中川綾太郎氏とは大学が一緒で、彼が主催していた朝活なるイベント何度か顔を合わせたことがある。
現在特に繋がりはないのだが、当時から彼は学生のネットワーキングの中心で、
常に彼らの周りに人がいたのを覚えている。
印象としては、彼自身はTop Tierの学生というよりも、その若干下の層のカリスマという感じで、
いわゆる外銀だ、コンサルだ、国一だ、といわゆるエリート的なところには、
学歴や能力的には入れないけど、ただTop Tierの活動に感化され、
スタートアップでインターンしている人や学生団体の人たちに囲まれていた。
最後まで中川氏のキャラクターについては分からずじまいだったが、
いわゆる「意識高い系」と揶揄される層で、ただ中川氏は彼らに居場所を与えるのがうまかった。
有名どころのインターンにも受からず、サークル活動とかでも大して成果がない、
そういう人たちに彼は学生団体やスタートアップでのインターンでもなんでもいいから、
とにかく行動することに価値があると思わせ、質については問わない素ぶりが居心地が良かったのではないかと思う。
ただ今回の事件の本質に通ずるものがそこにあるのではないかと思う。
「情報が大量消費されるデジタルメディアにおいては、コストを極限に抑え大量生産することが大事」
といういわゆる量>質の考えで、実際に彼が手がけたMERYとかはまさにそのモデルをビジネス化したものだった。
ファッション誌が何回も編集会議して、撮影して、校正して、印刷して、というコストを省いたものである。
それを可能にしたのが彼の周りにいたいわゆる「意識高い系」の人たちである。
この意識高い系の人たちは、金銭的な報酬に魅力を感じず、どちらかというと就活用の自己PRのネタになるとか、
業界の有名人と知り合いになれるなどの、非金銭的な報酬で満たされてしまうのだ。
実際に多くのスタートアップがインターンという制度を導入しているのは、
金銭的コストはかけずに人手を獲得するためで、これが実は日本のベンチャー界隈の大きな問題だと思っている。
本来ならば、支払うべきはずの金銭的対価を支払わずに済んでしまうため、
そもそも人的コストを計算せずに事業設計をしてしまうことが多い。
そのような価格計算をした場合、撮影や素材の費用などはさらに考えられなくなってしまったのではないか。
つまり、非金銭的な要素を元に事業が成り立っているから、金銭的な対価が発生するものはものすごく高く感じてしまう。
人が動けばお金がかかるというビジネスの原則が抜け落ちているからだ。
(DeNAの場合は時給は払われていたが、最低限の額だったと理解をしている)
前述の通りカリスマ性は間違いなくあったと思うので、知らずと人が集まって、喜んで彼に協力してくれたのではないかと思う。
意識高い系としても、中川氏と仕事ができることが喜びであり、価値だと感じていたのかもしれない。
ただ、結局はこのような考えはDeNAという大企業としては許されることではなかったのだと思う。
是非今回を機会に、インターンという制度を改めて考え直して欲しい。
ビジネスにおいて人を動かす以上お金がかかるし、クオリティを求めるのであればさらに高価になっていく。
雇う側も雇われる側も、ビジネスをしているという考えがなくなってしまうと持続性が保たれるわけがない。
タダより高いものはないのだ。