私は作詞家である。なぜ作家は作詞家をイジメるのか。歌詞の無断使用、無断替え歌は作詞家差別です。やめて下さい

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投稿者: 平井星人  [2017年 02月 06日 00時 19分] ---- ----
一言
 まず客観的な法的実務の現状として、日本国内では『諸事情により』小説その他よりも歌詞・楽曲のほうが過剰に保護されています。
 権利者の意志すら無視して削除対応されるような、法律の主旨からすれば異常な過保護です。

 次に主観的に、私も歌詞を書き、作詞家・小説家についての言説なども集めていますが「小説より下に扱われている」と感じたことはありません。 
 常識的に、多少なりまともに文学に関わった人であれば、俳句・短歌・歌詞といった「短い字数」で表現することがいかに高度な技術かは知っていると思います。

 著作権に関する意識が低い、軽はずみな改造・転用がアマチュアには多いとは思います。
 しかしそれは「歌詞」と「小説」を対立させて捉えるような問題ではなく、どちらにも等しく共通の問題で、創作であれば削っている命の量も上下はつけられません。

『なぜ作家は作詞家をイジメるのか』『作詞家は小説家よりも格下の存在。虫けら同然という認識があるからだ』という言葉は残念ながら、それこそがすべての小説家に対する理不尽な差別と偏見を感じさせてしまう矛盾になっています。

 一般的な話ではなく、個別の実例として話したほうがいい内容に思えます。
 詞を差別的に扱われたこと、そのように扱う人がいたこと、その事実だけを訴えるほうが読者に意図が伝わりやすいと思います。
投稿者: リューク  [2017年 02月 04日 21時 05分] 30歳~39歳 男性
一言
連投失礼します。

無料で運営しているサイトのスタッフに

この点について少し違和感があります。このサイトは確かに使用料は無料ですが、彼らは広告収入で運営をしていますので、全くのボランティアではありません。
ここの管理運営をするのは、彼らの仕事なので、それに対して負担どうこうと言うのは、少し違う気がします。

そんなことしなくても、JASRACに許諾を取ればいいんですよ。ネットで出来ます。

とおっしゃっておられますが、著作権に関してですが、基本的に書籍化して利益を上げる行為をするなら払う必要が発生しますが、我々のようなアマチュアの無料で投稿しているだけの小説家も払う必要性があるのでしょうか?
もちろん、歌詞の無断改編は最近のニュースでも取り上げられている通り、ダメでしょうが……。
その辺が私は、グレーゾーンな気がします。

小説のあとがきにJASRAC許諾番号書いていいか問い合わせてみます。

問い合わせられた結果はどうでしたでしょうか? 無報酬のこのなろうでも必要なのでしょうか?

曲の題名を書くだけでもいいんじゃないでしょうか。
題名に著作権はありませんから。

確かに題名には著作権はありません。ですが、それでは情緒もへったくれもあったものではない気がします。

例えば、三つ目の魔物を倒した後に「俺は少し鼻歌で『?のブーメラン』を歌った」
なんて出てきたら、多分読者は「この作者は大丈夫なのか?」って思われるんじゃないでしょうか?

表現には常に自由と規律のせめぎあいがあります。
歌詞の引用については、確かに厳しくしなければならない所もあるでしょう。
ですが、運営には削除する前に一度は警告を出して欲しいというのが本音です。

孔子もこう言っています。
「過って改めざる、これを過ちと言う」直す(反省の)時間と言うのは必要ではないでしょうか?
投稿者: 篝火  [2017年 02月 04日 19時 06分] ---- ----
一言
確かに無断転載はいけないことだと私も思いますし、作者様がおっしゃられるようになろうで歌詞の無断使用や替え歌で被害を受けている方が多いというのも事実でしょう。そして、詩歌だけではなく、その他創作物に関しても無断使用や二次創作・パクリなどはありうることです。私は一小説家、一作詞家、または一脚本家として自身の創作物が無断使用されていたらと考えると、嫌な気持ちになります。(なろうやその他ネット上での作品公開はしておらず、脚本のみ一般発表しております。)

