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断絶の航悔(スーパー・カリフォルジリスティック・エクスピアリ・ドーシャス⑩ 別名「休戦の客車」(Wagon de l'Armist ice)
■ 琥珀の間
琥珀の間というのは狂気の集大成だ。夫君を追い落として実権を握った女が欲望の仮面を部屋中に拡大べく国家予算をつぎ込んだ。もともとはプロシア王フリードリヒ一世が戴冠式のためにケーニヒスベルクを訪れた。その際に琥珀技師の仕事に触れた。王はベルリンの居城を飾るためにさまざまな色合いで絵を作らせた。
しかし、当時の琥珀は耐久性が低くてすぐに剥落する始末。後を継いだヴィルヘルム一世は父の無駄使いを非難したあげく、ロシア皇帝ピヨトール一世に進呈した。
しかし、彼もまたそれをペテルブルグで受領した際に幻滅してしまい、結局のところ女帝エリザベータの避暑宮殿に飾られることになった。彼女はこれを冬の宮殿に飾ろうと思いついた。贈られた元々の形は55平米もある天然琥珀のモザイクであったが、彼女はなんとこれを六倍に拡大した。
金メッキの木の彫刻、鏡、メノウと碧玉で出来たモザイクの絵は、冬の宮殿を攻め落としたナチスドイツに奪われた。もちろん、ロシア軍は疎開させようと尽力した。しかし、琥珀はとても脆く、輸送に手間取った。その行方はナチス敗戦と同時に歴史の闇に吞まれてわからない。
歴史かによれば諸説紛々あるが、どれも決定的ではなく謎に満ちている。世界七不思議の員数外とさえいわれた。
ロマノフ王朝成立三百周年の宴に招かれたイチゲロフだけが知っている。
「まさに煩悩の狂い咲きだ。曼荼羅の対角線上にあるものだ」
イチゲロフはフサーク所長を伴ってバイカル湖畔、リストビャンカの日本人墓地に来ていた。大日本帝国は米英を敵に回してシベリア鉄道沿いに支配地域を広げ、ついにイルクーツクにまで進出した。その戦没者が祀られている。イルクーツクから北へ八〇キロ。
リストビャンカに赤レンガ造りの慰霊碑がある。外見は浴槽台に似ている。その一角に凡人の目に見えない霊的な扉が開いている。ジメジメした階段を降りると煌びやかな地下室に出た。
「だが、これは悪意の結晶でもある。ブルジョワジーの極みだ。許されざる存在だ」
イチゲロフは怒りをあらわにするが、リュプヴィーとモーリアはすっかり目を奪われている。
「では、私たちの目的地は腐敗臭が充満する世界だったと?」
イリーナはわなわなを身を震わせる。失望と恐怖のあまり顔面は蒼白し、呼吸回数が増えている。
「そうだ。すっかりお前たちが信じ込んでしまったのも無理はない。ドイッチェラントもラファームシノワも煎じ詰めればちっぽけで下らない野心しか残らない。ちなみに耳より情報を教えてやろう」
老僧は、イリーナに一層の打撃を与えるためにわざと言葉を区切った。
「えっ?」
現実逃避から醒めたフサーク所長たちが耳をそばだてる。
イチゲロフは大きく息を吸い、一気にまくしたてた。
「エリスはお前たちを見捨てたよ。アハトアハトは枢軸特急と共闘している」
男はアナスタシア発勁体にまつわるエリスの醜態を洗いざらい暴露した。
「それで【集団】に所属すれば私たちオージラ・バイカール市社会福祉事務所の理念は達成できるのですね? 社会福祉を完全実施するという」
フサーク所長は野心を達成するためなら手段を選ばない。たとえ、人類を裏切って地球外生命体に帰依することも厭わないという。
「そうだ。ここにある琥珀の間はオリジナルだ。そして、もう一つ、偽物が別世界にある。両者の間には虚構と現実の激しい葛藤が生じている。ヴ・リルパワーだ。その力でお前たちをアップロードしてやる」
彼はそういうと、具体策に取り掛かった。琥珀の主成分は炭化水素だ。これに放線菌を作用させると量子ドット蛍光体という特殊分子構造が発生する。量子ドット蛍光体は物質中を飛び回る電子を無理やり拘束することによって効率的な力を発揮する。自由を奪う代償に力を得ると言い換えてもいい。それは現実を形骸化させる有効成分でもある。そもそも琥珀が脆いのも量子ドット蛍光体の知られざる力に由来する。
やがて、乳白色の部屋に一両の列車が現出した。
食堂車2419D、いわくつきの列車だ。別名「休戦の客車」(Wagon de l'Armistice)ともいう。第二次大戦中にフランス軍が西部戦線司令部として使っていたが、ナチスドイツのフランス侵攻により接収された。その際、この列車内で独仏間で休戦協定が調印された。
イチゲロフの一行はこれに便乗して、世界間隧道を抜けた。めざすは、本初始祖世界の琥珀の間。それはリストビャンカでなく、サンクトペテルブルクのエカテリーナ宮殿にある。
「ソースコードの現地当局は第二次世界大戦後に琥珀の間を復興させようとしたが、あまりの費用に断念した。ナチス軍によって剥がされた琥珀を埋め合わせるだけの予算が無かったのだ。やむを得ず、苦肉の策でごまかした」
「それは、何なんでしょう?」
フサーク所長が不思議そうな顔をすると、イチゲロフは大真面目に答えた。
「絵だ。絵だよ。琥珀で装飾するかわりに壁に絵を描いた」
■ 本初始祖世界 1986 ソ連邦 ネフスキー修道院
始祖露西亜がロシア連邦から改名するよりも、もっともっと昔のこと。
議会制社会主義連邦共和国の時代には、サンクトペテルブルクがレニングラードと呼ばれていた。
レニングラードはナチスドイツに包囲され徹底的に干しあげられた苦難の歴史がある。実に872日もの間にソ連兵、市民合わせて150万人近い犠牲者が出た。
その後、連合軍はナチスを押し返し、解放を達成。戦後、ソ連連邦第二の都市に発展した。
市内を南西から南東へ大きく蛇行するネヴァ川。そのほとりにピヨトール大帝が築いた修道院がある。赤いファサードに繊細な白のデザインが特徴的で、すぐ近くの墓地にソ連を代表する知識人が眠っている。共産党のエリートやその家族、関係者が墓地を歩き、芸術的な墓碑や墓碑銘をじっくり鑑賞している。レニングラードは政治の中枢であり、軍の警戒も厳重だ。
あろうことか、そこに異世界異物が混入したのである。
もっとも、イチゲロフが召喚した異世界列車はソ連人の眼には見えない。加えて、彼らはコチコチの無神論者であるから、仮に視えたとしても先入観が打ち消してしまう。
食堂車2419Dは地下鉄のネフスカヴァ駅からスウッっと墓地へ移動した。青白い炎が参拝者の頭を通り越していくが、陽光に遮られている。
埋葬者たちの残留思念が色めき立つ。ドストエフスキーやチャイコフスキーといったそうそうたるメンバーが通過する列車に確率変動のエールを贈った。
2419Dがエカテリーナ宮殿に到着し、絵に描いた琥珀と向き合った。機関車の周囲がわい曲する。
人々は異変に気づかないまま、色鮮やかなモザイク画に魅せられている。
「――?!」
琥珀の一部がくすぶり始め、ようやく警備員が感づいた。
「!!! 火事だーっ!!」
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