留学さえすれば「ペラペラ」?
どーもー、おりばーです。
海外に住むだけで英語が「ペラペラ」に。
なんて考えを持っている人、未だに意外と多いよね。
海外に住んでたんだから英語が楽に覚えられていいねー。
帰国子女・留学生・海外在住者、みんな言われたことがあるんじゃないかな。
英語を学ぶなら手っ取り早く海外に住みゃいい!
なんて単純な話ならだれも苦労しないんだけどね~。
今日は、海外に住むだけでは英語が身につかない理由、
そして、具体的に何に気をつければ言語習得を効果的に行えるのか、
この2点について一緒に考えてみよう!
- ただ環境に任せればいいの?
- 文化変容モデル (Acculturation Model)
- 英語との心理的距離
- なぜ海外に住むだけでは身につかないのか?
- んじゃ具体的にどうすればいいの?
- 結論!海外に住めばいいなんて思わないで!
ただ環境に任せればいいの?
言語教育学の世界において、環境に任せて言語を習得するという考えは昔から議論されていた。
環境に任せるのが一番なのか?
現地に住みさえすれば身につくのか?
そんな中で、1978年に言語学者 John Schumann (ジョン・シューマン) がある発見をした。
アメリカに住む、英語を母語としない学習者6名に対して研究を行っていたところ、その中の1名が一向に英語の上達を見せなかった。
その人物の許可を得て、彼の行動や生活スタイル、全てを観察した結果、シューマンはある結論に辿り着いた。
文化変容モデル (Acculturation Model)
非常に単純化すると、シューマンが提唱したこのモデルは、言語習得というプロセスを、自文化から異文化への変容だと考えた。
もう少し簡単に説明しよう。
第一言語とは違って、第二言語学習者はすでに自分の文化を持っている。
僕たちで言えば、日本文化だね。
その自文化を新しい文化にどのように関連させるのか、どのように適応させるのかが言語習得において重要だと彼は唱えたのだ。
文化が大きく異なり、カルチャーショックのような状態が続いてしまっては言語習得は難しい。
逆に言えば、文化の間の似ている箇所に気づけたり、違う部分も許容できる余裕があれば、言語習得はスムーズにいくということだ。
でもこれは文化の似てる・似てないに留まる話じゃない。
文化の類似性や、学習者の社会における扱われ方など、学習者自身ではなかなかコントロールできない要因を「社会的距離」と定義する一方で、シューマンは「心理的距離」の重要性も訴えた。
英語との心理的距離
「心理的距離」の例として様々なものがあげられる。
その中から例えをいくつか紹介しよう。
「失敗に対する恐れ」
言語学習者にとって、失敗や間違いはつきもの。
何かを習う為には、最初から一回も失敗しないなんてありえない。
自転車だってなんだって、転びながら諦めずに頑張るから乗れるようになる。
でも、失敗や間違いは時にして学習者の意欲を大きく削ぐ。
「バカな間違いをした」
「間違ったことをみんなに笑われる」
そんな不安感がたまって、「失敗や間違いをしたくないから発言したくない」という気持ちになってしまう。
答えは分かってるかもしれないけど、声を出して答えるのが怖い。
一度気持ちを閉ざしてしまったら、積極的に参加する意欲はなくなる。
そういう姿勢は教師にも伝わり、だんだんと質問を振られなくなる。
そうして学習が身につかなくなってしまう。
こういった、失敗に対する恐れが言語習得の成果に大きく影響を及ぼす。
「自分を"変える"意志がどれだけあるか」
新しい言語を学ぶということは、新しい文化だけじゃなくて、新しい世界に入り込むということ。
今までの価値観が全てじゃないと知るということ。
今までの常識が通じない世界があることを知るということ。
そして、何よりそんな違いを「認める」ということ。
日本語じゃない言語を学ぶということは、日本語を話す自分から変わらなければいけないということ。
それは別の人格を持つということじゃなくて、今までの殻を破って自分の世界を広げるということ。
そんな「自分の変化」に寛容でなければならない。
今までの自分、今まで信じてきた常識、今まで培ってきたノウハウから抜け出そうとせず、過去の自分にすがっているばかりでは言語習得はできない。
ホームシックになったり、嫌な経験が続いて現地のコミュニティーとの心理的な距離が離れてしまう、なんて自分ではどうしようもない場合もあるだろう。
各々の事情によってその言語・文化への心理的距離が変わる。
つまり、各々の事情によって言語が身につくかどうかに変化が生じるということだ。
環境さえあればいい、というのは完全なる誤解ということだ。
なぜ海外に住むだけでは身につかないのか?