しかし、作者様の文章をみると、「この人は作家は作詞家を見下しているといいながら他の創作者を馬鹿にしているのではないか?」と思いました。
ボーカロイドではなく肉声でという表現も意識してかもしくは無意識でかはわかりませんが、ボーカロイドやそれに関わる創作者やファンを見下したものに感じられました。
なにより、無断使用をする人を擁護するわけではありませんが、そういった人たちが必ずしも歌詞などを「勝手に使っても良い、歌詞・作詞家に権利などない」などと思って使用しているとは思えないのです。もちろん、その行為自体はいけないことですが、そこには尊敬や好意が含まれていることもあるでしょう。
他の創作者の方がどうかはわかりませんが、私にとって詩歌を創作する時、小説を書く時、はたまた脚本を作る時、その辛さは同じものです。素晴らしいものを作りたいという思いで創作しているのに、その時の気分はまったく素晴らしいものではありません。(では何故創作をするのかというとそれはまた別の話ですが)苦しんで苦しんでその先でようやっと歌詞ができる、さらに小説も書くという作者様ならわかるでしょう。先ほどあげました尊敬や好意のこともです。つまりは創作というものに貴賎などなく、作詞家でもあり小説家でもあるという作者様にはそれがわかると思うのです。
しかしながら、作者様の主張はあくまで作詞家の立場のみのものであり、小説も書くという割には、作詞家を馬鹿にしている作家もいるにはいるのでしょうが、そうではない人も多くいるということをわかってらっしゃらないのではありませんか。
このエッセイは、作者様が被害の件について訴えるという文章にしてはその件だけでなく、作家が作詞家を見下しているという(あまりにも荒唐無稽だと私は感じました)差別的な問題を多く主張した文章でした。(もしくは差別をしているという差別だと感じました)
この文章では読者が受け取るメッセージは"作家による作詞家差別とその気持ちの現れともいえる行為をやめてくれ"というものになるでしょう。
ですが私は思います。ボーカロイドの文章しかり、差別的な発言、表現をしている人(少なくとも私はそう感じました。作者様も少なくともご自身は差別を受けているとそう感じたという主観でこの文章を書いていると思いますのであえて言いますが)が差別をやめてくれなどとんだ偽善、とんだ傲慢で不遜な態度ではないですか。あまりにも自己中心的ではないですか。あなたは人に「殺しをしてはいけない。殺しはやめろ」といいながらご自身では殺しをするのですか?殺しをする人に殺しをとめられる理由などありません。これは極端な話ですが、そういうことなのですよ。

つまり何が言いたいのかというと、"小説家を馬鹿にするな"です。
長文失礼致しました。
投稿者: 霜村  [2017年 02月 04日 16時 51分] ---- ----
一言
あんまりにも小説の方が人気なくてさみしすぎてこうやって無理に注目集めようとしてない?
悪化するからそういうことしない方が良いよ
妄想と構ってちゃんウザすぎ
投稿者: 袋小路 めいろ  [2017年 02月 02日 01時 48分] ---- ----
一言
わかりますね。一部に居そうではあります。
心配は要らないと思いますよ。作詞家を馬鹿にする時点で、そういう方は、小説家もしくは物書きの体を成して無いのですから。たとえ、書籍化され100万部売れようと、文字を並べるだけの存在に成り下がるのです。
たった一度にして、これまでも、これから積み上げる物までも、汚れてしまう。紙を文字で汚すだけの存在に成るのです。
作者様がおっしゃる事は、そういう事なのだろうと思います。
投稿者: 霧加羅 衛  [2017年 02月 01日 20時 03分] ---- ----
気になる点
>ボーカロイドではない。肉声で私の歌詞が歌われているのだ。

さらっとボカロ作家をディスってるところ
一言
怒り心頭なのはわかります。
ただ、無断引用とか行動に移さなければ、上にみるとか下にみるとかはどうでもいいことじゃないですか?
その点でエッセイの焦点がボケている気がします。

