ケラ!の紙媒体が終わって、ゴスロリバイブルが休止するんだって。信じられるかよそんなこと。
本屋に行ってもケラ!が無いなんてありえるかよ。本屋に行ってもゴスロリバイブルが無いなんてありえるかよ。ありえねえよ。でも、それが今後ありえるんだ。世界が終わった。
私が服、バッグ、靴、アクセサリー、化粧やヘアスタイルや体型、というかファッションに興味を持ったのはケラ!と出会ったからで、もしケラ!が無かったら、私は今頃どんな服を着てどんな趣味をしていたか、想像もつかないんだよ。
ねえ、想像してみてくださいよ、クソ田舎の中学生が、よ。趣味は漫画とアニメ(田舎で放送されるアニメの数なんて東京の10分の1以下だった)とゲームと深夜ラジオとインターネット、自分の容姿のことなんて世界一どうでもいいと思っていて(手の施しようがなかったから)、服屋なんてしまむら、ジャスコ、ハニーズしか選択肢がなかったような田舎のクソデブキモヲタ女子中学生が、ケラ!と出会ったときの衝撃といったら。
ケラ!に載っている、死ぬほど可愛い服の写真を見て、いろんな意味で身の丈に合わないとわかっていても、私はこの服が着たい、どうしても着たい、だから、この服を着るために私はあらゆることを、見た目から何から全てを変えなければならない、変えようと決意したときの気持ちの猛烈さといったら。
全部地獄だ。悪夢だ。大事故だ。でも世界はもともと地獄で悪夢で大事故だから、この程度、屁でもなかろう。
とにかく、ケラ!と出会って何もかもが変わってしまった。聴く音楽も読む本も使うものも言葉遣いも姿勢も気持ちも、何もかも。
高校生になって、数少ない友人の中に運良く同士(ロリータ服に憧れている人)を見つけた。次の年のお正月、ケラ!に載っていた初売り情報を元に、福袋と初売りを求めて二人で初めての遠出をして、ロリータ服のショップに入った。全てが可愛くて、本当に脳が溶けそうだった。
なんとか福袋を確保した後、混雑する店内で、セール品の中にとびきり可愛いワンピースがあった。目が合った。試着した。
好きな服を着て鏡を見ることが、こんなにも恐ろしく、こんなにも嬉しいのだ、ということを皮膚で理解した。目的の福袋とは別に、このワンピースを持ち帰らなければならない。と、言葉にする前にわかった。お年玉なんてすぐに使い切ってしまったけど、どうでもよかった。運命のワンピースを自室に飾っているだけで満足した。たまに一人、自室でワンピースを着ては、嬉しくて飛び跳ねていた。
ある時、ケラ!の誌上で見つけたヨースケの赤い靴に一目惚れした。赤い靴の写真を穴が開くほど眺め、形状を記憶した。授業中、ノートの隅に赤い靴の絵をいくつもいくつも書いた。なんならその絵をケラ!に投稿して、読者コーナーの上の端っこに載ったような覚えがある(唐突な自慢)。とにかく、そのヨースケの赤い靴がどうしてもどうしても欲しくて仕方なかった私は、意を決して人生初のネット通販に挑んだ。
赤い靴が届いた。誰にも見つからないようにこっそりと自分の部屋の中で、床に敷いたビニール袋の上で赤い靴を履いてみた。足のつま先から、全身の血が沸騰したような感覚が起きた。赤い靴を履いた自分の脚を見れば見るほど、どうしてもどうしてもどうしても「これは私のために作られた靴である」という確信が、強まって強まって仕方がなかった。
「これは私のために作られた作品である」という確信を得させるものは、服だろうが本だろうが音楽だろうが映画だろうが、とにかく最高だと思う。それと出会わせてくれたのもケラ!だったんだな。
これだけロリータ服を愛していても、頭のてっぺんからつま先まで、フル装備のロリータ服を着て歩いたことは実は片手で数えられるくらいしかない。私なんぞは、言うなれば「在宅ロリータ」である。
数少ない出歩いた中の一回、「どうしても全身完璧にロリータ服を着ていかねば気が済まない」という用事のとき、ゴスロリバイブルのスナップ隊に声をかけられ、写真を撮ってもらったことがある。このことは死ぬまで自慢し続けていきたい。私の選んだ服たちは、その組み合わせは、何も間違えていなかった。むしろ何かが良かった、と撮影班の人が思ってくれたのだ。ロリータ服を着ていて、一番貴重な出来事だった。
あーあ、ほんとにただの自慢を唐突に挟んじゃった。たった一回だけど、人生でそんな経験すること、もうないだろうから。嬉しかったんだよ。どんどん自慢しちゃうよ。自慢しちゃうって。
今でもその時の写真はとってある(あの時のバイブルの撮影班のみなさま本当にありがとうございました、なにもかもが宝物です)。
少し検索すればわかる通り、ロリータ服は高い。
だから、普段は普段着らしいものを着ている。ユニクロ、GU、その他ファストファッションなどが主だ。
お化粧だって、目の大きさを2倍(当社比)にするくらいは普通にできる。しかし、足し算のメイクは普段の生活に向かないから、ある程度は引き算するようにしている。それどころか、限りなく手抜きする方法を研究しまくっている。生活に必要だからだ。
それなのに、今でも普段着や改まった場での服を着ている時には、「擬態」している気持ちが拭えない。それは、私の心の中にいつもケラ!やゴスロリバイブルがあって、常に心をゴシック&ロリータで武装してきた名残に違いない。
(そもそも擬態できてない気もする。「擬態」は、その場に合った一定の要件を満たしている且つ、誰にも注意されないなら、それで済むものだと思っている。できてるんだろうか。できていても、何かが滲み出てしまっていそうだ。勘弁してください……)
そういえば昔、ケラ!のスナップの常連に、いつも派手でおもしろい格好をしている子がいた。東京ってこんな格好しても大丈夫なんだなあ、すげー。と思っていた。
結果、その子は東京どころか世界規模で大丈夫でもなんでもない特異な才能を持っていたみたいで、いつの間にか中田ヤスタカプロデュースでCDデビューしていた。
その関係で、ケラ!も儲かっていたんじゃないのかなと勝手に思っていたけど、そんなこともなかったのかなあ。まあ、きゃりーさんはZipperとかにも出てたからなあ。
ねえねえ単純な疑問なんだけど、クールジャパンだとか原宿kawaii的なやつ、今後どの雑誌がカバーできるの? 雑誌じゃもうだめなの? 一冊にまとまってるのが好きなのに。寂しい。世界が終わる。
でも、オンラインで続くんだよね。
とにかく、文化が続くことだけを祈っている。本屋にケラ!もゴスロリバイブルも無い世界のことなんて、本当に信じられないんだけどさ。
私の部屋の本棚には、捨てられないケラ!とゴスロリバイブルがどっしりと並んでいるよ。何年前の号でも、いつでもいくらでも読める。全部可愛かったから。どの号にも好きなページや好きな服、バッグ、靴、小物があるから。全部最高だ。
自分のために自分が着たい服を着て、自分を飾るという素晴らしい行為。
自己満足のためなら、どんな不自然があっても構わないという、とても自然な考え。
これを教えてくれたのは紛れもなく、ケラ!とゴスロリバイブルだった。
読者たちの、それぞれが思う「可愛い」「美しい」「かっこいい」「素敵」「おもしろい」「最高」のファッションを、全て一冊の本に引き受け続けてくれたのもケラ!であり、ゴスロリバイブルだったよ。ありがとう、大好きです。
でもまだ、休刊なんて信じられない。ゴスロリバイブルだけでも続いてくれませんかね……。