23.9.11(日)
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ゲーム脳の恐怖
私の書棚に『ゲーム脳の恐怖』(日本大学文理学部体育学科教授 森 昭雄 ; 2002年7月 NHK出版)があります。 「ゲーム脳」という言葉・概念は、ともに森氏が初めて提唱したもの。その仮説とは、「ゲームをやってる奴の脳は、認知症 (痴呆症) の患者と同じ状態になっている」とのことです。 脳波は、α(アルファ)波、β(ベータ)波、θ(シータ)波やδ(デルタ)波などが知られています。 このうち、森さんは脳の活動レベルを示すβ波に着目。テレビゲームを始めると、被験者のかなりの割合ですぐにβ波が激減することに注目しました。 普通はゲームをやめれば元に戻るが、1日に何時間も毎日ゲームをやり続けてきたような人だと、ゲーム中もゲーム後も、β波がほとんど出ていない人もいたとのことです。 β波が出ていない人、またはα波よりもβ波が出にくい脳を、森さんは「ゲーム脳」と名づけました。 そして、『ゲーム脳の恐怖』の中で森氏は、ゲーム脳の症状として、以下の例を挙げておられます。 感情の抑制がきかなくなり、キレやすい。 無気力、無表情、笑わない。 ボーッとしてる、集中力がない。 忘れっぽい (数分前のこともすぐ忘れる) 。 コミュニケーション不全。 自分勝手で、羞恥心、理性がない。 何だか、前頭前野(理性や創造性を生み出す重要な場所)の発達に課題があるとされる「発達障害」の子どもとダブる面があります。 この書は10万部以上も売れ、「ゲーム脳」は日本において有名な言葉(新語)になりました。この仮説は、今でもゲームへの差別意識や偏見を持つ一部のマスメディア・教育者などに支持されています。 しかし、その一方、脳神経の専門家などからの批判が強く、かつそれに対抗しうるだけの科学的な根拠がないことから、今では「疑似科学」(ニセ科学・トンデモ科学)とされています。 例えば、『脳科学の壁(副題;脳機能イメージングで何が分かったのか)』(榊原洋一)47ページには、次のように書かれています。
『ゲーム脳の恐怖』は、次のような理由から多くの親たちから歓迎された。 (1) 最近の子どもたちの「キレやすい原因の一つがゲームである」と、社会的懸念の原因を指し示したこと。 (2) 多くの親にとって頭痛の種であった、「子どもたちのゲーム漬け」をやめさせる格好の理由が示されていたこと。 (3) 『ゲーム脳の恐怖』は素人ではなく、脳科学者によって書かれていたこと。
α波=閉眼、安静、覚醒した状態でより多く観察され、開眼や視覚刺激時、運動時、暗算などの精神活動時、緊張時、睡眠時には減少する。 β波=能動的で活発な思考や集中と関連付けられている。一方、様々な病理や薬物効果と関連付けられている。例えば、鎮静性睡眠薬によってベータ波は増加する。また、皮質に損傷を受けた患者において、β波は減少、または消失する。
我が家のケース 愚息とファミコン
私の長男は、(保育所)年長の頃からテレビゲーム(当時はファミコン)に夢中になりました。当時ばくぜんと「こういう遊びは、成長によろしくない」という意識がありました。まわりの友達の大半が、自宅に持っているという環境にあっても、かたくなに長男の要求(ファミコンがほしい)を拒み続けていました。 ところが、「友達の家に遊びに行く」と言っては出かけている、その目的がファミコンと判明。やむなく購入せざるを得ない流れになりました。ただし購入時、「一日30分以内」、「約束を破ったら禁止」、という約束を交わしました。 当時流行っていたのは、「スーパーマリオブラザーズ」。いいところまで行っては制限時間(タイムオーバー)という条件下、愚息も殺気だったような雰囲気で立ち向かっていました。 当初は弊害ばかり念頭にありましたが、真剣なまなざしで立ち向かう姿に感激。チャレンジ精神、負けじ魂、挫折体験、成功体験など、日頃の生活の中で得難い一面もあるのではないか? また、観る⇒判断する⇒指に指令する という一連の動作は、脳の活性化に役立っているのではないか? など、私の中では評価が次第に高まっていました。 数ヶ月かかって、やっとクリアーしたとき、愚息は涙を流しながら抱きついてきました。5月5日、特別に時間延長してやった日の出来事です。 その後、購入してやったソフトは確か「ドラえもん」、次が「迷宮組曲」、そして「スーパーピットフォール」だったと記憶しています。 ……なにせ長期間かかってクリアーですから、今でもメロディーとともに画像が記憶に残っています。 これらはいずれも、いわゆるシューティングゲームに属するゲームではないかと思います。 そして、「桃太郎伝説」に出会ってからロールプレイングゲームに移行。本格的に嵌ったのが「ドラゴンクエスト」シリーズです。これは冒険心をくすぐる、なかなかすぐれたゲームソフトだと感心しながら見ていました。 攻略するための作戦、決断力、行動力、……バーチャル世界とはいえ、日頃の遊びでは体験出来ない世界です。また驚きは、画面にめまぐるしく出現する文字(文章)を親よりも早く、まさに瞬時に読んでしまいます。 つまり、全体的な評価としては、やりすぎさえ気をつければ、時代が生み出したすぐれた「遊び」の一種。アウトドア(群れ遊び・運動)とのバランスが取れていれば、特に問題ない。それどころか、昔の子どもには体験出来なかった感動・感激さえ得られる、というのが(当時の)私の結論です。 ちなみに蛇足ですが、「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」に挑戦しているとき、愚息から攻略本の購入を頼まれました。それがないと、どうしても先に進めないとのことでした。 ところが、書店で攻略本をぱらぱらめくってみると、何と、とても小学2年生(3年生だったか?)には読めそうにない漢字が続出です。これは買って帰っても、役に立たないのではないか? と危惧しながらの購入でした。 ところが、愚息は夢中で攻略本に向かっています。意味が分かるというのです。試しに声に出して一部を読むよう、リクエストしてみました。すると何たること、若干の読み間違えはあるものの、おおむね概要を把握している読みです。 別の日、中学1年生「国語」教科書の一部を音読させてみました。 ……おやまあ、あれまあ、今度はさっぱり読めません。不思議な現象に出会いました。 これは私の勝手な予想ですが、一つは「ドラゴンクエスト」の基礎知識があること。もう一つは、何としても読まないことには、ゲームが先に進めない。全身全霊をかけて立ち向かったこと。 ……この二つがあって、(小学2年生には)とても読めるはずがない文章を、突破出来たのではないか? ということです。 この出来事は、その後の私自身の国語科教育のあり方に一石を投じました。
更なる実践的研究を期待
先ほど紹介した本から引用すると、概ね次のような根拠のもとに反論されています。 ○ 前頭前野は、私たちが手慣れた作業をしているときにはあまり活動しない部位である。 ○ 日常生活で何度も行う一連の作業(例えば車の運転やキーボードで日本語を入力するときなど)においては、いちいち頭をフル回転させていては、脳は疲れてしまう。そこで脳は一度覚えてしまった作業に関しては、最小限の労力でそれを実現しようとする。 ○ つまり、作業と関係のない余分な活動は抑え、作業を行うために必要な部位だけを使うようにする。 ○ テレビゲームにもそれが当てはまる。ゲームのルールや操作に慣れてくると、前頭前野はあまり活動しなくなると考えられる。 ○ 実際に、同じゲームを初めて遊ぶときと、十分に練習してから遊んだときの前頭前野の活動を比べると、練習後の方が活動が低下することも判明している。 ○ したがって、「ゲーム脳はβ波が出にくい」現象は、ゲームのような慣れた作業をしているときの「前頭前野の短期的な変化」を捉えたに過ぎないのかもしれない。 これまでの教員生活の中で出会ってきた生徒に、テレビゲーム漬けの生徒が何人かいます。中には、夏休み中は連日、翌朝まで一晩中ぶっ続けという生徒もいました。そういう生徒の思考回路、行動様式は、さまざまな問題点を抱えていました。 ただ、それがテレビゲームだけが要因なのか、生活の乱れが要因なのか、親子関係なのか、環境なのか、食生活なのか、……。そこらあたりは、はっきりしていません。 ただ、確かに言えることは、(テレビゲームの)「やりすぎ」の弊害です。 脳科学によるテレビゲームへのアプローチは、まだ始まったばかりです。テレビゲームが脳に与える影響については、まずは実証的なデータの蓄積が必要だと思います。 一方、テレビゲームにもさまざまな種類があります。それらを十把一絡げにして論ずること自体、問題点を感じます。それはちょうど、テレビ番組にも有益なものがあるのに、「テレビはいけません」と断言するに似ています。 そのあたりも含めて、子ども達の健全な心身発達に資する実践的な研究を期待しています。