2017-03-30

現代アートって知的アピールをするものになっている気がする

未だに胃がひどく痛む。胃腸炎大学単位を落とさせようとしている。

元はと言えば、イギリスに豚みたいな顔をしたネトウヨイギリスに行ったことである

自分ロンドンでの1日を吐き気我慢しながら、テートモダンかい現代美術館で過ごした。

見応えがあったといえばあった気がする。

しかし、ラウシェンバーグのやらは胃の痛みで上書きされてしまっているようだ。

結局、日本人女子大学生のグループが造形を見て「意識たかそうなのが好みそう」とか言っているのが記憶ほとんどだ。

ポロックモンドリアンなんかより、日本人の言ってしまえばクソな言葉記憶に残ったのか。

一つは、日本人女子大生の高度な被服や化粧のテクニックが異国の地で浮き上がり一種コンセプチュアルアートになったのかもしれない。

現代美術というものは、別に好きな奴が好きと言ってりゃいいものだ。

しかし、何というか知的アピール材料となっているのではないか

現代美術に高額な値札が貼られる時代だ。

そんな中で、「バカ」作品文脈理解できないなかで「自分」が理解出来ると見られようとする人間が出てきてもおかしくない。

ヒトラー革新的な絵を嫌ったのを基にして、革新的ものが好きだとアピールしていることが一つの「分かっている」になるのではないか

まぁ、別に好きな奴が見ればいい。

ご注文はうさぎですか?」が好きならそれでいいし、嫌いでも何も悪くないのと同じだ。

それだけのことである

ただ、自分二つ目に思ったことがある。

彼女言葉や行動、姿が全てなのかもしれないということだ。

皆で馴れ合い容姿を磨いて、楽しく過ごすべきなのだ

自分だってなんだかんだわからないのだ。高尚なものなんか理解できない。

自分は俗な人間だ。

容姿がよくなって楽しく過ごしたいだけなのかもしれないと胃を抱えて思う。

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