嘘だろ! あり得ない!
本割で照ノ富士を倒した後、私は阿佐ヶ谷某所に所狭しと集まった観衆とハイタッチをしていた。稀勢の里は筋断裂が疑われる中で、あれほど強かった照ノ富士に勝利したのだ。
ある者は贔屓目に見て、稀勢の里が破れる確率を85パーセントだと予想していた。頷きながら私は腹の中でその確率を98パーセントだと訂正していた。
出場することは、横綱の務めを果たすという意味で美しい。だが、14日目の鶴竜戦のように何もできずに敗れるのであれば出る意味は無いと考えていた。だから私は出場するのであれば出場する意味を見せてほしいと記した。
稀勢の里は、この時点で出場する意味を見せてくれた。
私は、次の一番に持ち込んだ時点で稀勢の里の勝ちなのだと話していた。本来土俵に立てない者が、横綱としての責務を果たした。これしか無いという相撲で勝利した。優勝決定戦に突入したのだ。それも凡人性を超え、横綱としての超人性すらも超えた内容で勝利したのだ。
これ以上何を求めることが有るのだろうか。 今こうして優勝決定戦に臨むこと。 それだけでも異常な状況なのだ。
しかし、これしか無い一番を制した稀勢の里はもう一番勝つことが求められていた。如何に勝つか。阿佐ヶ谷では緊急対策会議が開かれたものの、誰一人として今の稀勢の里がどうすべきか提言できる者は居なかった。
状況整理すらままならぬ中、優勝決定戦は始まった。
左が差せない。 自分の形が作れない。 ずるずると後退する。
土俵際。
追い詰められたところで、小手投げを放つ。 苦し紛れの一発なのか、狙いすました一撃なのかは分からない。 だが、その一手が決め手となった。
大逆転。
もう、訳が分からなかった。 いい大人達が、半狂乱状態になった。
ここからの私たちの様子を伝える言葉はもう要らない。ただ、ぐちゃぐちゃだった。
これほどあり得ない、これほど美しい結末を私は観たことが無かった。重ねられるのは、貴乃花の鬼の形相の一番だ。
稀勢の里の強行出場の一報を聞き、真っ先に思い出したのは貴乃花のことだった。絶望的に状況であることは誰の目にも明らかだった。相撲が取れる状況でないことは、14日目に露呈してしまっていたのだ。
貴乃花の再現を期待しながら、それがどれだけ都合の良い期待かを私は理解していた。貴乃花の一番は、二度と起こり得ない偉大な一番だ。身体が動かぬ中で武蔵丸を攻め立て、怯む武蔵丸を攻め切り勝利を掴む。期待はしたが、こんなことは出来る訳がない。
だから、あの一番は大相撲の歴史を語る上で必ず出てくる映像になった。どう考えてもあり得ない。だが、大相撲の素晴らしさと魅力を凝縮した瞬間が、人知を超えた瞬間があの一番にはあるからだ。
稀勢の里に求められたのは、伝説の創造だった。それほど絶望的な状況だったのだ。それも、今回は二度勝たねばならない。
一度だけでも、既に伝説だ。 だが、それを二度起こさねばならない。 月並みな言い方をすると、それは奇跡だ。
奇跡と言うのは稀勢の里に失礼かもしれない。私は伝説の場に立ち会った後、そんな風に思った。相撲を知らぬ者は、その2文字でこの偉大な瞬間を片付けることになると予想したからだ。そして、翌日のスポーツ紙の一面が「稀跡の二番」と語ることもまた、容易に想像が付いた。
もう、細かいことはこの際どうでも良い。日本人とかモンゴル人とか、差別とかそういうことが吹き飛ぶ、人知を超えた「稀跡の二番」を観ることが出来たのだから。
この記事へのコメントコメント一覧
「稀跡の二番」。稀勢の里が、貴乃花を超えた日。
コメント投稿者ID:TCE00074619 | 2017年03月28日 23:38
というか絶対に優勝しそうな気がした。
それは先代のなんか不可思議の導きかな。
私は何度も稀勢の里は確実に横綱になると言ってました。
その通りに横綱になりました。
稀勢の里の優勝は誰もが予想しないとき優勝する
だろうと思ってました。先場所も今場所も同じ
ようにまさかという場面でしたね。
これからが、稀勢の里の真価が問われることになるでしょう。
なぜなら、優勝を期待されて当たり前のように優勝する
ということがどうしても出来ないからです。
勝つことは出来る。でも期待されたとおりに勝てない。
ここを突破出来ればもう本物だと思います。
「稀跡の二番」。稀勢の里が、貴乃花を超えた日。
コメント投稿者ID:TCE00076980 | 2017年03月27日 18:51
人の強い思いのには、計り知れない力が存在すること、これは感じる歴史に残る相撲でした。
昨日のあの瞬間に日本人に生まれ、感動できる時間を皆様と共有できた幸せ、怪我をした夜は心配で眠れず、昨晩は何度も録画を観てしまいました。
「稀跡の二番」。稀勢の里が、貴乃花を超えた日。
コメント投稿者ID:TCE00075704 | 2017年03月27日 09:21
永久保存版の文章でした。文章による「感動の再現」に感謝します。