実際、エッセイを読んだ印象としては無断引用に対する問題提起より、
差別意識がどうの……という方が残ってます。
投稿者: 顕子  [2017年 01月 31日 23時 21分] ---- ----
良い点
自分の要求を伝えている件
気になる点
具体的にどんな状況かわからないため、読者が容易に判断できない点
また、どのような対処を誰にして欲しいのか、要望が明らかではない点
一言
貴方が作詞家であるなら、歌詞の引用または転載の箇所を正確に書き記し、その歌詞の正当な持ち主として、取り下げ依頼を行うことができます。
替え歌であるならば、同一性の保持という著作権に引っかかりますので、こちらも取り下げの依頼を行うことができます。
それは作者へでもいいですし、なろうの運営(雛プロジェクト)でも構わないと思います。著作権問題に詳しい弁護士さんに頼んだほうが、法的な行動も視野に入れた働きかけをしていただけますので、良いかと思われます。
著作権侵害は親告罪です。
貴方が正しく著作権者であるならば、弁護士さんに相談の上で行動されることをおすすめします。
私はなろうにおいてはただの読者で、何があったのかさえわからない通りすがりです。ボカロでなく肉声でと声を荒げているような感情的な文章をここに書くより、現実で行動されたほうが良いと思われます。
貴方の権利を守るのは、貴方です。貴方が黙っていては、誰も(運営も司法も)動けません。
まずは、弁護士にご相談の上、運営(雛プロジェクト)に権利が侵害されているという書状をお出しになってはいかがですか?
投稿者: 梢田 了  [2017年 01月 30日 18時 26分] ---- 男性
一言
本文を読んでいて感じた事としては、「小説化が作詞者を下に見ている」というよりも「特定の創作者が他創作物(者)を下に見ている」となるのではないかと考えました。
これは誰でも作品を発表できる投稿サイトならではの問題だと思います。ここだけでなく色々な所でも起きていることではあるのですが、特に数が出易いのは人の多さと、なにより「誰でも投稿できる」という敷居の低さ、親しみ易さに要因があるのではないかと。
テレビドラマ、マンガ、アニメ、歌や詩に限らず色々な台詞や言葉を真似て友達連中と語り合っていたことと同じ意識で作品として発表されていることが多いと感じます。
これは先にも書いた通り小説家、作詞家、それこそ動画投稿者といった色々な分野を問いませんので、他感想に対するコメントにあったリーフレットさんの「論理的思考」には首を傾げます。
が、冒頭の一文と今回の投稿の発端から見て「作家と作詞家」に限定したことならば頷けます。ただ、逆の場合もあるので論理的思考を言うのであれば適切ではないかな、と。

内容について共感できたのは差別意識についてでしょうか。作品を投稿している方々はこのように引用あるいは盗用したことについて罪の意識もなければ相手を下に思う自覚はないと思います。しかし、自らの投稿物が転載されていたり、あるいは同じような内容で別人により投稿されているものを見て憤慨するという場面には何度か覚えがあります。
ここにあるのは「自分のものを何故無断で使用するのか」「自分のものを盗まれた」という被害者意識が強いと思うのですが、これが自分たちも行ったことだと気づかないのは上にもありますが「誰でも投稿できる」という敷居の低さから作者になるという責任感が伴わず、やはり他作品を軽視している傾向にあるのではないかと思います。
リーフレットさんにとって詩は自分が産み出したものであり、深く考える所があるのでしょう。盗用したり変形されることに憤りを感じるのは理解できます。自分も、そういったものを使う時には自分の詩を乗せたりしました。
ただ、相手が悪感情を持っていない、正に意識が違う人が多いという点だけ理解して欲しいのです。
罪を憎んで人を憎まず、正直に言えば自分はこの言葉が大嫌いです。しかし、それでも、もしリーフレットさんが作詞家と作家という二者だけで優劣があると考えてしまっているのならば、それは違うと言いたいのです。
本文にあった王様気取りの言葉というものも、本人たちは罪を罪として理解した上で、「それでもこうしてくれれば」と悔やむ気持ちが、それこそ不当と言える怒りであったとしてもそれらが突出して口走ってしまった、行動したことではないかと思います。結果として、詳細には触れられませんがリーフレットさんや他の訴えた人物に迷惑がかかることもあったのでしょうし、それを許してほしいとは言えません。
人は感情の生き物だから、理性だけで止まれる人だけだと思いませんし、だからこそリーフレットさんも反感を買う可能性があっても本文を投稿したのだと思います。
だから言いたいのです、一方が一方を下に見ているという差別意識が全てではないと。
ただこれは自分の気持ちであってリーフレットさんの行動を制限するものではありません。通報などは正しいことだと認識していますし、特に違反行為というものはサイトが掲示している以上、「わからなかった」では済まされないきちんとしたルールです。それを踏まえて「それでもこうしてくれれば」などという言葉は発せられるべきではありません。リーフレットさんのお気持ちも全てとはとても言えませんが、一部は理解できていると思います。
だからこそ、措置に対して口を出す人の気持ちも理解できてしまうのです。正否だけで言うならば否であることは理解できても、自覚のない所で何かしら相手を傷つけていたとしても、積み重ねたものは確かにあるのだから。
しかしこれも、こちらの都合であってそちらには関係ないことです。だからこそリーフレットさんの行動を悪く言うつもりはないし、制限をと言うつもりもありません。ただそれだけを見て、作家が作詞家に対して悪感情を抱いている、軽視していると思わないで欲しいのです。

