て7月18日の臨時議会で拙速に決められてしまうでしょう。その独断的な行政運営に対し、私たち一般市民には直ぐに対応する手立てがありません。市長は「自分は提案者で、議会が最終決定者だ」と責任回避的に言っているようですから、あとは公開質問状を市議会議員全員に出し、その良識に期待するしかない状況に追い込まれています。
既成政党への不信が続きその混乱の中で、名古屋や大阪などで地域政党が現われ首長と議会を制し、権力の集中を生んでいます。その特長は、異なる考えを持つ者との議論をすべて無駄と考え、自分の考えを直線的に押し進めることです。その権力に対して一部メディアの批判が弱いのも気になりますが、市民がコストカットを要求すれば次に住民サービスの低下に跳ね返ってくる、そのことに気が付いていないのではないかということです。
地域主権改革の流れの中で、住民自治を市民自ら求める行動が起きなければ地域主権は画餅に帰します。武雄の図書館問題はただ単に図書館問題に留まらず、今から全国で起きる地方政治の流れの先端を行っているのかもしれません。そしてその流れが、このままでは決して明るい方向に向かわないのではないかと心配しています。
学習する会の世話人代表の二人は、85才と72才の年金生活者です。今さらという気もしましたが、何とか孫たちに明るい町・希望の持てる国を渡してやりたいと思いたちました。2回の学習会を経て、若者も参加してくれるようになりブログも立ち上がりました。まちづくり活動に年令はありません。図書館を学習する会への市民の多くの参加が、結果として地域主権への道を辿ることになると信じています。http://takeolib.sblo.jp/
(武雄市図書館・歴史資料館を学習する市民の会 代表世話人 72才)
記事
- 2012年07月17日 20:22
FOLLOW US