韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国・韓国語の見つめ方を伝授します。


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韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!
このかわいい高宗が、やがて恐るべき困難を経て、韓国の近代化「光武改革」の中心となるんですね。


昨日は『Dr.JIN』、最終回でした! まずは何よりキム・ギョンタク、見事なまでの生き様でしたね!ラストシーンのイ・ハウンさんの登場にも胸が熱くなりました。何か、二人に会いたくなって、特に悲しい最期を遂げたギョンタクには、3弟子くらいを連れて、現代にタイムスリップしてきてほしいものです。そして、明るくオムライスとか食べて、テレビに斬りつけたりしてほしいです。(>_<)


いずれにせよ、歴史の中に、そのように生きた、数多くの方々のまっすぐな人生があり、その報われない、数限りない思いを受けて、現代の私たちが生きているのだ、彼らの夢見た世界を、今バトンを受けた私たちがしっかりつくっていかなければならないのだ、と覚悟させられる、とてもいいドラマだったと思います。(途中、いろいろな思いはありましたが…)


ということで今回は、『Dr.JIN』のその後の歴史に思いをはせながら、また先日ご紹介した『白磁の人』の浅川巧の思想を思いながら、いわば韓国の明治維新にあたる高宗の「光武改革」についてご紹介してみようと思います。


イ・ハウンさんの業績に関しては、ドラマの中で表現された安東金氏の「勢道政治」の打倒に尽きるし、このような過程は、日本でいえば大政奉還までの流れに該当するからです。


実際に重要な、韓国近代化の本格的歴史は、ドラマの中では幼く、父・大院君と左相キム・ビョンヒの両派の間でいつもキョトン、キョトンとしていた、王・高宗がやがて「大韓帝国」の初代皇帝となって、1897年から8年間の大近代化事業「光武改革」を生み出す過程にあるわけですよね。



●忘れ去られた高宗の「大韓帝国」


これまで私たち日本人の認識の中で、この高宗による、1897年10月12日の「大韓帝国」の成立と、高宗が率いた「大韓帝国時代」(韓国では旧韓時代とも呼ぶ)に対する評価は、完全に皆無だったといえます。というか実は韓国においても、それが注目されるようになったのはここ最近のことなのです。その理由は、36年という、この国が日本の統治下で歴史を捉え、学んできた年月の重みにあります。


日本が1910年に韓国を併合した時点で、韓国という国は「韓国」だったのであって、「朝鮮」という国号はその13年も前に終わっていました。それなのに、当時の日本がこれを「朝鮮」に戻した理由は、日本がこの国を植民地化する理由として、この国が清国に冊封関係を持つ「中国の属国だった」という事実、それゆえにこの国が「独自で近代化する力がなかった」という立場が必要だったからだろうと思います。


すなわち、すでに自ら中国と対等の「皇帝」を名乗っていた「大韓帝国」の時代が評価されては困ったわけです。


「称帝建元(皇帝を名乗り、元号を建てる)」といいますが、1894年の「甲午改革」で、韓国は中国にならっていた当時の年号を廃止し、1896年1月から独自の年号「建陽」を建てますが、前年10/8に王妃・明成皇后を殺害した日本がこれに反対し、同年2/6、高宗自身が、その後も日本の包囲下にあった王宮を出てロシア公使館に避身することで、この流れは一時、霧散します。


そこで1年を過ごしながら綿密な計画を立て、1897年2月、別宮であった慶雲宮(現在の徳寿宮)に移って、8月、高宗は年号を「光武」に改変するとともに、自ら天子として天に祭祀を捧げるための「圜丘壇」を建てて10/12、皇帝即位式を挙げることで、「大韓帝国」を成立させます。「光武改革」の8年間の始まりです。


それが、1899年の国家基本法「大韓国国制」の制定であり、同年の、東京よりも4年早いソウルの路面電車開通であり、驚くことに現在の主要線がすべて計画されていた、1902年の全国鉄道網の着工であり、米国のワシントンDCをモデルにしたソウルの都市計画だったのです。



●「日本によって近代化された」


先日の映画『白磁の人』でも、植民地時代の日本人はいっています。「韓国は自力で近代化できなかったので、日本が近代化してあげた」


ところが実際には、日韓併合の11年も前の1899年5月に、韓国がまったくの自力で、ソウルの西大門-清涼里間で路面電車を運営していたことを、当時の大多数の日本人も知らなかったわけです。それは、1903年に東京で電車が開通する4年前のことでした。(※ちなみに京都ではソウルの4年前の1895年に路面電車が開通しており、あくまで東京・ソウルの比較という目安ですが)


1901年にアジア各地を旅行したドイツの新聞記者ゲンテは、韓国の近代化を絶賛しながら、「まだ眠りから覚めていないと思っていた静かな朝の国の国民が、西欧の新発明品をはばかることなしに受け入れ、ソウル市内の藁葺き屋根の家の間をぬって、風のような速さで走る電車に乗ってあちこちを見物することができるなんて、どうして驚かずにいられようか」と綴っています。(『ゲンテの旅行記』1905年)


当時、電灯は、エジソンが1880年にエジソンランプ会社を設立して世界に普及したわけですが、日本では、1884年に日本橋の内閣印刷局で初めて灯ったという話が有名です。実は、韓国も同じ年にエジソンランプ会社と契約していますが、ところが、韓国の電灯点灯がそれから4年後になるのは、韓国の場合、王が改革の先頭に立つために、特別に慶福宮内に、立派な時計塔を冠した2階建ての洋館「観文閣」を建て、それが完成した1888年にそこに初めて電灯を灯したわけです。


高宗はそこに、中国式レンガを使った「集玉齋」も一緒に建て、韓国式、西洋式、中国式を一つの王宮の中に調和させるという形で、自らの近代化思想の一つの象徴としたのでした。


他にも高宗は、韓国に銀行制度を設立するために、1899年1月、国庫銀行としての「大韓天一銀行」を、皇室の英親王を総裁にして発足しています。1902年には「中央銀行条例」をつくって、「中央銀行」設立のために皇室が敷地を提供し、設計図も完成させますが、その建物の完成については1908年、日本の朝鮮統監府が建てたことになっています。実際には日本は、韓国政府が設計したそれを修正して建てたわけですが、それが結果として「韓国の中央銀行は、日本が建てた」ということなわけです。


このように“韓国の明治維新”、高宗の「光武改革」についてみる時、韓国が「日本によって近代化された」というのはある意味一面的な話に過ぎず、もしかすると、私たちの国が「近代化の主体を奪った」というほうが正しいのかもしれません。


少なくとも、イ・ハウンさんがそうであったように、“朝鮮の未来”を夢見て、この国の近代化に魂を燃やした人々の思いと業績を、私たちは無視することなく受け止めていくべきでしょうね!(*´▽`)



韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!
ラストで現代に幻影となって現れるイ・ハウン。


韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!
彼らが過去の歴史の中から今も私たちに語りかけているようですよね。



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