題が混ざってしまい分かり辛くなってしまいましたが、上手くまとめられませんでした。申し訳ありませんが、以上です。
色々と考えさせられた文でした。
投稿者:  [2017年 01月 30日 15時 19分] ---- ----
一言
 作者様の指摘は十分理解できます。
 今の日本では著作権が軽視されているというのは先に修羅々田様や水源様がおっしゃった通りだと思います。
 ただ、作家が作詞家を見下げているというのは少し違うかなという気がします。
 というのも、日本にはパロディというある種の文化が存在します。(良し悪しは別にして)
 作者様が危惧していらっしゃるのは恐らくですが曲の歌詞がパロディとして作家の作品の一部として扱われることではないのでしょうか。
 しかし私の知る限りではこれは一方通行ではない気がします。
 作詞家の方もまた、作家や漫画家からセリフを剽窃していることがしばしば見られます。
 もちろん数も量も違いますが、少なくとも作詞家<作家というのは必ずしも成り立つものではありません。
 私が思うにこれはパロディ(二次創作、替え歌)をする側、される側の問題であり、作詞家と作家の問題とはまた異なる気がします。
 揚げ足をとるような感想かもしれませんが、今日の著作権問題の現状は、作者様の指摘する通りお世辞にも良いとは言えないのは確かです。
 私個人としては作詞家だけでなく作者(アニメ製作者、ゲーム製作者、作家、作詞家ひっくるめて)に対するリスペクトが私たちには足りないのかなと思うばかりです。
投稿者: 修羅々田/旧NO.20  [2017年 01月 30日 07時 46分] ---- ----
良い点
読みやすく、主張がまとめられていると思いました。
一言
こういったことについて、作詞家さんからの意見を知ることができる機会は少なく、読んでいてとても新鮮でした。
最初は、差別されている、下に見ている、などの発言には「ん?」と誇張されているような違和感を感じましたが、命を削って書いている歌詞を無断で使われ、好きなように弄ばれているような状況では、作詞家さん達の目線からすると、そのように映るのだということが理解できました。

日本におけるこうした著作権の問題として原因にあるのは、日本人特有のモラルや、情報リテラシーの低さなどがあると思います。
元々日本では「恥」というものが強く意識される文化が根付いていましたが、一方で、誰にも自分が誰かわからないネット上では、何をやってもばれないと勘違いしている人が大勢いるようです。
しかも、よく問題となる過激な発言を行うのは、意識の発達していない中高生はおろか、四十代以上の比較的裕福な妻子持ちの方の割合が高いそうです。

他人に見られていないから、自分だとばれていないから、何をしても良い。そんな意識が、日本人の根底にあるものの正体であると思います。匿名性が完璧とは限らないのに。

歌詞の無断転載という行為は、確かに作詞家さんの権利を侵害し、努力を踏みにじる悪質な行為だと思います。そこに作詞家さんへのリスペクト、尊重する心が見えなければ、尚更でしょう。ですが、それを複数人が行い、お互いを肯定し合うことで、あたかも正しいことかのように自己催眠を起こしているようです。

こういった、周りがやっているから自分も良い、という未熟な日本人性を持った人はまだ現れると思います。その際に、作詞家さんや、その他の創作者の目線に立って、どこが悪いのか、何が悪かったのか、きちんと理解し、判断することが、小説を書く人々にも必要なのですね。

それが理解されなければ、相応の対応をとることは、正しいことだと思いますよ。

頑張ってください。
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