シューマンが示した通り、言語を身につけるための要因というものは無数に絡み合っている。
英語にあふれた環境に身を置いたとしても、その学習者個人の言語に対する「心理的距離」が離れていれば、習得はあまり進まないだろう。
また、学習者の意思とは関係なく、文化の違い、学習者の扱われ方、学習者グループの規模など、「社会的距離」によって習得が妨げられることも多々ある。
結果として、積極的にコミュニケーションする気がない、自分から学ぶチャンスを探さないということが起き、海外に居たのに言語に成果が表れない。
勿論、この理論が全てを説明しているわけではない。
まだまだ言語習得の方法論は議論のタネになっている。
でも、1978年という約40年以上前に、環境だけでは言語習得はできないということが示されたのに、未だに当然のことのように「海外に住めばいい」という風に一部で思われている。
その認識をいいかげん改める時なんじゃないだろうか。
海外に住むだけで、
留学に行くだけで、
言語が身につくなんて思わない方が良い。
んじゃ具体的にどうすればいいの?
シューマンの理論を逆に利用すれば、どのようにすれば言語習得が効果的に行えるかが分かる。
成功のカギは、「心理的距離」にある。
文化の違いの大小は仕方がないこと。
でも、それに対してどのような気持ちで挑むのかは学習者次第。
学習者自身でコントロールできる点に注目すればいい。
失敗を恐れない
「そんなの言われなくても分かってるよ!」
という意見がほとんどだろう。
失敗を恐れるな!
失敗から学べるんだ!
なんて言うのは簡単だけど、それでも人前で間違いをするのは恥ずかしい。
「バカな間違いをした」
「間違ったことをみんなに笑われる」
そのような気持ちになってしまうのも良く分かる。
これは学習者ならば誰しもが通る道。
でも考えて欲しい。
失敗せずに何かを身につけることは可能なのだろうか?
一発で成功したら、それは「身につけた」のではない。
「なんかやってみたら出来た」である。
言語において、「なんかやってみたら出来た」はあり得ない。
ということは、何度か試行錯誤、失敗を繰り返して学ぶ必要がある。
一度も失敗しない、を目的にやるんじゃない。
失敗をしなくなるためにやるんだ。
そう思えば「失敗」は学習において必要な過程となる。
必要な過程を通っているということは、前進しているということ。
失敗している度に成長しているということだ。
失敗を恐れて挑戦しないということは、立ち止まるということ。
失敗を恐れない人は言語習得が早い。
誰になんと思われようと前進しているんだから、そりゃそうだろう。
失敗ばかりを気にして、上手くいった時を忘れてない?
言語習得の過程の中で、失敗は必要なものだし避けては通れない。
そんな中で、
上手くいった!
今日は上手に言えた!
なんかかっこよく言葉を返せた!
なんて時が必ずある。
そんな成功した時の記憶を大事にしてるだろうか?
僕らは失敗をすると、それを必要以上に引きずってしまう。
でも、良いことがあってもその気持ちはすぐに忘れてしまう。
これって凄く勿体ない!
自信過剰になれ!って話ではないけど、少しでも気分が良かったとき、上手くいった時はもっと思いっきり喜んでいいんじゃない?
失敗をものすごく恐れるのに、いざ成功したらクールに決めるのは勿体ない。
自分で自分を思いっきり褒めてやれる人は、成功する瞬間を一番楽しめている。
上手くいってると思えれば、努力も続けやすいもんだ。
結論!海外に住めばいいなんて思わないで!
英語圏に住んでいれば、英語を身につけるチャンスが日本に居るより多いのは確かだ。
でも、個人の心の持ち方ひとつで、そんなチャンスを活かせないこともある。
失敗することが怖い。
変わることが怖い。
現地で嫌な思いをして関わる気力がなくなってしまった。
学習者の態度・モチベーション・外的要因で大きく成果が変わってくる。
そう考えると、環境がどうであれ、努力や意思が必要なのは変わらないということだ。
海外に居るのに、思ったように成果が出ない。
そんな悩みを持つ人も居るだろう。
自分の努力不足だと責めるのではなく、自分の意志ではどうしようもない外的な要因があることも忘れてはいけない。
そして、海外に今から行く人は、環境に甘んじるんじゃなくて、自分からがむしゃらに飛び込んでゆく気持ちを持ってほしい。
変わるって、怖い。
環境の変化、人間関係の変化、そして自分の変化。
変わることが怖くない人なんていない。
でも、変わるために飛び立ったのならば、そんなことでビビってる場合じゃない。
変わることを楽しめ。
今までの自分が通用しない世界を楽しめ。
本気で憧れる気持ちがあれば、文化の違いなんて乗り越えられる。
海外に居るだけで英語ができる?
2017年にもなって、まだそんなこと言ってるの?
そんなに簡単なことの様に言う人に限って、なんで自分で海外に行かないのだろうか。
やってみりゃ分かるよ。
そんな単純だったら誰も苦労しない、ってね。
では、僕から以上っ!!